32 帰宅
結局、殿下に抱きかかえられたまま、私は大きな黒い軍馬に乗せられてセイルーム城に戻ることにした。
乗馬などしたことが無かった私は思いのほか高い馬上の光景に最初身を固くしたが、その後すぐに後ろから私を抱えるようにして殿下が乗ってきて高さどころでは無くなった。
心臓に悪いのであまり密着したくないのに、馬上の揺れに耐えようとするとどうしても殿下にしがみつかねばならない。
先ほどまで鼻歌まじりでたどった道中がやたらと長く感じられ、城についた頃には私は精神的に疲労困憊状態だった。
殿下はお客人であるので、庭から正面へまわり正門から家に入る。
扉を開けた先のエントランスホールには私と同じくくたびれたルミールお兄様と、ルミールお兄様に殿下の来訪をきいたらしい両親とラフィルお兄様、それに使用人たちが殿下を出迎えるべくそろって並んでいた。
ついでに、いまだ私は殿下に抱えられている状態である。
馬から降りたらさすがに下ろしてくれると思ったのだが、私を馬から降ろしながら、自然にそのまま抱きかかえられてしまった。
私の足はいまだ少しも大地につく気配も無い。
そんな私を見て、出迎えてくれた家族はルミールお兄様以外一様に目を丸くした。
お父様は視線で「ほれみたことか」と言っているし、ラフィルお兄様は頭痛がするのか手で頭をおさえているし、お母様はあらまあ、と言った様子で手を口元にあてている。
使用人たちはいらっしゃいませ、と礼をして顔をあげた状態でかたまっているしなんだかもういろいろといたたまれなくて私は手で赤くなっているであろう自分の顔を覆った。
その手に伝わる熱い体温が、予想を肯定し、更に私に追い打ちをかける。
「殿下、本日はこのような拙宅に足をお運びいただくなど恐縮です。本日は…どのようなご用件で?」
なんとか意識を取り戻したお父様が、ちらちらと私を見ながら殿下に伺いを立てる。
その顔には「まあきかなくてもわかるんですけど」と書かれている。
「うむ、まずは突然の来訪の非礼をわびる。公式なものではないのであまり大げさにせず、普段通りにしてほしい。それで私がここまで来た理由だが…」
父の言葉に頷き、楽にしろと視線で促した殿下は、そのまま私のほうへ顔を向ける。
見つめられているのは気配でわかったが、私はとてもじゃないがその顔を見返すことなどできなかった。
こんな姿勢で顔を上げたら殿下の顔が近すぎてまた失神しかねない。
他の事柄に関しては図太いとさえ思えるのに、こと殿下に関しては私の精神はアリィシャに引っ張られるのか、繊細すぎて泣きたくなるくらいである。
アリィシャ…そんなことくらいでいちいち失神してたらこの先どうするの…。しっかりして…!
もう自分に叱咤してるんだか、アリィシャに叱咤してるんだかよくわからない。
殿下は私が顔を上げてくれることを期待していたのか少しの間言葉を止めていたが、私が一向に顔をあげないのを察してあきらめたのか、少し苦笑まじりに続きを述べた。
「フェリンドの妖精姫に愛を請いにきたのだが…このとおりまだ承諾はいただけていない。」
あまりに直球なその物言いと、妖精姫という物騒な呼び名に震え、思わず私は顔を上げて殿下を見上げた。
目があった瞬間、金色の瞳が細められ、精悍な顔がふわりと弛緩し嬉し気に微笑する。
王太子と比べて怖い顔だなぁとしか思っていなかったのに、こんなふうに笑うと、彼が実は大変ととのった顔をしているということが解って、私は案の定気が遠くなりかけた。
「は、え、そ、そうなのですか…。」
お父様は殿下の言葉に、私と殿下の顔を交互に見比べ、困ったように曖昧な返事をする。
まあたしかに、現状のこの様子では断られたという言葉は現実感が無いに違いない。
意識をぎりぎりのところで保った私に、お父様が「どういうことなのか」という視線をよこしてくる。
「姫は私が彼女のことをあまり知らないことを不安に思っているようでな。そういうわけで、しばらくこちらに滞在することにした。」
「「「えっ」」」
殿下のいきなりの爆弾発言に、ルミールお兄様以外の家族が全員声をあげる。
プロとしてぎりぎり声を出すのを耐えたのであろう使用人たちも、その顔に「まじかよ」という言葉がはりついているのが見て取れた。
くそ、言ってやりたい!今の私にはロザリンドの気持ちがわかる!暇なんですねって言ってやりたい!!
いきなり準備無しに王族をお泊めするとかうちのような下級に足を踏み込みそうな中級伯爵家には荷が重すぎる。
「ああいや、実は少しこちらに仕事もあってな。ウェジントン侯爵邸に泊る予定だからこちらで何かかまわずとも良い。後でキースが迎えに来てくれることになっている。」
一同の戸惑いを察したのか、ウルベルト殿下はまわりの反応をとがめることもなく苦笑した。
私はその言葉に、四六時中殿下といなくても良いのかと安堵の息を漏らす。
「そうですか。申し訳ありません。当家は殿下をお出迎えするには何かと不足がございまして、お心遣い大変痛み入ります。それでは、応接室をご用意させておりますので、ウェジントン子爵がいらっしゃるまでよければお寛ぎください。」
こちらもほっと安堵した表情の父が、応接室をさしてご案内をしようと動いた。
それに殿下も続く。
私を抱えたまま。
「殿下、もう大丈夫ですから下ろしていただけないでしょうか…。」
私はもう何度目になるかわからない懇願をする。
「しかし…。」
また難色を示す殿下に、私は首をまわして助けを探した。
ベオルフはさきほど、殿下の馬を馬屋にひいていってしまったためいない。
私の視線は自然、ラフィルお兄様のほうへ向く。
ラフィルお兄様は私の助けを求める視線にひく、と口元を引きつらせるも、その口を引き結んでこちらに歩をすすめた。
「殿下、申し訳ありません。妹は社交界にもほとんど出ていないものですから、男性に慣れておりませんもので、少し緊張して疲れてしまっているようです。わたくしが変わりますので、どうぞ離してやってくださいませんか。」
そう言って、母譲りの優しげな瞳でにっこりと微笑むラフィルお兄様に、殿下は一瞬渋い顔をした。
しかし私がその軍服をひっぱり、涙目で見上げたのを見て、ようやく私をラフィルお兄様のほうへ下ろしてくれた。
正直、こんなに地面が恋しかったことはない。
地面に足が着いた時、私はラフィルお兄様への感謝と快哉を心の中で叫んだ。
「ありがとうございます、殿下。…アリィシャ、お前は部屋に戻って着替えなさい。私も行こう。」
ラフィルお兄様はにっこり笑って殿下に礼を言うと、私の背を優しく押して逃がしてくれる。
私は殿下に礼をしてから、背中に視線を感じつつ、ラフィルお兄様と供に足早に自分の部屋に向かったのだった。
〇・〇・〇・〇・〇
両親はウルベルトを連れて応接室に、ラフィルとアリィシャが二階の寝室に行ったのを見送りながら、ルミールはいまだぐったりとエントランスに設えられた長椅子に身をゆだねていた。
淡い金色の長いまつげは伏せられて、まだ少し荒い呼吸に合わせてゆっくりと上下している。
一本にまとめられた金糸の髪の毛はしっとりと汗ばんで赤みを帯びた肌に張り付き、ほのかな色香さえ感じさせる。
何も知らない男性が通りすがったなら、「お嬢さん、どうしましたか?」と下心アリで声をかけること請け合いな様子であったが、残念ながらというべきか、幸いというべきか、家人たちはルミールの普段の様子をよく知っている上、今はウルベルトの来訪に対応するのに忙しかったため、彼はそっとそのままそこに放っておかれていたのである。
ようやく家族に会えると意気揚々と騎士団を退出しようとしたところで首根っこを捕まれ、「私もつれていけ。」と聞き覚えのある低い声と大きな影が差した時には泣くかと思った。
その後は時間が無いと準備を追い立てられながら、殿下とキース、それに少数の護衛騎士と供に昼夜問わず馬を三回も変えて走らされ続けたのである。
厳しい騎士団の訓練で体力があるとは言え、さすがにルミールの体力は底をついていた。
というか、城につき、出迎えた執事にお嬢様は丘まででかけてらっしゃいますと言われ、その足でそのまま妹を探しにいってしまう殿下の体力は一体どこからくるのだろう。
さきほどもまったく疲れていなかったようだし、やはり根本的に体のつくりが違うのだろうかと、未だうすっぺらい自分の体を憎々しく思う。
はー、と未だ抜けない疲れを呼吸と共に吐き出していると、後ろから陽気な声が聞こえてくる。
「お、ルミールじゃないか。いやルミール様か。久しぶりだなぁ!」
聞き覚えのあるその声にうつろな視線を上げると、そこには茶色い髪と草原の瞳をした青年が自分を見下ろしていた。
「ベオルフ先輩…。ルミールでいいです。やめてください。」
彼はルミールの騎士団の先輩だ。一年前、配属変えで王都を去るまで、よく世話になっていた人である。
「いやー、しかしひどくくたびれているな。到着は明日ってきいてたのに今日来るから焦ったぜ。」
ベオルフはさして焦っていなさそうな口調でそう言って、ぼすんとソファに座ると、ルミールの背中をぽんぽんとたたく。
「先輩でしょう…僕の休暇あの人にバラしたの…。おかげでさんざんでしたよ。」
「いやあ?俺は殿下には言ってないぜ、ウェジントン子爵に報告しただけだよ。これも仕事だから悪く思うな。」
ははは、と悪びれた様子なく笑う騎士に、ルミールは恨めし気な視線を投げる。
「仕事って…。こんなとこで何してるんですか?ディジーさんはどうしたんです?」
「え、きいてないのか。俺お前の妹姫の護衛騎士やってるんだぞ。お前の顔に耐性あって彼女持ちっていう条件でさ。ディジー諸共こっちきたんだよ。」
「ええっ」
思わぬ言葉に、ソファに預けていた身をルミールがガバリと起こした。
それを見てベオルフが「お、元気になったな」とへらりと笑う。
「リィシャに護衛騎士つけるなんて初耳なんだけど…。だったら僕でもよかったじゃないですか、そしたら僕も領地で仕事できるのに。」
「馬鹿、領主の息子をつけるわけないだろ。そりゃ仕事じゃなくて休暇だ。それにお前、まだ見習いじゃないか。まず騎士爵賜ってから言えよ。」
ぺしっとおでこをベオルフにはたかれ、ルミールは不満げに眉を下げる。
「まあその通りなんですけど…。でもなんで先輩なんです?リィシャの護衛なら王立騎士団の騎士じゃなくてフェリンドの警備隊から出すのが普通でしょう。」
ルミールとベオルフは王都所属の騎士だ。普通、貴族の護衛はその領地で仕える者を使うはずだ。
フェリンド家は別に辺境を任されているわけでは無いので騎士団は所有していないが、それでも領地を治めるための警備隊はいる。
もしどうしてもというなら母の実家のアルデムド騎士団から引っ張ってきてもよかったはずだ。
「それは俺にはよくわからないけど…。まあおまえのところの姫さんは王都でいろいろあったからじゃないか?」
「ふーん……。」
言われてルミールは考えを巡らせる。
ルミールの顔に耐性があって、彼女持ちのベオルフが選ばれたのは、万が一にもアリィシャとそういう関係にならないためだろう。
自分そっくりの妹を褒めるのもあれだが、妹の容姿はそれだけで男を虜にする。
それにベオルフの性格は理想的な騎士とは言えない部分も多々あるので、妹のほうが懸想するという心配も少なかったのだろう。
しかしその条件ならフェリンド家に仕える警備隊でもなんら問題ない。
なにせルミールは騎士学校に通うまではよく警備隊の本部に顔を出して稽古をつけてもらっていた。
彼等の中にだって、すでに相手が居て、アリィシャに興味を抱かない者だっているだろう。
そこを押して、ウェジントン子爵がベオルフの彼女まで引っ張ってフェリンドに送る理由。
そこまで考えてルミールの脳裏に嫌な予想が浮かぶ。
「ベオルフ先輩、先日、妹から僕、お見合いをことごとく断られるという悲壮感たっぷりの手紙をもらったんですけど…。」
「かわいそうになあ、お嬢すっかりしょげてたぞ。」
「………。」
淡い緑色の瞳に疑惑の色を乗せて、じっとりとルミールが見上げると、ベオルフは涼し気な顔で、何か?と首をかしげてみせた。
しばらく見つめあっていたが、ため息をついてルミールはそれ以上の詮索をやめる。
たぶんベオルフは仕事のことは多くは語らないだろうし、真相を知っても誰に怒っていいものかわからない。
なにより、妹の見合いが上手くいってた場合に近衛騎士団に降りかかったであろう災難を思うと妹には悪いがそれも致し方なし、と思ってしまったのである。
所属は違うとは言え同じ騎士として、彼等の身に災難が降り注がなかったことを良かったと思う。
近衛騎士団が壊滅した折には、王城の警備に自分たちも駆り出されていたのだろうから。
「そうだ、ルミール。疲れてんなら厨房いこうぜ。去年お嬢が収穫したマルイモがまだあるんだよ。冬を越すとさらに甘くなって美味しいんだぜ。一個ふかしてもらおう。」
そういう先輩騎士に腕を捕まれ立たされて、ルミールは疲れた体を引きずりながら、厨房に向かったのだった。




