40 開華祭1
「ねえジェニー…やっぱりこのドレスを着ていくしかないのかしら…。」
レディのお屋敷に転がり込んでから一か月弱
結局淑女合宿は行われなかったが、ドレスは私にお任せなさい、と胸をたたいたレディが仕立ててくださったドレスを着て、私は鏡の前で未だに呆然としていた。
「ええ、まあ、さすがにウェジントン侯爵夫人のご厚意は袖にできませんでしょう?よくお似合いですわよ。胸もしっかり盛ってさしあげますからそうご悲観なさらず。」
「胸の問題じゃないのよ!いえ、それも問題なんだけど…!」
もうすでに今日は開華祭当日。
替えのドレスが無いことはわかりきった上で私は顔を覆って身もだえた。
本日のドレスは足元が薄柿色、上に行くほど色が淡くなるドレスで、光にあてると白にも見え、まるで花嫁衣裳のようである。
色も問題なのだが、それよりも問題なのは、その形だ。
相変わらず細身の私の体にあわせてあまりパフを使わないシンプルなラインではあるのだが、なんと背中と胸元ががっつり開いているのである。
前回も述べたが、私は普段、あまり肌が出るドレスを着ない。
そりゃあ、フェリンドでは庶民のワンピースで足元は少し出ていたかもしれないが、それでもブーツをはいていたのである。
それがこんな…。背中ががばっと空いているなんて…。胸だって…。
ちょっと羞恥で立っていられる自信がなくなってきた。
妖精だった頃はもっと腕も足も出ている服だったのに、人の身になるとなんだか急にはずかしくなるのはどうしてなのか。もしかしてアリィシャが恥ずかしがっているのだろうか?
これでも仮縫いの時にはもっと背中が惜しみなく出ていたのだが、恥ずかしいです、とお願いして少し控え目にしていただいたのだ。
しかし少しだけであって、依然私の背中は日の元に晒されていた。
「大丈夫ですわよ。お嬢様の髪の毛は長いですし、少し隠れますもの。もう16歳におなりなのですから、不釣り合いということはありませんわ。」
竜王国での成人は、女性が16歳、男性が18歳だ。
社交界デビュー自体は、その一年前に行われるが、最初の一年は見習いのようなもので、社交界で一年過ごしてようやく一人前の大人と認めてもらい、飲酒も解禁されるのである。
まあ私の場合、見習い期間だったはずの1年間をさぼって過ごしたので、なんちゃって成人だと言えなくもない。
そんな私がこんなドレスを着るなど畏れ多いのでは無いかと震えてしまう。
いや、実のところ、この恰好で殿下の前に立つのが恥ずかしすぎて愚図っているだけなのであるが。
「本当に大丈夫かしら?おかしくない?」
もう一度鏡の前で確認する私に、ジェニーは大丈夫です、とこちらも見ないで頷く。
なんだか不安をぬぐえないのだが、レディが選んでくれたドレスがおかしいということは無いだろう。
結局のところ、問題は私が恥ずかしいという一点だけなのである。
「ところでお嬢様、頂いた指輪は本当にお付けにならないんですか?」
「…ええ、つけないわ。」
ジェニーがちらっと視線を投げた先には、黒いビロードの小箱。
中身はもちろん、殿下から頂いた指輪である。
これに関して、私は前日まですごく悩んでいた。
指輪を手に、はめようか、はめまいか、と自分の薬指の前で何度も銀色に輝くそれをいったりきたりさせていたのである。
お見合い五連敗の理由はよくわかった。
このことに関してはもう何も言うまい。
しかし結局私が社交界では初心者なのは変わらない事実だった。
王宮の人々の洗練された様を思い出せば、私がまだまだ若輩者であることは明白である。
さすがに男性に見向きもされないダメダメな令嬢という自己評価は改めたが、私は場数を踏んでいないがために、社交界でしっかりと殿下の横に立てるという確信が無かった。
なにせ初めての夜会では半分も出席しないで泣いて逃げ帰ったのである。
ここは初志貫徹し、今日の夜会でしっかりとふるまうことができたらこの指輪をはめよう、と自分を甘やかしてしまいそうになる心を律したのである。
……律したのであるが、このドレス……。
大丈夫だろうか、また殿下を前に心臓が暴走して失神しないか若干不安である。
そんな私の心を知ってか知らずか、「さあできましたよ」とジェニーが私の背を押して
およそ8時間に及ぶ私の夜会準備は終わったのである。
〇・〇・〇・〇・〇
私を迎えに来た殿下は、いつもとは違う式典用の軍服を纏い、目がつぶれるのでは無いかというくらい素敵だった。
長身で体格の良い彼は軍服がとにかくよく似合う。
全体的にシンプルながら、スタイルの良い彼の体がよく映えるラインの真っ黒な軍服は、金の縁飾りの詰襟に、彼の髪の毛の色と同じ赤い石の飾りボタンで締め、肩から伸びた飾り紐が襟元のボタンにつながって揺れている。
胸元に精緻に縫い取られた竜を模した刺繍は彼が竜王国の王子であることを示している。
その上に並ぶ勲章は、彼の功績をたたえて輝いているようだった。
レースと刺繍をふんだんに使ったジュストコールも素敵だが、彼にはストイックさが垣間見えるこの服装のほうがずっと似合うな、とほう、と私はため息をついてしまった。
しばらくうっとりと眺めていた後、ご挨拶をしていないことにハッと気づき、私はあわてて礼の姿勢を取る。
「殿下、本日はどうぞよろしくお願いいたします。」
そう言って頭を下げ、声がかけられるのを待っていたのだが、一向に返事は無かった。
なんだかこの感じ、前にもあったな…と思って顔をあげると、殿下は私を見たまま赤い顔で固まっていた。
その顔を見て、殿下のすばらしさに忘れていた自分の装いを思い出し、私はなんだかとたんに恥ずかしくなって顔に熱があつまるのを感じる。
横で見守ってくれているお父様に隠れたくなるのをぐっと堪えて、私は努めて優雅に姿勢を正した。
「殿下、わたくしのドレスはその…おかしくないでしょうか。」
もうできるならこのまま殿下の軍服にご馳走様でした、と述べてお部屋に引っ込みドレスを脱いで寝間着に着替えてベッドにダイブしたい。
羞恥に耐え、言葉が震えそうになるのを我慢してそう聞けば、殿下はハッと我に返ったように私の顔を見て、ブンブンと力強く首をふった。
「いや、すまない。今日のあなたが素晴らしすぎて少し言葉を失ってしまったようだ。」
おお…この人私と同じこと思ってるわ。
殿下に私が思ったことを、彼も思ってくれてたのかと思うと、顔どころか体までなんだか熱くなってきて私はこっそりと息を吐いて熱を逃がす。
「それはよろしゅうございました。私も殿下の装いのすばらしさに言葉を失っておりましたの。お互い様ですわね。」
そう言ってにっこり微笑めば、殿下も照れ臭そうな笑顔を返してくれる。
その金色の瞳が、ちらりと私の指元を確認し、少し寂し気な色をのぞかせたのを私は見逃さなかった。
自分の指をさすり、殿下をまっすぐ見上げる。
「殿下、本日はせっかく頂いた指輪をつけておりませんことで、ご不快にさせてしまいましたら申し訳ありません。わたくし、殿下の真摯なお気持ちは十分理解したつもりです。ただ…わたくしに今少し時間をくださいませ。わたくしも殿下に頂いた分だけ、真摯な気持ちをお返ししたいのです。」
指輪が無い指を胸の前でにぎりこみ、そう願うように言う私に、殿下は大きな金色の瞳を瞠った後、優し気な笑みを返してくれる。
「わかった。レディを待つのは男の役目だな。あなたが答えをくれる日を私は待とう。」
鷹揚に頷いた殿下に、黒い軍服に包まれたたくましい腕を差し出され私はそっとそこへ手を添えた。
「ありがとうございます、殿下。」
今日の夜会で、立派に殿下の横に立つ。
広い心で立ち止まって私を待ってくれた殿下の心に答えるべく、決意新たにフェリンド邸の外へ足を踏み出したのである。




