2-19 王妃の器
「――なるほど。まったく、魔道具の一件と言い、学園生活もずいぶんと賑やかな事だな」
「そうですね。私の〈精霊の泉〉での一件と今回のエリーの一件、思惑は違えど行き着くのが同じ家ですからね」
赤竜騎士団女性騎士舎中庭。
白百合寮の騒動の翌日、私はエリーを伴って報告に訪れていました。
というのも、先日の白百合寮の一件からアルリオが活躍してくれたおかげで、ランベール子爵家令嬢であるエレオノーラさんが今回のエリーに対する騒動の黒幕であるという証拠はすでに手中にあります。
となれば、当然ながら報告の義務というものがある訳で。
私はアラン様とイオ様、アリサ様と一緒にお茶会という名の報告会にやって来た、という訳です。
まぁもっとも、現在エリーがイオ様を相手に手合わせをお願いしており、剣戟の聞こえるお茶会という斬新な状況ではあるのですが。
「だったら、さっさと手を打ってしまうか。ランベール子爵家はもともとマークしている家でもあったからな。今回の件で罪には問えるような出来事はまだないが、フィンガルとの麻薬の密輸だけでも十分に取り潰しに至ってもおかしくはない状況だ。アレッタ漬けになっているという点も考えれば尚更だな」
「それでよろしいのですか?」
「ん? どういう意味だ?」
紅茶の入ったティーカップをテーブルへと置いたアラン様の態度に、私もまた同じくティーカップを置いて続けました。
「今のまま家を取り潰せば、確かに黒幕は消えます。ですが、残念殿下……げふん、ジェラルド殿下の評価はもちろん、高位貴族陣の子息様がたにも傷がつくのでは?」
「それはそうだが、仕方がないだろう。陛下とて許容している」
「ですが、その傷が“理由あってのもの”であるか、“ただの暴走に拠るもの”か。それらがハッキリしている方が、傷は浅くなるのではありませんか?」
「……ふむ」
今回の騒動で問題となっているのは、残念殿下を含む高位貴族子息が騒動の中心にいる点です。
これがもしもただ一人の高位貴族子息と平民の恋路であったのならば、それはそれで美談に仕立てあげる事もできたでしょうが、学園内ではすでに殿下一行とエリーの対立は周知の事実となっています。
となれば、当然ランベール子爵家を取り潰したところで、黒幕はいなくなりますが、殿下らの汚名返上の機会もまた完全に失われる事を意味するでしょう。
当然ながらそうして名誉に傷を負う子息の責任は、同時に高位貴族家当主にも降りかかる訳で、責任を迫られる事となります。
アヴァロニア王家、王国宰相、青竜騎士団団長、財務卿。
これらが瑕疵を負う事になるのは得策であるとは言えず、さらに付け加えるのであれば、これによって国の内情がゴタつけば、ランベール子爵家同様に暗躍する者も再び出て来るかもしれないという意味もあります。
私の言葉がそれらを意味していると理解した上で、アラン様は僅かに逡巡した様子を見せてから口を開きました。
「本来であれば、相応の取引をして現職を続行してもらうのが妥当だろうな。しかし、今アヴァロニアは平時とは言い難いのでな。性急ではあるが、現状を落ち着かせる必要もある」
「――殿下、暴走が近いのですわね?」
アラン様に答えたのは、イオ様との手合わせが一段落してこちらに戻ってきたエリーでした。
エリーの一言にアラン様がイオ様とアリサ様に視線をやり、伝えたのかと確認してみせると、二人は苦笑して肩をすくめ、そんな二人の姿にアラン様がため息を漏らしました。
どうやらエリーはこの御二人から聞いたようですね。
「どうせ公爵家から情報も入るだろうが、その通りだ」
魔物の暴走現象は私も耳にした事があります。
アヴァロニア国内のあちこちで大量発生している魔物が、強大な力を持つ魔物によって追い立てられるように人里へと襲撃してくる現象です。
十年に一度か二度の頻度で起こる現象だそうで、普段は赤竜騎士団が率先して魔物を狩りつつ状況を確認、調整する役割をこなしているのだとか。
フィンガル侵攻によって赤竜騎士団が離れていた事もあって、想定していた以上に魔物の数が増えているとかで、アラン様がたはもちろん、国としても対応に追われているそうです。
「そういう訳で、今は膿を出す事を最優先にしている訳だ。正直に言えば穏便に済んでくれるに越した事はないのだが、暴走を目前に控えている状況で悠長に対応している場合ではない、というのが本音でな。さっさと潰す方に比重は傾いている」
「――でしたら、殿下。ここは一つ、ランベール子爵家は秘密裏に片付けていただけませんこと?」
「……さて、エリザベート嬢。それは一体、どういう意味だ?」
「わたくしはファーランド公爵家の人間です。今回の一件をさっさと片付けて暴走に備えるという対応に否を唱えるつもりはございませんわ。ですけれど、国の内情が揺れ動くのを看過するという訳にもまいりません」
二人の視線が交錯する中で、私はそっとエリーとイオ様、アリサ様に紅茶を準備中。
続けろと目を向けるアラン様の視線を受けて、エリーが再び続けました。
「ですから、今回の問題は“あくまでも学園内で起きた子供の喧嘩”――そういう範疇に収めてはいかがでしょう?」
「……それは難しいな。此度の一件は多くの貴族家同士の婚約に影響を与える。家同士の婚約を破る真似をしてお咎めなしとはいかない」
「えぇ、それは重々承知しておりますわ。わたくしが提案したいのは、“表向き”の話ではなく、“実態として”というお話です」
「ほう……?」
「当主責任を追求されるのは、もはや免れられませんわ。婚約を破棄する事も、今回の騒動に振り回される形となった令嬢側であるわたくしとしても、継続しろと言われて唯々諾々と受け入れる訳にもまいりません。であるのなら、“落とし所をつけた取引”を行いつつ、現職は続行していただく、というのはいかがでしょう?」
エリーの提案は、アラン様――いえ、陛下にとってもそう悪いものではないでしょう。
未曾有の、とまでは言いませんが、魔物の暴走は国が一丸となって立ち向かわなければ、不要な犠牲を払う事となりかねません。
エリーの提案とは、表向きには厳重な処罰を与えつつ、降格処分や家のお取り潰しも視野に入れつつ現職を続けさせ、ゆくゆくは働きに免じて処分を緩やかなものに変えたり、取り潰しの憂き目に遭った家も子爵家に取り立てる、といった意味合いであるようです。
ジーク陛下は粛清を行ったばかりですし、あまり締め付け過ぎても不満は噴出しかねませんし、エリーの提案を呑む事で「信賞必罰をしっかりと考えてもらえる」という安堵感を与える事にも繋がる、との事。
そこまでお膳立てされてしまってはアラン様も無下にできるものではないようで、しばしの沈黙の後にため息を零しました。
「……やれやれ。ジェラルドは実に惜しい事をしたようだ」
「はい?」
「それだけエリザベート嬢の提案は実利がある、という事だ。さすがに王妃教育をしっかりと受けていただけの事はある」
「……過分なお言葉ですわ。わたくしはジェラルド殿下を正す事すらできませんでしたもの。アラン殿下のお誉めのお言葉をいただけるとしたら、それはきっとジェラルド殿下を諌め、泡沫の恋にしっかりと線引きさせる事ができた、その時のお話でしょう」
「そう言えるからこそ、私はキミを評価しているのだが……ふむ」
何やら思いついた様子でアラン様が突然考え込み始め、ぶつぶつと独り言を続けていますが……「そう考えると、これはアリだな」と締め括り、納得したようです。
置いてけぼり感を否めないエリーやイオ様、アリサ様を他所に、アラン様が善は急げとばかりに膝を叩いてみせました。
「よし、早速だがその話は奏上してみよう。ついでと言ってはなんだが、エリザベート嬢」
「はい?」
「王家に嫁ぐ事、王妃となる事に不満はなかったのか?」
今更ながらに問いかけられた言葉にエリーも目を丸くしていましたが、ふっと柔らかな笑みを浮かべて首を左右に振りました。
「……わたくしはファーランドの娘。国の為に力になれるというのなら、それは光栄に思いこそすれ、何を不満に思う事がありましょうか。ジェラルド殿下との婚約は解消されるでしょうが、たとえ解消されたとて、王妃に相応しく在ろうとした想いに嘘や偽りなどはございませんわ」
――……まったく、エリーには敵いませんね。
私同様に思わずといった様子でエリーに視線を向けたイオ様とアリサ様も、きっと同じような想いを胸にしたのでしょう。柔らかく微笑むと、イオ様が突如としてエリー様を抱き締めました。
「いい子ね、エリー……」
「きゃっ、い、イオ様……!? は、恥ずかしいですわ……っ!」
「ホントいい子ね……。イオじゃないけど、私も思わず応援したくなっちゃったわ」
「きゃーーっ、アリサ様まで!? な、な、なんなんですのーっ!?」
左右からイオ様とアリサ様に抱き締められ、目を白黒させながらも恥ずかしそうに声をあげるエリーの姿に、ついつい私も頬が緩んでしまいそうで。
そんな私とちょうど目が合ったせいか、エリーが突然立ち上がり、私をまっすぐ見つめてきました。
「る、ルナ!? い、い、今あなた、笑ってましたわねっ!?」
「おや、そうですか?」
「自覚がないんですのっ!? 柔らかく笑っていたように見えましたのよっ!? 見間違いなんかじゃありませんわっ!」
「わぷ……っ」
何故か興奮した様子で駆け寄ってきたエリー様でしたが、何を思ったのか突然私に抱き着いてきました。
「……えっと、エリー? どうしたのですか?」
「……バカ……! あなたが笑っていたのが、嬉しいだけですわ……!」
ふむ、そういうものですか。
でも――エリーが言わんとする事はなんとなく分かります。
私も今こうしてこちらを見つめて柔らかく微笑んでいらっしゃるイオ様とアリサ様、それにアラン様の表情を見ていると、胸の中がじんわりと温かくなるような、そんな感じがしますから。
きっとこれが、エリーの言う「嬉しい」という感情なのでしょう。
なるほど、悪くはありません。
「……エリー」
「……ぐすっ、なによ……?」
「紅茶が冷めますので、座ってください」
「わたくしの感動が一瞬で冷めましたわよっ!?」
おや、紅茶より冷めやすい代物のようですね。
どうやら泣いていらしたのか、目を赤くしながらもどこか嬉しそうで、なのに頬を膨らませるエリーが席に座り直すと同時に、イオ様やアリサ様もまた椅子に腰を下ろしました。
紅茶をそれぞれのテーブルに用意して、同じくエリーの隣に座るように言われている私も腰を下ろすと、ちょうどそのタイミングでテーブルの上に光が集まり、ポンっと軽妙な音を立ててアルリオが登場し、テーブルの上にふわりと着地しました。
紅茶を零していたらさすがに私もお小言の一つでも口にしますが、紅茶には波紋の一つも立っていませんね。よくやりました。
「ルナ様、ただいま戻りましたっ!」
「おかえりなさい、アルリオ」
机の上に現れたアルリオを撫でてあげれば、アルリオは嬉しそうに目を細めて耳をぺたんと倒し、頬を押し付けるように動きました。
こうしていると可愛いですね。
「それで、首尾はいかがです?」
「向こうも焦っているようで、どうやら勝負は次の週末――高等科新入生で行われる学園のパーティーで決着する方向で纏まっているようです!」
「学園のパーティーですか。エリー、そんなものがあるんですか?」
「……しゃ……しゃべ……っ!?」
「エリー、どうしました?」
「どっ、えっ、えぇっ!? な、なんで兎が喋ってますのおおおぉぉぉっ!?」
……あぁ、そういえばアルリオについては一切説明していませんでしたね。
今更ながらにそんな事を思い出しつつ、私は悲鳴にも似た叫び声をあげるエリーを見ながら紅茶をそっと口に運びました。
ふむ……今日は少し暖かいので、香りを抑えて正解でしたね。
「ちょっと、ルナっ!? 聞いてますのっ!?」
「そういう生き物ですので。で、アルリオ。向こうはそれに合わせて何かしでかそうと――?」
「それだけっ!? それだけですのっ!?」
エリー、先程までの淑女感が減りますよ?




