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妖精姫の幸せは  作者: 手塚立華
本編
49/54

48 逆鱗

「見失った?」


 思わず怒鳴ってしまいそうになるのを必死でこらえ、抑えた声量でそう聞き返す。

 しかし滲み出る怒気は押し隠せるものではなく、その声に報告をしてきた騎士は青い顔をして震えた。


「たしかにこの周辺までは追えていたのですが、巻かれてしまい…。」


 かすれる声でそういう彼をジロリと睨むと、その横に居たウェジントン子爵がため息をつく。


「殿下、兵を怯えさせても良いことはありません。」


 彼の言うことはわかっている。

 だからウルベルトも、必死に怒鳴るのを我慢したのだ。


 ~くそ、なんてことだ


 三年前に発覚した妖精の密猟を追って、ウェジントン侯爵領と協力して少しずつ捜査が進んでいた。

 王命で行われたこの捜査は、最近になってようやく敵のしっぽがつかめそうなところにまで来ていたが

 毎回すんでのところで駆けつけてはもぬけの殻ということを繰り返していたのだ。

 今回もこの周辺の家屋をしらみつぶしに探していては、また逃げられてしまうだろう。


 しかしウルベルトを不機嫌にしている原因は、それだけでは無かった。

 夕方頃になって、アリィシャが行方不明だという一報が届いたのである。

 昼すぎに出かけると言って家を出た彼女は未だにフェリンド邸に帰らないらしい。

 事件なのか事故なのかは未だにわからないが、彼女がつけていた星鈴草のピアスだけが、家の近くの路地裏に落ちていたそうだ。

 アリィシャを呼び出したというクライム=グレインも未だ行方知れずで、現在王立騎士団の者たちが、総動員されて王都周辺を捜索している。


 まさか二人で駆け落ちでもしたのか…。と頭をもたげそうになる猜疑心を必死に振り払う。

 クライム=グレインはアリィシャが恋したアクス=グレインとよく似た見た目であり、ウルベルトから見ても誠実で、真摯な男だ。

 件の婚約破棄騒動でも、彼女のために立ちまわっていたらしい彼と、立場のためにそれが叶わなかったウルベルトとでは、随分と分の悪い戦いに思われた。

 しかしアリィシャはウルベルトに真摯に向き合うと言ってくれた。たとえその答えが否だったとしても、何も言わずに消えるなんてことはありえない。

 本来ならすぐにでもアリィシャの元へ駆けつけたいのに、遅々として計画が進まないことが、ウルベルトのいらだちを増していた。


「この辺なのは確からしいので、道に検問でも引きますか。」

「ここらは道が網の目になっていて、一つを塞いでももう一方から逃げられます。すべての道に検問を置くとなると王都に応援を呼ばないと…」


 地図を片手に、相談を始める騎士たちに、ウルベルトは嘆息した。


「とにかく、王都に応援を要請して、その間に私達はそのへんの家屋を捜索するぞ。」

「っは!」


 このままでは朝まで帰れそうにない。

 いっそウェジントン子爵にここを任せて自分は王都に戻れれば…。

 そんな考えが脳裏をよぎり、首をふると、ウルベルトの耳にかすかにか細い悲鳴が小さく響いた。


 驚いて顔をあげ、周囲を見渡す。

 しかしまわりにいるのは騎士の男たちばかりで、どう見てもそんなかわいい悲鳴をあげるような者たちには見えなかった。


「今なにか聞こえなかったか?」


 横にいた騎士に聞くと、彼は不思議そうな顔であたりを見渡した。


「いえ、特には…。」


 気のせいだろうか?と思ったウルベルトの耳に、またかすかに誰かの声が聞こえた。

 その声に、いやな胸騒ぎを覚えて声がしたほうへ顔を向ける。

 先程ウルベルトに返事をした騎士も、ウルベルトの視線を追って、そちらに目を向けた。


「やはり何か聞こえた。」


「そうですか?」


 どうも自分以外には聞こえていないらしい。

 アリィシャを心配するあまり幻聴でも聞こえたのだろうか?と首を捻りつつ、声がしたほうへ足を向ける。


「一応確認に行く。ついてこい。」


 どうせ、この後調べる当てがあるわけでは無い。不審な物音がするのであれば調べたほうが良いだろう。

 騎士たちも、特に異論はないようで素直に付き従ってきた。

 そのまま少しも行かないところで、目が良いべオルフが小さく声をあげる。


「閣下、人影があります。」


 ひそめられたその声に、彼が指差すほうを目を細めてよく見ると、たしかに雑木林前の物置小屋の横で、夜闇にまぎれて黒い人影が動いている。

 真っ黒なローブを着ているのか、その姿は言われなければ気がつかなかっただろう。


「閣下、あの男です。さきほど見失った術士に違いありません。」


 先程、青い顔で震えながら報告していた騎士が身を乗り出して言う。


「…よし、べオルフ。」


 視線でやれ、と指示を出すと、べオルフは無言でうなずき携えていた弓を引いた。

 その間に、静かに他の騎士たちが男との距離をつめる。

 かがんでいた黒い人影が、立ち上がり横にあった物置小屋に入ろうとしたところで、べオルフの弓がするどい音を上げ、矢が風を切る音が遠ざかっていく。

 まっすぐ男に飛んだ矢は、綺麗にその足に突き刺さった。


「取り押さえろ!」


 ウェジントン子爵の号令で、男と距離を詰めていた騎士たちが一斉に飛びかかった。

 そのまま、術封じの縄を使って縛り上げる。


「そいつで間違いないか?」


 男を取り押さえた騎士にそう声をかけると、その顔を確認した一人がうなずく。


「間違いありません。」


「よし、さっさと吐かせろ。」


 すぐに隠れ家の場所を白状させれば、今度こそ逃げられずに済むかもしれない。

 もしもたついたら自分も聴取に参加しよう。

 その場合少し手荒い方法もやむを得ないかもしれない。

 そんな不穏なことを考えながら、ウルベルトは顔を上げた。


 そしてそこに、銀の弾丸が振ってきた。


「か、閣下!」

「大丈夫ですか!」


 一瞬、敵の攻撃かと思ったそれは、ウルベルトの鼻にぴったりとすがりついてなにやら小さな頭をすりつけている。

 しかし目と目の間で一生懸命動くそれがなんなのか、ウルベルトにはよくわからなかった。

 横で臨戦態勢を取りかけた部下たちもポカンとしながらもその手を腰の剣から降ろしているところを見るに、無害なものではありそうだ。

 とりあえず、何かの動物であるらしい。


 鼻柱に受けた衝撃から回復し、そっと手でその何かをつまんで鼻から引きはがし、目の前にぶらさげる。

 モモンガか何かかと思っていたそれを見て、思わず先ほどまでの苛立ちも忘れてウルベルトは目を瞠った。

 月の光を受けて、微かに銀色に光る体に、腰までの銀髪を垂らし、同じ色の翅をピコピコとどこか嬉し気にさげたり持ち上げたりさせているそれは、小さな妖精だった。


「…銀色の…妖精?」


 もしや追っていた商人のところから逃げ出してきたのだろうか。

 ウルベルトの鼻から引き離され、すこし名残惜しそうに小さな手をこちらにむける妖精は、彼の金色の瞳を熱心に見入っている。


「閣下、お知り合いですか?」


 いぶかし気なベオルフにそう聞かれ、ウルベルトは記憶の中から答えを探す。


「いや…。んん、お前もしかして随分昔に見た銀の妖精か?無事だったのか?」


 最初、フェリンドでアリィシャの横に居た妖精かと思ったが、あれはもっと白っぽい翅をしていた。

 あとは彼が知っているのは、三年前に目の前で消失してしまった銀の妖精だけである。

 聞かれた妖精は、コクコクと頷いた。


 ~そうか、あの時死んでしまったと思ったが、姿を消しただけだったのか。


 三年越しに彼女の無事を確認し、よかったと心底思い、ウルベルトの金の瞳が弛緩する。

 その手の中で、妖精が銀色の翅を羽ばたかせて飛び上がろうとしたので、そっと離してやった。

 自由になった妖精は、飛び上がりながら何かを言おうとしていたようだが、はっと後ろを振り返ったかと思うと、次はウルベルトの頭に取りすがってその赤い髪の毛をピンピンと引っ張り始めた。


「いたっ、いたいっ!」


 前髪を一房まるまる抜かれるんじゃないかという彼女の勢いに、頭を前方に引かれまいと少し後ろに倒して、ウルベルトは小さく抗議の声を上げる。

 突然の奇行を、やめさせようと手をのばしかけたとこで、妖精の小さな高い声が、せっぱつまったようにさけぶ。


「助けて!アリィシャが…」


 ザワっとまわりの騎士がどよめいた。

 皆、アリィシャが居なくなったことを知っているからだ。

 そしてその女性が、自分たちの上司の不機嫌の原因だということも。

 ベオルフに至っては「マジかよ」という心中を隠しもしないで顔をしかめているし、ウェジントン子爵も珍しく眉を潜めていた。


「アリィシャがいるのか?」


 妖精の言葉の意味を理解して、ウルベルトは低く静かに妖精に問いただす。

 何度も頷く妖精の姿に、腹の底からふつふつと怒りがよみがえって彼の顔を険しい物に変えた。


 まさか、妖精を密輸する商人が、次はアリィシャに手を出したのか?彼女の見た目が妖精のようだから?

 アリィシャはフェリンドで庶民のような恰好で動き回っていたから、そこを間違われて攫われたのかもしれない。

 もし彼女の身分を知ってのことだとしたら不遜な輩だ。竜王国の第二王子の想い人だと皆が知っている少女に手を出すなど、殺してくれと首を差し出しているような物である。

 先ほどまで銀の妖精に優し気な視線を向けていた金色の瞳が、また剣呑な空気をまとって鋭く光りはじめたのを見て、まわりの騎士たちはぶるりと震えた。

 これから起こるであろう惨劇に、誰かが唾を飲み込んだ時、ウルベルトが鋭く叫ぶ。


「馬を引け!」


 彼の声に、騎士たちが離れた場所に繋がれていた馬を連れに走る。

 彼らが引いてきた自らの愛馬に、ウルベルトはその長い足を向けた。


「一班は殿下に続け。二班から五班は横に広がって包囲、六班はこの男の移送と王都に伝令を。フェリンド家にも伝えておけ。」


 ウルベルトの後ろでウェジントン子爵が騎士に素早く指示を出す。

 その声を聴きながら、ウルベルトは真っ黒な軍馬にその大きな体型からは想像もできない身軽さでひらりと飛び乗った。


「閣下も行くんですか!?ちょっとその頭目立つんですけど!フードかぶってください!」


 真っ先に駆けだそうとしたウルベルトに待ったをかけたのはベオルフだった。

 本来第二王子が前線に出るなんてありえない。

 しかし銀の妖精が不穏な名前を出したおかげで、それを止められる者がここに誰もいないであろうことも皆わかっていた。

 べオルフは脇に抱えていた偵察用のフードを馬上のウルベルトに投げてよこす。

 ウルベルトはすぐにも走り出したかったが、ベオルフが言うことももっともだと投げられたフードをキャッチして、そのままぞんざいに頭にかぶった。

 銀の妖精は、ウルベルトが走りだそうとするのを見て、前方に飛んでいく。


「道は避けて、木を縫って進んでくれ!」


 ウルベルトが声をかけると理解したのか、畑横の道を避け、彼女は林を縫うように進んでいった。

 そして10分も走らないうちに、ぴたりと止まると、前方に見える畑横の雑木林を指さした。


「あそこよ!」


 見たところは鬱蒼と茂る木々しか見えないが、しかしよくよく見ると、古い廃屋のような物が奥に建っているのがわかる。


「よし、ここからは徒歩でいくぞ。」


 ウルベルトがそう言うと、銀色の妖精はふわりと彼の肩に降りてきて、そのまま少し何か考えるそぶりをした後、軍服の胸ポケットに入り込んだ。

 彼女は暗闇の中でもぼんやりと光ってみえるため、目立たないように配慮してくれたのだろう。

 ひょこっと胸ポケットから顔だけ出す妖精を少しほほえましく思いながら、一行は茂みなどに身をひそめながら進む。


「結界が張られていますね。」


 ウェジントン子爵が、足元に転がり、わずかに光を発する石を指さして言う。


「力を制限するものか?感知は?」

「防音と…迷彩だけかと思います。解除しますか?」

「いやいい。」


 中に入って何か害があるものではないなら、と構わずウルベルトは結界の中へ踏み入った。

 なるほど、たしかにその中に入ると、さきほどまで木でほとんど見えなかった廃屋が、はっきりと姿を現した。まったく人気が無いように見えた窓からはわずかに光が漏れているのもわかる。

 どうやら数人は外で何かの作業をしているようだ。


 中にアリィシャがいるのであれば、できれば隠密に行動したい。

 しかしこれまでのことを考えると、彼等はあと少しも経たない内にここを離れてしまうだろう。

 そうなると、あまり時間は無い。


「最初に外の連中を抑えて意識を向けた後に中へ入るぞ。」


 陽動作戦で潜入しよう、と決めて指示を出すと、ウェジントン子爵が頷いて包囲班のほうへ移動していった。

 結界に足を踏み入れた後はベオルフを含めて六人ほどがウルベルトに続き、ウェジントン子爵と他の者は建物を包囲するために左右に散っていく。

 建物の窓は木が打ち付けられており、正面の入口に見張りは立って居ない。

 裏口側に荷馬車が三台あり、そのまわりには数人の人、入口側には一頭立ての馬車が二台とまっている。


「たぶん、二階から見てますね。まだ気づかれてはいないようですが」


 ベオルフが屋敷を観察しながら言う。


「包囲が完了したら突入するぞ。特に逃走手段をつぶしておけ。馬は居たか?」

「荷馬車につながれているのが4匹。入口前に馬車に2匹、単体で2匹です。」

「よし、突入する時にハンスは馬の縄を切って逃がせ。入口からだ」

「っは」


 見たところ、まだ密猟の品を運ぶ荷馬車は屋敷の裏にあるようだ。ということはまだ中にほとんどの人間が居るとみて間違いない。

 点々と拠点を変えているところから、脱出通路といった手の込んだものは無いはずだ。

 そう計算していると、ふいに正面玄関の扉が開いた。

 気づかれたかと全員が身構えたが、中から出てきたのは女性と小柄な男性だった。

 女性はそのまま馬車に乗り込み、男性が御者台に乗る。

 どうやら中に居た誰かがどこかへ出かけていくらしい。


「どうしますか。」

「…エリックとジョーンズ、追って離れた場所で確保しろ。」


 指名された二人は、無言でうなずいて馬が繋がれたほうへ戻っていった。

 ここで人員が減るのは痛いが、さりとて逃がすわけにはいかない。

 二人の足音が遠のいていったのを背後に聞いていると、まもなく屋敷の裏手がにわかに騒がしくなる。


「行くぞ。」


 ウルベルトの静かな号令と供に、騎士たちが駆ける。裏口につながれた荷馬車のほうから、男たちが拘束される声が聞こえた。

 その声をききながら、ウルベルトたちは正面玄関へまわる。

 扉はさきほど女性が出て行ったせいか、鍵がかかっていなかった。


「敵襲ー!」


 二階から聞こえる叫び声を聞きながらエントランスに走りこむと、ウルベルトの胸ポケットから妖精が声をかけた。


「左右から行って!」

「ベオルフ、フレット右!他はつづけ」


 妖精の声を受けてウルベルトが出した指示どおり、騎士たちが左右に散る。

 後ろで、剣戟の音が聞こえる。たぶん二階から降りてきた見張りと殿の騎士が交戦しているのだろう。

 左から回ったウルベルトの前を、胸ポケットから抜け出した妖精が飛んでいく。

 彼女はそのまま、廊下を曲がった先の扉の下へ降り立った。

 ウルベルトたちもかけつけると、中から複数の男の声が聞こえる


「敵襲!?」

「おい、追手は巻いたんじゃなかったのか!」

「いいから運べ!」

「その女は!?」


 扉の下に潜り込もうとしていた妖精を、つぶさないように手でつまみあげてから、ドアを蹴り破る。

 その途端、左右から切りかかってきた男の一人をかかと落としで沈め、もう一人はウルベルトがその剣をかわしたところを後ろから続いた騎士が切り伏せた。


 ハラリと頭にひっかけていただけのフードがウルベルトの頭上から落ちる。


 部屋の中に居たのは身なりのよい恰幅のいい男と、肥満気味の男、そしてその護衛らしい男たちが数人だった。

 皆驚いたような表情でこちらを見ている。

 恰幅が良い男は見覚えが無い。その横の肥満気味なのはハゼット伯爵だろう。

 フードが落ちたことであらわになったウルベルトの鮮やかな赤い髪の毛の色の意味を思い立ったのか、ハゼット伯爵がヒィッと小さく悲鳴を上げた。


 そしてその男たちの足元、両腕を後ろ手に縛られ、淡い金色の髪の毛を床に散らして、ぐったりと床に臥しているのは


「アリィシャ!」


 それはウルベルトの愛しい女性だった。

 その姿に一瞬安堵の息をつきかけて、様子がおかしいことに気が付く。

 頭から血を流し、その血でドレスを染めた少女はいつもの輝きがまったく無い。

 窓からもれる月明りに、淡い金色の髪がその光をわずかに返す程度だ。

 伏せられた長いまつげは、月明りに照らされてその青白い頬に影を落とし、ウルベルトの呼びかけにピクリとも動かず、その下にあるであろう淡い空色の瞳を頑なに隠している。


「…一体何をした…?」


 まさか、という思いに腹のそこから何か黒いものが這い上がってくるような感覚がする。

 怒りという言葉では収まらないそれが、今にも体を突き動かして彼等ののどを食いちぎりそうな気さえする。

 頭にのぼって来た熱が、ウルベルトの理性を焼き切ろうと燃え上がっていた。

 金色の瞳が、その内で燃える憤怒を宿して竜の逆鱗に触れた男たちを睨み据える。

 その視線の先で、男たちが彼の殺気を受けて身をすくませる。

 そしてウルベルトの後ろで騎士たちが男たちが竜の逆鱗に触れたことを理解して顔を青くする。


「は、はなして…」


 右手につままれていた妖精が、ウルベルトの怒気に怯えてか小さく声をもらした。

 あやうく怒りのままに握りこみそうだった手を広げ、彼女を解放する。


 そしてウルベルトはその手を、腰の剣にかけた。

 チャリン、とアリィシャがくれた竜目石が音を立てる。


「閣下!殺しては駄目です!閣下!聞こえてますか!!」

「おい、応援呼んでこい!容疑者を守れ!」


 後ろで騎士たちが叫ぶのがやけに遠く感じられ、ウルベルトはその怒りに任せて剣を抜き放った。


「あ、だめだこれ。フレット、お前は右だ。俺は左いく。護衛はいい。あの身なりいいやつ!あいつらは生かしとけ!デニス、お前はお嬢の保護だ!」


 これは命がけの戦いになるかもしれない。主にウルベルトと騎士たちの。

 そうベオルフは覚悟を決めて、我を失ってしまった上司の代わりに指示を飛ばす。

 そこからはもう、倉庫の中は大乱戦だった。


 まず抜きはらわれたウルベルトの剣に護衛らしい男2名が床に沈んだ。


 恐慌状態にあったのかとびかかってきた男が剣を抜きはらった勢いのまま飛んできたウルベルトの左拳に沈められた。


 逃げようとした男は首根っこを捕まれて地面にたたきつけられた。


 こともあろうにアリィシャを盾にしようとした恰幅の良い男の首が、ウルベルトの剣で胴体と別れを告げるのを、すんでのところでベオルフが投げた剣の鞘が男の額に当たってもんどり打って倒れたことによって回避された。


 これ以上の悲劇は阻止しなくてはと、デニスと呼ばれた騎士が男の手から離れて地面に倒れこむアリィシャの体を受け止め柱に繋がれた縄を断ち切って、決死の思いで剣戟を潜り抜けて入口横まで避難した。


 後ろから奇襲をかけようと襲い掛かってきた男は長い脚に蹴り飛ばされた。


 その横から剣をふりかぶった男は一撃を回避され、姿勢を崩したところで切り飛ばされた。


 そのままとどめを刺そうと降ってきたウルベルトの剣から、騎士がその男の体を引っ張ってなんとか逃した。


 動けないでいるハゼット伯爵はウルベルトの意識が向くまでになんとか騎士の一人が縛り上げてその前に立った。


 そこへ降ってきた剣をギリギリ受け止めた騎士の後ろで、あわててもう一人の騎士が男を室外に引きずりだした。


「ベオルフさん!この男どうしますか!」

「こっち連れてこい!俺に殴らせろ!」

「えええ!?」

「俺だって怒ってるんだ、よっ!」


 室外に引きずりだされたハゼット伯爵はベオルフの拳で意識を手放した。


 室内ではもんどり打って倒れこんだままになっている恰幅の良い男に、ウルベルトが絶対零度のまなざしを向け、歩を進めている。


「フレット!!もう一回行け!」

「は、はい!」


 先ほど小太りの男をかばった騎士が、あわてて恰幅の良い男をかばうようにウルベルトと男の間に割って入る。


「どけろ」


 ウルベルトが短く威嚇し、騎士をそこから立ち退かせようと、腕を一閃し


「殿下!捕縛が終わりました!」


 ウルベルトの腕が騎士の体を吹き飛ばすすんでのところで、ウェジントン子爵の報告がするどく飛んだ。

 ぴたりと動きを止めたウルベルトの目に、うっすらと理性の光がかえってくるのを確認して、その前に立ちはだかっていた騎士はふーっと息を吐きだす。


 シン、と騒然としていた室内を重い沈黙が満たし、騎士たちの荒い息遣いだけがその場に響く。

 いつの間にか外も静かになっており、子爵の言う通り、すべての捕縛が完了したのだろうことが伺えた。

 しばし、月光に照らされた室内に、夜のひんやりとした空気がすり抜けていく。


「か、閣下…」


 沈黙を破ったのは、さきほどアリィシャを抱えて部屋の入口横まで避難した騎士の震える声である。

 ゆっくりとウルベルトが振り返ると、その騎士は真っ青な顔で自らその名を呼んだにもかかわらず身を震わせた。

 激しい怒りを燃やしつくしたように、温度の無い金色の目がその姿を捕らえる。

 座り込んだ騎士の前には、血を拭き取られ、石膏のように白い肌を月明りに照らされたアリィシャが、胸の上で手を組まされ寝かされていた。


 騎士の顔色と、彼女のいつもよりも青白いその顔に、何が起こっているのか頭の隅で理解しながら、のっそりとウルベルトはそちらへ向かう。

 その様子を、誰もが固唾を飲んで見守った。

 体が鉛のように重く、彼女の前に立ってそれを確認したくない、という気持ちが胸を締め付ける。

 しかし、やらなくてはいけない。

 いつまでも彼女を固い木の床に寝かせておくわけにはいかなかった。


 一歩踏み出す度に、静かな室内に響くチャリン、チャリン、という竜目石の音を聞きながら、一歩一歩彼女のほうへ足を進める。

 アリィシャの前で跪き、その軽い体を抱き起すと、その冷たさに心まで恐怖に震えるようだった。

 青白い頬、まるで夢でも見るようにふんわりと閉じられた淡い金色の睫毛。

 しかしその睫毛は動く気配も無く、その下の瞳を彼に見せてはくれない。


 彼女は、息をしていなかった。


「アリィ…シャ…」


 かすれる彼の声に、あの高く甘い声は返事を返さない。

 いつか聞かせてくれるといっていた歌を、もう聞くことは叶わない。

 白い頬を、嬉しそうに朱色に染めて、淡いブルーの瞳で笑いかけてくれることはもう無い。

 開華祭の夜、突き放すように帰した彼女に、まだ謝罪も出来ていなかったのに。


 焦点が定まらなくなりそうな彼の視界の端で、なにかがキラリと光った。

 そちらに目をむけると、彼女の胸の上に組まれた左手の薬指で、星鈴草を象った銀色の指輪が月明りに輝いている。

 震える手で指輪をはめた手をそっとにぎると、その手は冷たいがまだ柔らかかった。

 ついさきほどまで彼女が生きていたことを知らせるその柔らかさはいっそひどく残酷だ。


 ~そんな…


 彼女は自分の心に答えてくれたのに。

 もうすぐで、この腕の中へ飛び込んでこようとしていたのに。

 間に合わなかった。

 捕まえることができなかった。

 こんなことならあの開華祭の夜、衝動に任せて彼女を王城に攫ってしまえばよかった。


「アリィシャ!」


 名前を呼んで、その小さく冷たい体をかき抱く。

 その体を腕の中に収めても、彼女はもう遠くへ飛んでいってしまったのだと知りながら。

 数日前、自分の腕の中で顔を真っ赤にして身じろぎした彼女は、今は彼の腕の中で力無く抱かれるままになっている。

 その冷たい体の温度が、ウルベルトの体温をも奪っていくように感じられた。

 彼女がもう本当にどこにも居ないのだと理解して顔をあげる。

 目を閉じたままの彼女の顔に絶望で目の前が暗くなり、世界の色が色あせていく。


 チャリン、と竜目石が悲し気に鳴る。

 ウルベルトはその色褪せた唇に顔を寄せ、そっと口づけを落とした。


 ふ…


 それはとても微かだった。

 彼女の唇から離した己の唇に、自分の物では無い微かな空気の振動を感じて、ウルベルトの絶望に閉じかけた思考が、わずかに動いた。

 本当に微かだけれど、夜に吹く風とは違う、空気の振動。


 ウルベルトが驚きに顔を上げる前にその異変に気付いたのは、アリィシャを部屋から抱えだし、介抱をした騎士だった。

 彼の視界の隅で、星鈴草の銀のリングが、キラリとまたたいた。

 月の明かりを反射したのかと目をむけると、その指が、ピクリと動いたのである。

 最初、ウルベルトに抱かれた振動で動いただけかと思ったその指が、次は明確な意志をもって、もぞり、と動くのを見て、騎士は思わずのけぞった。

 組まれていた手をほどき、その手が動くのを確認するようにゆっくりと一度開いて、にぎりこむと、そっと彼女を抱く男の袖に、その手を伸ばす。


 弱々しく握りこまれた袖の感触に、ウルベルトが体を震わせた。

 顔をあげ、アリィシャの顔をのぞき込む。

 先ほどまでまるで石膏のようだった頬に、ほんのりと朱がさして、淡い金色の睫毛が、ぴくりと動いた。

 ほう…と、次はたしかにその口から息が漏れる。

 血で染まったドレスの下の胸が小さく上下し、その肺に月夜の空気を吸い込んだ。


 そして、ゆっくりと、金色の睫毛がその帳を持ち上げる。


 その光景はゆっくりで、ウルベルトにはその時間が永遠にも感じられた。

 その長いまつげの一本一本まで見えるのでは無いかというほど、息をつめ、凝視する。

 けぶる睫毛が下瞼から離れ、うっすらと曇天の雲間から青空がのぞくように、その淡い空色の瞳が垣間見えた。

 夢見るような空色の瞳が、淡い金の帳が上がるごとに焦点を結んで、ウルベルトの金色の視線と交差する。

 色を取り戻した彼女の小さな唇が、はく、と動いたかと思うと、そこから笛の音のような声がもれた。


「…ぅ…る、…ベル、ト…で…」


 微かな吐息まじりの声に、そこに居た全員が息を飲む音が静かな室内に煩く響く。


「アリィシャ!」


 かすれる声で叫ぶように呼び掛けると、彼女はかすかにほほ笑んだ。


「ウルベルトでん…か…温かい…。」


 もうかえらないと思った返事が返ってくる。

 その奇跡に、ウルベルトはもう一度彼女をきつく抱きしめたのだった。

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