45 手紙
「お嬢~。どうしたんですかそんな難しい顔して。」
フェリンド邸のティールームで、しかめっ面をしていた私の後ろから、聞きなれた明るい声がかかった。
私が難しい顔のまま振り向くと、そこにはペリドットの瞳の青年が、いつもどおりの隊服でこちらをのぞき込んでいる。
「あまり眉間に皺をよせるとそのまま顔に刻まれちゃいますよ。」
「ベオルフ…。」
物騒なことを言う彼に、私はとっさに眉の間のしわを伸ばしながら名前を呼ぶ。
呼ばれた青年は、ニコリと人好きのする笑みをうかべて、横まで歩いてきた。
「どうしたの、あなたフェリンドで仕事があるのでは無かったの。」
王都での私の護衛はあまり必要としないので、ベオルフはフェリンドに残りそのまま別の仕事をすることになっていた。
だから先日王都に出てきた時、彼とはお別れをしていたのである。
「はい、ちょっと別件の仕事でこちらに戻ることになりまして。丁度さきほど王都についたんで、挨拶しに来たんです。まあそれは置いておいて、元気無いですねお嬢、何かあったんですか?」
「そうなの…。今日は屋敷には私しかいないのよ…。ちょっとやめて、つつかないで。少し悩んでいることがあってそれについて考えていただけよ!」
ヘラリ、と笑ってここにいる理由を述べた後、先ほど皺を伸ばした私の眉間を指でぐりぐりと押して来る彼に抗議する。
手でおでこをかばって体を逃がすと彼はハハハ、と笑った。
「お嬢が悩みなんて珍しいですね。家庭菜園でも枯らせたんですか?」
「違うわよ!今年はまだ植えたばかりだもの!」
ふーん、と私の言葉に気の無い相槌をうちながら、ベオルフはティールームの大きな窓から見える庭に目を移す。
今日はあいにくの曇り空だが、庭には花開いた春の花が大分増えてきていた。
「まあ、いいですけどね。あんまり引きこもってるとマイナス思考になるもんですよ。俺、仕事終わったら少しこっちにいますんで、もし外に気分転換に行く時はお供しますよ。」
だから美味しいものおごってください。というベオルフの背中を無言でべしりと平手でたたく。
彼は「いたっ」とさして痛くも無さそうな声を出した後、じゃあちょっと仕事してきますと手を振ってティールームを後にした。
軽快な彼の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はふぅ、とため息をついて、握っていた手をひらいた。
そこにはとっさに隠してしまった銀の指輪が光っている。
結局、開華祭の後、ウルベルト殿下とは話すこともできず三日がたっていた。
私はその間、この指輪をつけるかつけまいか、また開華祭の前と同じように悩んでいたのである。
開華祭の自己評価は、ダンスで調子に乗ってしまったことと、最後に失敗したことを差し引いてギリギリ及第点前後、といった具合だと思っている。
特に、最後の失敗をいかにするかで私の指の上を指輪がいったりきたりしていたのだ。
~もしかしたら、殿下に失望されているかもしれない…
そう思うと、指輪をはめようとした手がまた指の上へ戻っていくのだ。
彼が途中で帰ってしまったのは本当に仕事だったんだろうか?
目を合わせてくれなかったのはそれだけ怒っていたから?
そんな考えが脳裏をぐるぐると渦巻いて、私ははあ~とため息をついて指輪を掌の上に戻した。
~つけたいなぁ…。
ころん、ところがる指輪を、もう一方の手でつつく。
しかしやっぱり、殿下ともう一度言葉を交わさないことには結論が出せない。しかし殿下はお忙しくて会えないのである。
ぼすん、とテーブルの上の手の横に頭を落として、私は掌の中の指輪を眺める。
細い銀色のリングに絡まる金剛石の星鈴草が、キラキラと光って綺麗だ。
石が光を反射するのを、しばし何も考えずぼーっと眺めていたところ、後ろからまた声がかかった。
「お嬢様、お手紙が参りました。」
聞きなれない声に顔をあげると、そこにはお盆の上に手紙を乗せた、見慣れない男性使用人の姿。
ラフィルお兄様のとこに入った新人さんかしら?と首をかしげつつお礼を言って手紙を手にとる。
それは差出人の無い、真っ白な封筒だった。
「どなたから?」
「いえ、存じませんが。」
封筒は薄く、あまり内容は無さそうだ。ティールームに差し込む光にそれをかざし、もう一度首をひねってからペーパーナイフを受け取って開封する。
そこには短い文で、こう書いてあった。
~お話したいことがありますので、メディッチ橋にてお待ちします。 クライム
「あら。」
先日来、こちらも音沙汰が無かった友人からの手紙に、私は沈んでいた気持ちが少し浮上する。
彼とはしばらく話ができないのではと思っていたので、こんなに早く手紙をもらえるとは思わなかった。
「誰か手が空いてる人はいないかしら。少しでかけたいんだけど。」
メディッチ橋なら家から歩いてもいける距離だ。
丁度気分転換もしたかったので、ベオルフの言う通り散歩がてら歩いていこうと考えた私が聞くと、男性使用人は少し考えるそぶりをした後、「私がお供します」と申し出てくれた。
今日は家族が皆出払っており、ジェニーも買い出しに行くといって先ほど出て行ってしまったばかりである。
私は男性使用人に少し待つようにお願いして、部屋の近くにいたメイドに簡単に身支度をしてもらいフェリンド邸から外に出た。
先日まで温かい日が続いていたのに、今日は曇りのせいか少し肌寒い。
もう少し着込んでこればよかったかしら、と後悔しつつ、私は足早にメディッチ橋を目指した。
いつもはお兄様かベオルフがついてきてくれるのでにぎやかなのだが、今日の彼は静かに少し後ろをついてくるだけなので、なんだか初めて一人で外出したような気分になる。
元々、護衛というものはそんなに煩いものでは無いらしいので、ベオルフでは無く彼の態度こそ正しいものなのだろう。
曇り空とは言え、外の空気はやはり気持ちいい。
ベオルフの言う通り、引きこもっていては駄目ね、と思いながら私は石畳の上を進む。
そしてふと、懐にしまっていた指輪を取り出した。
~クライムに会うなら、つけておいたほうがいいわよね。
先日、夜会のテラスで私が彼と一緒に居たところを見た殿下の顔を思い浮かべる。
やはり他の男性に会いに行くのであれば、私の心がどこにあるのかは主張しておいたほうがいいだろう。
そう意を決して銀の輪に指を通せば、数日間、あんなに悩んでいたのに、それはなんの抵抗もなく私の指にはまった。
ぴったりと指の付け根に収まったそれに、私はうふふ、と声をもらす。
指輪がはまった場所が、なんだか温かい気がする。
「綺麗…」
指にはまってチカチカと輝く星鈴草が、私の心を浮き立たせた。
そんなふわふわした私の耳に、細く高い音が聞こえてきた。
聞き覚えのあるその音に私は耳をすます。
それは、妖精の呼び歌だった。
~こんな王都のど真ん中で妖精の呼び歌…?
私は首をかしげ、歌が聞こえたほうに視線をめぐらせる。
そこは、小川横の、少しさびれた路地だった。
小川は流れているものの、緑はあまり多くなく、妖精が住む場所だとはとても思えない。
目的のメディッチ橋はもうすぐそこだったが、私は路地と橋への道を見比べた後、路地のほうへ入ることにした。
クライムであれば、少し遅れても怒ったりはしないだろう。
後でちゃんと謝ろう、と思いつつ歌声をたどる。
足を進めるごとにはっきりと耳に聞こえるそれは、私に聞き覚えのある声だった。
~これ…朝露の声だわ…。
ここにいるはずの無い友人の声に、私は動揺した。
一歩進むごとに、浮き立っていた気持ちが重くなって沈んでいく。
何故フェリンドから遠く離れた地に彼女がいるのだろうか。
それとも声のそっくりな別の妖精なのだろうか。
~まさか、彼女も捕まってしまったの…?
三年前の月夜のことを思い出し、私はぞっとして足を速める。
路地を進み、曲がった先にあったのは、布をかぶせられた荷馬車だった。
記憶のそれより大きくて立派な馬車であったが、声はたしかにその中から聞こえてくる。
「朝露…?」
恐る恐る声をかけると、歌がぴたりと止まった。
「アリィシャ…?」
泣いていたのか、かすれたような声が返ってくる。
まさか本当に?もしかして…もしかしてウルベルト殿下が?
呆然と立ち尽くした私は、後ろから何か固い物で殴られて、そのまま意識を手放してしまった。




