上野さんの自己紹介
自分という人間を紹介しろと言われたらこれほど簡単な人間は他にいないんではないだろうかと僕は自分自身を評価している。
上野悠一。
情報福祉大学3年生。専攻は情報処理、プログラミング言語。
趣味、本を読むこと、パソコンをいじること。
好き食べ物はリンゴ。
嫌いな食べ物は目玉焼き。
身長、体重共に平均を10ほど下回っていて、ついでに視力も悪く眼鏡をかけている。
男らしいという言葉とは真逆に位置しているけれど、別に男らしくなりたいと思ったこともないので特に問題はない。
大学3年生ではあるけれど、卒業に必要な講義のほとんどをとり終った現在は、図書館と近くにある喫茶店スコティッシュを巡って一日を過ごしている。
両親が勉学に非常に熱心なため、卒業まではアルバイトをしなくてもいいようにしてくれているのだが、だからといって悠々自適に過ごしていいわけではない。僕は学べる限りの講義を受講しそれぞれで最善をつくしてみせなくてはならない。
本当ならば本を買って部屋に積みたいところを図書館に通うことで節約し、唯一の贅沢がスコティッシュでのアップルココアを飲むこと。
…正確にいえば、勉学に熱心すぎる両親の監視の目が厳しく、サークルや飲みなんてものは世界の裏側でバイトという名の’社会勉強’すら勉学にさしつかえると禁じられ、多くの学生が行っているようなファミレスは遊びの場とされていて、唯一経営者のおじいさんに両親ともに非常にお世話になったということからスコティッシュに行くことだけは許されている。
そんな僕のことを、学友たちは「可哀想」だと評価する。
でも、僕はそれでもなにも不足はしないし窮屈だと思ったことはない。
本と相棒のパソコンがあれば僕の世界は十分満たされている。
だから僕は断じて「可哀想」ではないのだ。
進路希望というか将来の夢としては自分の会社を持つこと…そう、夢は大きいけれど、とっかかりも見えず実現できなそうな夢に押しつぶされそうになりながら毎日を過ごしている。3年も終わりにもなってくると周囲は就活のムードに流されて、最近とても息苦しい。
僕はあまり誰かの下で働いたり、チームプレイを求められることに向いているとはいえない。
実際、キャリアセンター主催の進路相談の場でも、グループディスカッションのはずが一人言葉に詰まってしまって端の方でとりあえず頷くことしかできなかった。
自分は恐らく共同作業というものが求められる会社勤めにはむいていない。こんな自分がいたら誰かの迷惑になる。それはプライドが許さない。だからこそ自力でなんとかしたいのであって、だからこそ自分の責任にすべてがなる社長を目指している。
…同時にそこまでの技量に達していないことも気が付いてしまっている。
だから、せめてもにがむしゃらに、しがみつくように片っ端からプログラミングの本を読んでは、自分で試して、なにか新たなものを作り上げられないかと模索している。
今のところ…成果はゼロに等しいけれど。
でもどんな優秀な技術者だって、経営者だって初めから恵まれていたわけではない。その事実を知るたびに僕は夢を諦めずにいられる。ガレージからでも社長になれるのなら、僕は恵まれたスタートをきっているとさえ思える。だから僕は夢を夢で終わらせるつもりはない。
講義が終わり冬休みになった今となっては、少ない同志も故郷へと帰っていったため、人との接触は皆無に等しい。
因みに僕はもちろん実家通いで帰省の予定はない。
よって年末年始なんてものは何も変わらない、通常の日々でしかないのだ。
だから、今日も変わらずに大学にある図書館への道を歩いている。
「…昨日のパイ…美味しかったな。」
少しだけ変化があった。
昨日、行きつけのスコティッシュの店員さんと新商品の試食をさせてもらった。
僕の大好きなリンゴ味のパイはとろける甘さに、少しだけキャラメルの焦げたほろ苦さを感じさせてとても美味しかった。僕は語彙力が少ないから、正直うまく食レポができたとは思えないけれど…新作の試食なんてありがたいことをさせてもらえたことがすごく嬉しかった。
あまりに嬉しかったから本当にレポート方式にまとめてきてしまったんだけど…まぁ、これを渡すことはさすがにないだろう。渡したとしても店員さんが困ってしまうに決まっている。
店員さん…しょこらさんは凛としていて、すごく上品な人だと思っていたけれど、改めて話してみると名前に記されているような子猫の様な可愛らしさがあった。
店員と客だとしても僕があんなに女性と話したのは久しぶりだった。
だから、なんとなく今日はいつもより足取りが軽かった。
だからだろうか…胸の中に何とも言えない感覚がうずいているのは。
全く同じ繰り返しの日々に、少しのシュガー。
…僕だって、たまにはそういうものに浮かれてみたい年頃だったんだなっと、自分でも笑ってしまうけれど年相応の願望というか、興味は失っていなかったことに安心もしていた。
だが、そんなものは幻想にすぎないことも理解している。
恋とか愛とか誰が誰と付き合ったとか…そういうことは僕は精神疾患の一部だと思っている。
そう、勉学をおろそかにしかねない厄介な病なのだ。
だから僕がそんな病に落ちるはずはない。
熱した気持ちは、吐きだす息が白くなるたびに冷やしていく。
きっとこの気持ちは、あの美味しいパイをまた食べたいという思いがこらえきれていないのだろう。
店員さんにはともかく…店長のおじいさんにはこのレポートを渡すべきかもしれない。
そんなことを考えながら、今日もいつもと同じ一人用の席の窓際に座る。
パソコンをセットして今日読む本を持ってくる途中、いつもの図書員さんを見かけた。
…年末なのに帰っていないんだな。
そんな思いで見ていたら一瞬、目があった気がしたので会釈だけしておく。
年の瀬と新年とせわしなく動いていく世界の中で、僕の変わらない日常の中に変わらないものが増えた気がして少しだけ嬉しかった。話すわけでもなんでもないけれど、勝手に同じ気持ちを分かち合えたような気がして、この距離感が僕にとっては心地いい。
ここは確実に誰にも阻害されない僕の居場所だ。
日常を噛みしめて、僕は今日も変わらぬ時間を過ごしていく。
これが僕、上野悠一のすべて。




