1-19 知識探索 Ⅰ
私に護衛がつくという事態は、正直に言えば「いき過ぎ」な措置ではないかと思います。
奴隷として生きてきた私をこうまでして皆さんが守ってくれるというのは、どうにも私には理解できません。
私はあくまで拾われた立場でしかありません。
いくら“精霊の愛し子”という厄介な代物を抱えているとは言え、『隷属の首輪』でもつけてしまうか軟禁してしまうか。その辺りが妥当ではないだろうか、というのが私の正直な見解です。
そんな事をイオ様とアリサ様に向かって相談してみたのですが、「絶対にそれはしない、許さない」と言われてしまいました。
強情ですね。
ともあれ、そんな私の仕事は相変わらず不安定です。
元々の体力のなさ、〈才〉の中途半端さ、契約精霊のいない環境といったものが絡み合った結果でしょう。
詰まるところ、仕事をさせておくにも中途半端であり、かと言って籠の鳥よろしく飼われるような存在もない、というのが私です。
ぶっちゃけてしまうと、護衛の方々がついてくれるようになって数日経ちますが、特にやる事がないのです。
頑固な油汚れ、手の届かない場所の汚れ、落ちないシミを消滅させる事はありましたが、その程度ですね。
結果として私が選んだのは『そうだ、読書をしよう』という現実逃避でした。
動く必要もありませんし、これがある意味一番迷惑もかからず、かつ私にとっても有益なのではないかという判断でもあります。
そんな訳で、本日の私の護衛担当をしてくださっている方にその旨を伝えます。
「――読書、ですか?」
きょとんとした優男さんに、私は頷きを返しました。
「私が“精霊の愛し子”である事は、すでにご存知かと思います」
「えぇ、最初に聞いた時は驚きましたよ。まさか“精霊の愛し子”を連れて帰ってくるとは思いませんでしたから」
「だからこそ、知識を得ようかと」
「はい?」
「私はアヴァロニアで識っておくべき知識を持っていません。無知なのです。それはあまりに危ういと判断致しました」
私という、“精霊の愛し子”という存在がどういった存在なのかさえ、私が知る知識というものは浅く、曖昧なものです。
精霊が暴走するという意味でも危険な存在なのは確かでしょうが、では“どういった点に気を付ければいいのか”、“どこまでが精霊にとっての許容範囲なのか”、そういった知識が私には不足しています。
というのも、私自身が知っているのはあくまでも言い伝えと言いますか、童謡で描かれている程度の内容なのです。
これでは何をどう気を付ければ良いのか判らないのは当然ですね。
かつての“精霊の愛し子”がきっかけとなった精霊の怒りは、まだアヴァロニア王国以外でも精霊が自由に契約をしていた頃のお話です。
精霊は契約者を通じて“物質界”――要するにこの世界に干渉できるとの事ですが、当時とは違い契約の窓口は狭く、精霊とて暴走するような行為を繰り返す事はできないのではないか、とも考えられます。
だからこそ、私は契約精霊を持たない――要するに、精霊の力が振るえないという選択を選びました。
ですが――果たして精霊は、本当にそういう存在なのでしょうか?
実際私の耳元で時折鳴る羽音……げふん、精霊の声。
それに加え、“はぐれ精霊”と呼ばれる存在。
それらは契約者という存在に縛られずに行動しているようですし、一概にそうとは断言できない、というのが私の見解です。
この辺りは私自身に直接的な関わりがありますので、時間をかけて調べたいところです。
次に気になっているのは、要するに政治的な背景ですね。アラン様――つまりは王弟殿下の庇護下にいるという事が、今後どういった危険を孕んだ立ち位置になるのか、でしょうか。
そもそもアヴァロニア王国の歴史を知らない事には、独自に発展してきた体制を理解できません。私が知っているのはあくまでも体制の根幹――要するに国の成り立ちや貴族位の大雑把なイメージでしかなく、全てを理解しているとは到底言えません。
例えば、フィンガルであれば王こそが最上にある中央集権国家でした。
貴族に任じられていようが、王が白と言えば白といった具合に貴族そのものの権力は弱く、あくまでも貴族は王と民の間にある階級でしかありませんし、「王によって支配された国の特権階級」といったところです。
私兵を抱える事すら許されず、最悪の場合は叛逆を疑われてあっさりと処刑されてしまう、というお話も珍しくありませんでした。
しかしながらアヴァロニアの場合は異なります。
魔物という明らかな脅威が存在しているのですから、貴族は私兵を抱える必要もありますし、それぞれがある程度自立していない限り、魔物という脅威に対抗しきれないという現実があります。
自らの預かる領地を守るのですから、いちいち王家にお伺いを立てている場合ではない部分も大きいのでしょう。
ですので、貴族が持つ力というものも馬鹿にできるものではありません。
ただ、アヴァロニア王国は『英雄王』と『精霊王』の盟約があって初めて成り立ったという経緯もありますので、盟約の守護者である王に主権があります。強権を発揮すれば王家の方が権力としては強いのは事実です。
フィンガルとアヴァロニア。
王がいて貴族がいて、という在り方こそは同じです。
だからと言っても、アヴァロニア王国の裏にある貴族派閥等はフィンガル程シンプルではありません。
そこに教会も絡んでいる様子ですので、知識がなければ対策が取れない、という訳です。
「――なるほど。しかし、そこまで考えずともよろしいのでは?」
「何故ですか?」
知識を得るに足る理由をつらつらと挙げてみると、優男さんは苦笑しつつそう言ってきました。
「言い方は悪いのですが、あなたは貴族ではありませんから。そこまで考えずとも、素直に守られている事を享受する立場にあっても、誰も責めたりはしますまい」
――ずいぶんと甘い御方ですね。
そんな風に心のどこかで、私の中で優男さんの印象が固まりました。
はたしてアヴァロニアは――魔物と戦い続けるこの国は、そのような脆弱さを許容する等という甘さがあるのか。
そう考えると、優男さんの言い分はひどく生温いものにしか聞こえません。
まぁ、女子供相手にはなるべく不安にさせないように、という配慮があっての発言もあると思いますので、一概にそう断じれる訳でもないのですが。
「私は己の意思というものが希薄です。ですが、それでもアラン様や皆様に付いて来る事を選びました。ならば、守られる事を享受しているだけの愛玩動物ではいられないと、そう考えていますから。騎士様の言うような存在になる訳にはいきません」
「……それは、あの御方の為に、ですか?」
「いえ? 私自身の為にですが?」
ただ守るだけで良いと言うのなら、私を閉じ込めれば良いだけの話です。
ですが、アラン様を始めとしたイオ様やアリサ様は、私にそういった役割を望んではいません。
もしも私が貴族の姫であったのなら話は違ったかもしれませんが、少なくともそういった強制はしたくないと、そう仰ってくれました。
ならば、私も己の牙を磨かねばなりません。
戦う為の力は生憎私にはありませんが、回避する為の知識を。
「……なるほど。どうやらあなたは、守るに値する御方のようだ」
「……? いえ、守ってもらいたくないから知識を得るのですが」
………………。
「……は?」
「はい?」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか……? え? 知識を得る事で危険を回避するのだろう? そうして私達に協力する、という意味ではないのか?」
「いえ、自ら危険を回避できないと、そう判断されているから守られているのです。ならば、自ら危険を回避できれば問題ありませんよね?」
そもそも私がいつまでもここに居続ける必要はない訳です。
清掃でも解体でも私の〈才〉は使おうと思えば使える訳で、あとは放逐できる程度に知識を得ればいいだけの話ですし。
さっさと出て行けば、今回のようにいちいち狙われる事もないでしょう。
私としても、ここであまりお役に立てているとは到底思えませんし、外に出て自立するというのは一つの目標です。
しばらく何かを考え込んでいらっしゃるようでしたが、やがて優男さんが口を開きました。
「だったら、一つ提案が」
「なんでしょう?」
「〈精霊の泉〉に行ってみませんか?」
「面倒事が起きる予感しかしないのでパスです」
…………はて、なんだか固まっていますがどうしたのでしょうか。
私は別に時間の流れを止めるような〈才〉は持っていませんが。
「んん……ッ。た、確かに“精霊の愛し子”となれば、それだけで利用価値があるのは間違いないと思います。けれど、“精霊の愛し子”なら強力な力を持つ精霊と契約できる可能性が高い。それはつまり、あなたがあなた自身を守る事ができるようになる、最短の道筋だと思いませんか?」
「なるほど……一理あります。ですが、それでも行くつもりはありません」
「何故です?」
「面倒事と面倒な人は避けるに越した事はない、というのが私の信条ですので。――では、本を読んでいますので適当に時間を潰していてください」
優男さんに短く告げて書庫の扉を開けば、本が放つ独特の香りが鼻を掠めました。
アヴァロニア王城内にある書庫は合計三つあり、私がやってきたのは一般的な蔵書が置かれており、閲覧権限が低いものだけが置かれた書庫です。
円柱状の塔を思わせる造り、壁一面に置かれた背の高い戸棚には、魔道具が置かれ、届かない本が届くように踏み台が昇降したり左右に動いてくれる装置もあるようです。
なんとなく懐かしく、私にとっては落ち着く空間です。
人によってはやけにトイレに行きたくなるそうですが、その気持ちはいまいち私には分かりませんね。
私は書庫の中をゆっくりと巡りつつ、優男さんの言葉を頭の中で反芻していました。
――何故あの方は、私に精霊と契約させようとしていたのでしょうか。
疑問はそこに尽きます。
私が契約精霊を持たない事は、すでにアラン様や他の皆様からも支持されています。
下手に力を持って余計な厄介事を招くような真似はしたくない、というのが私の本音でもあります。
そういった意味で、今の私――つまり、何かしらの思惑が蠢いている中、狙われる対象でしかない私に契約精霊をもたせる理由が、「降りかかる面倒事から逃れるため」では、説得力に欠けるとしか言えません。
むしろ自分から狙ってもらう理由を集めているような、そんな気さえします。
――精霊との契約は、〈精霊の泉〉でのみ交わされる。
――〈精霊の泉〉に連れて行く事そのものが、優男さんの狙いだった?
そういった情報だけを拾い上げると、先程の言葉が一気に胡散臭くなってきますね。
――逆に「私が力を持てば、それだけで面倒事の多くを跳ね除けられる」という言葉が本当に本心から私に向けられたものであったのなら?
そんな風に考えると、ただただ単純に「解決方法が存在しているのに手を伸ばそうとしない私」の背を押そうとしているようにも見えます。
「……疑いだせばキリがありませんね」
意識を切り替えるように呟きつつ、調べ物を始めます。
政治的なものについては、イオ様やアリサ様、アラン様という生き字引と言いますか、生の声があります。知識を補填するという程度で良いですし、緊急性は低いものと考えてもいいでしょう。
となると、やはり精霊に関する事から、でしょうか。
先程の話題も精霊に関する事でしたし、無理に意識を引き離すよりも関連したものを頭に入れる方が、理解は早そうですし。
そう決意して、私は早速精霊や神話といったものが書かれている書物を探して、書庫の奥へと足を進めたのでした。




