5 月の丘
彼はその日、実に不機嫌だった。
遠征の帰り、供に連れていたウェジントン子爵の領地で兵を休めることとなり、城の手前の村で一度泊ることとなった。
その時点で大分疲れてはいたが、ウェジントン侯爵領には昔からの妖精やら精霊やらの伝承が多い土地柄であったので、子供の頃からそういった伝説が大好きだった彼は非常に楽しみにしていたのだ。
村近くの森を抜けようかという時のことだ。
道脇に留められた荷馬車が目に入ったのだが、荷馬車は素朴な物であるのにその周りを屈強な男が数人で囲んでいたので、少々不振に思い、ウェジントン子爵に言って事情をきいてみたのである。
すると男たちはのらりくらりと質問をかわし、頑として荷馬車の荷物を見せようとしなかったので、身分を明かし、少し強引ではあったが荷馬車の荷を改めようとした。
荷馬車にかかったホロ布を取ろうという時、男たちの一人があせったような面持ちで
「中にはこの辺で悪さをしていた銀の妖魔を封じてあるんだ、下手につついたら封印を解いてしまう」
とわめきだした。
しかしすでに布は取り払われた後で、あせった男がバランスを崩し、荷馬車に倒れこんだことで、上にのっていた籠の一つが落ちてしまった。
まずかったかと思い拾い上げてみると、そこに入っていたのは銀の翅の美しい、小さな妖精だったのだ。
籠には妖精封じの魔法がかけられているようで、どう見ても正当に捕まえられた者では無かった。
小さな頃から一度見てみたいと焦がれていた存在に、高揚する心を抑え「お前が銀の妖魔か?」ときいてみるも、震えるだけで何も答えない。
怯え切ったその様子はどう見ても悪さをする妖魔などには見えなかった。
その間にも荷馬車の荷物を改めたらしいウェジントン子爵が、まずは男たちを拘束しようと提案してきたので籠をひとまず置いて、その相談に応じた。
すると後ろからバチンという破裂音が響いた。
驚いて振り向くと、妖精封じの魔法を無理やりにこじ開け、銀の翅の妖精がフラフラと籠から飛び立つところだった。
しかしその飛び方は頼りなく、一目でほとんどの力を使い切っているであろうことがわかる。
妖精は人間と違ってほとんどが精神体でできている。
魔力を使い切ると消滅してしまうこともあると本で読んだことがあった。
あわてて追いかけ保護しようとしたのだが、追いつき、手を差し伸べたところで妖精は光の粒となり消えてしまったのだ。
せっかく出会った妖精だったのに、自分が追い詰めた形で消滅させてしまった。
そんな思いがここ数日、彼の機嫌を低空飛行させていた。
結局のところ、男たちはウェジントン侯爵領などで、悪さをする妖精への不安をあおり、村人たちに依頼される形で妖精を捕まえ、闇ルートに流すという手口を使う商人たちの手先だということはわかった。
それだけでも怒り心頭物なのだが、残念なことに男たちは末端も末端だったため、
その後妖精をどのようなルートに流すのかも知らないようで、まったくといっていいほど黒幕にたどり着く情報を持っていなかったのである。
竜王国において、国に無許可での妖精狩はれっきとした犯罪である。
生命を脅かされるような危機に瀕している場合は別だが、今回の件は調査させた結果まったくその例外には当てはまらなかったのである。
有能な部下がまとめた報告書を確認しながら、彼の眉間の皺は一段と深くなった。
ウェジントン子爵には彼の父親の侯爵にこのような者たちへの対処を一層厳しくするように言づけるよう言ってはおいたが、彼らとて今まで無策だったわけではないだろう。
このような幻獣狩にどう対処するのかは侯爵領のみならず竜王国にとっても頭の痛い問題であった。
なにより。
頭の中で、あの小さな妖精が怯える顔が脳裏をよぎる。
あれから何度も脳内で再生され、その都度彼は深いため息をもらしていた。
小さくか弱い存在に、あのような顔をさせるのは彼の矜持が許さないのである。
「いい加減その顔をやめてください。隊全体の指揮が下がります。」
新たな報告書を持ってきたらしいウェジントン子爵がいつもの無表情な顔で部屋に入ってくる。
後ろには紅茶を銀のトレーに乗せたメイドも控えていた。
「今は休憩中だ。それにまわりに部下も居ない。」
むすっと答えるとウェジントン子爵はわずかにあきれたような気配を顔ににじませたが、それ以上は何も言わなかった。
メイドも無言でテーブルに茶を並べ始める。
小さい頃から交流があるこの子爵は、無口なところはあるが仕事ができる男である。
たぶん、熱いお茶でも飲んで気分を落ち着けろ、ということだろう。
自分の機嫌の悪さがあまり良い影響を与えないのには自覚があったので、子爵が無言なのを良いことに、自分も無言のまま、素直にその好意には甘えておく。
こういう時、小言を言われながらでは反抗心がわくものである。
言葉が足りないこともあるが、気心しれた子爵は彼にとってはありがたい存在であった。
良い香りがするお茶を飲むと、胃のあたりがほんわりと温かくなり、少し気分が軽くなったような気がする。
そのまま椅子をまわし、ふと窓を見ると外は夜の闇に包まれており、濃紺の世界を月の銀色の光が照らしだしていた。
視線を上げ月を見上げる。
満月とはいかないが、ほぼまん丸なそれは夜の中で明々と輝いて美しい。
「少し散歩でもするか。」
そうつぶやくと、ウェジントン子爵が顔を上げる。
「お供いたしますか?」
「いらん。すぐそこをぶらつくだけだ。護身用に剣も持っていくからそれで勘弁しろ。」
そういうと、子爵は少し考えるそぶりをしたがそれ以上は何も言わなかった。
普段のそば仕えたちであれば危険だなんだと騒ぎ立てて面倒なのだが、子爵は彼をそれなりに信頼しているらしい。
お茶を飲み終えた後、部屋着に外出用のコートをひっかけただけのラフな恰好で彼は外に出た。
出際に、夜の森は迷いやすいので、あまり立ち入らないように、とだけ子爵から忠告されたため、川沿いの道を丘のほうへむかって散歩することにした。
春先の夜風はまだ冷たいが、それがかえって月夜の静謐な雰囲気と相まって心地よく感じられる。
少し行くと、道の端に小さな女神像が建っていた。
こじんまりとしたその女神は、それでも苔一つなく手入れされ、その土地の人々に愛されているのがよくわかる。
その足元には、春の花が飾られていた。
そういえばこの辺の領地では、月と森を司る女神が守っている土地だときいたことがある。
このように月が美しい夜は、彼女が見守っているのだろうかと、その前で軽く礼をしてから彼はまた歩きはじめた。
30分程もぶらぶらと歩いただろうか。
遠くにかすんでいた丘が、随分と存在感を増してきた頃、前方から何かが聞こえてきた。
最初、それは笛の音かと思った。
そのくらい、その音は美しい響きをもって細く小さく響いていたのだ。
しかし丘に近づくにつれ、それは歌声だと気づく。
しかも女性の歌声である。
こんな真夜中に女性の歌声とは…
「妖精のレクイエムだろうか…」
彼は昔本で読んだ伝承を思い出しその音色に耳を傾けた。
しかし本にはそれは満月の日に歌われる物だと書かれていた。
今日はたしかにそれに近いが、少し日にちが過ぎてしまっている。
寝坊をした妖精でもいるのだろうか?と不思議に思いながら歩を進めると、とうとうその声の主が丘と林の境界に立っているのが見える。
それは、月の光で銀に輝く美しい少女だった。
遠目であまりよくは見えないが、背中にひらひらと半透明の翅のようなものが揺れているのが見える。
また妖精に遭遇したのだろうか…と思ったが、何かおかしいことに彼は気づいた。
少女の背後に立つ林の木と見比べると、少女はどう考えても妖精サイズでは無いのである。
だとすれば人間だろうか?
そう考えた時、視界をふわりと白くひかる何かが横切った。
目で追うと、それはほわほわと光る発光体で、少女にむかって飛んでいく。
まわりを見ると、彼の足元や林のしげみ、川の水面から、それまで彼らを照らしていた月明りが空にむかって滴るように、ぽわり、ぽわりと浮かびだしては、彼女のもとへふわふわと飛んでいくのだ。
少しずつ数を増すその光が、彼女にむかって集まっていき、そのまわりを踊るように飛び回る様は息を飲むほど美しく、幻想的だった。
~この光は、本にあった精霊だろうか…
妖精が歌うレクイエムに呼応して、姿を見せ死者の魂を慰めるという精霊たち。
挿絵で見た光景を思い出して、彼は呆然とその光景を見つめていた。
しばらく少女のまわりをまわっていた精霊たちがひとつ、ひとつと輪からはずれ、丘のむこうや川のほうへ散り始めた。
少女から視線をはずし、散っていく精霊たちを見送っていると、その中に、青白く光る何かがいることに気づく。
それは、ふわりふわりと精霊たちに合わせて飛んでいる。
丘を越え、空へ舞い上がり、月の光が照らしたところで、その光の輪郭がぼんやりと人の形をしていることに気づいた。
死者の霊魂だろうか?と後ずさったが、ぼやけた輪郭がはっきりとしてくるにつれ、恐怖心は消え去った。
それは、儚げで美しい、妖精のような少女の姿をしていたのだ。
少女はそうできるのが嬉しくて仕方がない、と言った様子で精霊たちと進むごとに、まるで踊るようなステップで月にむかって登っていく。
いまだ響く歌声にあわせて飛び回る様は幻想的で美しかった。
少女がくるくるとまわりながら、精霊たちと月の明かりの中へ消えるまでを見送った彼は、それまで響いていた歌声が止んでいることに気が付いた。
振り向くと、もうそこには少女の姿はどこにもなく、
ただただ月明りに照らされた丘が静かに風にふかれてさわさわと歌っているだけだったのである。
あれは一体何者だったのだろうか?
今まで見ていた光景は、妖精のレクイエムのように思えるが、
歌っていた少女は妖精では無いようだった。
人間サイズということはセイレーンかなにかだろうか…。
しかしセイレーンとは歌で人を惑わすものでは無かっただろうか。
もしかして本にのっていないだけで人間サイズの妖精もいるのかも…。
ひとしきり考えたところで、頬をなでた風がひやりと冷たいのに気づく。
さすがに春先とは言え、ラフな格好で外に居すぎた。随分と体が冷えてしまっている。
これで風邪をひいてしまっては、今後子爵にまで口うるさく言われかねない。
彼は思考を止めて、来た道を戻ることにする。
月の女神が守るウェジントン侯爵領では伝承に出てくるさまざまな幻獣が今もなお、闊歩しているという。
あまり真実について深く考えるというのは無粋というものだろう。
月夜に散歩に出て、思いもよらず、美しく幻想的な景色を見れた。
それで満足するのが良いのではないか。
彼はそう結論付け、機嫌よく帰路についたのだった。




