7 お買い物
「あなたの婚約者?たしかアクス=グレイン子爵様でしたわね?」
次の日の昼過ぎ、同じく家族について都にやってきていたロザリンドと一緒に歴史の勉強をしながら、彼女に昨日のことを報告する。
するとロザリンドは少しの逡巡もなく、その名前を口にした。
「まあすごいわローザ。よくすぐに名前が出てくるわね。」
私はそれまで読んでいた歴史書から顔を上げ、感嘆の声をあげた。
「まあ、そんなのは当然ですわよ。社交界に出ていらっしゃる方々のお名前や、ご関係をしっておくのは淑女のたしなみですもの。とはいえ、グレイン家はお父様がよく話題に出されるから、そうじゃなくても知っておりましたけれどね。」
ロザリンドはこともなげに言いながら、歴史書をめくる。
淑女のたしなみ、と言われ、私は改めて自分の婚約者の名前も知らなかったことを反省する。
「じゃあ、ローザはグレイン子爵様にお会いしたことがおありになるの?どんな方?」
興味津々な私の質問に、ローザは歴史書から目をあげる。
「残念だけれど、お会いしたことはありませんの。よく話題に上るといっても、良いほうじゃございませんのよ。お父様とグレイン侯爵様はなんというか…ライバル関係のようなものなのだもの。あなたの婚約者がグレイン侯爵のご子息だということが、お父様はとにかくお気に召さないご様子だったから、あまりわたくしの知識はお役に立たないのではないかしら。というか、会う前にはお聞きにならないほうが良いと思いますわ!顔を合わせる前から不安になるとよろしくありませんもの。」
殿方って困った物よね、とロザリンドはふふふ、と笑う。
しかしそれを聞いて、そういえばグレイン子爵様はお父様のみならずウェジントン伯父様にもあまり評判がよろしくなかったのだと思い出し、私は若干憂鬱になった。
兄二人はウェジントン伯父様についても同じようなことを言うかもしれないが、やはり誰もが祝福してくれるような方のところへお嫁に行きたい。
かといって、今から侯爵家へ我が家からお断りを入れるわけにもいかないわけで、家族の笑顔がモットーの私としては大変悩ましい案件であった。
「私、グレイン子爵様についてほとんど知らなくて…。お会いする前に少し知っておきたかったのだけれど…。」
肩を落とす私に、ロザリンドは優しく言う。
「まあ、初対面はむこうも同じことですわよ。人の評判って、あてにはならないものですわ。お会いした後、よく知る努力をなさればよろしいのよ。あなたが今すべきことは他にあるのではなくって?」
あやすようなその口調に私が顔を上げると、ロザリンドは前にも見たバラが花開きそうなキラキラした…というか、若干ギラついた笑顔をこちらに向けている。
この笑顔の時の彼女は、何か楽しいことを思いつき、うれしくて仕方がないことが多い。
「ローザ…?」
彼女の笑顔に、思わずたじろいでしまう私には構わず、ロザリンドはすっくと美しい動作で立ち上がると、扇子をバッと開いて叫んだ。
「まったくどうして先に言ってくださらなかったのかしら!竜王国とエディンベニラの戦争について…なんてやってる場合ではなくってよ!ジェニー!ジェニー!」
そこからは早かった。ロザリンドはジェニーを呼びつけ、屋敷にある私のドレスをあーでもない、こうでもないと吟味した後、ドレスに合わせた小物を買いに行くと言って昨日の夜会疲れで朝寝していたためまだ屋敷にのこっていたラフィルお兄様を捕まえて街へ繰り出したのである。
ロザリンドの行動力、恐るべし。
ロザリンドであれば、本来は小物を買うと言っても、屋敷に商人を呼びつければ済む話なのだが、緊張していた私の気分転換も兼ねてくれたのだろう。
都の商店街には、お父様と一度だけ訪れていたのだが、他の用事のついででほとんど見ていなかった私には初めての都でのショッピングと言っていい。
私の心は婚約者のこともわすれて浮き立った。
「いやぁ、たまには寝坊をするものだね、美しいご婦人がたのお供をする名誉を思いがけず授かって、私は幸せ者だよ!」
馬車の中で、若干まだ眠そうなラフィルお兄様が、それでも笑顔で本音なのか建て前なのかわからない文句を口にする。
「ふふふ、お上手ですわね。うちの愚兄にも見習っていただきたいものですわ。でもラフィル様がいらっしゃって本当によろしかったこと。ルミール様では娘三人が並んで歩いているようにしか見えませんもの。ボディガードとしてはいまいち迫力にかけますものね!」
それをうけてほほほ、と笑うロザリンドはたぶんまったくの本音を述べている。
「あれでも弟のほうがボディーガードとしては有能なんだよ…。しかしそうだな、ウェジントン子爵に後でどやされないよう、私も気合を入れていかないといけないね。」
ウェジントン子爵というのはロザリンドの兄で、ロザリンドと伯父とは違い、大変真面目で寡黙な方だ。
たしか、フルネームはキースリンド=ウェジントンだったはず。
彼にはじめてお会いした時の衝撃は今でも忘れられない。
ウェジントン家にも、物静かな方がいたのだと感心したのだ。
それと同時に、あの二人に囲まれて、あんな寡黙さでやっていけるものなのかと心配もしたのだが、物静かなわりに、こうと決めたらがんとして貫き通す頑固さがあるようで、なんだかんだで伯父やロザリンドの押しに負けず、次期侯爵としてあの二人を御しているらしい。
素直にすごいと思う。
そんな中身は家族とあまり似ていない彼ではあるが、見た目はウェジントン伯父様やロザリンドに似て彼も黒髪にターコイズ色の瞳のはっきりとした顔立ちの美丈夫だ。
そんな顔立ちでじっと無言でいるものだから、切れ長で釣り目の瞳は、ウェジントン侯爵とはうってかわってひどく冷たく感じられる。
話してみると優しい方だということがわかるのだが、あまり愛想も無いとあって、顔のわりにご令嬢には遠巻きにされることが多いらしく、それがロザリンドはあまり気に入らないらしい。
とは言え、なんだかんだでお兄さんが大好きらしい彼女は子爵がモテたらモテたで気に入らないに違いない。
未来のウェジントン侯爵夫人はロザリンドのお眼鏡にかなった女性じゃないといけないわけだ。
これはまた、随分と高いハードルである。
子爵ただでさえもてないのに…。
「アリィシャ、あまり馬車の窓に張り付いてはいけないよ。淑女としてはしたないからね。」
ウェジントン子爵の未来を憂いながらも、はじめてのショッピングに浮かれてついつい身を乗り出していた私を、ラフィルお兄様が苦笑しながら制する。
「ご、ごめんなさい。物珍しくてつい…」
自覚が無かった私はあわてて姿勢を正し、目を伏せた。
いけないいけない、浮かれて淑女の心得がすっぽ抜けていた。
森に引きこもって500年、都でのショッピングなんてまったく無縁だったもので、思ったより心が踊っていたようだ。
今なら心の中で完璧にステップを踏める。
残念ながら、現実ではいまだに練習相手のお兄様たちの足を踏んでばかりいるのだが。
「ふふふ、アリィシャはあまりセイルーム城を出たことがありませんでしたものね。せっかくだから今日はいろんなお店をまわりましょうね!」
「私が運べる範囲のお買い物でお願いしますよ、お嬢さんがた…。」
はりきるロザリンドに、ラフィルお兄様はやれやれと言った様子で苦笑いを浮かべる。
お兄様、こう見えて鍛えてらっしゃるから、少しくらい羽目を外しても大丈夫かしら。
私が兄の腕を眺めながらいくつ買い物袋が持てるだろうかと算段をしていると、馬車が止まり、御者が目的地についたことを知らせたのだった。
〇・〇・〇・〇・〇
ショッピングは小物屋に始まり、靴屋、化粧品店、手芸店等、もはや婚約者との顔見せとは関係ないお店までまわり、ラフィルお兄様の両手に荷物があふれた頃、ようやく公園近くのカフェで休憩となった。
「疲れた体に甘い物は本当に良いものでしてね…。」
うっとりと言うロザリンドに、私も首肯で答える。
ああ本当に、このシフォンケーキは最高。
フェリンド家お抱えの料理人も腕はいいのだが、「お嬢様、淑女は体型維持も大事ですよ」とあまり甘い物をたくさんは作ってくれない。
なにより、思いっきり買い物をした達成感と、都で評判のカフェでのお茶というシチュエーションが最高の調味料である。
ラフィルお兄様はそんな私達の様子を、にこにこと見守りながらコーヒーを飲んでいる。
私たちについてまわって荷物持ちまでしてた割には、あまり疲れた様子はない。
最初の算段より少し過ぎて買い物をしてしまったような気がするが、まだまだ余裕といった様子である。
お兄様、妹はあなたを少し甘く見ていたようです。このシフォンケーキのように。
「それにしても、あのリボン素敵でしたわね。最後まで悩んだのですけれど、少し季節がずれているのが残念でしたわ。来年もあの色が流行っていたらもう一度あのお店にお邪魔してみようかしら…。」
「私は星鈴草の香水が好きだったわ。季節にもあっているし、あの香りをかぐと、夜に星鈴草がぼんやり光る景色が思い起こされるのですもの。」
「あら、じゃあお買い求めになればよろしかったのに。」
「まだ香水は早いかと思って…。社交界に出た折には考えてみるわ。」
私とロザリンドは、本日のショッピングを振り返りながら、戦利品や、見つけた小物についての話に花を咲かせる。
「アリィシャは本当にあの花がお好きよね。知っていらっしゃる?春の社交シーズンに、星鈴草を象った小物を女性にプレゼントするのは、あなたを特別に思っていますよ、という意味なのですって。」
ロザリンドが紅茶を片手に、にっこりと笑いながら言う。
「ラフィル様は今シーズン、どなたかにプレゼントなさいませんの?」
当然、妹との会話なのだろうと悠長にしていた兄は、ロザリンドからのいきなりの質問に、飲んでいたコーヒーをふいてむせた。
「まあお兄様、はしたない。」
私はハンカチを兄に渡しながらたしなめる。
さきほどの馬車の中とは逆である。
「そ、そうだね、機会があればぜひにとは思っているよ。」
渡されたハンカチで口元をふきつつ、兄はなんとか笑顔で答えを返す。
しかしその笑顔の端がひきつってみえたのは気のせいでは無いだろう。
「ロザリンド嬢こそ、王太子殿下の婚約者候補に名前があがったとききましたよ。ウェジントン侯爵も鼻が高いことでしょう。」
持ち直したらしい兄が、ロザリンドにあからさまな話題転換を振る。
しかしまだ若干の動揺が残っているのか、なんだか口調がおかしい。
「まあ、まだ候補というだけですわ。それにわたくし、王太子殿下には愚兄を通してお目通りかなったことがあるのですけれど…。どうもあまり好かれていないようなんですのよ。」
ロザリンドはさも憂鬱、といった様子でため息をついて見せた。
王太子殿下についての話は何度かきいたことがあるが、そもそも彼女があまり王太子殿下を歓迎しなかったせいなのでは、ということはぐっと飲み込んでおく。
曰く、できれば王太子妃という大役につくのは御免こうむりたいらしい。
自分で自分の結婚相手を見繕いたいのだ、というのが常々彼女がもらしていることである。
「ロザリンド嬢のような素敵な方が気に入らないとは、王太子殿下は贅沢な方ですね。私のような若輩者には到底真似できません。」
「まあ!ラフィル様は大変社交上手でおもてになるとお父様からお聞きしておりますけれど?できれば我が家の木偶の坊にもぜひその社交術をご教授いただきたいですわ。」
「ははは、侯爵家に木偶の坊とは面白いご冗談ですね。」
私は新たに運ばれてきたイチゴのタルトをゆっくり味わいながら、お兄様とロザリンドの間でポンポンと交わされる会話のキャッチボール…というか、若干ぶつけ合いに近いそれを感心して見守っていた。
森に引きこもってあまり会話らしい会話をしなかった私と、同じく城に引きこもって家族とぐらいしか接してこなかったアリィシャは、少々社交術というものが苦手である。
ロザリンドはこのようにほっとけばいつまでも会話を続けられる少女であるし、ラフィルお兄様は愛想が大変良いので、ロザリンドの言うとおりご令嬢からの人気は高いらしい。
一年後、社交界に出るのであれば、その辺もしっかり学ばなくてはいけないな、と再確認しながら、私はタルトの最後のひとかけらを飲み込んだ。
まずは、二週間後訪れるらしい婚約者と会話を弾ませるところから始めるべきだろう。




