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拘束する病

いつも思うのです。

「もしも」私が千良子ちよこ先輩のように明るく、前向きで可愛かったら…私はとっくの昔に上野さんに話しかけていたことだろうと。

「もしも」の私は、上野さんの指定席の後ろに座って、彼が叩くキーボードの音を聞きながら大好きな恋愛小説のページをめくるのです。パタパタパタ…ペラペラぺラ…

冬休みの図書室は、人気がなくて、きっと私はカウンターに座ってなくても大丈夫で、二人の奏でる音だけが静寂を彩るのです。

そして打ち合わせもなく、その演奏は終わりを告げて上野さんはぐーっと身体を伸ばします。

それを見て私も同じように身体を伸ばすと、彼はPCの見過ぎで少し赤くなった目をこすりながらこちらを振り返り「そろそろ行こうか?」と問いかけるのです。

「もしも」の私は「はい」と頷き、図書室を閉める作業をはじめます。その間に上野さんも片づけを始めてまるで図ったかのように私たちは図書館を出るのです。

そうしてスコティッシュまでの道のりを今日のお互いの進捗情報を伝えながら歩くのです。

私は楽しくなりすぎて、思わず今日読んだ恋愛小説の素敵だった部分を熱く話してしまい…はっとして恥ずかしくなるのを上野さんはちょっと笑いながら「続きはどうなるの?」と聞いてくれて、私は言うのです。


ー二人は鎖で繋がれたようにずっと隣にいるんです。

 どんな時も離れることはなく、それはとても幸せで、二人の世界は二人で満ちるのですー




「…さん?…硝子しょうこさん?」


「あ、は、はい!!」


「大丈夫?ぼーっとしていたみたいだけれど、どこか具合でも悪いの?」


「いえ、あの少し考え事をしてしまって…大丈夫です。申し訳ありません。」


私は職員さんに声をかけられて初めて自分が配架するはずの本を抱きしめたまま通路で空想に浸っていたことに気が付きました。

いけません。職務怠慢です。こんな姿を上野さんに見られるわけにはいきません。

…?そこで私はもう一つ、気が付きました。私は上野さんの後姿を見ながら「もしも」を考えていたのにいつもの席には上野さんの姿もPCも見えないのです。まだスコティッシュにむかうには2時間以上あるのにどうしたのでしょうか?

少なくとも、なにか事件があったわけではないのは分かるのですが、自分がぼーっとしていて上野さんの動きを見逃していたことに私はとても悔しくなります。


「硝子さんは本当に真面目ね、少し気を楽にしていいのよ?

ところで、このプリントなんだけど…そこの机に置き去りになっていたの、カウンターで預かっていてくれないかしら?」


「あ、は…!?」


私はそのプリントに手を伸ばした瞬間にそれが上野さんのものだと気が付きました。

私には分からないプログラミング言語の羅列、少し癖のあるローマ字の書きかた…ずっと通り過ぎるたびに見つめてきたものです。そしてその余白に書かれた文字に身体が震えました。

書きなぐられた「脳梗塞の疑い」「私立病院」そして電話番号と思われる数字の羅列…プリントを受け取った私の手は震えだし、その後職員さんと交わした言葉は覚えていません。


私はプリントと、朝手にした黒いマフラーを持って駆けだしました。


上野さんは忘れ物をしたことがありません。

上野さんは落書きをしたことがありません。

きっと上野さんの周辺の誰かになにかがあったのだと私は察しました。

だから、きっとむかうとしたら病院…感でしかないのに、不思議な確信があって、病院に行くとしたら電車に乗るしかないと、大学名のついた駅に向かう生徒だけが知っている道を急ぎます。


もしかしたら思い過ごし、考え過ぎなのかもしれない。

それならそれでかまわないのです。

良かったですと言って手渡せれば安心できるんです。

やらなかった自己嫌悪に苦しむのは…もうイヤだから。

なにができるわけでもない。

もし私の予想が正しいならば…かける言葉も思いつかない。

そんな状態でこのプリントなんて必要ないだろうけれど…もしかしたらもう上野さんがいつもの窓際の席に来なくなるような予感がして…私のことなんて不審者に思われてもかまわないから…

届けなくちゃいけない。


あまり走らない私からしたら、息がひどく耳障りなほどに乱れる程度に走りぬいて、駅のホームのベンチの端にPCの入ったカバンを抱えたままうつむく上野さんの姿を見つけ安堵と共に駆け寄りました。


「…っ?…君は…図書室の…」


声をかける前に色を失った瞳が私をとらえました。

慌ただしく来てしまったので、姿はぼさぼさ、息も整っていないので見られたくはありませんが仕方がありません。

私は、クリアファイルにいれたプリントをすっと差し出しました。


「…あ、あの、これ…お忘れになっていて…」


「えっ…あぁ、すいません…わざわざありがとう……こんなの捨ててもよかったのに…」


「よくないです!だって…だって毎日一生懸命このプログラム考えていたじゃないですか!!

なのに…その中の一つでも捨てていいものなんてないんです」


思わず上ずる声に上野さんの目が呆気にとられたように大きくなりました。

だって私はずっと見てきたんです。頭を抱えながらずっとPCとこのプリントと向かい合ってきた姿を。

だから例えプログラミングのことがよくわからなくてもこの文字の羅列がここまで進んだことがすごいことだって、分かるんです。


「捨てても…いいなんて…言わないでくださぃ…」


ーまもなく、上り列車が入りますー


アナウンスの後に風が吹き、電車がホームへと入ってきました。

上野さんはうつむいたままなにも口にせず、微動だにしません。

何人かの人が電車から降りて、何人かが乗っていきます。


ー上り列車が発車いたします。ドアが閉まります。-


「!?あの、電車…乗らないと!?」


焦って電車に乗ろうとした私の手を彼がぐっと掴みました。

そして、発車していく電車をしり目に…私は上野さんが泣いていることに気が付いたのです。

色のない瞳に透明な水たまりがあふれ出しているのです。


「…父さんが…倒れて…脳梗塞かもしれないって…電話きて…」


「なら、なおさら…」


「…早くいかなくちゃいけないのに…どこかで…やっと…やっとこの生活から解放されるかもしれないって…

期待している…自分がいるんだ…それがたまらなく怖くて…」


駄々をこねる子どものようにやだやだと首を振る姿。

私は…気が付きました。

正と負の感情の中で苦しむ上野さんを私が救ってあげなくちゃいけない。

彼はずっと拘束されてきたのだ。

解放されるかもしれないという期待と不安にコンフリクトされるのならば…

ならば…私がまた拘束してあげればきっと楽になる…。

そう上野さんをとどめなくちゃならない…変わらないニチジョウに。


だから私は手にしたままの黒いマフラーで、彼の細い首を包み込みます。

少し苦しいかもしれないけれど、動けないように、動かないように、彼の気持ちが、心が。


「…大丈夫です…大丈夫。なにがあっても…私があなたを掴んでいます…ずっとずっと掴んでいますから…」


固く結んだマフラーを掴む手が、寒さでかじかんで、白い吐息と涙が止まらず私たちは何本もの電車を見送り続けました。




女の子が夢からさめると白ヤギさんが男の子の落とし物を届けてくれました。

男の子が落とした大切なものを受け取った女の子は必死になって走りました。

自分を閉じ込める箱に逢いに行こうとしていた男の子を見つけ、なんとか落とし物を手渡すと

男の子は「箱」が怖いとぼろぼろと涙をこぼしました。

女の子は魔法のマフラーを男の子にかけてあげて

ずっとそばにいることを誓いました。


二人は寒さで凍えそうになっても、夜空に星が輝きだしてもずっとそこで泣いていました。


そうしてこれが、女の子と男の子の物語の始まりとなるのでした。

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