2-17 人形少女の反撃 Ⅰ
自習の多いニーナ先生の授業ですが、最近では授業と言うよりも、私がニーナ先生の研究に付き合いつつ、エリーや無口さん、ヘンリーさんが「こういうものを作ろうとしたらどういう魔法陣になる?」というような形で議論が進むような、そんな討論会に変わりつつあります。
私としては大して不思議な話ではありませんので、色々と質問に答えているのですが、ニーナ先生にとってはそうではないようで、私が答える度に「にゃんでにゃああぁぁぁ」と頭を抱えていらっしゃいます。
きっと新しい知識が増えると疑問が芽生えるタイプなのでしょう。
そんな訳で過ごしているのですが、その日は朝から奇妙な空気に包まれていました。
白百合寮の特別個室で食事を済ませ、ロビーでエリーと合流する予定だったのですが、何やら場の空気が騒然としているようです。
遠巻きに人集りに目を向けてみると、そこではエリーが馬鹿殿下……げふん、残念殿下と不愉快な下僕達と対峙しており、それを野次馬となった生徒達が取り囲んでいるように見えます。
「見損なったぞ、エリザベートッ!」
キリッとした表情で声高らかに叫ぶ残念殿下に対し、エリーが困惑した表情を浮かべているのが見えますね。
「――そもそも女子寮である白百合寮に男子である殿下や皆様がいらっしゃる上に、婚約者がいるのに他人を見損なったと宣うとは……なかなかに片腹痛いですね」
ぽつりと呟いたつもりでしたが、残念殿下の高らかな発言の後だったせいか、場は沈黙に包まれていたようで。
私の声は見事に野次馬の女子生徒のみならず、残念殿下一行とエリーにまで届いてしまったようで、人垣が割れ、皆様の視線が一斉にこちらに向けられました。
ともあれ、私の目的はエリーとの合流ですので、せっかく道を空けてくれているのですから、エリーの元へと歩み寄ります。
「ルナ……!」
「すみません、お待たせしました」
はて、何やらエリーの表情が強張っていますね。
こちらを見るなりなんだかほっとしたような表情を浮かべていますし、これは……。
「ふむ……トイレですか? 今なら道も空いていますが」
「違いますわっ!? レディーに対していきなり何を言い出していますのっ!?」
「おや、違いましたか」
違ったようです。
てっきり周りを囲まれていてトイレに行けず、思わず表情が歪んでしまったものなのかと思いましたが。
「おいお前ッ! さっきの言葉はなんだッ!」
「はい?」
振り返ってみると、そこには気炎を上げるジャック様の姿が。
そんな彼の横にはローレンス様の息子であるシリル様と、私を憎々しげに睨んでいるヒース様。それともう一人、見覚えない男子がいますね。
「ルシエンテス財務卿の子息であるロレンソ様ですわ」
私がじっと見つめて動かない理由を察したらしいエリーが、小声で教えてくれました。
なるほど、あれが噂の最後の下僕でしたか。
中性的な容姿の美少年といった雰囲気の少年で、何故かその場で己の身体を抱き締めるようにしながら地べたに座り込んでいるアメリアさんを慰めるように、表情を悲しげなものに歪めながら声をかけていますね。
ふむ、こうして見てみるとアメリアさんを守る皆様は個性豊かですね。
「聞いているのかッ!」
「そう大きい声をあげなくても聞こえていますが、何か?」
「な……ッ! さっきの侮辱を認めるんだな!?」
「……? 侮辱、とは?」
「片腹痛いとかなんとか、お前が言ったんだろう! 今更知らぬ存ぜぬで通せるとでも思っているのかッ!」
「あぁ、それの事でしたか。確かに私が言いましたが、それがどうしたのですか? 女子寮は原則男子生徒の立ち入りは禁止されていますし、それを破っている始末。ついでに、あなたがたに婚約者がいるというお話は有名です。なのに一人の女性に入れ込んでおいて、さも自分に非はないとでも言いたげに他人を見損なったと宣っている。これのどこに片腹痛くない理由が?」
「な……ッ、おま……ッ」
「……? さっきまでの勢いは一体どうしたのです? どうぞ遠慮なさらずお答えいただいて結構ですが」
……おかしいですね。
あれだけ勢い良く突っかかってきたと言うのに、なかなか答えが返ってきません。
「……ルナ、あなた煽っているのかしら……?」
「煽る、とは?」
「……やっぱり天然なのね……」
エリーが小さな声で訊ねてきましたが、意味がよく判りませんので放っておいていいでしょう。
とは言え、このままでは埒が明きませんね。
「どうしてエリーを見損なったと?」
「――ッ、そうだ! その女がアメリアの持ち物を汚し、陰湿な手を使って脅しているからだッ!」
「ですから、わたくしはそんな事はしていませんわ」
「とぼける気か!」
「とぼけるも何も、そんな真似をしてエリーに何の得があるので?」
水を得た魚のように再び声を荒らげるジャック様と、その勢いに便乗するかのように声をあげた残念殿下にそう声をかけてみせると、二人は何故かぎょっとしたような顔でこちらを見つめてきました。
「それは……アメリアに嫉妬して……」
「婚約者だから嫉妬、ですか? それを理解していて囲っていらっしゃる、と?」
「…………」
「ふむ、殿下はまただんまりですか。ではジャック様、あなたはどうお思いで?」
「き、決まっている! 殿下の婚約者という立場を前に、欲に目が眩んでいるのだろう!」
「では、そんな殿下に近づいているアメリアさんもまた、殿下の婚約者という立場を前に、欲に目が眩んだ存在、という事ですか」
「え……!?」
「違う! アメリアはそんな女ではない!」
「おや、そうなのですか。では、あなたの証言を信じてあげましょう。なので、エリーもそんな女ではない、と私の証言も信じてもらえますね」
まぁ、こんなものはただの理屈と理屈の言い合いでしかありませんが。
ですがそんな程度でもジャック様相手には十分だったようで、今度はジャック様までだんまりになってしまいましたね。
会話しようにも黙られてしまってはどうしようもないのですが、さて。
「――そこまでにしてもらいましょうか」
どうしたものかと考えていると、今度はシリル様が前に出てきて口を開きました。
「最初にくだらない事を言い出したのはジャック様ですので、私に言われても困りますが」
「それは失礼。何分、彼は言い合いや話し合いには向いていない性分ですので。なのでここからは、この僕が相手になりましょう」
「真打ち登場みたいな感じで言われましても、あなたも所詮婚約者がいるのに他の女性に入れ込んでいる屑の類だという自覚はありますか? 正直、大差ありませんが」
「ぐふ……っ」
おや、意外と打たれ弱いようです。
ローレンス様の息子なのですから、せめてもう少しぐらい何か言い返してくるのかと思いきや、なかなかに大きいダメージを受けてしまったようですね。
「い、今はそんな話をしているのではない。そう、エリザベート嬢がアメリア嬢に対して非道い仕打ちをしている事が問題になっているのです」
「いえ、ですから婚約者がいるのに他の女性に入れ込む方が非道い話だと――」
「素直に認めなさい。エリザベート嬢がそんな真似をしているという証言もあるのだから!」
私が聞く耳を持たないと判断したのか、私の発言に被せるようにシリル様が言い切ってきました。
いえ、そうやって流れを変えようとされましても、私がそれに乗らずに何度でも言えば良いだけの話なのですが――ここは敢えて乗っておきましょうか。
予想通りと言いますか、シリル様の発言で顔を蒼くした女子生徒が何名かいらっしゃいますね。
証言をしている人物がいると証言しないように約束していたのかもしれませんが、自称頭脳派らしいシリル様も、先程の私の繰り返しの発言を前に平静ではいられなかったのか、勢い任せに証言者の存在を漏らしてくれましたね。
「では、その証言をしているという方に名乗り出てもらいましょうか」
「それはできない話ですね」
「おや、何故です?」
「曲がりなりにもエリザベート嬢は公爵家令嬢だ。そんな彼女に不利な証言をした事で、後々復讐されてしまう可能性もあるでしょう。勇気ある証言をしてくれた方々を矢面に立たせる訳にはいかない」
ふむ、確かに証言者を守る為だと言い張れば正当性はあるのかもしれませんね。
何やら得意げな表情で堂々と言い放ってみせるシリル様ですが……“証言があったから確信して行動している”という情報を私に与えたという点。それに、“嘘の証言をしたと思われる数名”の情報を私に伝えたという点についての自覚はないようですね。
『――アルリオ、分かっていますね?』
『ぬふふふっ、もちろんですともっ! 今の令嬢達を見張っておけばいいんですねっ!?』
『お願いしますね』
エリーを敢えて晒し者にするかのように断罪している残念殿下達は、自分達に非があると理解しながらも、それを認めたがらない。つまり、公然とエリーが悪であると証明する場が欲しい訳です。
エリーがこれまで殿下達に糾弾されるのは、エリーが一人でいる時ではありません。
いつだって周囲に人がいて、エリーが責められている構図を周囲に見せつけるような場面ばかりだったという事は、エリーから聞いた話や、騎士科の授業の時を思い返せばよく分かります。
そして、何故エリーに対する糾弾が、その状況に限られるのか。
当然ながら、エリーを貶めたがっている何者かが、そういう場でエリーが断罪される事を願い、それを見届けたがっていると考えるのが妥当でしょう。
詰まるところ、こういう状況になれば、当然ながら黒幕、もしくは黒幕に従っている存在がこういう場では近くにいる、という訳です。
となれば、です。
何者かが裏で糸を引いて、殿下達の暴走を後押ししている、もしくは助長させる材料を与えているのであれば、殿下達だけをどうにかしても意味がありません。
旗色が悪くなってしまっては、殿下達はただのトカゲの尻尾切りにされるであろう事は目に見えていますから。
どうやって黒幕を炙り出すか、それが問題でした。
アルリオを使って情報を得るように仕向けてはいましたが、黒幕には至れていませんから。
ならば、こちらから敢えて誘いに乗れば、嬉々として黒幕はこの状況を見られる最高の観客席――つまり野次馬に紛れる事でしょう。
そうなれば、あとは簡単です。
先程顔を蒼くした女子数名。ただ濡れ衣を被せたかったが故に便乗した生徒もいるかもしれませんが、黒幕ないし黒幕と通じている人物もいるはず。
容疑者さえ絞れていれば、アルリオに徹底的に容疑者となる人物を洗い出してもらえば良いのですから。
高等科に入り、私という存在がエリーの近くで行動しているからか、なかなか黒幕や殿下達も手を出してきませんでしたが、私がただの平民であるという情報を手に入れ、ここにきて再び動き出す事にしたのでしょう。
はてさて、この状況。
エリーと、黒幕。
どちらが獲物として標的にされる為の騒動だったのやら。
とは言え、この場で単純に引き下がって彼らを悦に浸らせるというのも面白くない話です。
少しぐらい痛い目に遭わせてもバチは当たらないでしょう。
「勇気ある証言、ですか。ずいぶんと美化されていらっしゃるようですね?」
「……何が言いたいんだ?」
「その勇気ある証言をせずとも、エリーが嫌がらせを行っているというのであれば、身を挺してでもその場で止める事はできるのではありませんか?」
「……先程も言ったが、エリザベート嬢は公爵令嬢だ。面と面向かって文句など……」
「それはおかしな話ですね。王族である殿下ならば、たとえ“勇気ある証言者”さんの顔をエリーに知られようとも、おかしな真似をしないように釘を刺す事はできるのでは?」
「そ、れは……」
「あぁ、これは失礼しました。いくら殿下でも、まさか婚約者ではない女性に入れ込んだせいで、婚約者が嫉妬して入れ込んだ女性に嫌がらせをしてしまっていて困っている、なんて陛下や他の方々には言えませんね」
私の一言に野次馬の数名からぷふっと噴き出すような音が聞こえ、殿下は殿下で顔を真っ赤にして俯きました。
さて、次はジャック様ですね。
「ジャック様ならどうです? お父様は青竜騎士団の団長様でいらっしゃるのですから、お父様に泣き付けば何かできるかもしれませんよ? 騒動の原因を訊ねられたら、堂々と敬愛する殿下と愛する女性を守る為だと騎士道精神溢れるお言葉を伝えてみれば、同じ騎士として力を貸してくれるのでは?」
ジャック様もまた顔を真っ赤にしていますね。
さて、最後にシリル様ですか。
「シリル様ならば宰相閣下に相談するのも手でしょうね。もっとも、宰相閣下が“たかがこの程度の事すら自分で解決できないのか”と落胆されるかもしれませんが、気にする事もないのでは? 貴族家が動くとなれば、“婚約という貴族家同士の問題”が発端なのですから、宰相閣下とて無視できないでしょう」
暗に「あなた達の行いは黙認されるものではない」と告げてみせれば、さすがにシリル様も現実味を帯びた内容であったせいか、殿下やジャック様とは対照的に顔色を失わせ、青白い顔へと変わっていきましたね。
「る、ルナ……? あの、言い過ぎではありませんの……?」
「そうでしょうか? エリーだって迷惑ではないですか? “公爵家令嬢”として恐れられるようなあなたが、そもそも嫌がらせだのなんだのとくだらない手を回すぐらいなら、さっさとアメリアさんを抹消してしまう方が早いし簡単なのでは?」
「やりませんわよっ!? なんでわたくしがそんな真似をしなくてはならないんですのっ!?」
「やれない、ではなく、やらない、と」
「ルナああぁぁっ!」
「これは失礼。では、そろそろ授業ですし、行きましょうか」
さて、周りの騒動に対する印象も色々変わってきた事でしょうし、いつまでも“悲劇のヒロインとそれを守る王子様達”などというくだらない役は続けられなくなる事でしょう。
これまで築いてきたものがこうも一気に崩れてしまえば、あとは向こうがどう動くのか。
――アルリオ、期待していますよ?




