番外 第二王子補佐官の仕事は
キースリンド=ウェジントンは竜王国に三つある侯爵家の一つ、ウェジントン侯爵家の嫡男である。
父であるウェジントン侯爵はそれは賑やかな人物だ。そして侯爵の母、つまりはキースリンドの祖母も、それに輪をかけてかしましい方だった。
彼と8歳離れた妹のロザリンドもまた、その血を引き継ぎ社交的な少女に育った。
家族全員が毎日自分の分までにぎやかに話し続けるので、気づけば彼はあまり思ったことを口にしなくなっていた。
個人的にそれで不自由しているつもりは無いのだが、祖母と妹は大変不満であるらしくことあるごとにもっと愛想を良くしろだとか、ご令嬢には笑顔を向けるものだとかお小言を受ける。
その小言を聞きながら、今日も彼の家族は元気がよく何よりだな、と思うのが彼の日常だった。
キースリンドの仕事は、数年前にあった戦以来、主に竜王国の第二王子であり、近衛騎士団長のウルベルトの補佐である。
ウルベルトの仕事がスムーズに進むよう、彼の仕事に必要な資料を集めたり、書類を回したり、時にはウルベルトの体調を気遣うのも彼の仕事だ。
そんな上司が、最近恋をしたらしい。
気づいたのは、妹が社交界デビューとなる拝華祭の時だった。
ウルベルトがその一か月程前、一日執務を放り出して王宮から脱走した。
タイミング悪く、それを狙ったかのようにトラブルが相次いで、仕事が山積してしまった。
その影響で拝華祭に妹のエスコート役として出席予定だったキースリンドはそれを断念して従弟のラフィルにその役を譲ることになったのである。
別に妹のエスコートをしたかったわけでは無いが、妹との約束を破ってしまったことは彼にとっては歓迎できないことだった。
なにより、その横では無いにしろ彼女の晴れの日を兄として見届けたい気持ちは彼にもあったのである。
しかしそれを潰した当人のウルベルトが
「デビューの日のパートナーは兄なんかより他の男のほうがいいだろう」
などとのたまったので、自分が負担していた分の仕事も含めて彼の机に積み上げたのだが、どうにもウルベルトの仕事の進みが遅い。
ウルベルトはどちらかと言えば机仕事よりも体を動かす仕事のほうが性にあっているのはわかっていたが、どこか上の空と言った様子なのだ。
これは拝華祭どころかしばらく自分の部屋で寝ることもできないかもしれないな…と覚悟していたところ、ウルベルトが不思議な質問をしてきた。
「最近、街で妖精のような少女の噂があるが、お前の妹の知り合いにそういう人物はいるか?」
この質問に、キースリンドは逡巡した。
街を出歩く妖精のような少女に見える人物であれば二人心当たりがある。
従弟のルミール=フェリンドと、その妹のアリィシャ=フェリンドだ。
ルミールは男だが、知らない人が見たら10人中10人が彼を少女だと認識するので、ウルベルトの言う噂に上がっていてもおかしくない。
妹のアリィシャよりも騎士団に勤めるルミールのほうが、ずっと街で目撃されることは多いはずである。
しかしウルベルトはそれを知って何が知りたいのだろうか?
もし女性として興味を持ったのであれば、ルミールは男であるし、アリィシャには婚約者がいる。
この問いに素直に答えるべきかしばし逡巡したが、ルミールはともかくとして、アリィシャは次の拝華祭でロザリンドと共に社交界デビューをする。
キースリンドの亡き母親にそっくりの彼女は身内の彼から見ても大変美しいので、あっという間に話題になってウルベルトの耳に入るだろう。
そして彼女がキースリンドの従妹であることも容易にわかるはずだ。
その時に何故黙っていたんだと不興を買うよりは今白状したほうが良いか…と結論づけ、「二人いる」と答えたのだ。
そうしたら案の定、ウルベルトは彼か彼女を紹介してくれと言ってきた。
彼等に会おうと思うなら、次の拝華祭が一番良いだろう。
しかしそれに出席できない理由を作ったのはほかならぬウルベルトである。
なんだか彼と二人を会わせても良いことは無い気がするし、仕事があるだろうと諭すと、ウルベルトは何事か考えた後こう言った。
「わかった。追い込みをかけよう。うまくすればお前も妹の晴れ姿ちょこっとくらいは覗きにいけるかもしれないぞ。」
ここまで仕事を山積させておいてどの口が言うのか、とは思ったが、とりあえずやる気になってくれることは良いことだ。キースリンドは彼の指示どおり、最大限仕事をさばけるように、彼の机に今できる仕事をすべて積み上げた。
かくして、予想に反してウルベルトはよく働いた。
できるなら最初からしてもらいたいとは思ったが、拝華祭が始まる頃には仕事が一段落し、本当にキースリンドに妹の晴れ姿を見せてくれたのである。
しかしこの拝華祭で、ウルベルトはお目当ての人物であった従妹に会えたは会えたらしいのだが、どうやらほとんど会話ができなかったらしい。
しかめっ面で帰ってきたウルベルトにその事の顛末をきいて、キースリンドはだいたい何が起こったのか把握した。
アリィシャ=フェリンドの婚約者だったアクス=グレインがどうやらとうとう不貞を働いたらしい。
このことで従妹はショックを受けて寝込んでしまった。
一応、そのことをウルベルトに報告すると、彼は彼女に見舞いの品を贈るようにキースリンドに指示をしてきた。
これにはキースリンドは少し驚いていた。
彼の上司はその強面のせいで、ご令嬢に遠巻きにされることが多く、当の本人もこれ幸いとそういったことにあまり興味を示すようなタイプでは無かったからである。
女性に花やら菓子やら贈るという言葉がウルベルトの口から出るとは思わなかった。
随分と気に入ったのだな…と思いながら手配した物を妹に託して数日後、叔父が久しぶりにうれしそうな顔で登城し、「うちの娘起きられるようになったんだよ!」とキースリンドに報告してきた。
彼もアリィシャのことは気にかけていたので、それは何よりだったと胸をなでおろしたのだが、その日のウルベルトの仕事の進みは拝華祭の前に戻ってしまった。
なにやら上の空で、まったくペンが進まない。
そこで思いつきで、従妹が起きられるようになったことを報告した。
すると彼は見舞いに行きたいと言い始め、では仕事を終わらせろと言うとあっという間にそれを片付けて出かけていったのである。
本当にできるなら最初からしていただきたい。
そうは思ったものの、なるほどとキースリンドは内心で頷く。
つまり、ウルベルトはアリィシャのことを好ましく思っており、馬の前にぶらさげられた人参のように、従妹に会いにいけるとなると張り切って仕事をするわけである。
キースリンドの仕事はウルベルトの仕事がスムーズに進むようにすることだ。
そういうことであれば従妹には悪いが協力していただこう。
都合が良いことに、アリィシャはつい先日婚約者に不貞を働かれ、近くフリーになるはずだ。
まあもし彼女が本気で嫌がったらウェジントン侯爵家の力添えがあればウルベルトからの申し出でも求婚は跳ねのけられるだろう。なにより彼の仕事が進むことは、国にとっては良いことなのである。
こうなれば従妹には是非早めに快復してもらって、夜会に定期的に出てもらえると大変助かる。
グレイン侯爵家が婚約について何か言っているようだが、自分もアリィシャが夜会に復帰できるように最大限尽力しよう。
そのように思っていたある日、王太子がウルベルトの執務室へやってきた。
仕事で個人的に話すことはあっても、こうやってウルベルトの部屋まで彼がくるのは大変珍しいことである。
絶対何か企んでいるな…と考えながら話を聞いていると、ウルベルトに近衛を連れて菓子を買いにいけという。
近衛を連れていけということはつまり、行った先で何か物騒なことが起こるのだろう。
そういえば今日は妹がアリィシャと共に街へでかけるといっていた。
その先で何か騒ぎが起こるのは好ましくないな…と考えてピンときた。
最近、王太子はグレイン子爵を遠ざけてその弟を重用しているらしい。
今日はアクス=グレインを城で見ていない。
なるほど、弟に子爵位を渡すには今少しアクス=グレインの罪状は軽いということか。
なかなか陰険なことをなさるものだなぁと思いながら、さりとてキースリンドにとってはアクス=グレインより断然妹とアリィシャのほうが可愛い。
自分の考えが外れていれば平和なことこの上ないのだし、とりあえずウルベルトには菓子を買いに行ってもらうか…。と王太子の言葉に頷いた。
そして結局、キースリンドの考えはだいたいあっていた。
アクス=グレインがロザリンドに手を上げたと聞いた時は、どのように報復をするかについて考えた。
まあロザリンドは軽く祖母に護身術を仕込まれていたはずなので、素直に彼の腕を受けたのはわざとな気がしなくもない。しかし妹に手を上げたという事実だけで十分であり、その結果は二の次だろう。
しかしキースリンドの報復計画がまとまった矢先、祖母が大変なことを言い出した。
「アリィシャはもう今年はフェリンドに帰しましょう。」
祖母はグレイン侯爵家に大層お怒りで、婚約解消をするだけでは腹の虫が収まらなかったらしい。
グレイン子爵の不貞について、真実を述べているのはロザリンドであり、ウェジントン侯爵家の面子をつぶすような輩は一人残らずつぶす、と恐ろしいことを言い始めたのだ。
この時、グレイン子爵にはキースリンドも随分腹が立って居たのだが、祖母の怒りの前ではそれも霞もうというものである。
なにせ自分がしようとしていた報復の百倍くらいは大変なことになるはずだからだ。
「アリィシャ嬢の貴重な一年を無駄にするのはいかがなものでしょうか。」
できればウルベルトのやる気の種を持っていかないでほしい。
キースリンドは珍しく祖母に反論した。
貴族令嬢にとって社交場は仕事場のようなものであり、そこで知見や交友を深め味方を増やし、なにより自らの伴侶を探すのだ。
男と違って女性は婚期が早い。一年を社交に出ず無駄にするのはいかがなものかと申したのだ。
しかし祖母はうふふ、と笑って答えた
「あら、大丈夫よ、アリィシャなら一年くらいどうということは無くてよ。それにいざとなったらウルベルト殿下がいらっしゃるでしょう。ロザリンドがアリィシャも満更ではなさそうだと言っていたわよ。」
駄目だ、もうすでに敵に情報が洩れている。
こうなってはもう祖母を止める手立てはキースリンドには一つとして無かった。
結局、従妹は一度しか夜会には出ず、本当にそのままフェリンドに引っ込んでいってしまった。
巷では一度しか姿を見せなかった幻のご令嬢だともっぱらの噂であり、そんな彼女を天岩戸に引きこもらせてしまったグレイン侯爵家には随分と風当たりが強かった。
とはいえ、もうこうなってはキースリンドにとってグレイン侯爵家がどうなるかはあまり興味が無いことである。
それよりも問題なのは、このことを教えた時に激減するだろう上司のやる気である。
キースリンドは祖母に提案した。
「アリィシャ嬢をウルベルト殿下に迎えに行ってもらっては」
これにはそういう話が大好きな祖母は少女のように目を輝かせて賛成した。
「良いわね!傷心のお姫様を王子様が迎えに行くのね!できるだけ人に見せつけるようにしていただきましょう。キース、あなたそんな仏頂面でロマンスの一つも理解しないのではと思っていたのだけれどたまにはその無駄に出来の良い頭でそのようなことも考えられますのね。その調子でできれば自分のこともね…」
その後しばらく小言が続きはしたが、相変わらず祖母は歳を感じさせずお元気そうでなによりだと頷いてきいた。
かくして、ウルベルトがアリィシャは次いつ夜会に出てくるのだと聞いてきた。
覚悟はしていたが、できればこんな忙しい時に思い出してほしくなかった…と苦虫をかみつぶすような気分でアリィシャがフェリンドに戻ったことを伝える。
予想通り、上司の手はぴったり止まった。
先の戦いの時には赤髪の黒鬼とか呼ばれていたあの雄姿はどこへいったのかと嘆息しながら、祖母に提案したことを彼に告げる。
「祖母が、もし殿下の手が空いて、従妹が了承するのであれば彼女を王都に連れ戻してほしいと申しておりました。」
その言葉の効果は劇的だった。
ウルベルトの金色の瞳が輝いたかと思うと、真面目に仕事を片付けはじめたのだ。
自分の働きの成果を満足に思いながら、しばらくはこれでなんとか頑張ってもらおう、と考えた。
その後はとりあえず、従弟のラフィル=フェリンドに出来るだけアリィシャの様子を教えてほしいと手紙を送った。
彼はマメな男だったので、日々のアリィシャの様子を書いて送ってくれた。
若干妹自慢が入っていたことには目をつぶる。
たぶん自分も妹に関する報告を上げたらこんな感じになるだろう。
その中で、最近妹が外によく出たがるので護衛をつけようと思う、という旨の一文に目を止めた。
ラフィルも忙しい男であるし、彼に手間をかけさせるよりこちらから報告要員を送ろうと考えたのである。
あくまで彼に手間をかけたく無いだけで、妹自慢に疲れたわけではない。
人選は、アリィシャとそっくりなルミールと親しくしている騎士から選別した。
これでアリィシャと騎士が恋仲になっては目もあてられないからだ。
ラフィルには護衛はこちらで用意するので良ければ使ってほしい、と送ると、何か察したらしい彼は特に何も言わずに受け入れてくれた。
送った騎士のベオルフはなかなか真面目な男で、しっかりと報告書を上げてきた。
無駄を省き簡潔な報告文の中に、「土集めにせいを出す」だとか「丘で昼寝」だとかおよそ淑女とは思えない内容があることについては気になったが、夜会に出ればしっかりできるのであれば問題ないか、と流すことにする。
そうこうしている内、無視できない報告が上がってきた
「一週間後、見合い予定」と書かれた報告書に、相手の家名、地位、所在等が記されていたのである。
貴族の令嬢にとって結婚は使命のようなものであり、これを邪魔するのは躊躇われた。
が、悩んだのは一瞬で、彼は相手の家にアリィシャ=フェリンドはウルベルトの想い人であり、婚約をするのであれば相応の覚悟で臨んでほしい、という内容の手紙を書いた。
どうせここで手を回さず、見合いのことだけ報告したらウルベルトは仕事を放り出してアリィシャの元に馬を走らせるだろう。彼なら絶対やる。もしかしたら見合いの席への乱入だっていとわないかもしれない。
だから相手の家に命令ではなく忠告をしてやるのは親切心とも言えなくもない。
それでも尚アリィシャを望む男がいるのであればそれはそれで従妹にとっては幸いだ。
詭弁ではあるが、キースリンドの仕事はウルベルトの仕事をスムーズに進めさせることである。
ここでウルベルトに仕事を放り出されてはかなわない。
元来真っ直ぐな性格で、こういった裏から手を回すということに思い至らない上司であるので、それを補足するのも、また仕事だろう。
アリィシャには少し申し訳ないが、職務を忠実にこなした結果であるので仕方がないのである。
結局、第二王子の想い人に家の存続をかけても婚約を結ぼうという剛の者は現れなかった。
このことに関しては、ウルベルトが冬にやる気を低下させた時に事後報告で教えてやったところ大変やる気が出たようである。
従妹がいつまでも一人でいるとは限らないと気づいたのだろう。
本当に、なかなか自分は良い仕事をしたな、とキースリンドは自賛した。
その後ようやく仕事を終えてアリィシャを迎えにいった上司は、なんと彼女に振られたらしい。
そのことを聞いた時は今後の仕事への影響を思って頭が痛くなりそうな気がしたが、よくよく聞くと、保留状態であり、まだこれからもウルベルトはアリィシャにアタックを続けるのだということだった。
さすが脳が半分くらい筋肉で出来ているだけあってへこたれないな…と感心したが、ウルベルトをフェリンド邸へ迎えに行った時、見送りに出たアリィシャの顔は少し赤く、目はキラキラとしていてたしかに妹が言っていたとおり、彼女もウルベルトのことを憎からず思っているように伺えた。
先の婚約で、裏切られた手前、あまり言葉を交わしたことの無い相手の言葉が信じられなかったのだろう。
是非彼女には今後も頑張っていただき、ウルベルトの仕事の進度に貢献していただきたい。
まあそれに、少しばかり上司と従妹の幸せを願う気持ちが無いわけでもない。
ウルベルトとは幼少の頃からの付き合いであるし、母にそっくりな従妹は妹のロザリンドと同じくらいかわいく思っている。
だから、まあ、優先度としては仕事の次くらいには、応援してもいい。
そんなことを考えながら、キースリンドは名残惜しそうにするウルベルトを引きずって、フェリンド邸を後にしたのだった。




