1-11 王都アヴァロン
アヴァロニア王国は背の高い山脈に囲まれていて、深い森などが多いようです。
旧道を抜けて五日、途中町に寄る事もありましたが、私達は無事にアヴァロニア王国王都アヴァロンへと到着しました。
「――アラン殿下万歳!」
「――赤竜騎士団万歳!」
「――うおおぉぉッ! 『双翼』様―!」
戦争を勝利に導いたアラン様率いる赤竜騎士団の人気は凄まじく、防音効果のある竜車内にも民衆の声が響いてきました。
カサンディアでも凄いものでしたが、やはり王都となると比較できない程度に凄まじいものがあるようです。
外から見られて詮索されないようにと、竜車内からは外が見えませんが、やはりここでも虫のような景観が広がっているのでしょう。
そんな事をぼんやりと考えながらしばらく進んでいる内に、段々と声が小さくなっていき、ようやく声が聞こえなくなりました。
それから間もなく、竜車の出入り口が開かれました。
「ルナ~、もう大丈夫ですから降りてきてくださいな~」
イオ様に呼ばれて竜車を出ると、そこは多くの竜車や馬車の荷台等が置かれている区画でした。
どうやら王城の敷地内に入っているらしく、周囲は白い城壁で覆われ、私達が入ってきたと思しき城下町と王城とを繋ぐ大きな扉が閉まっていくのが見えました。
フィンガルの王城はやたらと華美に造られていましたが、アロヴァニアはどうやら堅牢さを優先しているらしく、少々無骨と言いますか、重厚感があります。
魔物との戦いの最後の砦、そんな役割を果たす為でしょう。
ちらりと目を向ければ、アラン様が赤竜騎士団の皆様を連れて先行して場内へと入っていく姿が見えました。侍女隊の皆様もそれに続いて行くようです。
「ルナは謁見する必要がないので~。先に赤竜騎士団の騎士舎に入っちゃいましょうね~」
特に断る必要もないのでイオ様の先導でついていきます。
さて、アヴァロニアには赤竜騎士団と青竜騎士団があります。
赤竜騎士団は第一騎士団とも呼ばれ、名実共に諸外国にも知られる騎士団だそうで、主に戦争や魔物との戦いに身を置く戦闘面で優秀な騎士団だそうです。
対して、青竜騎士団はどちらかと言えば庶民派と言いますか、国の防衛、町の見回りという、周辺国で言えば平時の騎士団が行うような業務を担うそうです。
その他に、白竜近衛騎士団という王族の近衛騎士が所属する騎士団もあったりするそうなのですが、これは騎士団としては最小規模だそうで、王族の警護等が主流となり、赤竜騎士団と青竜騎士団とは異なる管轄だそうです。
赤竜騎士団はかなり奥まった場所に騎士舎がありますが、青竜騎士団の騎士舎は王城の手前側にあるそうです。
青竜騎士団の騎士舎を通って赤竜騎士団の騎士舎に行くには王城内を横断するか、王城の外をぐるっと回り込む必要があるとの事ですので、いずれ必要になったら案内してくれるとの事です。
『――――!』
しばらく敷地内を進んでいるのですが、何やら精霊の声らしき何かがさっきからうるさいです。
精霊の声と思しきそれは私には甲高い笛のような音にしか聞こえませんし、それが言葉であるならともかくとして、耳元でそんな音が鳴っていて若干不快だったりします。
「ルナ~? どうかしたの~?」
「先程から妙に精霊の声とやらが大きくなっているようで」
「あらあら~、それは大変ね~。でも、いい事なのよ~?」
「虫の羽音が耳元で何度も鳴っているような、そんな気分になります」
「は、羽虫……?」
『――――!』
「……チッ」
「無表情で舌打ち!?」
おっと、つい。
思わず出てしまった舌打ちにイオ様がいつもの間延びした口調ではない反応を示しました。
なかなかに珍しいですね。
気のせいか精霊の声とやらも落ち着いたので、気を取り直して見学しつつ歩きます。
やはりと言いますか、お城は何重にも渡って城壁や塔が敷地内にあり、堅牢な造りをしているようです。
きっと上から見れば、四角の中に四角があるような形でしょうか。
内側に進むに連れて大きな扉があったりと、少々迂回したりと、複雑な造りをしているようです。
「魔物対策ですか?」
「あらあら、やっぱり気付いたのね~。えぇ、そうよ~。王城の外の跳ね橋も含めて、魔物が溢れてしまった時に民を守れるように、って造られているのよ~」
「跳ね橋?」
「竜車の中からじゃ見えなかったでしょうけど、幅が広くて深い堀に水が張ってあるのよ~」
「なるほど……。凹状になった堀に跳ね橋をかけている、という事ですか。ですが、魔物が王城まで攻め込む程に増える可能性は高いのですか?」
「ん~、ないとは言い切れない、ってところかしらね~。言い切れない以上は備えておいた方がいいでしょ~?」
「そうですね……」
フィンガルでは考えられない程の周到さと言いましょうか、しっかりと非常時に備えていらっしゃるようですね。
そんなやり取りをしつつ、イオ様に連れられて王城の奥へ。
独立した建物が広い訓練場の横に建てられている区画へとやって来ました。
「あそこが私達――赤竜騎士団の騎士舎よ~」
「結構大きいのですね」
「そうね~。ルナもしばらくここに住む事になるから、覚えなきゃね~」
「……はい?」
「女性騎士舎に案内してから食堂とかの説明をするわね~」
「…………初耳ですが?」
「えぇ~、言ってなかったもの~」
どうやらそういう事らしいです。
◆ ◆ ◆
「やあ、弟よ。無事に帰ってきてくれて何よりだ」
重厚感のある執務机の向こう側。
先程までの厳格な姿から一転して、人懐こさを感じさせる笑みを浮かべる国王――いや、兄上の姿に、何故か疲れがどっと出たような気がしてため息が漏れた。
「凱旋式で帰還の労いの言葉はもらったはずだが?」
「あんなのは国王である俺――ジーク・フォン・レッドフォード――と、赤竜騎士団の団長であるお前――アラン・フォン・レッドフォード――としての形式に過ぎない。俺としては、単純に兄として弟が無事に帰ってきた事を素直に喜びたいんだよ」
肩をすくめてみせてから座るように促す兄上に苦笑して、俺は勧められるがままに腰を落ち着けた。
「聞いたよ、アラン。なんでも一匹、仔猫を拾ってきたらしいじゃないか」
「仔猫、ね……。そんな単純に愛でられるような性質ではないと思うが……」
「ほう? じゃじゃ馬なのかい?」
「いや、そうじゃない。あの子の境遇についての報告書は渡してあったと思うが?」
そこまで言えば、兄上は数枚の報告書を手に取ってひらひらと振ってみせた。
「境遇については読ませてもらったよ。なるほど、確かに可哀想な境遇じゃあないか。長年に渡る徹底した虐待と冷遇。『隷属の首輪』を用いた非道な手口。ともすれば、即座に自死を選んでもおかしくはないというお前の見解についても納得する」
――けれど、と兄上は為政者としての表情に切り替えてこちらを射抜くように見据えた。
「確かに美談としては上々かもしれない。だが、お前はこの国で王位継承権第二位の男だ。この程度の不幸にいちいち手を差し伸べる程、お前は甘くない。そうだろう?」
――やはりそうきたか。
そんな事を思いつつ兄上を見つめる。
――――先王である父上が亡くなって以来、王位について五年、だったか。
俺と五つしか変わらない兄上だが、俺とは全く違う存在――王者としての格というものを昔から兼ね備えている存在だ。
兄上曰く俺にもその素養はあるそうだが、俺は兄上を尊敬しているし、王になるのは兄上であるべきだとも思っていたので、あっさりと王位継承権を破棄させてもらった。
後継者争いで兄上と疎遠になるのが嫌だった――なんていう甘っちょろい理由ではない。
単純に、優しい兄上ではあるが、王位を手にする為ならば躊躇う事なく俺を殺せる、そんな存在であると誰よりも理解しているのが、他でもない俺自身だったから、だ。
五年前――当時二十二才と未だ若かったが、父上の崩御により戴冠された兄上が、最初に手をつけたのが、今回のフィンガル王国が絡んだ人身売買と麻薬に関する一連の騒動だ。
二十年程前――つまりは俺が生まれる前から始まっていた、根が深い事件。
当初は足がかりもないまま宙に浮いていた一連の事件を、たった五年で解決に辿り着けたのは、兄上があくまでも冷徹に動いてきたからに他ならない。
おとり捜査、関係者の拷問、関連貴族の粛清。
苛烈過ぎると声をあげた貴族らを黙らせ、抑えつけてきた敏腕ぶりもあって、今では兄上にくだらない真似をする貴族すらいなくなっている。
少なくとも、温厚であった父上には同じ真似をしろと言われても不可能だ。
そしてそれは、俺が王となったとしてもそうだろう。
――――そんな兄上に隠し事ができるとは思っておらず。
俺は諦めて口を開いた。
「――あの娘は、精霊に愛されています」
その一言に、兄上の切れ長の目は眇められた。
「――精霊に、ねぇ」
「えぇ。俺の眼で視たので、間違いはないでしょう」
先程までの気安さを保った物言いとは一転、同じ王族であり、赤竜騎士団の団長として告げた俺の言葉は、終始表情を崩さない兄上を以てしても、その動揺を隠しきれないようだった。
「仔猫の可愛さにやられて嘘を吐いている、なんて真似をするお前ではないか。お前が言うのなら、間違いはないのだろうね。――はあ、やれやれ。その真実を知ってしまうと、この報告書は実に頭が痛くなるな。よりにもよって、“精霊の愛し子”を苦しめるとは」
そう、あの子は――ルナは、精霊に愛される存在なのだ。
あの子を見捨てられなかったのは境遇に対する同情も大きいが、それ以上にもっと大きな理由がそこにはあった。
――“精霊の愛し子”。
それは数十年に一人、生まれるか生まれないかといった頻度で現れる存在だ。
本人には決して強大な力や特別な力がある訳ではない。
だが、精霊に愛される特殊な魔力を持っているそうで、精霊が愛し子の思いを汲み、行動してしまうのだ。
分かりやすい事例は、今から三百年程前。“精霊の愛し子”を介して精霊を操ろうと、その存在を秘匿して監禁した愚か者のせいで、国一つが洪水に呑まれた事がある程だ。
それぐらい“精霊の愛し子”という存在は、厄介な存在だ。
大きな災害を引き起こさない為にも。
「しかし、不思議だね。仔猫の境遇を考えるに、精霊が暴走してもおかしくない程度には酷い環境じゃないか?」
「恐らくですが、本人がそこまで世界を恨む程の感情を持っていないから、ではないかと」
「は……?」
兄上にしては珍しいぐらいに間の抜けた反応である。
そんな姿に王と臣下という立場で話し続けるのは無理だと判断して、俺もまた一つため息を吐いて意識を切り替えた。
「あの子は――ルナって言うんだが、ルナはどうにも感情というものが希薄なようなんだ。恨み辛みを吐露するでもなく、ただただ淡々と自分の来歴を語り、死刑さえ受け入れる程度に自我を持っていなくてな」
「……なんだい、それは?」
……ま、普通はそうなるよな。
「引き取られたのは五歳ぐらいの頃だという話だが、普通はそこまでに自我は形成されるし、世界を恨んでもおかしくはない。なのに、ルナにはそれがないんだ。生来の気質なのか、それとも他の何かが関係しているかは分からん」
「……育て方次第で生粋の暗殺者にでもなりかねないね」
それについては俺も同意する。
まぁ、そんな役割を押し付けようものなら、精霊の怒りを買う事になりそうだが。
「そんな子を野放しにして、更に何かに巻き込まれてみろ。今度こそ精霊の怒りが爆発するかもしれない。だったらこっちで引き取って、人並みの幸せを与えてやるべきだと判断した。だから連れ帰ったんだ」
「なるほどね。だったら“聖女”にでもするかい?」
「聖女至上主義者共に売り渡せ、と?」
教会とはすなわち、創世教だ。
奴らは“精霊の愛し子”と思しき少女を強引に教会の手の中へと引き取り、“聖女”に祭り上げて育て上げる事で様々な国で発言力を有している。
もしも“聖女”という存在がただの偶像として作り上げられる代物であったのなら、どこの国も大して相手にする必要はなかったかもしれない。しかし、『“精霊の愛し子”である可能性がある者』を盾にしている以上、どこの国も真似をする訳にもいかないため、放ってはおけない。
そうして築いてきた地位は盤石で、今では世界最大勢力と言っても過言ではないだろう。
とは言え、我がアヴァロニアでは奴らの権威も抑えられている。
アヴァロニアが精霊と唯一接触できる国であるおかげで聖地としている上に、『英雄王』と神の御使いとされる『精霊王』が対等な盟約もあり、創世教も必要以上に踏み込んで来ないからな。
「冗談だ、そう怒るな。そもそも、お前の話を聞く限り、仔猫は“聖女”にはなれないだろうさ」
それはそうだろう。
“聖女”になるには物心つく前から引き取り、自我が形成される前から教育を施していく必要がある。教会によって育てられた”聖女”は、大抵が己がやっている事が正しいと思い込み、世界を平和にする為になんていう大義名分で綺麗事ばかりを口にするもんだ。
……ルナにそんな夢見る少女なんて役は無理だろう。
魔物の狼にナイフを突き立てる“聖女”なんて聞いた事もない。
返り血に染まりながら「毛皮と肉がダメになるから血抜きを手伝ってほしい」とレイルが頼まれたと聞いた時は、さすがに驚いたものだ。
「まぁ、いいだろう。せいぜい獅子身中の虫にならないようにしてくれよ?」
「あぁ、分かっているさ」




