35 畑仕事
「お嬢、本当にいくんですか。」
「勿論よ!むしろ良い機会だわ!」
あからさまに不満そうな顔をするベオルフと、心配げなジェニーを横に、私は鏡の前でふんす、と鼻息荒く仁王立ちする。
私の背丈ほどの姿見には、ジェニーが買ってきてくれた庶民向けのワンピースを着た私が気合十分と言った様子で映っていた。
「お嬢様、せめてドレスをお召しになったほうが…。」
「ダメよ。汚してしまうもの。」
ジェニーがおろおろと外出用のドレスを片手に言うが、私は強い意志でもってお断りした。
先日、ルミールお兄様を引きずって来訪したウルベルト殿下は、仕事の手が空かなかったのか、それから三日ほどは手紙をよこすだけでセイルーム城には訪れなかった。
しかし昨日、明日は時間が取れそうだという旨の手紙が届き、私は唸ることになった。
というのも、二日前にアンリさんから数日天気が良い日が続きそうなので、マルイモの種芋を今日、植えようと思うと連絡が来ていたのである。
マルイモを植えるところには立ち会いたい。しかしお忙しいウルベルト殿下が来てくださるのであればご一緒せねばならない。
そう葛藤したのだが、よくよく考えれば殿下と一緒にマルイモ見学に行けばいいのではないか、と思い立ったのである。
これに対して、ベオルフとジェニーは第二王子を連れて畑仕事なんて…としぶっているのだが、私はむしろ素の私を知っていただく絶好の機会だと思っている。
今ここで畑仕事で泥まみれになる姿を見ておいていただければ、今後少しくらいへまをしても霞もうというものだ。
まあ、泥だらけの姿で一気にNGを出される可能性も大いに否定できないが、その時はその時と思ってあきらめよう。
そんなことを考えながら一人で拳を握っていると、執事がウルベルト殿下の来訪を告げた。
朝早めに来てくださいとは手紙でお伝えしていたのだが、思った以上に早くて私は少し驚いた。
とはいえ、アンリさんたちを待たせる時間が少なくなるのはありがたいことである。
私は執事に頷くと、尚も外出用ドレスを手にもったままのジェニーに見送られ、あきらめた様子のベオルフを従えて階下へ降りた。
「殿下、本日はこんな朝早くからお越しいただきありがとうございます。」
そう言ってレディに教えられた通りに淑女の礼をとって殿下を出迎えるも、スカートが短いせいでなんだか足がすかすかする。
殿下はそんな私を目を見開き、あっけにとられた様子でじっと見つめてくる。
動く様子の無い殿下に、礼の姿勢から立ち上がって、首をかしげると、殿下は我に返ったように手で口を覆った。その目は金縛りから解かれて、ふらふらと宙を泳いでいる。
「アリィシャ嬢…その…。その恰好で今日はでかけるのか…?」
「はい、本日はドレスでは少し不都合がございますので…。似合いませんか?」
私がそう聞くと、殿下はまたちらっとこちらに目をやって、すぐにそらした。その頬は心なしか赤い。
「いや、似合っているとか似合っていないとかではなく…。あ、いや、もちろん似合っているんだが…。」
いつもは堂々としている彼が、なんだかシドロモドロな様子が可愛くて、私は思わずふふっと笑ってしまった。
「大丈夫ですわ殿下。わたくし、村へ行くときはいつもこの恰好ですの。今日は懇意にしている農村でマルイモを植える作業がありますのよ。わたくしも参加するので是非殿下も参りましょう。」
後ろでベオルフが「なにが大丈夫なんだ…」と言っているのが聞こえた気がするが、気が付かなかったことにする。
殿下は「いつも?」と眉をひそめ私の恰好を見つめていたが、視線が下に下がったところであわててまた視線を外してしまった。
やはり庶民のワンピースというのは幻滅されただろうか、と私が内心ため息をついていると、殿下はなにか結論を出したのか大きくうなずく。
「わかった、お供させていただこう。村へはどのように行くんだ?」
「はい、わたくしは馬車で参ります。殿下は…いかがなさいますか?」
あれ、そういえばこれはもしかして狭い馬車の中で二人っきりの流れ?と私は言いながら少しあせってしまったが、殿下はそうか、と頷くと視線を外に向ける。
「私は乗ってきた馬で行く。ベオルフも乗馬だな?」
ちらっと向けられた殿下の視線に、ベオルフは姿勢を正し、「もちろんです!」と元気の良い返事をする。
護衛騎士が馬車の中に乗っていては万が一の時に対応できないので、当たり前のことだろうと首を捻ったが、それより殿下と密室で二人きりになることが回避できそうで私はほっと息を吐いた。
〇・〇・〇・〇・〇
「やあ、これはまた立派な騎士様だね。お嬢様の新しい護衛かい?」
驚いたように殿下を見上げるアンリさんに、私はどう答えようかと思案してしまった。
アンリさんに殿下について手紙で知らせるのを忘れていたのだ。
伯爵家である我が家でさえ殿下の突然の来訪に慌てたのだから、その領地の村ともなれば、たぶん驚いたとかそういう次元の問題では無い騒ぎになるだろう。
殿下をどう紹介するのかについて、事前に相談をしておくべきだった。
自分のことにいっぱいいっぱいでそんなことも失念していたことに気づき、私は眉を下げる。
しかし私が答えるより早く、ウルベルト殿下が足を引き、紳士の礼を取った。
「そのとおりです。私のことはベルトとお呼びください。」
優雅に礼をして優し気な瞳でそう言う殿下は、普段の王族として堂々としている様とは違い、忠実で清廉な騎士に見えた。
殿下がにっこり笑うと、アンリさんの後ろにいたエミリーさんはその物語に出てくる騎士のような姿に、ほーっとため息をついて顔を赤くする。
普段顔が怖いのに、こうやって礼をすると、さすが王族なだけあって動作が美しいのだ。
私もこのように騎士然とした殿下を見たことが無かったので、うっかり見とれてしまったくらいには、その姿はきりりとして格好良い。
たぶん、村を混乱させたくないと思った私の気持ちを汲んでくれたのだろう。
第二王子殿下を護衛騎士にするなどなんだか恐れ多いが、私はその有難い心遣いに甘えることにした。
「いやいやこれは…。わたしたちはしがない村人ですから、そのように騎士様に頭を下げられるような身分じゃありません。どうぞやめてください。」
恐縮しきった様子で慌ててアンリさんが殿下を止めると、殿下はもう一度微笑んでからすっといつもの姿勢に戻った。
その姿にほっとした様子のアンリさんの後ろで、エミリーさんが「ベオルフさん、もしかして近々首になるの?」と心配げにベオルフにたずね、べオルフが「いや、ならないけど…」とうなだれる。
先ほどの殿下とベオルフでは、ぶっちぎりで殿下のほうが立派な騎士に見えるのだから仕方がない。まあ、そういう騎士らしくない気さくなところがベオルフの良いところだと私は思う。
「さて、それではお嬢様こちらへどうぞ。もう種芋の準備はできていますから、あとは植えるだけですよ。」
殿下の紹介もすんだところで、アンリさんに案内され、私は畑の横に並べられた種芋の元までうきうきと歩みよる。
そこには板の上に、半分に切られた芋が綺麗にならべられていた。
「あら、まるままお芋を植えるわけではないのね。」
かがんで並べられていた種芋の一つを手にとった私は、その形をまじまじと見つめて言う。
事前に本でお芋について少しばかり調べていた私は、そのままゴロンと畑にお芋を植えるのかと思っていたのだ。
「ええ、秋は種芋が痛みやすいのでそのまま植えるんですが、春は温かいですし、こうやって半分にして切り口を乾かしてから植えるんですよ。植える時は切り口が上になるようにしてください。」
そう言いながら、アンリさんが見本に一つ手にとって、畑につくられた畝にそれを植える。
私はその様子をじっと観察しながら、わかったわ、と頷いて自らも種芋植えを開始した。
春の日差しで乾いた土は、さらさらとして気持ちいい。
そんな土の感触を楽しみながら、私は一つ一つ、穴の中においては土をかけた。
その様子を畑の横に立ち興味深そうに見ていた殿下とベオルフに、エミリーさんが声をかける。
「ベオルフさんとベルトさんは今日は参加されないんですか?ベオルフさん、いつも沢山仕事してくださるから少し広めに畑を確保しておいたんですよ。」
うふふ、と笑うエミリーさんの言葉に、ベオルフはちらっと殿下を見上げた。
殿下を一人残して自分だけ畑仕事はできないと思ったのだろう。
殿下は眉を上げ、少し驚いたような表情をしていたが、一つ頷くと腕をまくりながらこちらに歩を進めてきた。
「すみません、こちらに来るのははじめてで勝手がわかりませんでした。それでは遠慮なく参加させていただきます。」
「よーし、お嬢、いくつ植えられるか勝負しましょう!」
畑仕事など出来ないと言われても仕方がないと思っていたが、そのようなことは杞憂だったようだ。
長いコンパスでアンリさんの元まで進んだ殿下は、そのまま彼の説明に耳を傾ける。
その様子は、王族として気取ったところも無く、気さくに見える。つい先日まで雲の上の存在のように思っていた私には、少し意外な光景でもあった。
そんなやる気の殿下にほっとした表情を浮かべたベオルフが、もう遠慮はいらないとばかりにいつものペースでこちらに乱入してきた。
「もう、ダメよ。速さも大事だけど丁寧にやらなくちゃ。ベオルフはあっちからやってちょうだい。」
「もちろん、俺の手にかかれば速さも正確さもばっちりですよ。」
胸をはり、自信ありげに言うベオルフにエミリーさんとアンリさんが笑い声をあげる。
意気揚々と指示された畝のほうへ行くベオルフを見送り、まったくもう、とため息をつきながら殿下のほうを見ると、彼は種芋を手に、興味津々といった様子でアンリさんの動きを観察していた。
その姿はいつもの堂々としたものでは無く、なんだか少年のようにも見える。それをほほえましく思いながら、どう植えればいいのか教えようと立ち上がった私は、うっかり畝に足を取られてバランスを崩してしまった。
「っきゃ」
近づく地面に、これは今日も泥だらけで帰宅することになるわね…と心中でジェニーに謝罪する。
しかし身構えた私に、転倒の衝撃は訪れなかった。
かわりに、私の耳にチャリン、という音が聞こえ同時にふわりと体が持ち上げられる。
「危なかった。」
頭上から聞こえる低い声に見上げれば、そこには金色の瞳が私を優し気に見下ろしていた。
いつの間にここまで来たのか私を抱き上げ甘い微笑を浮かべる殿下に、後ろでエミリーさんがきゃーっと黄色い悲鳴を上げているのが聞こえる。
私は思わず先ほどまで殿下が居た場所と、自分を見下ろす金の瞳を見比べた。
たしかにそこまで距離は無いが、それでもこの一瞬で、私が転ぶのに気づいて、その体が倒れこむ前に抱え上げるのはなかなかに瞬発力がいるように思う。
そういえば、拝華祭の夜も、まだ距離があると思っていたのに次の瞬間には腕を掴まれていた。
殿下の足が長いおかげなのももちろんあるのだろうが、それだけではどうにもならないだろう。
軍人としての運動能力のなせる技か。近衛騎士団長という職は飾りだけではないようだと実感して、私は胸を抑えた。
なんだそれ、ずるくない!?私だってエミリーさんの立ち位置に居たら黄色い悲鳴を上げていたわ!
「でっ…べ、ベルト、ありがとう。おろしてくれる?」
間近に迫った凛々しい顔と、抱えられた場所から伝わる彼の体温に、うっかり殿下呼びしそうになったのを飲み込んで下ろしてくれるようお願いする。
すると殿下の眉が驚いたように上がったかと思うと、蜂蜜色に瞳が細められ、ぐっと私を抱く手に力が入った。そして私の耳元で、嬉しそうな声が聞こえる。
「あなたに名前を呼んでもらえるのは良いものだな。」
私だけに聞こえるように耳元で囁かれた声は、今の私には少々破壊力が高すぎた。
なんだか殿下の息が耳にかかってくすぐったい!
私は顔に急激に熱が集まるのを感じて小さく叫ぶ。
「お、おろしてください!」
彼の唇から耳を離すように手で彼を押し返すと、ははは、という上機嫌な笑い声と供に、足が地面につく。
私は殿下に種芋の植え方を教えることも忘れ、お礼もそこそこにあわてて隣の畝に移動したのだった。
〇・〇・〇・〇・〇
「土仕事をするのは初めてでしたが、なかなか楽しいものですね。」
畑に種芋を植え終えて、エミリーさんが居れてくれたお茶を飲みながら畑横に置かれたテーブルの上で、殿下が優雅にそう言いながらお茶を飲む。
その姿はとてもその辺の護衛騎士には見えなかったが、貴族は皆同じに見えるらしく、アンリさんもエミリーさんも気にした様子はない。
まあ、普段砕けすぎているベオルフを見ているので、これが本来の騎士の姿だと思っているのかもしれない。
私も数年前までは立派な服を着ているのが貴族、くらいの認識だったのでその気持ちはよくわかる。
「貴族出身の騎士様なら畑など降りる機会はそう無いでしょうからね。まあ、お嬢様が畑仕事をなさるのもそう無いですが。」
そう言いながら、アンリさんがにこにこと相槌を打つ。
その横ではベオルフがうんうんと頷きながら、茶菓子に出されたエミリーさんのクッキーをもぐもぐとほおばっている。
私はといえば綺麗に整えられたマルイモの畑をまぶしく見ながら、今日一日の仕事への満足感に浸っていた。
「そうですね、私はこちらに来てまだ日が浅いので、お嬢様が畑仕事をなさるのは知りませんでした。よくこちらへは来るのですか?」
「ええ、まあしょっちゅうでは無いですがね。ちょくちょくお顔をみせてくださるんですよ。フェリンド家の皆さんはよく領地を見回ってくれますから。」
お茶を置きながら聞く殿下に、アンリさんは頷きながら誇らしそうに答える。
殿下からのお嬢様呼びに、私はなんだか気恥しくて視線を下へ逃がした。
するとそこへ、畑の裏の村のほうから、人が来る気配がした。
見ると、何人かの村の男性がこちらに手をふりながらやってくる。
「アンリさん!芋のことで質問が…あっと、お嬢様がきてらしたのか。」
代表して声を上げる男性が、私の姿を確認して申し訳なさそうに立ち止まる。
村ではお父様の許可を得て、少しずつマルイモの生産が増えている。彼等もそのことについて、アンリさんに相談にきたのだろう。
「まあ、マーク。いいのよ、気にしない…」
自分の仕事の成果に顔を緩ませつつ、声をかけようとした私の前に、すっと誰かが割り入ってきた。
いぶかし気に思って顔を上げると、それは先程のニコニコ顔をどこにおいてきたのか、剣呑な視線を男性陣に向ける殿下だった。
「ベルト、別に彼等は悪い人じゃないわ。」
私を彼等から隠すように立つ殿下のそでをツンツンとひいて勘違いを正そうとする。
しかし彼は一向にそこからどけてくれない。
困ってベオルフを見やると、彼は肩をすくめてどうしようもない、と伝えてきた。
アンリさんは殿下の視線には気づかなかったのか、それを気にした様子もなく、私に頭を下げてくる。
「お嬢様、すみません。ちょっと話してきます。エミリーを置いていきますから、どうぞごゆっくりしてらしてください。」
そう言って、アンリさんは男性陣の輪のほうへ入っていった。
そしてそのまま彼等は、問題の畑があるであろうほうへ何か話しながら歩いていってしまった。
どうやら誰も殿下の行動に気を悪くしたりはしていないようだ。
そのことにほっとしつつも、私はもう一度殿下を見上げる。
「もう、殿下どうなさったのです。おかげでご挨拶ができませんでしたわ。」
エミリーさんがお茶のおかわりを温めに家に入っていったのを視界の端に確認してから、むう、と口をとがらせると、ようやくこちらを見下ろしてきた殿下が不本意そうに眉をよせた。
「そうは言うが……。私は心がせまいんだ。」
「そんなことは無いと思いますけれど…。」
答えになっていない殿下の言葉に、私は首をかしげる。
今日の殿下は彼の正体を知られないようにと困っていた私を慮ってくれたし、畑仕事にも気さくに参加してくれた。その様子は磊落として見え、そのような人物の心が狭いとは私には思えない。
殿下は私の言葉に、困ったような顔でチラリと私の足元を見た後ふいっと視線をそらしてしまった。しかし未だに私の前からどこうとしてくれない。
「あの、殿下。エミリーさんがお茶を入れてきてくださいますし、お席に戻ってはいかがですか?」
私がそう言うと、殿下はまた困ったような顔でもう一度私と、男性陣が去ったほうを交互に見たが、しばらくして渋々といった様子で席につきなおした。
そんな彼の行動に私は首をひねったが、殿下はその理由を言うつもりは無いらしい。
ベオルフも気にした様子もなく茶菓子を食べている。
そんな私の前へ、戻ってきたエミリーさんが湯気がたつ入れたてのお茶を置いてくれたので、私は答えの出なさそうなその謎について、考えるのはやめることにしたのだった。




