2-13 魔法陣と魔道具と Ⅰ
台風直撃地域にいるので、避難前に投稿します。
住んでいるアパートの目の前が川なので、部屋が水没しない事を祈りつつ…。
台風の直撃圏内にいる皆様もお気を付けて…!
魔法陣研究科、魔法技師育成科は不人気もいいところだそうで、今年から高等科に進んだ生徒でその二つを選択したのは、たったの五人。
「クロさんがこの科を選んだのは意外ですね……」
「ん、興味あったから。それに、講義時間の都合がいい」
私とエリー以外での一人は、騎士科でおなじみとなりつつある無口さんでした。
魔法陣研究科と魔法技師育成科は同じ教師の方――というより、研究棟に研究室を持っている研究者の方が兼任していますので、必然的に授業の時間が被る事もありませんし、騎士科だけでは足りない単位を得るには結構有意義です。
なので、個人的には珍しくない組み合わせだと思っていたので、クロさんも選んだ動機は似たようなものだったようです。
「うへぇ、よりにもよってなんでここでファーランド公爵令嬢と鉢合わせるかなぁ……」
「まぁまぁ、ヒース。彼女は殿下達とは仲が悪いけれど、僕らとはあまり関係ないじゃないか」
残った二人が同じような顔をしながらも、聞こえないように配慮する訳でもなく声を漏らしているのが聞こえてきます。
そう、彼らは件の騒動に関係する御二人。
フィンドレイ商会長の息子で、双子のヘンリーさんとヒースさんです。
顔が一緒なので名前は分かりますが、それにしても似ていますね。
橙色のくるくるとしたくせっ毛に、淡い朱の瞳。
体格も似ていれば当然声も似ているようで、けれど若干ヘンリーさんの方がふわふわとした雰囲気を纏っているように思えます。
先日行われた見学会は、午前の部と午後の部で分かれていました。
この科に入る事を最初から視野に入れていた私とエリーは午前の内に見学会に参加し、受講手続きを済ませていたのですが、恐らく無口さんと双子は午後の部で参加していたのでしょう。
初講義となる今日になって初めてお互いの存在に気付く事となってしまったためか、ヒースさんの機嫌は最悪の一言に尽きるようです。
「まさかフィンドレイ商会の御二人がいるとは思いませんでしたわ」
「すみません、エリー。他の講義を選んでいれば……」
「いえ、ルナは気にする事はありませんわ。実際、あの御二人とわたくしの接点はほぼありませんもの」
「そうなのですか?」
「えぇ。いくら商会長の子息とは言え、高位貴族や王族である殿下のように対応を改める必要はありませんもの。必然的に彼らに対して何かを言う事はありませんわ」
確かにエリーはアメリアさん自身ではなく、基本的には対応している側である殿下に物申しているようですし、そう考えれば問題はないのでしょうね。
「ハッ。あれだけアメリアを悲しませておいて、よく言ってくれるよな」
「やめるんだ、ヒース」
「兄さん、でも!」
「お前が気に喰わないのは分かったけれど、彼女は決して間違った事は言っていないよ? お前がアメリアさんを可愛がるのを僕も止める気はないけれど、相手はファーランド公爵令嬢だって事を忘れないように」
「なんだよ、それ。外から圧力でもかけてくるってのかよ?」
「そんな真似はされないと思う。けど、それができる存在だって事をお前は忘れていないかい?」
おや?
どうやら双子の兄らしいヘンリーさんは、ヒースさんのようにアメリアさんの肩を持つつもりはないようですね。冷静にヒースさんを諭しているように見えます。
かと言って、エリーもここで「ヘンリーさんは分かっている」等と軽々しく信用するつもりはないのでしょう。
それどころか、何を企んでいるのやらとでも言いたげに肩をすくめ、無言を貫いていますね。
そうしている内に、ヒースさんは立ち上がりました。
「――もういい。俺、他の科行くわ」
「……そうだね。納得できないならそうするといいよ」
ヘンリーさんはヒースさんを説得するのを諦めたようで、止めるどころか他の科への異動を推奨しましたね。
ヒースさんはそんなヘンリーさんに止められなかった事にショックを受けたような顔をしてから、舌打ちしてさっさと研究室を出て行ってしまいました。
御二人がせめて聞こえない場所でやり取りしていてくれたのなら、特に気にする事もありませんでしたが……残念ながらこの研究室、あまり広くないので。
私とエリーは声を潜める必要もありませんでしたし、私達の声だって向こうに聞こえていたからこそ、ヒースさんも噛み付いてきたという訳です。
いかにも気まずい空気が流れる中、ヘンリーさんが軽く咳払いしました。
「えぇっと……。申し訳ありません、ファーランド公爵令嬢。弟には後ほど、僕の方からもしっかりと言い聞かせておきますので」
「学舎の中ですので、家の力を振るうつもりはありませんわ。謝罪は結構です」
「ありがとうございます。せっかくですので、一つお伺いさせていただいても?」
この研究室内、先述した通り部屋があまり広くありません。
自立式のホワイトボードと、その前には四人がけのテーブルが三列となっています。
席順としては私達と無口さんが前の方に陣取っていて、二列後ろの席で話していたのがヒースさんとヘンリーさんだったので、一度も振り返る事はなかったのですが、そう言われてエリーは初めてまっすぐヘンリーさんへと視線を向けました。
「何か?」
「学園の中では出自や家柄は関係ないはず。なのに、何故そうも殿下や他の皆様に、そこまで苦言を呈するのですか?」
ヘンリーの質問にきょとんとした表情を浮かべたエリーが、すぐに小さく微笑みました。
「あら、婚約者がある立場で女性を侍らせるなど、言語道断ではありませんこと?」
「御冗談を。ファーランド公爵令嬢はそのような些事に気を煩わせる方には到底見えません」
「ふふ、正解ですわ。ですが、同時に間違いでもあります」
エリーの答えに、今度はきょとんとした表情を浮かべるヘンリーさん。
まさかエリーが、という考えもあったのでしょうが、それは続いたエリーの言葉によって否定されました。
「貴族子息令嬢にとっての婚約は、言うなれば家から与えられた仕事ですわ。それを蔑ろにするのは、つまり仕事を放棄するのと同義です。まして、王族であるジェラルド殿下とファーランド公爵家の令嬢であるわたくしがそれを破れば、それは悪い前例となり、今後の貴族間での婚約事情に大きな波紋を生み出す可能性があります」
「なるほど……」
「加えて言うのであれば、今回の騒動に関係するジャック様やシリル様、ルシエンテス財務卿閣下の子息であるロレンソ様には婚約者がいます。その中で最も高位であるのが殿下ですわ。殿下の婚約者であるわたくしが殿下を諌めなければ、誰に婚約者の愚行を諌められると?」
エリーの言い分は、実に正しい言葉でした。
ジャック様やシリル様の婚約者が、婚約している相手を諌めようとすれば、必然的に殿下の行動も否定する事になってしまいます。
いくら学園の中の出来事とは言え、それが可能な方は、婚約者という立場であるエリーしかいません。
それと――と、エリーはさらに続けました。
「先程、あなたは『学園の中では出自や家柄は関係ない』と口にしましたが、それは大きな間違いです。『学園の中では身分の一切を捨て、一人の学徒としての己で在れ』とは、身分や出自に拘らず、平等に学び、平等に意見を交わし、対等に付き合えという理念ですわ。それを都合良く『学園の中ならば家柄も出自も関係ない』と解釈しているのは、理念を理解しようとすらしない浅はかな自己の肯定です。先程、あなた自身が口にした通り、学園の中での出来事であろうと、出自や家とは切り離されている訳ではありませんのよ」
さすがにエリーの言い分が正しく、現実的である事はヘンリーさんにも理解できたのでしょう。
ヘンリーさんはしばし逡巡した様子を見せるなり、頭を下げました。
「――無礼をお許しください」
「あら、それは先程のやり取りについて? それとも、“わたくしを推し量ろうとした事”に対するものかしら?」
「どちらも、と言いたいところですが、後者の方が主なものです」
「なら、謝罪は結構ですわ。頭をあげなさい」
顔をあげたヘンリーさんが見せた表情は、苦笑と表現するのが正しいのでしょう。
「いやぁ、やはり器が違いましたか……」
「さしずめ、ヒースさんの無礼の代わりにわたくしに取り入るべく、フィンドレイ商会を守ろうと考えつつわたくしを推し量ったのでしょう。気にせずとも、学園の出来事に家の力を用いる気はありませんので、いらぬ気遣いですわよ」
「最初はもちろんそのつもりでしたが……今は違いますね。個人的には、僕はあなたにつこうと決心させていただきました」
「はぇ……?」
先程までの凛々しいエリーが、一瞬で素のものになってしまいました。
せっかくお嬢様感が出ていたのに、思ってもみなかった言葉に時が止まってしまったかのようにエリーが固まっています。
「正直に言うと、僕はアメリアさんにはこれっぽっちも興味がないんですよ。ただ弟が執着しているので、それに付き合っていたぐらいで。弟はああ見えて寂しがり屋なので、放っておくとへそを曲げてしまうものですから」
これはきっと、掛け値なしの本音というものなのでしょう。
先程のヒースさんへの物言いからも、どうにもヘンリーさんがアメリアさんに夢中になっているようにも思えませんでしたし。
そんな事を考える私を他所に、ヘンリーさんが続けました。
「ですが、あなたは人として、貴族として実に素晴らしい人です。いくら同じ屋根の下とは言え、不機嫌な弟を気にするのは、もうやめておきましょう。今後、僕はあなたに協力させてもらいたい」
「……お世辞にも、わたくしが置かれている状況はあまりよろしくありませんわよ? 殿下や他の方々からも睨まれている状況です。そんな状況で、わたくしについたところで美味しい話は転がり込んできませんわよ?」
「関係ありませんね」
「は……?」
「僕は僕自身が価値があると判断したものを信じていますから」
眩いばかりの笑顔でそう言い切られてしまっては、エリーとしても二の句を継げる事はできなかったようで。
やがて諦めたようにため息を零して、エリーは眉間に手を当てながら俯きました。
「……お好きになさい」
「えぇ、そうさせてもらいます。ありがとうございます、エリザベート様」
いつの間にやら名前呼びになってしまっているようですが、エリーはそれを否定するでもなく、ヘンリーさんから視線を外して前を向いてしまいました。
ヘンリーさんはヘンリーさんで、前から三列目の席から移動して、エリーの斜め後ろになる二列目の席に陣取り、機嫌が良さそうに鼻歌を歌っています。
そんなやり取りを眺めていた私の袖がちょんちょんと引かれ、隣に座っていた無口さんに視線を向けると、無口さんがすっとノートの切れ端を私に見せてきました。
『忠犬が生まれた』
……あぁ、確かにそう見えますね。
思わず納得してしまった私が頷くと同時に、研究室の扉が開かれました。
「にゃっはーっ! 今年は五人も新入生ゲットだにゃー! 五人いれば研究室としての予算も認められやすくなるにゃっ! これで予算は勝てるッ!」
やってきたのは白衣を着ている猫耳持ちの獣人の女性で、私達が受ける事になっている魔法陣研究科と魔道技師育成科の担当教師兼研究者である、ニーナ先生でした。
先生、残念ながら一人脱落しましたよ。




