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妖精姫の幸せは  作者: 手塚立華
本編
51/54

50 妖精姫の幸せ

 目を開けると、蜂蜜色に蕩けた瞳が、私を優しく見下ろしていた。

 彼の保護下にいるのだという幸福感が、私の胸を温める。


 ~すごくいい夢だわ…。


 その幸福感をかみしめながら、寝返りを打ち、枕に顔をうずめて私はもう一度夢の中へ沈んでいく。

 しかし幸せな微睡の中へ沈んでいった私の意識を、大きな手がスリ、と優しく頬をなでる感触が引き留めた。

 もう一往復スリ、と指がすべったところで、私は意識を浮上させて重い瞼を無理やり押し開く。


 そこは、私の部屋では無かった。


 大きく光を取り入れるガラス張りの窓に、落ち着いた紺地のカーテン、見慣れた軍服が駆けられたシンプルながら品の良いビロード張りの椅子。

 視界に映るベッドは随分と広く、真っ白なシーツに同じ色で細かく竜の刺繍が施されている。


 横を向いていた顔を、恐る恐る天井に向け動かすと、そこにはやはり蜂蜜色の瞳と、鮮やかな赤い髪。

 服装はいつもの軍服では無く、ゆったりとしたシャツにズボンというラフな格好で、緩められた首元からなんだか色香が漂ってくる気がする。


 ~え、なにこれ。


 先ほど私の頬をなでていた手が、シーツの上にちらばった私の髪を優しくすくう。


「う、う?」

「おはよう、アリィシャ。」


 半分まだ夢の中だったせいでうまく口がまわらない私に、低くて甘い声が朝を告げる。

 ぼんやりとしていた意識が次第に焦点を結び始めて、それに比例するかのように私の心臓はいつものように暴走を開始した。


「うる、う、うるべると殿下!どどど、どうどう…」

「あなたの寝顔は私を幸せな気分にするな。また寝てもいいんだぞ?」

「寝ません!」


 甘く笑う殿下に、ようやく自分の仕事を思い出した口で力強く宣言して、私はがばりと起き上がった。

 そこは私の部屋とはくらべものにならないほど立派で広い室内だった。


 ~そういえばなんか昨日、王宮に拉致られたような気がする。


 私はさっと血の気が引くのを感じながら自分の出で立ちを見る。

 見慣れないその寝間着は、薄い青の柔らかい生地のネグリジェだった。

 あわてて毛布をかき集めてその後ろに体を隠すと、私はアワアワと殿下を見上げた。


「ま、まさか?一緒に…?」


「いや、さすがにそれは大丈夫だ。私はそこの長椅子に寝たから安心しろ。」


 安心できないー!

 同衾してなかったのは良しとするとしても、婚約者でもない二人が同室で寝るとかダメでしょう!

 というか、未婚の女性の寝室に男が一人で入るなんてもっての他でしょう!!

 あれ、でも指輪つけたからもう婚約者でいいのかな?

 いや良くないよね。正式な書類取り交わしてないからね!!


 羞恥で顔を赤くして脳内大混乱の私に、殿下はお構いなしにずいっと迫ってくる。

 そして体の前にあつめていた毛布ごと、ぎゅっと抱きしめられた。


「一晩中、またあなたの呼吸が止まったらどうしようかと思っていた。そう思ったら離れることができなかったんだ。すまない。」


 はあ、と安堵の息をもらす殿下の声に、私は目を見開いた。

 そういえば、昨日は随分と心配をかけてしまったのだった。

 実際、呼吸しばらく止まっていたし…。

 大混乱だった脳内がすうっと落ち着いて、私は申し訳なさに殿下の背に手をまわし、ぽんぽんとその大きな背中をなだめるように叩く。


「ご心配をおかけして申し訳ありません…。」


 私の声に、殿下はスリ、と体温をたしかめるように私の背中に回した手と頭を擦り付ける。

 私も殿下の体温が心地よく感じられ、大きな肩に顔をうずめた。


 しばしそのまま体温を確かめ合っていると、ふいにチクりと私の首筋に痛みが走った。

 そしてチュッというリップ音が聞こえる。

 おや?と思った時には殿下の唇で首筋をなでられ、私はくすぐったくてたまらずひえっと悲鳴をあげた。


「ででででん、殿下!!!それ以上はお止めください!」


 そんな殿下に悲痛な声で待ったをかけたのは私では無く聞きなれた侍女の声だった。


「ジェニー!」


 なんだかひどく久しぶりな気がするその名を呼ぶと、ジェニーはぱっとこちらに泣きそうな顔をむける。


「お嬢様!」


 そのまま殿下の服をひっぱり私からベリッと引きはがしてポイッと放り出すと、次はジェニーが私を抱きしめてくれる。


「お嬢様!いろんな意味でご無事でようございました!ご安心ください。昨晩はわたくしたちが寝ずの番を致しましたので!!何もご心配には及びませんわ!」


 ぎゅうぎゅうとジェニーの胸に顔を押し付けられながら、私は彼女の言葉の中に不穏な響きを見つけて顔をあげた。


「わたし…たち?」

「はい!王宮の侍女の皆さまも協力してくださいました!」


 見ると、さきほどまで殿下の大きな体に隠れて見えていなかったのだが、その後ろにずらっと4名の綺麗な王宮のお仕着せを着た侍女のみなさんがそれは美しい姿勢で控えている。

 こんな人数にずっと間抜けな寝顔を見られていたのかと、私は気が遠くなりかけた。


「さあさあ!お嬢様はお召し変えをいたしますので!殿方は席を外してくださいませ!」


 そんな私には構わず、ジェニーはこともあろうに部屋の主である殿下を外に追い出して、王宮の侍女さんたちと一緒に私の身支度をしてくれたのだった。


 〇・〇・〇・〇・〇


「本当に…大変申し訳なかったと思っている…。」


 身支度と朝食を終えた私のところにやってきたのは、少し疲れた様子のウェジントン子爵だった。

 心なしかいつもの無表情では無く、心底不本意だったとその顔が語っている。


「最大限善処したんだが…どうしても殿下がはがれなくて…。申し訳ない…。」


 たぶん、彼は私をウルベルト殿下の寝室に寝せることになったことを謝罪しているのだろう。

 昨日、廃屋から救出された後、ウルベルト殿下に抱きかかえられたまま、彼の馬に乗って王宮に連れ帰られ、医者を待っていたまでは覚えているのだが、私はまたしても殿下の腕の中が心地よくてそのまま寝落ちてしまったのである。

 その後のことはまったく覚えてないので、随分熟睡していたのだろう。


「いえ、子爵が努力して下さっていたのは知っておりますわ。寝てしまった私もいけなかったのです。」


 首をふる私に、ウェジントン子爵は安堵の息をはく。


「叔父上たちが朝いちばんにあなたを迎えに来ると言っていた。妹にも顔を見せてやってほしい。あと…重ねて申し訳ないのだが、バ…殿下の相手をそれまでしてくれないだろうか。このままだと午後の仕事に支障が出る。」


 ものすごく貴重なウェジントン子爵の息継ぎありの台詞に、私はぱちくりと目を瞬かせる。

 というか今、殿下をバカって言おうとしたわねこの人。

 ふだんキッチリとして慇懃な態度を崩さない彼がそのようなことを言うなど意外である。


「わかりましたわ。私も殿下とご一緒するのは嬉しいですもの。あの、でもできれば侍女か誰かつけてくださいます?」


「それはもちろん。」


 ウルベルト殿下と二人っきりはちょっと心臓に悪そうなので、そうお願いするとウェジントン子爵は力強く頷いて部屋を出て行った。

 それと入れ違いで、ウルベルト殿下とベオルフが入ってくる。

 ベオルフの顔には心なしか逃げ出したそうな表情が見てとれたが、ここは私の護衛として頑張っていただこう。


「アリィシャ、支度が終わったんだな。」


 そう言って入ってきた殿下も、さきほどのラフな格好では無く、身支度を整えきっちりとシンプルなジュストコールを着ている。

 普段はよく軍服を着ていらっしゃるので、珍しい。

 あまり装飾がついていないほうが、彼のスタイルの良い体が際立って、これはこれで良いものね、と思いながら私は立ち上がった。


「殿下、ご自分のお部屋なのに追い出してしまって申し訳ありません。」


「いや、いいさ。私が無理をいってしまったんだからな。」


 殿下は当然のようにひょい、と私を抱きかかえ、そのまま寝室の横の応接間のソファに腰をおろした。

 私はと言えば横に下ろしてもらえたわけでは無くお膝抱っこの状態である。

 しかしこれについて突っ込むと藪蛇をつつきそうな気がしたので私はでかかった抗議の言葉を飲み込んだ。

 一緒についてきたジェニーたち侍女の皆さまと、ベオルフも特に何も言う気配は無い。


「殿下、わたくし昨日はすぐ寝てしまったのですけれど、結局昨日のことはどうなりましたの?あの方たちは誰だったのでしょうか?」


 私は聞きたかった話題の中で、とりあえず一番変な雰囲気になりそうに無い話題を選んで殿下を見上げた。

 妖精姿で飛び回ってたわりに特にこれといった情報が引き出せていなかった私は、彼等がたぶん、開華祭に出てくるくらいには位の高い人物で、妖精をどこぞにうっぱらっていたのだろうと言うことだけである。

 殿下は私にその話をするのは気が進まない、といった様子で眉をひそめたが、私がじっとその金色の瞳を見つめると、ため息をついてポツポツと言葉を選びながら説明してくれた。


「まず…結論から言うと昨日の主犯はハゼット伯爵家だった。彼等は元々妖精を密猟していてな。数年、王命で追っていたんだ。その荷物を、テレミア伯爵家の子息の船で運んでいたらしい。それで…あなたはあまり聞きたく無い名前かもしれないが、ハゼット家の令嬢はアクス=グレインの不貞相手だ。せっかく手に入れた次期侯爵との縁を断ち切られてあなたを恨んでいたんだろう。」


「まあ、アクス様の…。」


 言われて私は記憶の中をさぐる。ということは、たぶん私に罵倒をぶつけていたご令嬢は拝華祭の時アクス様に縋っていた女性だったのだろう。

 残念すぎることに拝華祭では私の目にはほとんどウルベルト殿下しか入っておらず、その後も記憶領域を彼女に割く余裕が無い程ウルベルト殿下で一杯一杯だったので、ほとんど記憶になかった。

 結局、家族は不貞のお相手が誰なのか教えてくれなかったので、お名前も存じ上げなかったのである。

 たしかにそう言えばあの日暗がりで見た髪の毛の色が一緒だった…ような?気もする。


「ハゼット伯爵は、娘にあなたを害してほしいとねだられたようだ。伯爵はそのついでなのかそっちが本題なのかはわからんが、どうもエランがあなたを害したと見せかけて私達の間を不仲にしようとしたらしいな。内政不安の裏で利を得るつもりだったのだろう。殺す気はなかったと言っていたが…。どちらにせよ許しがたいな。追って処断されるだろう。」


「エラン…様、とおっしゃいますと王太子殿下ですね。」


「そうだ。エランの側近のクライム=グレインがあなたと共に行方不明だった。偽の手紙を見て計略に気づき、あなたに危険が及ばないようエランが匿っていたらしい。エランがクライムを襲った者がハゼット家の者だと気づいてハゼット邸に偵察を出したおかげで奴らはあの屋敷で足止めをくらっていたようだな。おかげで取り逃がさずにすんだ。」


「まあ、クライムにも危険が…?無事でよかった…。」


 偽物の手紙でホイホイついていった私と違って、ちゃんと対処した彼はさすがだと感心する。

 しかし話を聞く限り、彼は計略にかかっていたら私と違って本当に命を落としていたかもしれない。

 そう思うとぞっとして、無事で本当によかったと胸をなでおろす私を、殿下が少し気まずげに見返してくる。


「……彼はあなたと親しかっただろう。…その、一瞬、あなたが彼と逃げたのでは無いかと私は疑ってしまった。許してほしい。」

「まあ…。」


 馬鹿正直にそう言って謝るウルベルト殿下を、私は少しあきれて見返した。

 そんなものは言わないほうがずっと平和にすごせるだろうに。

 この人は第二王子などという立場にありながら、少々まっすぐすぎるのではないだろうか。

 私の視線から逃げるように、殿下の瞳が視線を落とす。

 私も妖精捕縛に関して殿下を疑ってしまったのでお互い様なのだが、それに関して説明すると芋ずるで私の正体までバレるので言うわけにはいかない。


「そのようなこと…。最後には信じてくださったのでしょう?恨むわけありませんわ。」


 そもそもは殿下を不安にさせた私にも非がある話である。しかしそう言っても殿下は納得してくれそうにない気がしたので、私はそれには触れずににっこりと笑う。

 その言葉に瞳を上げた殿下は、ほっとしたような顔を見せた。

 その顔を見て、私は重大なことを忘れていたことに気が付いた。

 そう、殿下にそのような誤解をさせてしまったそもそもの原因。

 無意識で左手の薬指にはまった銀の指輪をなでて、大きく息を吸い込む。


 落ち着け…。

 これはとっても大事な言葉…!今度こそ失敗するわけにはいかない!


「アリィシャ?」


 私の挙動不審な様子を不思議に思ったのか、ウルベルト殿下が首をかしげる。

 その金色の瞳をまっすぐ見つめて、私は背筋をのばした。


「殿下…!私………」

「うん?」


 続く言葉が出てこず、黙ってしまった私に、殿下が続きを促す。

 すでに心臓がバクバクと言っていて、たぶん私の顔は随分赤いに違いない。

 ぐっと指輪がはまった左手を胸にかき抱いて、私は気合で言葉を絞り出す。


「私が、お慕い申し上げているのは、ううぅ、ウルベルト殿下です!…から…」


 尻すぼむ私の言葉を、目を丸くしながら聞いていた殿下は、言葉が終わるのを待たずに私の背中に手をまわし、その胸に私をぎゅっと閉じ込めた。


「アリィシャ…私もあなたを愛している」


 殿下の吐息まじりの声が耳朶をくすぐる。

 その抱擁はすこしきつくて苦しいけど、その胸の中は温かくて安心して、私はほっと息をはいた。

 彼の腕の中にいるという事実が、私の胸を幸福で満たしている。

 彼を愛しいと思うアリィシャの気持ちと、私の気持ち、二人分だ。それだけで胸がいっぱいになるのは仕方がないことだ。

 彼の胸元に頬を寄せ、その幸福感に浸る。


「はい、しつれいしますー。」


 そしてその温もりはすぐに引きはがされた。

 ウルベルト殿下の首根っこをつかんだベオルフは、半眼で私を睨む


「お嬢、閣下を煽るようなこと言わないでください。まだ結婚どころか婚約前なんですよ。俺を殺す気ですか。」

「ご、ごめんなさい。でも昨日言おうと思っていたのに寝てしまったから…。」

「死にたくないなら手を離せ…。」

「死にたくないです!でも仕事なんです!!」


 地の底から這うようなウルベルト殿下の声に、ベオルフは顔を青くしながらもその首根っこを離さなかった。

 随分適当な仕事をする護衛騎士だと思っていたけど、思いのほか彼は真面目らしい。

 私はあっという間に引き離された温もりを恋しく思いつつ、でもたしかにべオルフやジェニーはじめ侍女の皆さんが見守る中でこれ以上のことが起こると羞恥で死ねると思ったので、素直にうなずいたのだった。


〇・〇・〇・〇・〇


「この度は姫君をこちらの都合で留め置いて申し訳なかった。」


「いえ、時間も遅かったですから…。娘を救っていただき感謝の念に耐えません。」


 応接室で騒いでいたところに駆けつけたお父様とラフィルお兄様と感動の再会を果たした後、立ち話もなんだからと侍女さんたちが入れてくれたお茶でソファで向かい合う。


 私は家族の前でのお膝抱っこはなんとしても回避しようと奮闘し、今はなんとか殿下の横で腰を抱かれて座っているにとどまっている。

 若干まだ恥ずかしいがスタートを想えば健闘したほうだと諦め、私は温かいお茶を口にした。


「一応、医者には見せたのだが特にこれといった外傷もなかったようだ。ただ…一度心臓と呼吸が止まっていたかもしれないので、気を付けてやってほしい。」


「心臓が!?」


 殿下の言葉にお父様が悲鳴のような声をあげて私をちょっと涙目で見る。

 私はその視線にどうこたえていいかわからず思わず目を伏せた。

 これについてはどうにも説明しがたいので白を切り通すしかない。


「まあ…突入中の騒がしい中での確認だったので勘違いだったのかもしれないのだが…。本当に、もう一度目を開けてくれてよかった…。」


「妹は病で死にかけた時も一度心臓が止まったので…。イサイラ様のご加護があったのかもしれません。」


「イサイラ夫人の?」


 あわあわとしているお父様の横で、ラフィルお兄様が苦笑する。

 その話に、殿下は興味深そうに聞き返した。


「いえ、フェリンドには伯母と同じ名前の女神がいるという言い伝えがありまして…。我が領では何か大変なことを乗り切った時にそう言うことが多いのです。」


「なるほど…そういえば昨日は満月だったな。」


 言われて私も昨日のことを思い出す。

 煙突から出た先で、雲間から顔を出した月に祈ったら、殿下の飾り紐の音が耳に届いたのだ。

 もしかしたら本当に、女神様のご加護があったのかもしれない。

 それか…もしかしたら伯母様が助けて下さったのかも。

 

 そこまで思い出して、私は友人のことを失念していたことに気づいた。


「そういえば殿下、昨日あの場所に、妖精が居たでしょう?彼女は私の友人なのですが、どうなりましたか?」


 王宮に担ぎ込まれたせいでうっかりしていた。

 朝露は随分怯えてたから、ちゃんと自分の住処を言えたのか不安だ。

 私が見上げると、殿下は少しほっとしたような顔で頷く。


「ああ、やはりそうだったのか。たしか…朝露の森の妖精だったか?どうも怯えているようでまったく話してくれなかったんだ。これで住処に戻してやれるな。」


「覚えてらっしゃったんですか。そのとおりですわ。」


「なかなか妖精に行方不明者の情報をきける機会も無いからな。彼女が居なくなったときいて今回の捜査は随分進展したんだが…私が行くと泣き出しそうな顔をするんだ…。あと…銀色の妖精があなたの居場所を知らせてくれたんだが、彼女はいつの間にか居なくなっていた。どちらにも礼を言いたかったんだが…。」


 そう言って、殿下は怯えられたのを思い出したのか、若干肩を落とす。

 その様子に、昨日の殿下は私でも怖かったからな…。と、朝露の恐怖を思って私は苦笑した。

 しかし無事だったのならなによりである。

 後で帰り際に会わせてもらおう。


「銀の妖精はもう帰りたい場所へ帰りましたから、大丈夫です。彼女は殿下に感謝してますわ。朝露も、わかってくれます。ちょっとあの子は臆病なのですわ。私からお礼をいっておきますね。」


 私が殿下の袖をそっと掴んでそう言うと、不安げだった金の瞳が、ふっと優しくゆるんでこちらを見下ろした。


「そうか。よろしく頼む。」


「ええ。勿論。」


 もしかしたらまた私も怯えて逃げてしまったとでも思っていたのだろうか。

 昨日、倉庫前で、三年前の私の無事を知った時の殿下の顔を思い出し、私はなんだかそんな彼が可愛くて、悪いとは思ったがふふふ、と笑い声を漏らしてしまった。


「さて、それでは妻も娘の帰りを待っておりますので私達はそろそろ…。」


 話が落ち着いたのを見て、お父様が辞去の挨拶をしようと立ち上がりかけた。

 それを殿下が手を上げてまったをかける。


「あ、いや…。もう一つだけ。先ほどアリィシャ嬢に了承を頂いたので、婚約について進めたいのだが。」


 そしてまた長くなりそうな話を持ち出した殿下に、お父様の顔がひきつり、ラフィルお兄様は片手を額に押し当てた。


「その…その…。婚約の件に関してはですね…大変申し上げにくいんですが…。」


 しどろもどろで目を泳がせるお父様に、なんだか話が長くなるだけが問題ではない空気を感じて、私は眉を潜めた。

 先日、親友から聞いた話を思い出したからである。

 その横を見れば、できればその話は避けて通りたかった、とラフィルお兄様の顔が如実に語っている。


「ちょっと……しばらくは…無理そう…で……。」


 ものすごくいいずらそうにそう言って、チラっと殿下を伺い見たお父様の顔色が悪くなる。

 先日婚約は嫌ならなんとかするとキリッと言ってたあの顔はどこにおいてきたのだろうか。

 とはいえ、私もちょっと怖くて横は見れないのでお父様のことは言えない。


「どういうことかお聞かせねがえるかな。家格などは問題ないように思うのだが…。」


「はあ、大変申し上げにくいんですが………。」


「………」


 そのまま、沈黙が落ちる。

 お父様は先を続ける勇気を奮い起こすのに時間を要するらしく、黙り込む。

 チュンチュン、と小鳥のさえずる音が窓の外が聞こえてきて、私はいいお天気ね…と半ば現実逃避した。

 そしてその沈黙をやぶったのは、部屋の入口から今しがた入ってきたらしい、ウェジントン子爵の声だった。


「妹が王太子殿下を振りました。」

「………。」


 チュンチュンチュン


「…そうか、わかった。」


 再び沈黙が降り、しばらく小鳥のさえずりを堪能した後、殿下がうなずく。


「エランを抹殺して俺が長男になればいいんだな?」

「閣下!冗談でもやめてください!!目が座ってますよ!!!!おい、近衛!見てないで手伝え!」


 立ち上がった殿下をベオルフが慌てて引き留めた。

 声をかけられた近衛騎士のみなさんもわたわたとそれに参加する。

 つまり、王太子殿下を差し置いて先に第二王子の婚約を決められない、ということなのだろう。

 ああそれにしても、王太子殿下をすっぱり振るとはさすがロザリンドである。

 よくよく考えると私も一回ウルベルト殿下を振ったような気がしないでもないが…。それは棚の上にそっと上げておく。

 そしてさらにそこへ、今一番ここにきてはいけない人の楽しそうな声が響いた。


「やあやあ、みなさんお揃いで!よければうちの側近に妖精姫の元気な顔を見せてやってくれませんか!」


 にこやかにそう言って入ってくる王太子殿下に、ウルベルト殿下の動きは止まりベオルフの顔色は悪くなった。

 しかし私は王太子殿下の後ろから心配そうにそっと覗く金色の髪をした長身の青年に立ち上がる。


「クライム!あなたも大変だったんですって?無事でなによりだわ!」


 そう言って足早に寄れば、彼は少しまぶしそうに灰色の目をすがめてから、少し困ったように微笑んでくれた。

 特に怪我などもしている様子はなくてなによりだ。

 私がデレシアさんを煽りまくってしまったせいでとばっちりを受けさせてしまって申し訳なかった。

 なにより、また彼が私に笑いかけてくれて嬉しい。


「兄上!もうなんでもいいので誰かと婚約してください!」


「ははは、ベルト、それは駄目だよ。王太子妃となるとなかなか難しいものだからね。何、任せてくれ。今回は振られたがまだこれからだ。」


 私達の横で、王子二人が騒いでいる。

 クライムを私の友人だと認めてくれたのか、それとも今はそんな場合ではないのか、ウルベルト殿下はベオルフたちをぶら下げて王太子殿下と話すのに忙しいようだ。

 なんだか無茶苦茶なことは言っているが、さすがに本気で兄を抹殺しようとは思っていなかったようで何よりである。

 王太子殿下の前だとウルベルト殿下がちゃんと弟に見えるからなんだか不思議だ。


「まさかまだロザリンド嬢にご迷惑をかける気なんですか…」


「それはクライムにも言われたんだが、お前たち、私の評価がおかしくないか?私は真面目に愛を請うているだけだよ?だいたいお前、私のことを言えると思っているのか?」


 王太子殿下の反撃に、いろいろと思い当たる節があるのであろうウルベルト殿下はうぐっと黙る。

 開華祭でのことを思うとこの兄弟は表現方法が違うだけで似ているのかもしれない。

 これはまだしばらく婚約はできそうにないわね…。と私はそんな兄弟を眺めながら嘆息した。

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