吸血鬼になった男の話
吸血鬼になんてなるもんじゃない。
まず太陽の光を一生拝めなくなる。
不健康な顔色の割に健康的な生活。陽の光を浴びたら皮膚が灼け爛れ灰になる。
次に水。
呼吸の必要は無いけれど、身体が水に浮かばないのだ。
だからなんだって?
まあ、水に入らなきゃならない事態自体はあまりないけれど。
一度ハンターに追われて川に飛び込んだときは地獄のようだったよ。
ぬかるむ地面に濁った視界。濡れた衣服は行動を阻害し、流れは強くて川底はでこぼこ。ハンターに狩られる恐怖と朝日までのタイムリミットで気が気じゃ無かったよ、あのときは。
もう2度と川なんか入るもんかね。
それと、もう話に上げてしまったけれど、ハンターだ。
奴らは、まあ、教会から来ることが多い奴らは、我ら夜の種族を目の敵にしている。
吸血鬼といえば享楽的な気取り屋のイメージがあるかもしれない。まあ、なかにはそういう美食家もいるのかも。
しかし現在吸血鬼として生活している私の実感としては、吸血鬼とは門限の厳しい修行僧のようなものだ。
考えてもみて欲しい。君達がする日ごろの食事を。
気軽に酒場にでも行き、お金を払えば楽しい食事ができるだろう? なんならその場で素敵な出会いがあるかもしれない。
自分で作るにしても市場で適当に買い繕ったものをパパッと調理すればいいだけだろう? せいぜい火を起こすのが手間、というくらいだ。
その点私のような吸血鬼の食事には、大変な労力が掛かる。
牛豚とは違う、会話のできる生き物を相手に生き血を啜らなきゃならんのだ。
生き血だよ?
わかるかね?
殺してお取り置きというわけにはいかないんだよ。
ひとところで摂りすぎると警戒されるから定住できないし、夜しか動けないから役所で移住の手続きとかできないし(なんで夜も受け付けてないのか?)。
その上四六時中殺し屋に狙われている。
まあ、吸血なんてのは人間からしたら迷惑な行為だからね。
元が城持ち領主みたいな一部の勝ち組は別だけど、それはもう、大変な苦労をすることになるよ?
ーーそれでも私の眷属になりたいかい?
石造りの堅牢な部屋、窓から月明かりが差し込む。
浮かび上がる白い肢体。簡単に手折れそうな病的な細さ。
麦穂のような美しい金髪の下で女が邪悪な笑みをニタリと浮かべた。
「それでも…」
俺は望む。
ありきたりな生活は真っ平だ。
真っ当に生きたとしても流行り病に罹ったらあっという間に共同墓地送り。
優しかった姉も、元気に走り回っていた近所のエロガキも、パン屋のおっさんも、みんな一緒くたに街外れの穴に投げ込まれて埋められた。
神の前では皆平等ってわけだ。
俺はそんな人生はゴメンだ。えこひいきしてくれるなら悪魔にだって魂を売るよ。
だから俺はあの女の血のように真っ赤な目を見て頷いた。
「契約は成った」
女の牙が首筋に迫る。
ちょっとした違和感。
ああ、そうだ、呼吸だ、こんなにも近いのに、吐息が首筋に感じられないのだ。
彼女はアンデット。
自分が何になろうとしているのか実感が湧いた。
「ああ、神よ」
呟くと同時に、ぞぶり、と首筋に牙が立った。
◆◆◆
正直、こんなに大変とは思いもしなかった。
あの女、まさかそのままいなくなるとは。
日の出まえに自宅の扉に挟んでおいた髪の毛は、外側に出ていた分だけがキッチリ陽の光に焼かれて消えて無くなっていた。
日中外に出たら俺は物語の怪物のように灰になって消えてしまうのだろう。
万が一の事故を避けるために窓は全部塞いでしまった。
蝋燭の灯りに合わせて自分の影がゆらゆら揺れる。
照明代だってタダじゃない。備蓄も持ってあと3日ほどだろう。喉も渇いてきた。多分俺は血が飲みたいんだ。
まだ耐えられてはいるが、それもいつまで持つかはわからない。
俺はなるべく早いうちにあの戸を開けて、外に“狩り”に行かないといけない。