1-21 動き出す事態
赤竜騎士団、団長室。
華美な装飾もなく、ただただシンプルな機能美のみを追求したかのような室内は、面談をこなす応接スペースと執務用の机と椅子が置かれたシンプルなもの。本棚には兵法書等も置かれているが、そのおよそ七割が魔物に関する調査討伐関連資料という点が、いかにもアヴァロニア王国らしい。
そんな執務机の奥に座る、柔らかな色合いの金色の髪に切れ長の青い瞳、端正な甘い顔立ちという、いかにも貴公子様といった評価をルナに下されているアランの表情は厳しく、鋭い視線が手元の報告書へと向けられている。
そんなアランの様子を見つめるイオもまた、普段の柔らかな表情を引き締めていた。
「……裏の連中か」
「恐らくは、ですねぇ~。今回はあの子を狙っていると言うよりも、むしろ赤竜騎士団を狙っている、というところでしょうか~」
「こうなる事は分かっていたが、よりにもよってルナを巻き込もうとしているとは……」
赤竜騎士団が裏の者達から恨まれているであろう事は、アランとて理解している。
フィンガルへの侵攻前に一斉粛清した腐敗貴族。
その協力関係にあった後ろ暗い者らの摘発により、幾つかの裏組織や癒着していた商会を壊滅に追い込んだのは、他ならぬ赤竜騎士団であり、その陣頭指揮を執っていたのはアランだからだ。
いずれは報復に動くであろう事は明白であったが、このタイミングで、しかも保護しているルナを利用してくるとなると、放置しておける問題ではなかった。
「泳がされているとも知らずに、わざわざ現状で最重要保護対象を狙うんですから~。……潰されてもしょうがないですねぇ~」
現王であるアランの兄――ジークが戴冠し、粛清を指示。
その際、国内に要らぬ不和を齎さぬ程度に幾つかの貴族家を敢えて見逃した。
それは暗に、「この程度ならば見逃す」といった線引きを明確にさせたに過ぎない。
粛清もいき過ぎれば、裏で多少の悪事を働いている程度の貴族らも挙って王家を非難する事になりかねない。
次は自分達が粛清の対象になるかもしれないと疑心暗鬼に陥り、疚しいところがあるからこそ声を大にするものだ。清濁併せ呑み、時には非合法的な手段、強引な手を打つというものは多かれ少なかれ暗黙の了解で見逃されるものだ。
そこに釘を刺した事で、若き新王を甘く見るなという警告も兼ねており、次はない、襟を正せという警告の意味を孕んだものでもある。
一流の貴族ならば、その警告の意味を汲み取り、己の利益を減らさぬように立ち回る。
藪をつついて蛇を出すような真似をするのは二流であり、それ以前に自分が踊らされている事にすら気付かない者は三流だ。
――いくら三流にしたって、よりにもよってルナを狙うとは悪手に過ぎる。
それがアランの正直な感想であった。
フィンガルから連れ帰ってきたルナは“精霊の愛し子”である。
すでに一流の貴族であるのなら、その情報は漏れているのは間違いない。正確に言えば、フラムからルナの存在そのものが知られていると聞いた時点で、「連れ帰られた少女は“精霊の愛し子”である」という情報は敢えて漏らすように仕向けたのは、他でもないアランとフラムだったからだ。
そもそも“精霊の愛し子”であるという事を明確にする懸念材料となっていたのは創世教会だ。
下手に横から手出しをされればまず厄介な事になるだろうという考えもあり、だからこそアランは、厄介な存在ではあるものの、その実力と立場、性格を熟知している相手であるフラムに“精霊の愛し子”であるという事実を知らせる事にした。
もっとも、さすがに直接会いに来るとまでは思っていなかったが――結果として、フラムはルナという少女を気に入り、自分から守るという選択をしてくれたのだから、アランにとっては有り難い。
アランの考え通り、創世教会はフラムが抑えている。
現在の創世教会にはすでに“聖女”が存在している。
ルナが精霊との契約に動き、その“聖女”と同等か、或いはそれ以上の力を持った高位精霊と契約しない限りは、アヴァロニア王国を敵に回すにはリスクが高すぎるからだ。
フラムはすでにルナが“精霊の愛し子”であるという情報と同時に、ルナ自身が精霊との契約に対して否定的な態度を貫いていると報告しつつ、大司教という立場にある自分がルナを監視していると明言している。そうして監視しながらも、創世教会内でも穏健派と呼ぶべき者らにルナの境遇を教え、徐々に味方を増やしている最中だ。
とどのつまり、ルナが「“精霊の愛し子”である」という情報は手に入れようと思えば手に入れられる情報であり――その情報があるのであれば、「手を出せば藪をつついて竜が出るような危険な存在」だと気付くのだ。
それにすら気付かずに手を出そうとしている時点で、アランも頭が痛くなる程であった。
「度を越したバカがいるというだけで頭が痛くなるな」
「正常に判断できない可能性もありますから~。何やら残りのゴミも集まっているようですし~、この際ですから一網打尽にしてしまってもよろしいのでは~?」
自らの副官であり、同時にはとこでもあるイオの辛辣な物言いに、ついついアランも苦笑する。
イオはアランの曾祖母の妹――大叔母が降嫁したフロックハート伯爵家の長女であり、代々の王族家臣として歴史を持つ家の娘だ。歳も近く、お互いに幼い頃より交流があったため、それなりに気安い関係ではある。
そんなイオの、微笑んでいるようで目が笑っていない姿に苦笑しつつ、宥めるようにアランは口を開いた。
「必然的にそうなるだろう。それで、内通者の洗い出しはどうだ?」
「アリサが動いていますので、時間の問題かと~」
「アリサ……? まさか、〈影狼〉を動かしているのか?」
アリサが、と言われてアランが思い浮かべたのは、アリサの実家であるプレストン伯爵家の嫡男であるチェスターが率いる諜報部隊――〈影狼〉の存在であった。
アリサはイオの実家であるフロックハートと同様に歴史あるプレストン伯爵家の次女である。イオとは幼い頃からの付き合いではあったが、アランとアリサが知り合ったのは、アランが王立学園に通っていた頃、イオの紹介で知り合った間柄だ。
しかし、プレストン伯爵家は代々王国の諜報部隊を率いている一族であり、アランもまたそんなプレストン伯爵家の娘でありながら、イオと共に女性騎士となったアリサを信頼しているからこそ、己の副官として起用した経緯もある。
余談ではあるが、イオとアリサはここぞとばかりにアランに副管に起用してもらう事に賛同した。
お互い見目の麗しさから政略結婚の話もあったため、できればそういった煩わしさから解放され、自由でいたかったから、という俗物的な動機もあったりしたのだが、アランもまたそれを理解している。
そういう意味では自分としても願ったりであり、お互い様である、という意味で。
「アリサはすでにチェスター様にルナの事をお話していて、チェスター様もルナに興味を抱いているみたいですので~」
「……チェスターが興味を……? 大丈夫なのか……?」
「ルナなら大丈夫かと~。少々刺激が強いですけど、ルナですし~」
「あぁ、まぁな」
チェスターはアランのような貴公子然とした男ではないが、柔和な笑みを携え、常に他者からの印象を“良い方向”へと導く。独特な性格をしているものの有能であり、男として危機感を与えさせずに女性に近づく事もできる上に、男にとっても面白いヤツだと判断されるような男である。
それ故に、年上の者達からは若干――否、だいぶ毛嫌いされている節もあるが、有能であるが故に陰口が関の山に留まるようなタイプであり、本人もまたそれを理解している。
――「陰口なんて言わせておけばいい。どうせ言うだけで何もできやしない、最初っから舞台に上がろうともしない負け犬共のくだらない嫉妬と自己満足だ」というのがチェスターの考えであり、その堂々たる姿に思わず感心したものである。
そんな二人の会話が一段落した、ちょうどその時。
執務室の扉が叩かれた。
短い返事すら待たずして扉が開かれ、飛び込んできたのはアリサであった。
「アリサ、ノックの返事ぐらい……どうした?」
一言注意をするよりも先に、アランはアリサの表情から切迫した事態が訪れたのだと気が付いた。普段の凛とした姿とは一転して、息を切らせたアリサの表情は明らかに焦燥したものであったからだ。
「――ルナが、拐われました」
――――事態は急速に動き出そうとしていた。
一人称視点だと何かと表現する機会がなかった血縁関係や家名と爵位、アランの見た目についてようやく言及。
ルナは性格上、ぼやっと容姿について観察するよりも印象で人を観察してしまうので、なかなかアランの見た目を言及する事もなかったので…。




