27 見送り
結局、私はデビュタントのこの年、たった一回しか夜会に出ることが叶わず、フェリンドに戻ることになった。
両親は社交シーズンのため、王都を離れられず、ルミールお兄様は騎士団のお勤めのためフェリンドには戻れない。
そのため私の付き添いはラフィルお兄様が買って出てくれた。
お兄様はそのまま領地の仕事をしながら、どうしても出席しなくてはいけない夜会の時だけ王都とフェリンドを行き来するそうだ。
私が戻るセイルーム城はフェリンドの中でも外れにあるので、彼は本宅であるフェリンド城に赴かなくてはいけないことが多くなるが、なるべく仕事を持ち帰って私と過ごしてくれるらしい。
とはいえ、フェリンドの領地はそこまで広くなく、馬車で二時間弱程の距離にあるため、私も望めばフェリンド城ですごすこともできるだろう。
それでも私がセイルーム城に滞在することになったのは、幼少時代から多くの時間をそちらの城で過ごしており、ゴタゴタの心労を癒やすには良いだろう、と家族がはからってくれたのである。
ラフィルお兄様に手間をとらせてしまうのが忍びないのだが、彼は「いいよ、どうせ私もセイルーム城のほうが好きだからね」と笑ってくれた。
私は社交界に出られない残念さを胸に抱えながらも、久しぶりの帰郷に胸は少し踊っていた。
久しぶりに森の空気を一杯に吸い込んで、丘の上でのんびりお昼寝でもしたい。
夜会に着ていくようなドレスなどはそこまで必要ないので、身の回りのものを簡単にまとめ、私はレディが来訪してから3日後には、領地に旅立つこととなった。
「忘れ物は無い?体調には気を付けるのよ。ラフィルの言うことをよく聞いてね。」
お母様が、馬車を前に最後の挨拶をする私の頬を両手ではさみ、心配そうにのぞき込んでくる。
旅立ちの日、見送りに立ってくれた両親とルミールお兄様はこうやってかわるがわるあれやこれや心配しながら別れを惜しんだ。
特にルミールお兄様は社交シーズンが終わっても騎士団にお勤めなので、領地には休暇の時しか帰ってこれない。
お兄様の明るい声をしばらく聞けないのかと思うと、私はさみしくて、頭をなでてくれるお兄様に抱き着いてしまった。
「お兄様、お休みの時には絶対に帰っていらっしゃってね。私、まっているから。」
そう言って彼の胸に頬をすりつけると、ルミールお兄様はぽんぽんと背中をたたいてくれる。
「もちろんだよ。休みをとったら真っ先に帰るから、いい子にしててね。お土産買っていくからさ。もう前みたいなへまはしないし。」
へまというのは、今も私の耳を飾る星鈴草のピアスのことを言っているのだろう。
ロザリンドに足蹴にされるところだったお兄様を思い出して、私はふふふ、と笑った。
「ラフィル兄さん、リィシャを頼むよ。あと、父上たちがいないからってはめをはずさないでね。」
「私がいつそんな振る舞いをしたのか覚えがないなぁ。…いや、大丈夫。わかっているよ。父上たちが戻ってくるまでは私が親代わりなんだから、滅多なことはしないよ。」
とぼけかけたラフィルお兄様に、ルミールお兄様が笑顔で剣をぬきかけて、あわててラフィルお兄様は居住まいをただした。
普段から紳士然としているラフィルお兄様がハメをはずすところは私にはあまり想像ができないが、兄同士、私の知らないこともあるのだろう。
そういえば昔、夜に抜け出した私を連れ戻した時のラフィルお兄様はやけに手馴れていたものね…。と私は心の中で頷く。
そんな家族の横で、自らも旅支度に身を包み、静かに待っていたジェニーがすすす、と私の横にやってきた。
「お嬢様、そろそろ…。」
フェリンドまでの道中は、馬車で四日という長い道のりである。
今日は王都の隣のアウランド侯爵領のはずれの街で宿を取る予定となっていた。
日が暮れるまでに街につくには、そろそろ出立しなくてはならない。名残惜しさを感じながらも、私は馬車に足を向けた。
そこに、道のむこうからやってきた馬車が止まり、中から一人の男性が降りてきた。
「アリィシャ嬢!」
灰色の瞳を春の曇天のように曇らせ、せつなげな色を顔にのせて私の名前を呼んだのは、元婚約者の弟君の、クライム様だった。
「まあ、クライ…」
彼の名前を呼ぼうとした私を下がらせ、腰の剣に手をおいて間に割って入ったのはルミールお兄様である。
常とは違う剣呑な空気を漂わせて、馬車を降りてきた青年をにらみつける。
「何か御用ですかグレイン殿。お話でしたら弁護人を通じて、とお伝えしたはずですが。」
後ろから、ラフィルお兄様が冷たい声でそう告げる。
クライム様はお兄様の言葉に悲しそうな顔をしたが、素直に立ち止まった。
見渡せば、お兄様だけでなく、両親や見送りに出ていた使用人まで、クライム様にひどく険しい顔を向けていた。
そんなまわりに敵意を向けられた状況で、クライム様はすっと姿勢を正すと、苦しそうな表情で言葉を発する。
「この度のこと、大変申し訳ありません。兄のしたことは許されることではなく、皆さまが私を疎ましく思うのも無理からぬことです。本来ならこのような場所に顔を出せる立場では無いのですが、アリィシャ嬢が領地に戻られるときいて、どうしてもご挨拶をいたしたく、身の程をわきまえずに駆け参じてしまいました。」
「そんな必要は…」
「お兄様!」
美しい動きで深く頭を垂れるクライム様を、取り付く島もなく追い払おうと言葉を発しかけたルミールお兄様に、私は飛びつく。
「クライム様は、拝華祭でも不安に思う私にとても親切にしてくださいましたわ。悪い方ではありません。たとえ兄弟でもその思いが違うことはございます。どうか私に、彼とお別れの言葉を交わすことを許してくださいません?」
さっさと私を放り出して女性と話し込んでいたグレイン子爵とは違い、クライム様は私に疲れてないかと気遣い、ロザリンドと外に出るまで横について助けてくれた。
今も真摯に頭を下げてくれており、私はどうしても彼を憎めなかった。
ルミールお兄様は必死に見上げる私に、先ほどまでの剣呑な表情を隠して、困ったような表情で見下ろしてくる。
そして両親とラフィルお兄様のほうへ視線を投げると、ふう、とあきれたようにため息を吐いた。
「わかったよ。でも僕も横にいるからね。それとあまり時間は無いんだから、手短にするんだよ。」
そう言って、剣に添えられていた手を上げて、降参のポーズをとる。
「ありがとうお兄様!」
私はほっと胸をなでおろし、兄にお礼を言うとクライム様のほうへ歩み寄った。
その後ろをぶつぶついいながらもルミールお兄様がついてきてくれる。
「クライム様、今日はわざわざありがとうございます。こんな中来て下さってくれしいですわ。」
そう言うと、さきほどまで辛そうな表情をしていたクライム様の顔が、少しだけ柔らかくなる。
「いえ、図々しくも押しかけて申し訳ありません。しばらくあなたに会えなくなるかと思うといてもたってもいられなかったのです。それに…兄のことをどうしても謝罪したくて…。先日は恐ろしい思いをされたと聞きました。本当に兄には怒りしかありません。」
また頭を下げようとしたクライム様を、私はあわてて止める。
「まあ、クライム様が謝罪なさることではありませんわ。でも私、子爵の変わりようには驚きました。一体何があったのですか?」
私が気になっていたことを聞くと、クライム様は困った顔をして視線を宙へ泳がせた。その視線が、私と、ルミールお兄様を交互に見たあと、悲しそうに伏せられる。
「このようなことは身内の恥なのですが…。私はあなたに誠実でありたいのです。父はあなたを本当に気に入っておりましたから、拝華祭でのことにそれはもう激昂しまして…。兄を次期侯爵から外すと申したのです。兄はそれであせったのでしょう。女性とはもう関係がなく、自分は一方的に言い寄られていただけだと申しまして…。父もあなたとの婚約を破断にしたくなかったのでしょうから、その言葉を信じました。」
私はぽつぽつとクライム様から語られる侯爵家の事情に、目を瞬かせた。
顔合わせでは陽気で、優しそうだった侯爵が激昂する姿も想像できないが、私との婚約を破棄するだけで次期侯爵の座からグレイン子爵を下ろすというのも驚きである。
それほどまでに気に入られてたのかと思うと、その後の侯爵夫人とのしがらみを考えて、破断にむかってよかったな、と胸の内でこっそりと思う。
そんな私の胸の内など知らず、クライム様の話は続く。
「ですが、兄の不貞を証言したのはロザリンド嬢です。王太子殿下は妃の筆頭候補である令嬢を悪く言われたことを快く思わなかったのか、兄をお側より退けました。私は兄の胸の内はわかりませんし、理解したいとも思いませんが、もしかしたら兄は、あなたとの関係を戻せば、自分が言ったことが真実だったと証明され、王太子殿下の勘気も収まるのではと考えたのかもしれません。そのためにロザリンド嬢に手をあげては元も子も無いと思うのですが…。たぶんもう兄は正常な判断ができないのでしょう。」
「まあ…。」
王太子殿下がグレイン子爵を遠ざけたのは、レディから聞き及んでいる。
ほとんど事情がわからない私が、自分の側近よりも、まだ婚約者の候補でしかないロザリンドのほうを信じたのかと驚いたのだから、グレイン子爵の衝撃は大きかったのだろう。
だからこそ、ロザリンドへあんな酷い仕打ちをしたのかもしれない。
たとえどんな事情であっても、私の親友を傷つけたことを許す気にはならないが。
「そういうことでしたの。私は二回しかお会いしたことはありませんが、あのような振る舞いをなさる方では無いと思っておりましたので、これで府に落ちました。」
頷く私に、クライム様は顔を上げて悲痛な面持ちでこちらを見つめる。
「アリィシャ嬢、私はグレイン家の人間ですが、兄のしたことを許しがたいと思っておりますし、あなたの力になりたいと願っています。もし…もし許されるのでしたら、この後も親しくしていただくことは叶わないでしょうか。」
私は泣き出しそうな顔でこちらを見つめる灰色の瞳をじっと見上げた。
ルミールお兄様と同い年だというのに、ひどく落ち着いたその瞳は、今は不安げに揺れている。
元より、私の返事は決まっていた。
「もちろんですわクライム様。わたくし、フェリンドにつきましたらお手紙を書きます。わたしのような若輩者が、クライム様のように立派な方と親しくできるのはとても心強く、光栄なことですわ。これからも良いお友達として、仲良くしてくださいませね。」
そう言って私が手を取ると、クライム様は不安げによっていた眉を上げて、顔を赤らめた。
お友達とは言え、いきなり男性の手に触れるのはぶしつけだったろうかと若干後悔したが、もう引き戻せないのでありったけの笑顔で誤魔化しておく。
私のはったりがきいたのか、クライム様はそれに、ようやく笑顔を返してくれた。
私の横で、終始不満そうな空気を出していたルミールお兄様が、顔を背けて「お友達かー」とふふっと笑ったのはたぶん、私にロザリンド以外の友人ができたことを喜んでくれたに違いない。
とにかくこれで、友人を一人確保である。
グレイン侯爵家とはいろいろとあり、まだもめている最中であるが、国の上層に位置するその家の一員であるクライム様が友人になってくれるというのは大変心強い。
今年はもう夜会に出ることはできないが、フェリンドにも人はいる。
これからいろんな人と知り合って、どんどんと世界を広げていきたい。
そんな希望を胸に、私はもう一度クライム様に微笑む。
「それではクライム様、わたくしそろそろ行かなければいけませんの。後ろ髪はひかれる思いですが、また王都に戻って、クライム様とお会いできるのを楽しみにしておりますわ。今日は本当に、来てくださってありがとう。」
そう言って、お別れの礼をすると、クライム様は私の手をとってその甲に口づけた。
「私も、あなたの美しい姿をまた拝見できる日を楽しみにしております。どうぞ道中お気をつけて。」
手の甲へのキスは挨拶であるが、家族以外の男性からはじめてされるソレに私の顔はたぶん真っ赤だっただろう。
また剣の柄に手を伸ばしかけるお兄様を家族の元までひっぱっていき、私は今度こそ馬車に乗り込んだ。
クライム様が後ろで手を振ってくれていたが、せっかくのお別れなのに、恥ずかしくてあまり顔は見られなかった。
これで一年間過ごした王都ともお別れである。
私がアリィシャとして過ごしたのはフェリンドで一年、王都で一年であるから、ここももう第二の故郷のようなものだ。
名残惜しい気持ちの私を乗せ、馬車は一路、フェリンドへの旅路へ出立したのだった。




