1-18 予兆 Ⅱ
春を迎えたアヴァロニア王国。
隣国であるフィンガルの戦後処理に追われてはいたものの、徐々にフィンガル王国内の秩序も安定しつつある。そのため、次第に赤竜騎士団が順次帰国の途についており、騎士舎は以前までの喧騒を取り戻しつつあった。
そんなアヴァロン王城内にある赤竜騎士団騎士舎には、仲間達との無事の再会を祝す者達に加え、この春より配属された見習い達の姿もある。
訓練で疲弊した身体を満たす、温かな食事。
必然的に身体は休息を求め、うつらうつらと意識を朦朧にさせつつも、それでも食欲はまだ満たされておらず、意識の切り替えができない。
そういった新人らの姿はまるでまだ幼い子供のようにさえ見えた。一様に疲れ切っている空気を醸し出す後輩らの姿に、自分達も同じ経験をしていたと感慨深く思う者もいれば、新人らの情けない姿に憤る者もいるが、空気は温和なものだ。それらは通過儀礼とでも言うべきか、毎年この時期になればさして珍しくもない光景であった。
騎士という体育会系代表のような場でありながら、しかしくだらない後輩いじめに発展しないのは、ひとえに赤竜騎士団が赤竜騎士団である所以でもある。
盗賊との戦い、戦争、魔物。
対峙すれば己の命を脅かす存在と率先して立ち向かわなくてはならない立場にあり、一日前には笑っていた友が物言わぬ屍となり、翌日には地面の下に埋まっている事だって珍しくはない。
そうした過酷な現実を目の当たりにしている彼らが、いざという時に命を預ける者同士でくだらない真似をする訳にはいかないのだという自負が彼らにはある。
くだらない確執など、己の命を脅かすだけ。
純然たる現実、過酷な世界を彼らは知っているのだから。
――――そんな、どこか懐かしくも恒例となる光景を眺めて笑いを堪えている内の一人の男、ロレンツォ。
彼の隣に腰掛け、同じく夕食時の後輩の姿を眺めていた男が呆れたように嘆息した。
「ロレンツォ、笑ってやるなよ。俺らもここに来たばかりの頃はあんなもんだっただろうに」
「分かるが……やっぱ外から見ると笑えるものだと思ってな」
「……否定はできないな」
「だろ?」
かつての自分達を思い出すように笑う二人。
似たような視線を向けてはかつての自分達を思い出す同僚達。
温かな空気に包まれたその場で、ロレンツォと呼ばれた男は声をかけてきた同僚――ネロの笑顔がどこか寂しげなものに変わった事に気が付いて、目を丸くした。
「どうした、ネロ。疲れてるのか?」
「あぁ……いや、すまん。ちょっと考え事をしていただけだ」
「考え事?」
「新人をこうして見ていると、ついな。ここに来てもう四年も経ったんだなってさ」
四年前、ネロとロレンツォの二人は見習いとしてこの赤竜騎士団へと入った。
振り返ってみれば長かったような、それでいてあっという間だったような、不思議な感覚であった。
見習いとして入ったのは五十名。
その中でも今なお赤竜騎士団に残っているのは、今ではたった六名だ。
青竜騎士団に異動した者、前線の砦に異動した者もいれば、寿退団した女性もいた。
だが、魔物との戦いで傷を負った者もいれば、前線での戦いでストレスに晒されて精神を病み、前線に立ち続ける事すら難しくなった者。
そして――死んでしまった仲間もいた。
確かに赤竜騎士団と言えば婦女子の憧れ、子供達のヒーローといった花形ではある。
だが、蓋を開けてみればもっとも危険な場所へと赴く騎士だ。
その場所での戦いは創作物の中のように、誰もが無事にいられるはずもない。
ふとした時に大怪我を負う事もあれば、死ぬ事もある。そういった現実が付き纏う。
今回のフィンガル王国への遠征でだって、いくらフィンガル王国の兵の士気が低く、練度も低かったとは言え、それでもぶつかり合えば個の技量のみで全てを切り抜けられるものではない。
今でこそ笑って新人を見てはいられるものの、食堂内を見回せば不慮の事故で親しい仲間を失ったのか、今になって泣いている者もいる。
「――なぁ、ロレンツォ。逃げたいと、思った事はあるか?」
「ないよ。少なくとも俺は、な。そういうお前はどうなんだ?」
「……逃げたいなんて思った事はないな。そんなんじゃ、俺は何の為にここに入ったんだか分からないからな」
「ま、そりゃそうだわな。ああいう新入りを見て感傷的になっちまう俺らも、ある意味じゃ毎年恒例の風物詩みたいなもんなのかね」
「違いないな」
短く語り合い、そうしてついつい昔の仲間を思い出して、酒を呷る。
それは確かに二人が言う通り、赤竜騎士団の春の風物詩とも言えるような、そんな光景であった。
いつもなら外に飲みに歩く者も、さっさと自室に戻ってしまう者もいるものだが、誰かが音頭を取った訳でもないのに、みんながみんな、ついつい懐かしい記憶に想いを馳せて、酒を酌み交わす。
多分に漏れず話し込んでいたネロとロレンツォであったが、会話が途切れたところでネロが立ち上がった。
「さて、明日からは噂のお姫様の警護だったよな」
「あぁ、そうだ。団長が連れ帰ってきたっていう美姫らしいからな。せいぜい我儘に付き合わされない事を祈ろう」
「貴族じゃないんだから大丈夫だろ。聞いた話じゃ、むしろ奴隷だったって噂だぜ?」
「そうらしいが、どうだか。噂は噂だ。王子様に救われてお姫様気分に浸っていたら、貴族の娘とそう変わらないだろうよ」
「夢に溺れてるようなタイプか? 勘弁してくれ、俺はそういうの苦手だ」
「ま、気持ちは分かるが、な。いずれにせよ、与えられた任務をしっかりこなす事には変わらない」
「さすが、我らが小隊長ロレンツォ殿。真面目だな」
「茶化すな」
「冗談だよ。んじゃ、お先に部屋に戻るわ」
「あぁ、おやすみ」
短く挨拶して、ネロは廊下を歩いて自室へと向かった。
春の夜風は酒で火照った熱を優しく拭ってくれるようだった。
騎士舎内は比較的静かなもので、先程まで食堂で酒を酌み交わし、緩やかな時間が流れていた空間とは切り離されたように静けさに包まれている。
中庭に面した廊下を歩きながら酒の熱を冷ましつつ暗い廊下を歩いていたネロが、ピタリと足を止めた。
「――誰だ」
「命令を伝えに来た」
誰何する声に返ってきたのは、口元を覆っているのか、幾分かくぐもった声だった。
先程までの酒に酔ったようなネロの表情はそこにはなく、呆れたような、それでいてどこか諦めたようなため息が漏れる。
そんなネロの足元へ、暗がりから目の前に投げられてくる丸めた紙。
それを拾い上げたネロはゆっくりと紙を広げてから、そしてポケットの中へと紙を詰め込んだ。
情報を欲して辺りを見回すものの、すでに暗がりの中にあった使者の気配は消えている。
「……仲良しこよしもこれで終わり、か」
中庭から覗いた夜空を見上げ吐き捨てるように呟かれた一言は、酒の熱を押し流すには十分過ぎる程に寂しいものであった。
◆ ◆ ◆
よく分からない貴族様と遭遇した、その翌日。
朝からアラン様に呼び出される事となった私は、三名の騎士様と対面していました。
「赤竜騎士団第十九小隊、小隊長のロレンツォです」
「同じく、ネロです。こちらはマルグレット」
「マリーとお呼びください」
皆様二十代前半程でしょうか。
ロレンツォ様は柔らかな雰囲気を持ったダークブラウンの髪に同系色のタレ目。
ネロ様はどちらかと言えば少し人を寄せ付けない鋭い濃い紫の髪に赤みがかった黒の瞳。
マルグレット――マリー様は薄青色の白髪をショートにして、いかにも仕事ができる女といった雰囲気のある女性です。
正直、人の顔と名前を一斉に覚えるのは苦手です。
ここは特徴で……優男さん、クールさん、メガネ美人さんと覚えておきましょう。
そんな三名を紹介され、どういう事かと同席していらっしゃるレイル様へと視線を向けると、レイル様の代わりにアラン様が口を開きました。
「ルナ、今日から彼ら第十九小隊がキミの護衛として共に行動する事になる」
「護衛ですか?」
「あぁ、そうだ」
昨日のレイル様との会話。
それに、遭遇したフィンガル風貴族様の姿が脳裏を過ります。
「必要ないと言いたいのかもしれないが、そこは我慢してくれ。フラムが言う通り、キミを私が連れ帰ったという事実はすでに知られているからね。良くも悪くも、キミという存在に利用価値を見出す者もいるだろうという事は判るね?」
常識的に考えれば確かにそうなのでしょう。
王位継承権第二位という立場は、権力を握るにはあまりにも魅力的な立場です。
私に関する真相はどうあれ、アラン様が連れ帰ったという現実がある以上、私を利用してアラン様に近づく、または害しようと画策する輩はいないとも限りません。
とは言っても、私にはアラン様が政治的な意味で権力を有しているとは思えませんが。
アラン様は王弟殿下です。
王位継承権を破棄して公爵家を立ち上げている訳ではありませんし、どこかの貴族家と婚姻による結び付きがある訳でもありません。
王位継承権につきましても、現王である陛下が戴冠した後、血の繋がりから暫定的に王位継承権が復活されただけに過ぎず、まだ若い陛下が病に倒れる心配がある訳でもありませんし、そもそも本人が王位を継ぐ意思は皆無だと公言していらっしゃいます。
詰まるところ、立場はあくまでも”王家の人間である”というだけなのです。
ましてや赤竜騎士団の団長となれば、さらにアラン様の王位簒奪の意思がないものという立ち位置を強調する結果となります。
どうやら、赤竜騎士団は慣例上、王族が所属する場合は王位継承権そのものが破棄されてきたそうです。命の危険がもっとも近い赤竜騎士団ですから、そうなるのは必然だったのでしょう。
王位継承権を再び手に入れてもなお、アラン様はその立場を退くおつもりはないようです。
どう見ても“陛下の紐付き”であると喧伝するような立場ですらあります。
こうなってくると、アラン様の野心云々以前の話になりますね。
そういった背景を理解しているが故に小首を傾げる私に、アラン様は苦笑を浮かべました。
「ルナが考える通り、私を蹴落とすか、或いは取り入ったところで、このアヴァロニアでの権力を握れる訳ではないのは確かだよ。私は政治的な部分では一切介入していないからな。陛下も私も、お互いにそうする事で明確に線引きをしているからな」
「では、私に護衛をつける必要はないのでは?」
「政治的にルナを利用して私に取り入るという点だけで言えば、それもそうかもしれないだろう。だが、ルナ。キミが“精霊の愛し子”である以上、キミにはそれだけでも狙われる理由になりかねない事を、しっかりと理解してもらわなくては困る」
…………あぁ、そういえばそんな事もありましたね。
ポン、と手を叩いてみせると、レイル様と第十九小隊の三名様にはじとりとした目を向けられ、アラン様には引き攣った笑みを向けられました。
「あまりにもどうでも良い事でしたので、すっかりスッキリ忘れておりました」
「忘れんなよ……」
「……てへぺろ?」
「無表情で何言ってんだ、お前さん……」
おかしいですね、侍女さん直伝の許されスキルであるこれをすれば、大抵の男の人には許されるはずですが……ふむ、違うようですね。
「と、とにかく、ルナ。今後は護衛として彼らと一緒に行動してもらう事になるからな。ロレンツォ、説明を」
「はっ」
優男様曰く、私の昼のお仕事やら〈才〉の訓練時、イオ様やアリサ様が一緒に行動できない時間帯の護衛、という形で第十九小隊の皆様が私の護衛として共に行動する、という形になるそうです。
そもそも私の行動範囲は極端に狭いですし、大体が誰かしらと行動してはいたのですが、イオ様とアリサ様はそれぞれに立場上お仕事が忙しいとの事で、これまでは無理に時間を捻出してくださっていたそうですが、さすがにそれも継続するのは難しいとの事。
まぁ、毎晩のように声をかけてくださっていますし、昼は御自身の仕事をする方が正しいとは私も思います。
ともあれそんな訳で、私の昼の行動時間が一人ぼっちになってしまいます。
そこで正式に私に護衛としてついてきてくれるようになるのが、この第十九小隊の皆様、という事でした。
そこまで言われると、申し訳ないですね。
私が“精霊の愛し子”という名のストーカー……げふん、覗き魔被害に遭うような存在でなければ、わざわざ私について来ていただかなくても良かったのですが。
ふむ……これはむしろチャンスなのでは……?
「レイル様」
「言っておくが嬢ちゃん、いくら護衛がいるからって肉を狩りに行く、なんて真似、すんなよ? ……おい嬢ちゃん、ちょっとこっち向いてみ? 言うつもりだったのか!?」
おかしいですね、何故バレてしまったのでしょうか。
解せません。
それにしても、クール様でしたか。
先程からちらりとこちらに向けられる彼の視線が、どこか私を見定めるようなものに見えるのは気のせいでしょうか。
なんとなく不愉快なのでじーっと見つめ返すと、私に見られている事に気が付いたのか、視線を逸らされてしまいました。
「えっと、ルナ嬢? ウチのネロが何か……?」
「あぁ、いえ。お気になさらず」
「いや、あんな無感情にじっと見られたら誰だって気になるだろうよ……」
そういうものでしょうか。
私としては見られていたから見返していただけに過ぎないのですが……そういうものなのだと思っておきましょう。
ともあれ、こうして私の護衛という方々との顔合わせは、恙無く終わったのでした。




