2-15 エリザベート・ファーランド
わたくし――エリザベート・ファーランド――は、ファーランド公爵家の者である事に誇りを持ち、自らがファーランドに相応しく生きる矜持を抱けるよう、常に邁進してきたと自負しておりますわ。
勉学はもちろん、アヴァロニアという国の貴族として民を守るべく前に立ち、戦う為の鍛錬も欠かさず、けれど淑女としての華やかさと優雅さを忘れず。
そして未来の王妃として、王妃教育を受ける事になってからは、自らが王妃となり、立派に殿下を支え、国母となる事を目指しておりました。
けれど、アヴァロニア王立学園の中等科、最後の年になってからは。
わたくしは、自らの在り方に疑問を抱かずにはいられなくなってしまいました。
わたくしが諌めても聞く耳を持たない、婚約者でもあり、未来の王太子予定であると秘密裏に聞かされたジェラルド殿下。
彼と彼の取り巻き――いえ、側近として近しい関係を築く方々に嫌悪され、否定され、拒絶されるようになってしまったのは、ひとえにわたくしがもう少し柔軟に考え、対応を柔らかくしてさえいれば起こらなかったかもしれない。
一度そう考えてしまってから、わたくしの足元は音を立てて崩れていくようでした。
せめてファーランドの令嬢として筋を通そうと躍起になり、殿下には再三に渡って苦言を呈しつつも、わたくしは殿下を見放してしまいました。
現王ジーク陛下に謁見を申し入れ、実状を語り、わたくしでは王妃にはなれないと告げてしまったあの日から、本当はわたくしに殿下に物申す資格は失われてしまったのだと思います。
しかし陛下は、そんなわたくしの事を責めようとはしませんでした。
冷徹にして冷血、温和さを見せているようで、その実、誰よりも鋭利な刃を隠し持つような宰相ローレンス様もまた、わたくしを見放すでもなく、ただただ事実を受け入れ、わたくしの名誉が傷つかないよう手配すると、そう宣言してくださいました。
わたくしにそこまでの価値はない、と。
そう思い込んでしまっていたわたくしに、あの方々はわたくしの在り方を肯定する事で、道を示してくださったのです。
――――そうして、高等科に入学する前にやって来たのが、ルナでした。
正直に言って、「この子は一体何者なのだろう」という疑問が強かったのは事実です。
わたくしはルナの過去なんて当然知っているはずもなく、陛下とローレンス様に言われるがままに協力者としてやって来た彼女に、あくまでもビジネス上の付き合いとして割り切った関係を求めていましたわ。
けれど……、どうにもこの子は普通じゃないようです。
そもそもファーランド公爵家と言えば、アヴァロニア国内では最も有名な貴族と言っても過言ではありませんわ。かつての王族が興した公爵家なのですし、我がファーランド公爵領はアヴァロニア王国の最大交易地点でもあります。
故に、その名を知らぬ者となれば、それこそ寒村に住まい、国を学ばずに生きる農民の方ぐらいだと思っていました。
ですが、そんな人物が陛下とローレンス様に推薦されるはずはなく。
しかもアヴァロニア王国王立学園の『白百合寮』、さらに特別個室を利用できる程ともなれば、常識的に考えても高位貴族令嬢か、王家が後見人となっている特別な存在ぐらいなものです。
初めて会った時、わたくしはルナを推し量るつもりで接していました。
しかし、ルナはあっさりと自分の、あまりにも悲愴で凄惨な過去と、この学園へ来る事になった理由を暴露してきたのです。
……フィンガル地域、滅べばいいのに。
ルナの過去を聞いたわたくしが同情しようにも、本人はどうにもあっけらかんとしていると言いますか、まるで他人事のように淡々と過去を語るものですから、同情はそんな怒りに変わったのは記憶に新しいです。
そんなルナとの学園生活ですが……ハッキリ言って、予想外にも程がありますわよ……!
なんなんですの、あの死神様みたいな大鎌の魔装はっ!
なんであんな危険過ぎる代物をブンブンと振り回して、無表情ですのっ!?
戦闘試験でジーナさんが避けなかったら、首と胴体が泣き別れするところでしたのよっ!?
なのになんで本人は無表情ですのっ!?
まぁ、分かってはいましたのよ……?
だってルナってば、喜怒哀楽という、およそ人らしい感情が乏しいんですもの。
話せば話す程、なんとなく大変な子の面倒を見させられているような気がしましたもの。
ですが……――この状況はあまりにも予想外過ぎて、言葉になりませんわ……!
「――ですから、これは古代精霊語で数量を示す数字です。つまり魔法陣とは、“何を”、“どれぐらいの威力”で、“どの程度の魔力を対価”に発動させるかを式として描き、その代償に魔力という“力”を充填させて発動させているのではないかと」
「……にゃ、にゃんて事にゃ……!」
「おそらくですが、魔法陣に古代精霊語を用いているのは“精霊の力を模倣しようとした”のか、あるいは“精霊に対する命令、または依頼”として作られたのではないでしょうか? だからこそ、古代精霊語――“精霊の間でも認知されている言語を使用する必要があった”と考えられるのでは?」
ちょっと待って、ルナ?
古代精霊語って、確かに存在はしているし、わたくしも見た事ありますわよ?
けれど、なんであなた、そんな「読めますが何か」みたいな反応ですの?
古代精霊語ってそんなお手軽な代物じゃないはずですのよ?
そう思いながらちらりとニーナ先生に視線を向けると、ニーナ先生ったら目も口も真ん丸に、これでもかって程に開かれていますわね。
クロさんでさえ目を大きく見開いていますし、ヘンリーさんに至っては完全に口から出てはいけないものが出ているようにも見えます。
わたくしの考えが間違っている訳ではないようで、ほっとしましたわ。
「……し」
「し?」
「師匠と呼ばせてほしいにゃ!」
「遠慮します」
「即答にゃっ!?」
取り付く島もないとはこの事ですわね。
というかルナって、割と自分が興味ある事になると饒舌になるんですのね。
そんな気がしてはいましたけれど、これでハッキリしましたわ。
「おかしいにゃ……! にゃんで古代精霊語が簡単に読めているにゃ……! 王立研究所でもまだ解読できていない、そもそも文字かどうかも怪しいとさえ言われているはずにゃ……!」
「はあ、そうなのですか?」
「ど、どうして読めるにゃっ!?」
「フィンガルで読んでいた本にその文字の本もありましたので、暇潰しに解読して読んでいただけですが」
「ぬあああぁぁぁ~~~~っ、にゃんで解読できてるにゃあああぁぁぁ……!」
……ニーナ先生、気持ちは分かりますわ。
ルナはどうにも古代精霊語がどれだけ難解でどれだけ重要なのかも分かっていないようですけれど、アヴァロニア王国の論文発表会で『古代精霊語は現代言語と同じく、文字としての役割を果たしていた』という論文が発表されたばかりで、それだけでも「これは快挙だっ!」なんてお父様も興奮していましたのよ……?
つまり、解読なんてできていないのよ……?
まさかフィンガルではそれが普通だった……はずはないわよね。
フィンガルがそんなに古代精霊語に精通していたのなら、きっと魔道具開発だって進んでいたかもしれないもの。
というか、あんな腐敗した国がアヴァロニアよりも進んでいる部分があったなんて、この国の高位貴族のプライドがすり潰されるわ。
「じゃ、じゃあなんで魔法陣はどれも輪っかで囲んでいるにゃ……?」
「“循環”ではないですか?」
……え、ちょっと待って?
ルナ、そんなの分かっちゃうの? あ、分かっちゃうパターン?
「これは……ふむ、明かりの魔道具ですか?」
「……そ、そうにゃ……」
「やはりですか。ふむ、やはり左側のこちらで発動条件を指定し、右側のこちらで消費した魔力を補う為の式が描かれていますね。なるほど、こうする事でほぼ自動的に魔力を消費せずに発動させる、と。便利ですね」
……待って。うん、ルナ、ちょっと待って。
あなた今、完全にニーナ先生を置いていっているわ。
わたくし達はまだ百歩譲って「へー、そうなんだー、すごーい、よくわかるねー」ぐらいの反応をしても許されると思うの。
でも、ニーナ先生はそれを調べてきた御方なの。分かる?
そんな御方にあっさりと「あぁ、そんなものなのですね」みたいな、そんなしれっとした感じで、無表情で色々告げるのは酷よ?
「……う」
「う?」
「うわあああぁぁぁんっ、もう嫌にゃああぁぁっ! おうちかえるにゃああぁぁぁ!」
……走り去ってしまったニーナ先生に、哀悼の意を表します。
黙祷。
「……自習が多いのですね、ニーナ先生の授業は」
……ねぇ、ルナ。
あなたのせいよ?




