1-13 『選定の儀』 Ⅰ
紅茶は茶葉によって適切な淹れ方というものがあります。
ティーポットの温度、蒸らし時間、カップの温度、その時々の湿度と室温。そういったものを加味した上で、最善のタイミングで、かつ最高の温度でお湯を注ぎ、茶葉の芳醇な香りを楽しみ、最高の味を出す必要がある――と、『紅茶最上理論』という本に書いてありました。
故に、私は懐中時計と室温、それに湿度を表す魔道具を手元に置いた状態で紅茶を見つめています。
「……ね、ねぇ、マリア~……? なんかルナの紅茶に対する姿勢が、鬼気迫るものがあるんだけど~……?」
「わたくしが教えたのは茶葉の見分け方だけで、淹れ方は何かの本で学んだようなのですが……正直、わたくしより拘っているようです」
「……完璧侍女と言われているマリアより……?」
――今です。
ティーポットを手に取りカップに注ぐ時間と、最高のタイミングがピッタリと合うように調整して、イオ様とアリサ様、マリア様、そしてフラム様とアラン様のカップに紅茶を注ぎ、最後に私といった順番で少しずつ注ぎ終わりました。
最後の一滴――ゴールデンドロップスと呼ばれるそれは、やはりお客様であるフラム様より、アラン様のカップに入れるべきでしょう。
最後に注ぎ終えたところで――ふむ、時間の調整は問題ありませんね。
本に書かれていた知識を十全に活かせたであろうという充足感を噛み締めつつ、私はそれぞれ皆様に紅茶を渡していきます。
机が小さく椅子が足りないので、マリア様はワゴンに置くように目配せされましたので、そちらに。
「どうぞ」
「……あ、うん。ありがとうね、ルナちゃん……」
「ティブリンダー産の茶葉ですので、ストレートでも十分に甘みはあります。お好みで砂糖が必要であれば、そちらから」
「あ、はい」
なんだかどっと疲れたようなフラム様の返事でしたが、すっと紅茶を一口。すると驚いたように目を大きく見開きました。
「……これが、ストレート……?」
「僅かな蒸らし時間の差で苦味が出る、難しい茶葉だとは聞いていたが……しっかりと淹れればこうなるのか……」
「さすがルナ! 美味しいわ!」
「えぇ~、そうね~。最近はマリアとルナ以外に淹れてもらう紅茶だとちょっと物足りないぐらいだもの~」
「恐縮です」
やはり紅茶というものは奥が深いようです。
本で得た知識を十全に活かし、それを実際に生きたものにするというのは満たされた気分になりますね。
やはり料理にも手を出すべきでしょうか。
「……あれ? ちょっと待って? ねぇ、ボクだけ? “精霊の愛し子”なのに精霊と契約しないっていう、今までに聞いた事もない回答でまだ困惑してるのボクだけ? なんでみんな普通なの?」
「……ルナだから、なぁ」
「アラン!?」
「そうですね、ルナですもの」
「ちょっ、アリサ!」
「ルナはそういう子だものねぇ~」
「イオまで!? キミ達がそんな簡単に納得しちゃうぐらいこの子変わってるの!?」
何やらフラム様は納得いかないようですが、そうは言われましても精霊には興味ありませんし。
まぁ、見てみたいような気がしなくもありませんが……百害あって一利なしの存在に惹かれる程、私に冒険心というものはありません。
「フラム様」
「ルナちゃん! やっぱり契約したくなったのかい!?」
「いえ、全く毛程も興味はありませんが」
「あ、はい、ゴメンナサイ」
「お気になさらず。ともあれ、本日は『選定の儀』を行う予定だったと思うのですが、精霊がどうのというお話より、そちらを進めた方が建設的では?」
…………。
「……あー、うん。そう、そうだったね。うん、切り替える。切り替えるよ……」
……はて。
何故今の私の指摘に、フラム様はガックリと肩を落とし、他の皆様は引き攣った笑いを浮かべているのでしょう。
イオ様、「トドメ刺さったわねぇ」のトドメとは?
「えーっと、ルナ? まず〈才〉について気になる事とかあるかしら?」
アリサ様が助け舟を出すかのように問いかけてきたので、意識を切り替えます。
「……そうですね。“一字の〈才〉”と“四字の〈才〉”について、でしょうか」
私が本で得た知識を鑑みると、〈才〉とは不思議なものが多いです。
まず“一字の〈才〉”と言えば、『メアリーの雪』という童話を思い出します。
メアリーと呼ばれる少女が得た〈才〉が【雪】という一文字であり、その力は「雪さえ存在していれば自由に操れる」、というものでした。
当然暖かい地域では使えず、その結果〈才〉が役に立たないものだと失望する事になるのですが、そんなメアリーの〈才〉に興味を持った雪の国の王子様がメアリーを招聘し、初めてメアリーは大活躍。更に王子様に見初められるという、手垢のついたサクセスストーリーでした。
ただ、このお話は史実であったらしいのです。
基本的に〈才〉に多いのは、アリサ様のように【属性/雷】といった属性に分けられるケースらしいのですが、このメアリーの場合はただの一文字【雪】のみ。
こうした事例に似たものもあり、“一字の〈才〉”には特殊な能力が宿ってこそいるものの、検証してみない事にはどういったものか判別がつきにくいという点もあり、なかなかピーキーな代物のようです。
場合によっては使い道もないまま持ち主が寿命を迎えて死んでしまったというケースも少なくはないようですね。
対照的に、いわゆる「当たり」と呼ばれるのが、“四字の〈才〉”です。
有名所で言えば、アヴァロニアの『英雄王』は【天下無双】という戦においては比類なき能力を得たり。あるいは魔法王国ラズの『賢者』が得たという【森羅万象】。天才軍師が持っていたという【明鏡止水】、神の使徒が持っていたとされる【天地創造】等でしょうか。
これらは圧倒的な力を有してこそいますが、その後同じ〈才〉を持った御方はいないそうで、「“四字の〈才〉”持ちとは、神が加護を与えた使徒ではないか」という説が有力視されている模様です。
「“一字”は当たり外れが激しいのよね。まぁ珍しいと言えば珍しいけど」
「私も“一字”は見た事ないのよねぇ~。“四字”を持つと言えば過去の英雄以外にも、私でも知っている御方がいらっしゃるけれど~」
「“四字の〈才〉”を持つ御方が、今もいるのですか?」
それこそ英雄、神の使徒と呼ばれる御方です。
過去にはいたと聞いていますが、現代にいるという話は聞いた事がありません。
イオ様、そしてアリサ様がちらりと視線を向け――その先にいるアラン様が瞑目したまま口を開きました。
「隠している事ではないからな。私の兄であり、この国の国王陛下こそが、現代で確認されている唯一の“四字”持ちでな。その名は【一刀両断】。刀、と呼ばれる東国の剣を使えば、斬れないものはない」
「魔法であっても金属であっても、だからね。ハッキリ言って、あの陛下がいる限り、アヴァロニアに喧嘩を売る国は現れないよ」
アラン様の言葉を補足するようにフラム様が肩をすくめて告げました。
なるほど、強そうですね。
「まぁ、“四字の〈才〉”については絶対的と言えるかもしれないけれど、ハッキリ言ってそんなのは滅多に出るものじゃないわ。普通に考えて、〈才〉は“伸びやすい才能を示すもの”でしかないというのが一般的よ。だから劣等感とかそういうものを抱く必要もないし、逆に優れているからと言って胡座をかくような真似をすれば、簡単に足元をすくわれるわ」
「努力がなければ、せっかくの〈才〉も無駄になりますからねぇ~。ルナも〈才〉を得たら頑張りましょうねぇ~?」
「そうですね。せっかく貰えるのですから、貰っておきます」
特に対価を必要とせずに貰えるものがあるのであれば、私だって否やはありません。
強いて言うなら、お肉をゲットしやすくなるような〈才〉であったりすれば嬉しいですね。
食べ物を穫れるというのは、それだけでありがたいですし。
「……なんでそういう発想なのに、精霊との契約には興味ないんだろうね、この子……」
「気にするな、フラム……」
そっちは面倒事が降りかかると分かっていますし、手に入れる必要はないものですからね。
私としても精霊という存在に興味がない訳ではないのですが、欲しいかと言われるとデメリットの方が大きそうなので遠慮します。
「はあ……。まぁ、本人がそう言っているんだからしょうがない、か……。じゃ、ルナちゃん。早速だけど、キミの『選定の儀』を始めようか」
「ここで、ですか?」
「うん、大丈夫だよ。普通なら教会が“場”としての力があるから、そこで近所の子供達を集めて一斉にやるものだけれど、一人や二人なら場所は関係ないんだ。もっとも、ボクの手にかかれば、という話ではあるけれど」
「自慢はいいからさっさとやれ」
「はいはい。じゃあルナちゃん以外のみんなは部屋から出てくれるかな?」
短くフラム様が答えると、アラン様が先頭となってイオ様とアリサ様、そしてマリア様が部屋を出ていきました。
この部屋の人口密度が下がったおかげで、なんだか広く感じますね。
「フラム様、アラン様を追い出すような真似をして良いのですか?」
「たとえ王侯貴族だろうと、『選定の儀』に立ち会う事は許されないんだよ。『選定の儀』は儀式を受ける者と神の接触の場だからね。そこに無粋な第三者が存在していると、神の怒りに触れる。ボクは儀式の担い手だから許されるけどね」
そういうものだそうです。
神様というのも意外と狭量なのかもしれませんね。
「さて、始めようか。ルナちゃん、目を閉じて、自分の過去を思い浮かべて」
そう言われて、私は目を閉じました。
――――過去と言われましても、あっさりと終わってしまいそうですが。
幼い頃に売られ、王女様に引き取られ、人形として過ごした日々。それらはお世辞にも美しい日々とは言える内容ではないのでしょう。
ですが、私にとってそれが辛いものであったのかと問われれば、そうでもなかったとも言えます。私にとっての“当たり前”でしかなかったのですから。
――怒りはないの?
怒り……あぁ、王女様で言うところの癇癪みたいなものですか。
そうですね、ないです。
所詮、他人は他人です。そこに対して自分の気持ちをぶつけるという意味など、それはただの労力でしかないでしょうから。
――憎しみはないの?
はて……憎しみとは、つまりどういったものでしょうか?
どういったものかは漠然と理解しています。小説等で読んだ登場人物が憎悪に駆られ、といった展開はよくありましたからね。
ですが、そこに実感も共感もありませんので、私にはないのではないでしょうか。
――変な子。本当に感情がない。
人形として生きてきた私には、感情はないのでしょう。
知識として識っている事を当てはめ、それらしい答えを口にするぐらいしか、私にはできません。
アラン様もイオ様も、アリサ様もマリア様も。
皆様が私に対して同情的なのはなんとなく理解できます。ああいった表情は見た事もありませんでしたので、王女様がたと比較すれば、なんとなくは。
ですが、私は人形でしかないのです。
救い出してくれた事に感謝はしています。拾い上げてくれた事に報いたいとも思います。
ですがそれは、私自身の感情ではなく、ただただ「恩は返さなくてはいけないもの」という“常識的な判断”という知識を識っているからに過ぎません。
――……やっぱり、キミは変わっていない。
まぁ、そうそう変わるものではないと思いますが。
そもそもの話――あなたは誰ですか?
――いつか、分かるよ。
そんな言葉を聞かされて、私の目の前に一つの文字が浮かび上がりました。
――これはキミに返そう。
すとんと腑に落ちた気がします。
目の前に浮かび上がった、たった一つの文字。
ぐにゃぐにゃと曲がっているそれは、見覚えこそはありませんが、何故かその意味は理解できました。
……なるほど。
以前から“一字”とか“四字”とは言っていましたが、それはこの事だったのですか。
目の前の文字はたった一つの文字です。
きっとこうして浮かび上がった文字に、現代の解釈を当て嵌めただけに過ぎなかったのでしょう。
だってこれは、読めないのに理解できる不思議な文字です。
「――……【滅】、ですか。なんとも物騒な言葉ですね」
そんな言葉を口にしながら目を開けるとフラム様が驚愕に目を剥いて、私を見つめ――次の瞬間には腰元から引き抜いた短剣を私に突き付けていました。




