1-9 微かな変化
魔物の身体というものは従来の獣とそう差異はないようです。
血抜きが落ち着き、せっかくなので本で得た知識を基に解体作業をしていたのですが、特に滞りなく解体作業は終了しました。
解体を手伝っていただけると申し出てくれた騎士様には申し訳ありませんが、せっかく本で得た知識を実践する場です。私が血抜きした一匹については私一人でやらせていただきました。
「無表情で淡々とやりながらまじまじと色々観察するの、ちょっと怖いです……!」
「……否定はできないのよね……。ルナさん、終わったかしら?」
声がして振り返ると、そこには先程魔物に襲われた侍女の方がマリア様に連れられてこちらにやって来ていたようでした。
「はい、終わりました」
「そう、みたいですね……。とりあえず、アリサ様が護衛してくださるという事ですので、近くの川で水浴びして血を流してきてください。替えの服はこの子が持っていきますので」
「あ、オレリアです! ルナちゃん、さっきはありがとう!」
オレリア様は焦げ茶色の長い髪を肩口で結いている方で、そばかすのある明るい方のようです。くりっとした丸い目と纏う空気が、どうにも小動物っぽく見えます。図鑑で見た子栗鼠を彷彿とさせますね。
子栗鼠は食用ではなかったなぁと考えて、ふと気付きました。
そういえば、魔物一匹程度では私の方に回ってくるお肉は少なくなってしまうのでしょうか……?
いえ、本で得た知識には料理本もありましたし、そちらを試すという大義名分が私にはあります。お肉は必要なのです。
「あ、あの、ルナちゃん……?」
「すみません、少々考え事を。お気になさらず。たまたまロープが目についたので、昔猟師の方に教わった投げ縄を実践しただけですので」
「それでも助けてもらったのは事実だからね! ありがと、ルナちゃん!」
にこやかにお礼を告げてくれていますが、どうにも少し腰が引けているように見えます。
私を殴りつけてきていた方々も、たまに私の目を見てこんな感じになっている事もありましたが、オレリア様が見ているのは……。
「ルナさん、水浴びしてきてください。さすがにその格好は……」
「はい?」
マリア様に言われて、私は自分の今の服の状況を見てみました。
紺色を主とした侍女服は血で赤黒く染まり、手には血が滴っている短剣。
手も血がついて真っ赤です。
ふむ、汚れてしまっていますね。
汚れた服で紅茶を用意するのは失礼でしょう。
「そうですね、行ってきます」
「アリサ様があそこにいますので、あちらへ」
促された先に目を向けると、アリサ様が苦笑してこちらを手招きしてきました。
オレリア様と一緒になってアリサ様の下へと向かうと、アリサ様はさらに笑顔を引き攣らせました。
「うわぁ、血だらけね……。ほら、早く行って綺麗にしましょ」
短く告げられて、私はアリサ様に連れられて森の中へと足を進めました。
「聞いたわよ、ルナ。魔物仕留めたんだって?」
「はい。真っ直ぐ飛び掛かってくるだけでしたので、あれなら誰でもできるかと」
「はあ……。あのね、ルナ。普通、魔物がいきなり飛び掛かってきたら恐怖とかが先に勝って動けなくなったりするものなのよ。今回は無事だったし、個で見れば大して強い魔物じゃなかったからいいけど、他の魔物が相手だったら死ぬかもしれないのよ?」
「確かに牙は鋭かったですね」
「……えぇと、そうね……、うん。まぁ、無理だと思ったら逃げなさい。命を懸けて戦わなきゃいけない、って程ではなかったんだから」
「かしこまりました」
普通は、死というものは忌避すべきものなのでしょう。
それはなんとなく理解しています。
理解はしていますが、「絶対に回避しなくては」とも思わない私は、やはり他人から見ても“壊れている”のでしょう。
王女様とその取り巻きが私を殴り、蹴り、時には鞭を振るってきた時。
私は痛みよりも先に、「これで死ねば自由になれるのでしょうか」という疑問が先立っていました。
「で、でも、ルナちゃんのおかげで私は助かったよ! 安心したら転んでぶつけた足が痛かったけど、大きな怪我はなかったし!」
「痛い、ですか?」
それがどういうものだったのかと僅かに逡巡して、思い出しました。
王女様に買われたばかりの頃、だったと思います。
殴られ、蹴られ、私が泣き叫べば愉悦に浸り、黙ったまま耐えれば癇癪を起こす。
だからこそ、私はそれを受け入れるようになりました。
痛みというものは慣れるものです。拒絶しようと痛みを意識していては痛みも続きますが、痛みを受け入れようと思えば、段々と麻痺していくのです。
痛みに慣れた頃から、私はただただ疑問を、質問をぶつけ続けるようになりました。
――これは何のためにやっているのですか、楽しいのですか、そうですか、と。
そうして日々を過ごす内に、私は殴られても、ただただ痛みを受け入れ、終わるまで真っ直ぐ相手を見つめ、「終わりましたか?」と問いかけるようになりました。
そうした結果、「気味が悪い。“壊れている”」と言い捨てて去っていく事が増え、肉体的な攻撃は減ったものです。
ぼんやりとした毎日を送っていたせいで曖昧ですが、「痛い」というものがどういったものだったかさえ忘れてしまいました。
「ん? あ、今は大丈夫だよ! ふふふ、心配してくれたの? ありがとう!」
「……いえ」
心配、というのがいまいちよく判りませんが、なんとなく訊ねると面倒臭そ……ゴホン。本人が笑顔なので、放っておけばいいでしょう。
「ほら、着いたわよ」
私達の会話も一段落したところで、私達は目的地である川へと到着しました。
「あぁ、戻ってきたのか……って、どうした? 二人揃ってそんなに疲れた顔をして」
「た、ただいま戻りました……! えっと、その……」
「……ちょっとルナの恥じらいの無さとか躊躇の無さとか、色々と再認識させられただけですので……」
「……そ、そうか。まぁいい、昼食の準備もできたようだから、食事にしよう」
何やら疲れた様子のアリサ様とオレリア様に、引き攣った笑みを浮かべてアラン様が昼食の準備ができたと教えてくれました。
私が捌いた魔物はやはり夕食に使われる事になるようで、お肉は干し肉だけ。それと温かなスープに、焼き固めたパンが振る舞われました。
「さすがに外の飯は味気ねぇし物足りねぇんだよなぁ。よう、足りるか、嬢ちゃん?」
「むしろ多いぐらいですので、よろしければ干し肉とパンはどうぞ」
レイル様が声をかけてきました。
とは言っても、私が普段食べていたものに比べれば遥かに量も質も上回っていますので、食べ切れそうにありませんし、同意できませんね。
お勧めすると、レイル様は困ったように頬を掻きました。
「あー、その、なんだ……。そういう訳じゃねぇんだけどよ……ん、そうだな。んじゃ、遠慮なくいただくぞ?」
「はい。このスープだけでも限界です」
「食が細ぇんだな。もうちょい人並みに食えるようになった方がいいぜ?」
「そうですか? 以前はこのスープ半分ぐらいが一日の食事だった日もありますので、むしろ量が増えたと思っていましたが」
「……ま、そうだろうな……」
イオ様やアリサ様、アラン様もよく食べますし、きっと騎士様はお腹が空くのでしょう。
王女様も何かと鮮やかなお菓子等をよく食べていましたが、その分まるまるとしていましたので、食べ過ぎの部類だと思いますが。
「嬢ちゃんは、狩りをした事があったのか?」
「未遂なら、ですね。本に書いてあった対処法を実践しているだけですので、実際に狩りをしたのは初めてです」
「未遂ってどんなんだ……? まぁいいか。生き物を殺して、大丈夫か?」
「大丈夫、とはどういう意味ですか?」
「あー……、まぁ、そうなっちまうか……。つくづく、フィンガルは滅びて正解だったな」
干し肉を噛み切って、空を眺めながらレイル様が続けました。
「生き物を殺す時、人は大なり小なり動じるんだ。初めてなのに何も感じない、なんてのは有り得ねぇんだ。まぁもっとも、興奮して病みつきになっちまうようなヤツもいるが、大抵は尾を引くもんだ」
「……それが、“普通”なのですね」
「……ま、そうだな。嬢ちゃんの過去は俺もある程度聞いてっから、分かるけどな。でもまぁ、そういうもんだって知っておいてくれや。嬢ちゃんはまだ知らねぇ事の方が多すぎて、色々と大変だろうけどよ」
――飯時にそんな話して悪かったな、と。
それだけ告げて、レイル様は私から離れていきました。
レイル様の言葉は、きっと正鵠を射たものなのでしょう。
――私は壊れていて、普通を知らない。
そんな壊れている私を――奴隷として王女様の下で飼われていた私をアラン様やイオ様、アリサ様が連れ出した。
それを選んだのは皆様です。ですが、ただついて来る事を選んだのは、私です。
きっとこのままでいるのは私にとっても楽なのでしょうが、それではきっと、アラン様やイオ様、アリサ様はもちろん、私に接してくれているマリア様やレイル様にとって、望んだ結果ではなく。
流されるままにそれを受け入れましたが……きっとこのまま流されているだけでは、ダメなのでしょう。
「……変われる、のでしょうか」
誰に問いかけるでもないその言葉に返ってきたのは、吹き抜けた風が木々の枝葉を揺らす音だけでした。
本日はここまでとなります。
お読みくださりありがとうございます。




