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変わらないニチジョウ

集中講義を終えて、私の通う大学は冬休みに入った。

けれど年明けの国家資格やテストに備えて、帰省していない学生の多くは図書館へと足を運んでくる。

勿論、司書課程で学んでいる私はバイトと実践として今日もカウンターで貸出業務を行っています。

大学に来るときは、長い髪を一つの三つ編みにして、眼鏡をかけて、飾り気のない服に袖を通したチョコレートの魔法にかかっていない本田硝子ほんだしょうこのまま。

幸い、図書館はノートにペンを走らせる音とキーボードをたたく音しかしないので私にとってはとても落ち着いて過ごすことができます。

返却された本を本棚に返しに行こうと席を立って館内を歩いていると、窓際の一人用の席にいつものパソコンを持った彼の姿を見つけます。


「…こんにちは…。」


気が付かれないように、小さく口の中で呟く言葉はもれることはなく…私は本を抱えたまま彼の横を通り過ぎていきます。彼が私に視線を向けることももちろんありません。

いささか…胸が痛みますが、これでいいのです。これが本田硝子の精一杯なんです。

多くを望んではいけません。同じ空間にいられる。今日も姿を見ることができたことに感謝すべきなのです…そう言い聞かせないと、何かがあふれてしまいそうになります。

私はこの感情の名前を知りませんでした。

ただただ、苦しい。混沌とした気持ち…悩んである時、千良子先輩に相談をしました。

先輩は一瞬驚いたように猫のように目をまん丸くして、でもすぐに天使のように微笑みながら私に耳打ちをしてくれました。

とても優しい声で、魔法の呪文を呟くように…。


ー硝子ちゃん、それはね、その人のことが好きってことだよ。

 硝子ちゃんはその人に恋しているんだね!-


恋…それはそれまでの人生で感じたことのない感情。

概念としてはもちろん理解していて、そうしたものが世界を作り上げてきたことも知っている。

でも、私は恋というものがどんなものなのか本質を知らなかった。

例えばそれまでの学生時代、周囲の女の子たちがバレンタインを前にこそこそ話をしている中、私は自分には関係ないものとしてずっと本を読んでいた。彼女たちがなにをそんなに楽し気にはしゃいでいるのかが…私には理解ができなかったのです。


ぎゅっと胸元の本を苦しいくらいに握りしめる。

ここのところ私は恋愛小説ばかりを読んでいます。

恋をしている女の子はみんなキラキラに輝いていて、可憐でまっすぐで、好きな人のために一生懸命で…そんな彼女たちに私は憧れてしまうのです。

だってそうでしょう?

彼女たちは’必ず’その絶え間ない努力から大好きな人と心を通わせるのですから。

本のページをめくるたびに、私はもっと頑張らなくちゃいけないと思うのです。


カウンターへと戻ると私は時計に目を移します。

17時45分…音を立てずに時計は正確に律義に時を刻みます。

もうすぐ私の後のシフトの子と交代の時間です。

終わったらすぐに図書館の入り口にむかわないと行けません。

きっともう千良子先輩が待っていてくれているはずです。

私は、一度先輩のアパートにお邪魔します。すると先輩は私に内緒でチョコレートの魔法をかけてくれるのです。

三つ編みのゴムを外してくれて、ちょっと地味な服にはフリルのついたスカートを貸してくれて、血色の悪い私の頬に、魔法のパウダーをはたいてくれて…甘い香りの香水を一吹き。

そうして最後に私の眼鏡をはずしてくれながら、とっておきの笑顔で言うのです。


「やっぱり、しょこらちゃんは高貴で綺麗なネコさんメイドにぴったり。」


その言葉が恥ずかしくていつもうつむいてしまう私ですが、本当はその言葉を発している時の千良子先輩の恍惚とした表情にどきどきしている自分もいるのです。

きっとこんな先輩の表情を知っているのが私だけだと思うと、私の日常はちょっとずつトクベツへと変わるのです。

千良子先輩のうるんだ瞳に映る自分は、まるで本当に自分ではないみたいで…私はその瞬間が待ち遠しくて仕方ありません。


「硝子ちゃんがしょこらちゃんなのは私たち二人だけの秘密だからね。

 みんなにはまだ秘密。今だけは私だけのしょこらちゃんになって…。

 こんなに可愛い硝子ちゃんを他の人にとられたら私、泣いちゃうから!!」


言われなくてもそのつもりだし、きっと誰も私がしょこらなんて思いません。

心配なんかしなくても、私は先輩の魔法がなければいつまでも雑種の猫のまま。



私はそわそわしながらもう一度時計を見ます。

…あと少し、あと少し…はやる気持ちと共に、鼓動が秒針を追い抜いていきます。

それと同時に彼がパソコンを片づけ始めるのも見えます。

さっき借りたばかりの本を鞄に詰めて、勉強熱心な彼は残りの作業をきっとスコティッシュで行おうとしているのでしょう。

彼は気が付いていないけれど、私と彼は一日の大半の時間を同じ空間で過ごすようになっているのです。

これは、私だけが知っているとてもとても幸せな事実。


「本田さん、お疲れ様今日はもうあがっていいわよ。それからシフトだけど…ご実家遠いのよね?

 私たちとしては、年末年始も手伝ってくれるのは嬉しいけれど、無理しなくていいのよ?」


「…お疲れ様です。あの、私の実家…弟が受験生で…あまりジャマできないので…

 その、とにかく、大丈夫なんです。シフト…入らせてください!」


「そうなの?うーん、じゃぁお願いしちゃうけれど無理はしないでね。

 とりあえず今日は気を付けて帰ってね。」


「…はぃ。」


図書館の職員さんとの会話が終わり、私は読みかけていた恋愛小説を三毛猫のシルエットの描かれた手提げ袋に詰め込む。

本当は実家に弟なんていない。ただ…帰ったとしてもなにも楽しいことなんてない。

私がいてもいなくても、あの空間はなにも変わらないし、私になにかを与えてもくれない。

なによりも実家に戻ればせっかくできた彼とのこの時間もなくなってしまう。

それだけは我慢できません。

仮に彼が来なかったとしても…来るか来ないかを占うような思いすら私をわくわくさせて苦しくさせるのです。

私はやっと自分に芽吹いた恋に精一杯でいたいのです。


「…言えました。ちゃんと、自分の気持ち…。」


シフトに入りたい。

たったこれだけのことでも、しっかりと言えたのはやはり先輩と出逢って少しだけ変わった部分。

少しだけ前向きに硝子わたしもなれているって信じたい。

早足で向かった玄関では先輩がピコピコと可愛らしく手を振ってくれていて…私はそこに駆けていって

魔法の時間のはじまりはじまり。





女の子と猫の妖精はすぐに仲良しになりました。

猫の妖精は、秘密のお部屋に女の子を連れて行って、女の子が知らない魔法をたくさんたくさん見せて女の子を喜ばせました。

女の子は早く猫の妖精に逢いたくて仕方がありません。

猫の妖精は女の子にたくさんの気持ちを教えてあげる代わりに一つだけ約束を交わしました。

「私が魔法をかけてあげたことはナイショだよ。」

女の子は二つ返事で答えました。

秘密をどこまで守れるか…猫の妖精はこっそり女の子を観察しています。

女の子はそんなこととも知らずに、今日も魔法をかけてもらいに猫の妖精の元へとむかうのでした。


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