1-14 『選定の儀』 Ⅱ
「――い、いったい、何が……?」
目の前で『選定の儀』を受けている少女――ルナちゃんを見つめながら、ボク――フラム・イル・クオーラ――は混乱していた。
本来『選定の儀』は一瞬で終わるものだ。
神官の儀式で神へと繋がり、神から〈才〉の文字を直接脳裏に焼き付けるようにして与えられるだけ。
実際ボクだってそうだったし、今まで見てきた『選定の儀』は誰もが数秒程で目を開け、自分の〈才〉を読み上げ、そうして儀式は終わる。
なのに――眼の前の光景は、一体なんだろうか。
室内を満たす神気は息苦しい程に濃厚で、赤竜騎士団の女性騎士舎の一室というよりも、いっそ聖地と呼ばれるような場所を彷彿とさせる程のものとなり。
そしてルナちゃんの身体からは、黒い魔力が溢れ出て、繭となるかのように彼女を包み込んでしまった。
そんな彼女の黒い魔力を見てボクの脳裏に真っ先に浮かんできたのは、強力な魔物が放つ瘴気だった。
目に見える程に濃い瘴気に触れれば、人は瘴気に蝕まれてしまう。
故に近接戦闘はもちろん、一定以上の距離を常に保ちながら戦わなくてはならない。
しかしこの部屋は、そんな距離を保てる程の広さはなく、更に言えば、ルナちゃんを取り巻く黒い魔力は、瘴気のそれとは全く異なる神気すら宿した代物だ。
何をすれば、どう対処すればいいのかと逡巡する間に、突如として黒い魔力と神気が霧散して、繭から再び姿を現したルナちゃんが小さく呟く。
「――……【滅】、ですか。なんとも物騒な言葉ですね」
その一言が意味するところを知り、ボクは慌てて腰から引き抜いた短剣をルナちゃんへと突き付けた。
「……キミは、何者だい?」
誰何する声は情けない程に震えていた。
対照的に、ボクに突き付けられた短剣を見つめたルナちゃんは一切の動揺も、恐怖もなく、ただただ意味が分からないようで小首を傾げた。
「――何をしている、フラムッ!」
「アラン、黙って」
室内の異変に気付いたのだろう。
アランとイオ、アリサの三人が部屋へと入ってきて、ボクに殺気を向けてくるのが分かる。
この三人に襲いかかられようものなら、ボクは何もできずに死ぬ事になるだろうけれど……ここで退く訳にはいかなかった。
「……説明してくれるんだろうな……」
「……正直に言えば、ボクもまだ困惑しているんだ。本来なら人が得る事はないと言われる、“理”の〈才〉が彼女には与えられた。しかも、よりにもよって看過できる代物ではないものが、ね」
「……フラム様、ルナが得た〈才〉とは?」
「彼女が得た〈才〉は――【滅】」
「な――ッ!?」
「まだ効果範囲の検証はしていないし、どれだけの事ができるかは分からないけれど、ハッキリ言って人の手に余る代物だ」
ボクの後ろで三人が、そして侍女のマリアが息を呑んだのが分かった。
――――神から与えられる〈才〉は、それこそ人智を超えた力を有している。
魔法が強化されたり、戦闘面での能力が上昇したりと、その能力は多岐に渡る。
けれど、それらはあくまでも“人が扱える範囲での力”に他ならない。
かつて〈才〉を調べた研究者がいた。
その研究者の格言は有名で、誰だって一度は耳にした事がある。
――「もしも〈才〉に与えられる力に限界がないのであれば、【死】という〈才〉が生まれた瞬間、世界は終わりを迎えるだろう」。
けれど、〈才〉にはそんな人智を超える力は存在しない。
あくまでも“人が扱える範囲での力”であり、同時に“世界の理に影響を及ばさない範囲に留まっている力”でしかない。
なのに、ルナちゃんが与えられた〈才〉は、【滅】という代物。
破滅、滅亡、消滅――簡単に思い浮かべただけでも、明らかに危険な意味を持つ代物であり、恐らくそれだけでどんな存在も消されてしまうだろう。
それはもはや、これまでの前提条件を無視して覆す代物だ。
――もしもこの子が「【消滅】しろ」と理を操って人へと力を向けたら?
――もしもこの子が「世界よ【滅べ】」と口にして、世界の理が乱れたら?
この子が得た力の危うさは、冗談では済まされない。
最低でも監視か監禁――いや、そんな真似をすれば世界が滅ぶ可能性もある。
やはりこの場で殺してしまった方が――と考えた瞬間、ルナちゃんがゆっくりと口を開いた。
「申し訳ありません、侍女の仕事にはあまり役に立たないものだったようです」
「……へ?」
その情けない反応は誰の口から漏れたものかも分からなかった。
あまりにも変わらない調子で告げられ、二の句を告げられずに固まるボクらを前に、ルナちゃんはただ一人、ボクらを気にする様子もなく続けた。
「【滅】となると、何かを消し去るような意味合いでしょう。――ふむ、埃を滅ぼす事ができれば掃除が一瞬で終わりそうですね……。汚れだけを滅ぼせば厨房の洗い物もすぐ終わりますし、ゴミを処分するのも向いているかもしれません」
…………んん?
「……はぁ~……」
「……ま、ルナだしね」
「そうねぇ~、ルナはこういう子だものねぇ~」
アランのため息とアリサ、イオの反応に空気が弛緩していくのがよく分かった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!? 呑気かい!? キミの力は理を覆すものだよ!? 出てくる言葉が掃除とゴミ処理!?」
「――フラム様」
「な、なんだい……?」
真っ直ぐ見据えられて、思わずたじろいでしまった。
「頑固な油汚れとワインのしみ抜きはどうでしょうか?」
「うん、ボクの話聞いてないねっ!?」
「いえ、聞いてはいましたが?」
「聞いてるだけで理解してないのは聞いてないって言ってもいいんじゃないかな!?」
「ふむ……言葉とは難しいものですね」
「ボクはキミの考えを理解する方が難しいよ……!」
「なるほど……他者を理解するのは難しいものなのですね」
「もうやだこの子! って、アランも何笑ってんのさ!? キミ達も! 事の重大さを理解してるよね!?」
気がつけば、アランやイオ、アリサが笑いを堪えるかのようにプルプルと身体を震わせていて、そんな呑気過ぎる光景に声をあげれば、ボクは思わず矛先をそちらに向けていた。
「ぷふ……っ、くっくくく……っ! いや、すまんすまん。周りを振り回すばかりのお前がここまで振り回されるのを見ると、ついな……」
「はあっ!? 呑気過ぎるよ!? 冗談じゃあ済まないんだよ!?」
「はぁ~……、いや、本当にすまない。まぁ落ち着け、フラム。とりあえずその短剣をしまってくれ」
「だから――!」
「大丈夫だ。そもそもルナは、俺やお前が考えるような方向に〈才〉を使う事なんてするつもりはないだろうし、その危険性を理解していない訳じゃない。そうだろう、ルナ?」
「危険性、ですか? ふむ……あぁ、人に向かって使うとか、そういうものでしょうか?」
「あぁ、そうだ」
「そう言われましても、それで私に得があるとも思えないのですが……何故そんな事をする必要が?」
…………なんだって?
「まぁ、そうだろうな。フラム、ちょっとこっちに」
「え? ちょっ、引っ張らなくても……!」
「いいから来い」
半ば強引に廊下に連れ出され、マリアがボクと入れ替わるように部屋へと入り、扉を閉めた。
「アラン、キミは分かっているのか……!?」
「分かっているさ。ルナが得た〈才〉がどれ程危険なものかも、ルナが手に入れたからこそ、そういった危惧が必要ないという事も、な」
納得いかないまま語られたのは、あの子の境遇についてだった。
幼い頃に買われ、フィンガルの王族に玩具のように扱われてきた事。そして、そんな王族に対する興味のなさ、恨み辛みすら抱いていない――人形のような考え。
その劣悪なやり口に、ルナちゃんの置かれていた、あまりにも悲惨な環境に、愕然とした。
「――ルナは感情を持ち合わせていない。恐らく変わる事はないだろう」
「……どう、して……」
「あの子は俺やお前のような為政者が知る存在ではないんだ。人の醜さを知りながら利用する清濁併せ呑むようなタイプでもなければ、単純に義憤に駆られて憤るタイプでもない」
「……有り得ないよ、そんなの……」
「まぁ、普通ならそう思うだろう。俺とて、もしも【滅】という〈才〉を得たのがルナではなく、他の者だったのなら、最初からこの剣で斬り裂いていたさ。例えそれが信頼する腹心であったとしても、愛する者であっても、家族であってもな。人の範疇を越えた力など、持つべきではない――そう判断するだろう」
だが――と、アランは続けた。
「ルナは普通ではない。そういった人らしさを持たず、他人に対して反応はするが興味らしい興味はない。そういう意味で、ルナは何物にも染まらない存在だ。俺にとってみれば、そんなルナだからこそ、【滅】という〈才〉が神から与えられたと言われれば納得すらできてしまう」
アランの言っている事は、ボクにも理解できた。
ルナちゃんは普通とは言い難い。
ただ可哀想な境遇に世界を呪っているでもなければ、自分を苦しめ続けていた王侯貴族相手に憎しみもないなんて、ボクがそんな環境にいたのなら、まずそうはいかないだろうと思う。
何物にも染まらない。
それはまるで――そもそも人を超越した存在みたいではないか。
「むしろ俺は、ルナには似合っているとすら思うけどな」
「え?」
「【生と死、破滅による再生】を司る夜と月の女神は、美しい黒髪に紫紺の瞳。お誂え向きだとは思わないか?」
「――ルナリア様……」
「あぁ。あの子の名前をつける時、イオとアリサ、そして俺もまた思わずそれ以外にはないと思ったぐらいだ。だから、正直に言って【滅】を手に入れたと聞いた時、むしろ俺は納得さえした。恐らく、イオとアリサもそうだろう」
正直、普段のボクならばアランの言葉に納得なんてしないだろう。
有り得ないと一笑に付してしまう方が、余程ボクらしくある。
なのに――何故だろう。
アランの言葉を聞いて、すとんと腑に落ちるものがあった。
言葉だけじゃ納得できないようけれど、なのに心のどこかで確信めいた何かが。
「……分かったよ」
「あぁ」
「ただし、あの子の監視は強くお勧めするよ。あの子が望むにせよ望まないにせよ、他の誰かがあの子を利用しようとするかもしれない。まぁ、【滅】なんて力を振るわれたら根底から崩れると思うけれど……それでも、ね」
「分かっている。元よりそのつもりだ」
「それと、ボクが彼女の〈才〉を見極めさせてもらう。キミを信頼していない訳じゃないけれど、ボクは彼女の〈才〉を楽観する気はないからね。いざという時は……」
「それも百も承知しているさ。俺だって、ルナが危険だと判断した時点ですぐにでも対処するつもりだ。イオやアリサも、マリアだってそうだろう」
……はあ。
まったくもって疲れた。予想外過ぎるよ、こんなのは。
振り回す側にいるはずのボクがこんなに振り回されるなんて、冗談じゃないよ、まったく。
そう思うのに、何故か笑えてしまうんだから。




