34 妖精を追って
お待ちくださいと声をかける執事の声を背にして、ウルベルトは相棒である黒い軍馬の首をまわし、城の裏手にあるらしい丘を目指した。
ようやく会えると思ったのに、ここでも彼女は飛んで行ってしまうのではないか。
そんな焦燥感がじりじりと胸を焼くように感じられ、それを堪えるように眉の間に皺が刻まれた。
城の庭を横切り、丘へ続くらしい小道を入る。
枝葉が頬にかするのにも気を止めず、馬を急がせた。
前方に、驚いたような顔でこちらを見る騎士の姿が見える。
彼は主人に自分の来訪を告げようと、振り返って彼女を呼んでいるらしい。
遠くから、騎士の声にこたえる明るい声が聞こえてきた。
その響きに、目の前が明るくなったと思ったら、林を抜けて丘の上に居た。
彼女は何処だろう、とぐるりと見渡せば、すぐにその居場所はわかった。
細い女性の腕でなにをどうやってそんなところに上ったのか、大きな木の上でこちらを見ている彼女がいる。
春の日差しを受けて、輝いて見える少女に、ウルベルトは目をすがめた。
〇・〇・〇・〇・〇
拝華祭でようやく見つけた少女は、手を伸ばした途端、泣いて走り去ってしまった。
どうやら自分のせいでは無いということはわかったが、言葉を交わすこともできなかったことに落胆しながら王宮へ戻った後、少し調べれば彼女の涙の理由がわかった。
あの時、横にいたグレイン侯爵家の長男は、彼女の婚約者だった。
彼女は婚約者の不貞を目撃してしまったのだろう。
妖精のように儚げな少女を裏切る等、男の風上にもおけない、と憤慨したが、自分には口が出せる問題ではない。
そのことを悔しく思っていたところ、少女があの日のショックのあまり、寝込んでいるらしい、ということが彼女の従兄であるウェジントン子爵から知らされた。
王族である自分には、各家の問題に口を出すことはできないが、せめて彼女の慰めになればと思って星鈴草と供に見舞いの品を送るように、と彼に手配させた。
それでも心配で悶々と机仕事が進まない日々が続いた時、遅々として進まない仕事にウェジントン子爵がため息まじりにこういった。
「従妹は今日、起きられるようになったようです。」
それを聞いて、見舞いに行きたいと思った。
まだ、彼女の物かもしれない星鈴草のピアスも渡せていない。
見舞いの品を見て何か言ってくるかと思ったが、そういうことも無かった。
まあ、ウルベルトの手元にピアスがあるなど知りもしないのだから当然である。
子爵に行ってもいいか聞いたところ、手元の仕事が終われば、と言われたので、さっさと仕事を片付けて出かけた。しかし出迎えてくれたのは彼女の兄のラフィルだった。
今日は寝込んでいる、というラフィルの言葉にまさか避けられているのか、とあの日泣いていた彼女の顔がよぎったが、なんてことはない、起きだしたところでまた倒れたらしい。
そんなにあの婚約者のことを想っていたのかと思うと、何かもやもやしたものが胸をかすめ、ウルベルトは内心で首をかしげた。
それから数日して、そろそろまた起きれるようになっただろうかとウルベルトが考えをはせていた時、めずらしく彼の兄である王太子が仕事場にやってきた。
別に兄のことを嫌いでは無いのだが、何か申し付けられる度に騒ぎが起こるので、苦手である。
「どうしたんですか、一体何の用です?」
「いやぁ、最近弟が忙しいと聞いてね。散歩でもどうかと思って。」
「はあ、散歩ですか?」
嫌な予感を抱えつつ出迎えたウルベルトに、兄は普段と同じ、柔和な笑みでにっこりと微笑みそんな提案をしてきた。
優雅に長い脚を組んでお茶を飲む兄をいぶかし気に見返す。
王族特有の髪の毛と目の色をそれは鮮やかに持ち合わせた兄は、ウルベルトとその色合いは同じとは言え、見た目はまったく似ていない。
麗しの貴公子ともてはやされる兄の柔和な美貌は、普段顔が怖いと敬遠されがちなウルベルトには持ち合わせていないものだ。
~彼女と並ぶと、絵になるのだろうな
そんな卑屈なことを考えてしまい、頭を振る。
「王都でね、評判の菓子屋があるらしいんだよ。」
「ああ、カフェも兼ね備えたあの店ですか?」
その店のことは知っている。評判だときいたので、アリィシャへのお見舞いの品にウェジントン子爵に指定したものだ。
「私もそこの菓子が食べたいなぁと思ってね。」
「はあ、そうですか。」
「ちょうどいいし、近衛を連れて巡回がてら買ってきてくれないかい?」
「はあ?」
近衛騎士とはその名の通り、王族のそば近くで警備や護衛を担う騎士のことだ。
市街の警備は王立騎士団に所属する警備隊の仕事であって、近衛の仕事ではない。
「しかし…。」
「どうしてもすぐ食べたいんだ。お前くらいにしかこんなこと頼めないだろう?」
ね?と鮮やかな赤い髪を揺らして頼む兄に、ウルベルトは眉をひそめた。
頼めないもなにも、王太子である彼が頼めば誰でもその菓子を買いに走るだろう。
いっそ、菓子職人を王宮に呼ぶことだってできるはずだ。
どうせ仕事の時間が空かないだろう、とウェジントン子爵に目くばせすると、何事か考えていたらしい彼は一つ頷いた。
「よろしいかと思います。時間はありますので。」
さきほどまでさっさと仕事をしろと視線で告げていた男が言った言葉とは思えないと、目を見開いたウルベルトの向かいで、兄が嬉しそうな声をあげる。
「さすがだなキース。ベルトがうらやましいな!しかし私のところにも先日新しく有望な若者が来てね。今度揉んでやってくれよ。」
楽しそうにそう言う兄に、ウェジントン子爵は無言で礼をした。
どうやら行くしかないらしい。
観念して、ウルベルトは立ち上がり、今動ける近衛を呼びに侍従を走らせた。
菓子を買いに行くくらいならそんなに人数は必要ないだろう。本当に菓子を買いに行くだけで済むのならなのだが。
そんな兄のお遣いの途中、なにやらもめ事が起こっているらしい人垣を見つけ、ウルベルトは眉をひそめた。
本来、市街の巡回は任務では無いが、それでも揉め事とあれば騎士として放っておくわけには行かない。
後ろに従っていた近衛に声をかけて人垣に近づくと、そこには目を疑う光景が広がっていた。
先日、あの回廊に居たウェジントン子爵の妹とアリィシャが震えながら支えあっているところへ、こともあろうにアリィシャを泣かせた張本人であるグレイン子爵がつかみかかろうとしているのだ。
カッとなにか熱いものが頭に上り、前へ出ようとしたウルベルトは、何かにつかまれ一歩を踏み出すことができなかった。
苛立たしい想いで振り向くと、そこには顔を青くした近衛がウルベルトの軍服をつかんでいる。
「か、閣下…!あの方はグレイン侯爵のご子息です!こ、殺してはいけません!」
「…わかっている。」
そんなに自分は恐ろしい顔をしていたのだろうか、と熱を散らすように顔を振る。
頭に血が上っていた自覚はあったので、深呼吸して息を整えてから、彼等に向き直った。
どうやらグレイン子爵はアリィシャの兄のルミールに取り押さえられたらしい。
少女のような男だと思っていたが、なかなか腕はたつのだな、と感心しつつ、ウルベルトはその輪の中へ入った。
やたらと自分とアリィシャは婚約者同士なのだと主張するグレイン子爵を苛立たしい思いで追い返した後、大丈夫かと見下ろしたアリィシャは小刻みに震えて目には涙がにじんでいた。
それでもじっとウルベルトを見上げてくる瞳に、なんだか心拍数が上がってきて動揺してしまう。
恐ろしかった、と目を伏せるロザリンドの横で、はっとした表情をした彼女は、涙にぬれる瞳のまま、それでも優雅に、毅然として王族に対する最上級の礼を取った。
「殿下、先日の拝華祭では無礼な態度をとったにも関わらず、危ないところを助けて頂き大変ありがとうございました。わたくし、アリィシャ=フェリンドと申します。幾度も殿下の手を煩わせたこと、大変申し訳ありません。心から感謝と、そしてお詫びを申し上げます。」
アリィシャ=フェリンド。
すでに調べて、名前も知っていたが、初めて彼女の口からきかされる名前に、なんだか落ち着かない気分になる。
こんな街中に彼女がいるのが不安でならない。このまま王宮に連れ帰って、安全な場所にしまい込んでしまいたい。
そんな焦燥感に似た気持ちにウルベルトが困惑していると、顔を上げたアリィシャは不安そうにやはり許してもらえないのか、と淡い空色の瞳を曇らせて、涙が今にも溢れそうににじみ出る。
女を泣かせるなど、と憤っていた自分がそんな表情をさせるなどあってはならないことだ。
慌てて否定すると、彼女は不安そうだった表情をほころばせ、花が咲き乱れるような笑顔をむけてくれた。
金色の睫毛が淡い空色の瞳の上からけぶるように降りて、薄い桃の花びらのような唇が弧を描く。
うっすらと朱を刷いた頬はまだあどけなさが残る少女に色香を乗せて、その笑顔はウルベルトの目をくぎ付けにした。
そのあまりのまぶしさに、思わず一歩後退してしまう。
彼女が、なんだか光り輝いて見える。色素が薄く、まわりの光を反射していたのだろうと思っていたが、それにしてもまぶしすぎる。
そんなウルベルトには気づかず、アリィシャは手にもっていた小さな箱を差し出してきた。
自分の気持ちだと言ってよこしたその箱と、彼女を見比べる。
本来、従っていた近衛に渡して中を改めさせるべきなのだが、どうしてもそうしたくなかったウルベルトは、それをそのまま懐にしまった。
そして、手に固い感触を返したそれに気づく。
先日から渡そうと思って渡せていなかった星鈴草のピアスをアリィシャに見せると、彼女は目を丸くして自分のだと言ってウルベルトの手に飛びついた。
白く細いのに、やわらかな感触に思わず体が震えると、彼女は驚いたように手をひっこめてしまう。
それを残念に思いながらアリィシャの手にそっとピアスを乗せてやる。
あまりのまぶしさに、彼女を直視できず、白い手を見つめていると、大事なものだったのだと彼女が嬉しそうな声をあげた。
その明るい声に、ちらっと彼女の顔を伺うと、さきほどの笑顔より更に輝きを増した彼女がそこに居て、心臓が煩いくらいに早鐘を打ち、いたたまれなくなってウルベルトは背を向けた。
昔、父からきいたことがある。
竜の血を引く王族は、自分にとって好ましいものが光り輝いて見えるのだと。母と会った時、その輝きを見て彼女こそが伴侶なのだと確信したのだと。
とんだ惚気話だとその時は聞き流していたのだが、今ならそれが本当なのだとわかる。
たぶん自分は、この少女のことを愛しく思っているのだろう。
このままだと自分は竜が集めた財宝を抱え込むように、彼女を王宮に連れ帰ろうとしてしまいそうだ。
しかしそれはさきほどのグレイン子爵がやっていた狼藉となんらかわりない。
はやく彼女から離れなくては、と焦燥感にかられ、背中に彼女の笛の音のような甘い声をききながら、急ぎ足でその場から王宮へ帰ったウルベルトは、菓子はどうしたのかと兄に呆れられることになってしまった。
アリィシャがくれた箱の中に入っていたのは、ウルベルトの瞳の色と同じ竜目石をあしらった飾り紐だった。
腰の帯剣に飾ったそれを手でたしかめながら、また近く夜会で会えるだろうか、と仕事をこなしていたところ、思いもよらない事態が起こった。
仕事を片付けて時間をあけておこう、と思いウェジントン子爵にアリィシャはまた夜会に出てくるのかと問うたところ、彼が苦い顔をして少し逡巡した後、「彼女は傷心のためフェリンドに帰りました。」と告げてきたのである。
ようやく言葉を交わせるようになったと思ったのに、遠くへ行ってしまった彼女に愕然とする。
フェリンドは王都から馬車で四日ほどの距離だ。往復で八日かかる旅程をこの補佐官がすぐに許してくれるとは思えなかった。
やはりあの時、王宮に連れ帰ったらよかったのだろうか…とそんな暗い想いに沈んでいると、彼の止まった手を見かねたらしいウェジントン子爵が深いため息をついてこう言った。
「祖母が、もし殿下の手が空いて、従妹が了承するのであれば彼女を王都に連れ戻してほしいと申しておりました。」
その言葉にウルベルトは顔を上げる。
ウェジントン子爵の祖母というと、ウェジントン侯爵夫人だ。すでに夫は亡くなりその爵位は息子に継がれているが、彼女は個人で爵位を有している。
しかも若かりし頃に多くの男たちを虜にし、彼女のために働く者は国の上層部にもかなり多い。
今回、グレイン子爵の不貞を証言したのはロザリンド嬢だが、それを勘違いだと真っ向から否定したグレイン侯爵家にそれはお怒りだときいた時は、恐ろしいな、と素直に思った。
普段は大人しくしている彼女だが、一声かければたとえ侯爵家でもつぶすのは容易いだろう。
幸い、グレイン侯爵家の次男が兄の不貞の証拠を差し出したらしく、大きな混乱とはならなかったが、そうでなければ国の要所を占める侯爵家が衰退して今頃大騒ぎだったはずである。
色恋沙汰で国を揺るがしてくれるなとは第二王子の立場から思うのだが、ウェジントン侯爵夫人のことだから、その後のことも計算の上だったのかもしれない。
そんな彼女が、アリィシャを迎えに行ってほしいと自分に頼むのは、グレイン侯爵家のせいでケチがつきかけたアリィシャの評判に箔をつけるためか。
第二王子の立場から、各家の事情に首を突っ込めないために彼女の力になれないことを歯噛みしていたウルベルトには、これ以上無い申し出である。
ぐっと腰の飾り紐についた竜目石をにぎりながらうなずく。
「よし、すぐに時間を作ろう。」
「ではお手を動かしてください。フェリンドまでは遠いですから。」
意気込むウルベルトに、ふー、とため息をついてウェジントン子爵は仕事を促す。
それに頷いて、アリィシャを迎えに行くために意欲的に仕事をこなしていったのだが、いかんせん、半月近い休暇を作るというのは忙しい彼にはなかなか難しいことだった。
ようやく仕事が終わったと思う度に何かしらのトラブルが起き、それに追われる腹立たしさのまま近衛の訓練に参加して、新人をつぶすつもりかと副団長に怒られる日も少なくなかった。
そうこうしている内に冬になり、雪が街道を白く染め、さらに旅程が長くなるために、結局彼女を迎えに行くのは春先になりそうだということになった。
積まれる仕事に辟易しながらふてくされていると、ウェジントン子爵がまたため息をついてこう言った。
「従妹が見合いをしたそうです。」
その言葉に、持っていたペンを取り落とし、呆然と子爵を見返す。
動揺してふらついたせいでチャリン、と腰の飾り紐が音をたてる。
それではもう、自分の迎えは必要ないということだろうか?
いや、まだ間に合うかもしれない。
今から馬を走らせて彼女に気持ちだけでも伝えられれば…
仕事を投げ出しかけたウルベルトに、子爵はしかし首をふって続ける。
「相手に断られたそうで。一応ご報告します。」
思いがけない言葉に、顔をあげて子爵を見返す。相変わらず無表情で、何を考えているのかよくわからない。
「アリィシャ嬢が断られたのか…?断ったのでは無く?」
「そう聞いています。」
言われて記憶の中の彼女を思い起こす。
淡い金色の波打つ長い髪、けぶるような睫毛に縁どられた、澄んだ青空のような瞳、細い鼻梁に薄桃色の瑞々しい唇。
言葉を交わしたことこそ多くは無いが、短い会話の中でも、彼女の善良な心根が垣間見えた。
彼女を断るような男が世にいるとは思えない、とは恋した自分が盲目なのだろうか。
「…他に恋した女でもいたのかもしれないな。」
そう結論付けて、安堵のため息を漏らす。
もしそうであったのなら、その奇跡を神に感謝しよう。
しかし断られたからといって、彼女がまた見合いをしないわけでは無い。
このままでは本当に、あの妖精はそのまま王都に帰らず飛び去っていってしまう。
焦燥感を覚え、今自分に課せられた仕事を指折り数える。
「キース。」
「なんでしょう。」
「春には必ずフェリンドに行くぞ。お前もそのつもりで仕事をさばけ。」
「御意に。」
どこか満足そうな顔の補佐官に促され、そこからウルベルトは精力的に仕事をこなしていった。
冬が過ぎ、春が訪れようかという時、ようやくウルベルトの仕事は落ち着いていた。
それでも半月を休暇とするほどでは無かったが、丁度ウェジントン侯爵領へ行く必要がある仕事ができた。
これでようやく彼女の元へ行けるかと思っていると、ウェジントン子爵が手持ちの書類を確認し、ひとつ頷くとこう言った。
「従弟のルミールが休暇でフェリンドに帰るそうです。こちらの仕事も調整できますがいかがしますか。」
その言葉に、はじかれたように立ち上がる。
チャリチャリと腰の竜目石が嬉し気な音をたてるのを聞きながら、そのままその足で王立騎士団まで赴き、なんだなんだと警戒して遠巻きにする騎士たちの中に、淡い金色の髪をなびかせ、意気揚々と退出しようとしていた小柄な少年を見つけて確保した。
相変わらず涙目でこちらを見上げてくる少年にはそんなに怖がらなくても…と嘆息したが、とにかく一日でも早くいくぞ、と追い立て馬車では無く馬を走らせフェリンドへの道中を急いだのである。
〇・〇・〇・〇・〇
「アリィシャ嬢!何故そのような場所にいるんだ!」
そう声をかけると、アリィシャはびくっと震えて木の幹にすがりつく。
はやく彼女を腕の中に収めたい。そのまままたどこかへ飛んで行ってしまうのでは無いかという焦燥感と供に叫んだせいで、怯えさせてしまったかもしれない。
舌打ちしたい気持ちを抑え、馬を降りて彼女の護衛騎士らしい男に声をかける。
近くまで来てその顔を見れば、彼は王立騎士団に所属していた正騎士のべオルフだった。
「何故彼女はあんなところにいるんだ。」
苛立たし気に問いただすと、べオルフも困ったような顔で答えた。
「さあ、閣下に気を取られて少し目を離したすきにあんなところに上ってたんで…。妖精と一緒でしたから、たぶんその力を借りたんだとは思いますが。」
妖精という言葉に、わずかに目を瞠る。
彼女はその見た目にたがわず、妖精と言葉を交わせるのか。
そう感心して見上げると、相変わらずアリィシャは木の幹にしがみついたままだった。
登ったは良いが降りられなくなったのだろうか?
そう考えて、木の枝に手をのばす。そのまま木を登っていくと、焦ったような彼女の声がふってきた。
「こここ、来ないでください!わた、わたくし自分で降りられます!」
一年ぶりに耳にする彼女の声に、来るなと言われてずきりと胸に痛みを覚える。
しかし木を登る手は止まらない。彼女を一刻も早く捕まえたかった。
彼女の元までたどり着き手を差し伸べると、彼女はふらりとこちらへ倒れこんできた。
受け止めたと同時に腕に伝わる彼女の体温に、それまで胸を焼いていた焦燥感が、すっと消えてかわりに温かい幸福感が満ちる。
一年間、つめていたような気さえする息を吐きだして、そのまま彼女をかかえて下へ降りた。
地上に降り、どうやら失神していたらしいアリィシャを地面にそっと下ろす。
まさかまたこのまま居なくなってしまわないかとハラハラとのぞき込むと、彼女はすぐにその瞳を開いた。
淡く長い金色の睫毛がゆっくりと持ち上がり、その下から夢見るような淡い空色の瞳が現れてウルベルトを捕らえ、見開かれる。
そのまま、じっと見つめてくるアリィシャの瞳がキラキラと春の日差しを反射しながら、ウルベルトを映している。
彼女の瞳の中に自分がいるということに、たまらなくなってウルベルトは抱き上げていた彼女の肩に顔をうずめた。
ずっと焦がれた妖精が、その輝きのまま自分の腕の中にいる。
その安堵感に、胸が一杯になる。
よかった。間に合ってよかった。ようやく捕まえることができた。
今度こそ、放したくない。
そんな思いに駆られ、彼女を抱く腕に力をこめようとしたところで、呆れた声音のべオルフに、ようやく手の内に収めた妖精から引きはがされることになったのである。




