36 星鈴草畑
「申し訳ありません。少しとまっていただける?」
昼もすぎて村から帰る道中。
私は御者に声をかけ、馬車を降りた。
不思議そうにするウルベルト殿下とベオルフを見上げ、私は途中で馬車を降りた理由を述べる。
「殿下、申し訳ありません。私これから少し寄りたいところがあって…。もしお時間が無いようでしたら先に帰ってくださってかまいませんわ。ベオルフ、ちょっと森の中まで行くから馬に一緒に乗せてくれない?」
殿下にお辞儀をし、ベオルフの馬の足元まで駆けより、乗せてくれと手を差し伸べる。
しかしベオルフはその手を取ろうとして、そのまま固まってしまった。
私のほうではなく、その背後に視線を向け、心なしか顔がひきつっている。
私の背後でチャリン、と音が聞こえたが、私はすんでのところで届かなかったベオルフの手を取ろうと手をのばしていて、あまり気に留めなかった。
「あの、おじょー。その用事、今日じゃないとダメですかねー。」
「そんなことは無いけど、できれば早めに行きたいの。ダメなの?」
「いや、なんというか、わりと俺の命かかってそうだなと思って。」
差し出しかけたままのベオルフの手をとろうと、ぴょんぴょんと飛び跳ねていると、ベオルフは苦々しい顔をこちらに向けてくる。なんだか顔色が悪い。
今日はベオルフにこれから用事などは無かったと思ったが、ディジーとデートの予定でもあったのだろうか?
それともやはり、殿下を一人で帰らせるというのは無礼だったか。
そう思い至って背後を振り返ろうとした私の体が地面から離れた。
この感覚はなんかもう、ここ数日何度も体験している。
「殿下!」
「私は今日一日時間がある。私も一緒に行こう。」
何時の間に私の背後まで来ていたのか、馬から降りた殿下が私を抱き上げていた。
そのまま私が抗議の声を上げる間もなく、殿下の馬に乗せられ、当然のような顔で殿下が私を後ろから抱え込む。
「で、でも朝にご一緒にいらした近衛の方が夕方にお迎えにいらっしゃると…。」
「大丈夫だ。」
「ひゃいっ」
少しかがみ、私の耳元で力強く言った殿下の吐息が耳にかかって、私は思わず変な声で返事をしてしまった。
涙目で見上げると、やはりまだ少し不機嫌そうな顔をしている。
やっぱり今日は止したほうがよかっただろうか…と私が困惑して考えていると、殿下が厳しかった顔を緩め、見下ろしてくる。
「それで、どちらに用事があるんだ?」
「えーっと…。」
私が行きたかったのは、星鈴が言っていた滝と野原だ。
早めに咲いたという星鈴草を、是非見に行きたい。
星鈴草はすぐに枯れるような花では無いが、やはり星鈴が早めに咲いた、と自慢していたのだからシーズンに入ってから見に行っても遅いだろう。
場所はだいたいわかっているので星鈴を呼ぶまでもないが、しかし野原では星鈴に会う可能性が高い。
彼女は今日もせっせと自慢の野原の手入れをしているはずだ。
そこに殿下と行って大丈夫だろうか?
星鈴が私の正体についてぽろっと口にしてしまわないかも気がかりだし、なにより妖精だった頃に殿下に追い掛け回された実績が私はある。
「私に言えない場所か…?」
私がどうしようかと考えていると、殿下が再び眉を寄せる。
これはいけないと私はあわてた。殿下がくっついているせいで先ほどから元気な心臓が仕事をしていて煩くて考えがまとまらないのだ。
「あの、殿下は妖精はご覧になったことはございますか…?」
「ん?ああ、まあ…あるが。」
質問の意図が汲めない、といった様子で、殿下が方眉を上げる。
「あの…。妖精を、捕まえたりは…なさらない、ですよ、ね?」
結局、元々残念な私の頭にさらに元気一杯の心臓の鼓動という雑音がまじって、良い案がうかぶわけもなかった。
相変わらず残念なストレート勝負で、私は自分の残念さに殿下を見上げながら心中で膝を折る。
私の言葉に、殿下はもう一方の眉も上げ、しばし何も言わず私を見つめていた。
これは失敗したか、と私が内心ガクブルしていると、頭の上に、大きな殿下の手がぽんぽん、と軽く置かれる。
「妖精を国の許可なく狩るのは竜王国では禁じられている。第二王子の私も同様だ。まあ命にかかわるような悪さをする者がいるなら別だが…。どちらにせよ王命が無ければ動かないよ。…あなたがそのように怯えた顔をするのは、もしかして知り合いの妖精が居なくなってしまったのか?」
なるほど、私の時は王命があったのか…。
国に命を狙われていたのかと思い至ってぞっとする私の胸中を、頭に乗る殿下の温かい手が温める。
この人に恐ろしい目にあわされたというのに、その手で安心してしまうというのはなんだか腑に落ちない。
まあ、恐ろしい目にあったのはまわりまわって自業自得なので半分は言いがかりではある。
もし万が一正体がバレたらもう悪さはしてないんですって訴えてみようかな。
ああでも、アリィシャを殺して乗っ取ったと思われたら随分とお怒りを買うだろうなぁ…。
「アリィシャ嬢…?大丈夫か?何か気がかりなことでも?」
ふう…と思わず憂鬱な気分でため息をついてしまい、金色の瞳が目の前に降りてきた。
気づかわし気に私を見つめてくるその瞳に、顔の温度が上がってしまう。
今結構綱渡りな会話をしているように思うのに、これ以上私の思考を乱すのはやめて頂きたい。
「いえ、あの、今日行く場所は妖精に教えてもらった場所なのです。その、昔討伐にあった妖精がおりましたので不安に思いましたの。殿下を疑うようなことを申し上げて申し訳ありません。」
とりあえず、今は王命が無いようなので星鈴が捕まるようなことは無いだろう。
そう思って私は無礼な物言いを謝罪したが、殿下は何も言わず先ほどの気づかわしげな表情のまま私の目をじっと見つめている。
やはり怪しまれただろうか…?それとも疑ったことに気を悪くした…?
私が内心冷や汗をかいていると、殿下はふう、とため息をついて顔をあげる。
「わかった。もし何か不安に思うことがあれば隠さず私に言ってくれ。では、場所を教えてもらっても?」
そう言う殿下の顔はいつもの優しい顔で、私はほっと息を吐いた。
さすがにあなたに正体を知られるのが不安です、とは言えず、私は星鈴の野原があるであろう場所を指し示したのである。
〇・〇・〇・〇・〇
春の柔らかい日差しが木々の枝から顔を出したばかりの葉の間をすりぬけて、さわさわという風の音と供に木漏れ日が揺れる小道を、私達は馬で進む。
私と殿下を乗せた黒い軍馬が先頭に、その後ろをベオルフが少し間を置いてついてくる。
ゆっくりと散歩するような歩測の馬上で、私は四拍子を刻む揺れになんだかウトウトとしてしまった。
朝からの農作業の心地よい疲労感と、木々の間から漏れる春の日差しに、優しく頬をなでる風、しかも殿下の腕がしっかりと私を抱え込んでいて、安定感がある上に体温が心地いい。
相変わらず鼓動の音はうるさいが、それすらもなんだか子守歌のように思えるから不思議である。
つい、殿下の胸によりかかって、すり、と顔を摺り寄せる。もう瞼は半分閉じかけだ。
もうこのまま寝ちゃおうかな、と思った私の上から、殿下の少し緊張したような声がふってきた。
「あ、アリィシャ嬢。どうやら目的の滝についたよう…なの、だが。」
その声に意識が浮上し、私はガバリと、殿下の胸から顔を離す。
今、私は何を考えていたのか。婚約者でもない男性の前で居眠りするなど淑女にはあるまじきことである。はしたないと呆れられても仕方がない。
眠気はかくも理性をぐらつかせるものか…と私は内心で己の失態に肩を落とす。
「ここで間違いは無いか?」
殿下の問いかけに、私はようやく顔を上げ、前方を見た。
そこには、失敗に沈んだ私の心を吹き飛ばすような、素晴らしい光景が広がっていた。
「うわあ…!」
清涼な流れを落とすこじんまりとした滝の横から、我が家のエントランス程の広さの野原が広がっている。
木々の葉に遮られていた春の日差しが、ぽかりと丸く空いたその空間へ、惜しみなく柔らかい光を注ぎ、クリーム色の小さな花々が、その光を反射して輝いていた。
そこは一面、星鈴草畑である。
「素敵!」
そう言って身を乗り出し自分で馬から降りようとした私をあわてて殿下が止めて、先に馬上から降り私を抱え上げて下ろしてくれた。
足にふわりと草木の感触が触れたのを確かめて、私は夢中で野原へ走り出す。
春の光の柱の中に入ると、肌にふわりと温かさが届いて心地よい。
足元で咲く沢山の星鈴草が、私が動くのにあわせて揺れ、キラキラと輝いて見える。
「とても素敵な場所ですわね、殿下!」
その眩しいまでの光景に浮かれてくるりと回り、殿下を振り返ると、殿下は目を丸くしたまま固まっていた。
そんな彼を見て私はしまったと内心思う。
馬から降ろしてもらったお礼も言わなかったし、いきなり駆けだすのも淑女としてはもっての他だ。
目の前に広がる光景に心奪われてうっかりいろいろとすっ飛ばしてしまった。
でも、猫をかぶるのはやめようと思っていたのだし、畑仕事も手伝ってもらってしまったし、今更だろうか…。と、そんなことを考えていた私の後ろから、嬉しそうな声がかかった。
「アリィシャ、来てくれたの!?」
声とともに、頭に何かあたった気配がして振り向くと、そこには星鈴が嬉しそうに翅をはばたかせている。
「星鈴!ええ、お招きどうもありがとう。本当に素敵ね。ここだけもう春真っ盛りだわ。」
私の称賛の声に、星鈴は誇らし気に胸をはって、空中でくるりと回る。
「そうでしょう。とっても頑張ったんだもの。フェリンドの中でも星鈴草が咲いたのは絶対ここが一番よ!」
「そうね、うちの裏の丘はまだつぼみだもの。しかもこんなに沢山。とっても素敵だったから私、つい駆けだしてしまったわ。」
改めて野原を見渡しながら私はほう、と息を漏らす。
その様子に満足したのか、星鈴は嬉しそうな笑顔で肩にとまった。
「今日は王子様と一緒なのね?」
殿下のほうをちらりと見て言う星鈴に、私はそうだったと声を落とす。
「星鈴、知ってると思うけど、私が妖精だったことは内緒なの。彼にも言わないでくれる?」
星鈴はその言葉にきょとん、として私と殿下を見比べたが、ぷくっと頬を膨らませてそっぽを向いた。
「もう、知ってるわよ!もちろん言わないわ。大丈夫よ!」
改めて釘を刺されたことが心外だったのか、そう言って膨れる彼女に私はそうよね、ごめんなさいと謝罪する。
すると後ろから、殿下の声が聞こえた。
「それが言っていた妖精か、アリィシャ嬢。」
近づいてくる足音に飛び上がりそうになりながら振り向くと、殿下は興味津々といった様子で星鈴のほうを見つめている。
今の話はどうやら聞かれていなかったようだ。
ほっと息を吐く私の肩の上で、星鈴が立ち上がりくるりとまわった。
「はじめまして、アリィシャの王子様。私はこの星鈴の森に住んでいるの。よろしくね。」
住処を明かす、妖精式の挨拶をする星鈴に、殿下もにっこりと笑って答える。
「ああ、私はウルベルト=ドラグ=ハズルーンだ。先日もアリィシャ嬢の肩に居た妖精殿だな。このような場所で可愛らしい妖精を間近で見られるとは僥倖だな。」
可愛らしい、の部分に大いに嬉しそうな笑顔になり、星鈴が真珠色の翅をキラキラと羽ばたかせながらえへへ、と笑う。
その様子を、殿下はまじまじと眺めていた。
「殿下は妖精がお好きなのですか?」
私が首をかしげると、殿下は目を上げて私に微笑み返す。
「ああ、小さい頃から本物が見たいと思っていた。だがなかなかじっくりと見る機会は無くてな。今日は長年の夢がかなったようだ。」
そう言って笑う顔はアリィシャの記憶に見た少年のものによく似ている。
たしかに私が追いかけられた時は一目散に逃げ出してしまったし、先日も星鈴は狼狽する私を放っておいてさっさといなくなってしまった。
他の妖精たちも好んで人前に姿を現すわけでは無いので、なかなか珍しい体験なのかもしれない。
「ところで、妖精殿。つかぬことを聞くが、最近なにか変わったことなどは無いか?」
「変わったこと?」
突然の話題転換に、私と星鈴はそろって首をかしげる。
聞かれた星鈴はうーん、とうなって私の肩で空を仰いだ。
「そんなに無いと思うわ。…そうね、そういえば朝露の森の姿を最近見てないかしら。たぶん、まだ寒くて縮こまってるだけだと思うけど。アリィシャは見た?」
そう言って視線を投げてくる星鈴に、私は首をふる。
「いいえ。春になってから会いに来てくれたのはまだ星鈴だけだもの。霧森にもまだ会ってないわ。」
「ああ、霧の森はただたんに森に引きこもってるだけよ。最近あったかいからってゴロゴロしてるのよ。この前会いにいったら狸の上で爆睡してたわよ。」
霧の森の妖精は、少しのんびりとしたところがある子だ。
霧深い森にいるせいで、特に外敵に狙われることも無いからだろう。
あの子ならありそうね、と私は頷く。
そんな私達のやりとりを、殿下は小さく頷きながら聞いていた。
「なるほど、そうか。ありがとう。さすがにウェジントン侯爵領が近いだけあって沢山友達がいるのだな。」
「もちろんよ。王子様もまた遊びに来てね。アリィシャと一緒なら歓迎するわ。お近づきの印に、ここの星鈴草を一本もっていってもいいわよ。」
殿下の言葉に、胸をはった星鈴が、ひらりと私の肩から降りて、足元に咲いた星鈴草を摘んだ。
そのまま花を手に、殿下の顔の前まで飛んで行く。
「どうぞ。」
そう言って渡された星鈴草を殿下は笑顔でそっと受け取る。
そして綺麗に咲いたものだな、とまじまじとその小さな花を優し気な面差しで見つめた。
殿下の大きな手の中だと、星鈴草がいつもよりさらに小さく見えるわね、とそんなことを考えていたら、その大きな手が、星鈴草をもったまま私の眼前に迫ってくる。
何事かと目を瞠った私の顔の横を通り過ぎ、その手は渡された星鈴草をそっと私の髪にさした。
「殿下?」
「男の私より、アリィシャ嬢のほうがずっと似合うからな。頂いた花を、彼女に飾っても?」
「もちろんよ。あなたにあげたのだもの。好きにしていいわ。」
事後承諾で聞く殿下に気を悪くした様子もなく、星鈴は花がさされたあたりを飛んで、その様子を嬉しそうに確かめる。
「あ、ありがとうございます。」
胸にじんわりと温かいものがこみ上げてきて、未だ早鐘を打つ心臓の上をきゅっと握りしめる。
花を挿した殿下の手がそのまま私の髪の毛を掬い、なんだかくすぐったい。
「社交シーズンにはまだ少し早いからな。また改めて贈ろう。」
言われて私は髪の毛に挿された星鈴草の意味に思い至って、顔が熱くなるのを感じた。
真っ赤になっているだろう私の顔を見つめる殿下の顔に、甘い微笑が浮かぶ。
先日はいきなりの告白だったために戸惑ったが、私に好きだと言ってくれたのは殿下が初めてなのだ。
まっすぐ伝えられる好意に、アリィシャだけではなく私の心も弾む。
アリィシャになってからここまで、婚約者には愛想をつかされ、お見合いも五連敗し、誰の心も揺らすことの出来なかった私を、こうやって認めてもらえることは素直に嬉しい。
なにより、その笑顔は、今日の畑仕事で泥だらけの私の様子を見た後だというのに陰りが無い。
「あの…殿下。」
「うん?」
蜂蜜色の瞳で、私の髪に刺された星鈴草を見つめていた殿下の視線が、私に向く。
浮き立つ心に、思わず彼を呼んでしまった私は、視線を落とした。
「今日は…いろいろとその、つきあわせてしまって…」
申し訳ありませんでした。
そう口からでそうになって、私は言葉を途中で切る。
言いたいのは、謝罪では無い。
「つきあっていただいて、ありがとうございました…。」
落とした視線の上で、かすかに衣擦れの音がする。
その音につられてチラリと殿下を見上げると、そこには優しげな蜂蜜色の微笑みが、私を見下ろしていた。
「ついて行ったのは私だからな。それに発見があった。好きなものに向かっていくあなたの姿は私を幸せにする。輝きの理由がこれで一つわかったな。」
そう言って、本当に嬉しそうに笑う殿下に、私は弾む心臓が飛び出さないかと、口を引き結ぶ。
王族を畑仕事に引き連れていくということが、わりと破天荒だということは、一応私も認識はしている。
そんな暴挙に殿下は今日、文句一つ言わず付き合ってくれ、真摯に私が見てほしかったものを、見てくれていた。
これから先、アリィシャの外見だけではなく、私という内面を知っても、殿下はこの笑顔を向け続けてくれるのだろうか。
~そうだったらいいのに。
ふわふわとした胸の内に、なぜだかその顔を見ていられず、私は目を伏せると、あくびをしながら滝の横で待っているベオルフの元へ足を向けた。
「さ、さあそろそろ帰りましょう。お迎えの近衛の方をお待たせしては悪いですもの。星鈴、またね。」
「ええ、また来てね!」
明るい星鈴の声を背に、ベオルフに駆け寄った私は、彼に帰りは一緒の馬に乗せてくれとお願いしたのだが、「勘弁してください」と断られてしまったのだった。




