25 三回目の対面
肩を捕まれ笑顔を向けられ、私は突然のことに、思考が追いついていなかった。
~えっ!?誰これ、本当にグレイン子爵?この方、こんな顔ができたんだったかしら!?
向けられるキラキラしい笑顔に、私はポカーンと口をひらいてしまった。
たぶん髪色が同じだったなら、私は彼とクライム様の見分けがつかなかっただろう。
そんな私の態度をどう思ったのか、グレイン子爵はますます笑顔を深めて話しかけてくる。
「こんなところでお会いできるとは僥倖です。あなたの金糸の髪は、太陽の下ではひときわ輝いて美しいですね。不幸なすれ違いをしたまま別れておりましたので、とても心を痛めておりました。良ければこのまま、お茶でもいかがですか?その輝きで、私の心を慰めてください。」
その言葉に、私はまたも衝撃を覚える。
こんな饒舌な子爵を私は知らない。私が知っているのは、私の言葉に最低限の言葉で相槌をうち、控え目に笑う彼だけだ。
一体彼に何があったのかと目を瞬かせていると、グレイン子爵は肩に置いていた手に力をこめ、そのまま強引に肩をだこうとしてきた。
「いた!痛いですわ子爵様!」
普段の完璧で上品な所作をする彼に似つかわしくない行動に、私は混乱しつつ抗議の声をあげる。
しかし彼はそれにはまったく気に留めず、「子爵なんてよそよそしい、アクスとお呼びください」と声だけ優しく語りかけてきた。
やだ怖い。
本当にどうしてしまったのだこの人は。
なにもかも記憶と違う彼に私が混乱していると、後ろから鋭い声が上がった。
「おやめくださいませグレイン子爵。アリィシャは気分がすぐれませんの。お茶などできませんわ。」
そう言って私の腕をつかんだのは、ロザリンドだ。
その瞳は先ほどと同じく、冷たい色を宿している。
子爵はそんな彼女を一瞥すると、無造作に彼女の華奢な体をはたき倒した。
「きゃあ!」
「ローザ!」
「婚約者同士の邪魔をするものではありませんよウェジントン嬢。まったく無粋な。」
尻もちをつくロザリンドに私が悲鳴を上げるのにもかまわず、グレイン子爵はふん、と不愉快そうにそう言って彼女にふれた腕をはたいて汚れを落とす動きをする。
こ、この男…!
私はかつてない感情が自分の中に芽生えるのを抑えられない。
私の親友になんということをしてくれたのだろうか。
先日まで好きでもない婚約者を泣かせた汚名を着せて悪かったかなーとかちょっと思っていたのに、すべてふっとんでいった。
もしここが森の中だったなら足元に地獄までの穴でもあけてやったのに。
その上から岩でも落としたらさぞ気持ちいだろう。
醜くつぶれてしまえばいい。
スパアン!
ざわ、と何か体のそこから湧き上がってきたものを感じた時、私の横から景気の良い音が聞こえ、肩を抱いていたグレイン子爵の手が離れる。
肩から重みが消えたことで、私ははっと我に返った。
もうしないと誓ったのに、一瞬でも恐ろしいことを考えてしまったことにぞっとする。
音がしたほうを見ると険しい顔をしたルミールお兄様が、私の横に立っていた。
「失礼、妹に大きな虫がついておりましたもので。」
そう言いながら、お兄様は包んでもらったらしい品物を私に手渡しながら、私の前に歩み出た。
どうやらお兄様が、私をつかんでいた子爵の手を払いのけてくれたらしい。
「どうして皆邪魔をするんです?私は婚約者と愛を語らいたいだけなのですが。」
「残念ですが、妹は気が進まないと申しております。先日の女性にお相手していただけばいかがですか?」
忌々し気に言うグレイン子爵に、お兄様はさして興味ない、といった様子で返し、白く細い指をひらひらと上下にふって、あっちにいけ、と言外に示した。
私はその間に慌てて尻もちをついたロザリンドを助け起こしに行く。
「それは誤解だと申しあげているのです。彼女とは何もありません。あの日も言いがかりをつけられて困っていただけなのです。ああ!でもその誤解が私の婚約者を傷つけてしまったのでしたね。それに関してはお詫びいたします。私を思って寝込んでしまったあなたを思わない日はありませんでした。私が愛を囁きたいのはアリィシャだけです。アリィシャ、あなたならわかっていただけますよね?」
いきなり名前を呼び捨てられ、立ち上がったロザリンドの腕をつかみながら私はぞわぞわと悪寒を覚えた。
一体全体どういうことなのだろう!?彼は好きでもない婚約者に愛想をつかし、あの夜の女性と添い遂げることができて、幸せなのでは無かったのだろうか!?
たとえそれが誤解だったとしても、子爵にこんなに熱烈に口説かれたことなんて一度も無いし、これからまた彼と寄りを戻すなどありえない。
だいたい口説くことができるならもっと早めにお願いしたい!一か月前の私なら喜んでいたはずである!
今じゃまったくもって遅いのである。
私がブンブンと首をふると、子爵は眉根をよせる。
「どうしてです?彼等に何か言い含められたのですか?」
そう言ってまた私につかみかかってこようとする。
が、すぐに間に割ってはいったお兄様に腕を捕まれ、そのまま引き寄せられて抑え込まれた。
その体格差を感じさせない流れるような動きに私は思わず感心する。
お兄様、本当にお強い!伊達にわが身の危険を日々払いのけていないわね!
こんな時だが、普段からこんな姿でいればご令嬢の皆さまにも少しは振り向いていただけるのになぁ、と思ってしまった。
普段から暴漢に襲われていては物騒で仕方がないが。
「何をする!こんなことをして、ただですむとおもっているのか!?」
「それはこちらの台詞ですよ、貴家とは話し合いの途中のはずです。何故そのような時にこのようなふるまいをなさるのか私には理解に苦しみますね。」
「だからこそ、まだ私と彼女は婚約者同士だ!」
かみ合ってるのかいないのかわからない叫びに、ふう、とルミールお兄様が嘆息する。
「こちらとしてはこれ以上手荒い真似をしたくないんですが…。」
そう言ってちらり、と腰の剣に視線をやった。
その仕草に私はさっと自分の顔から血の気が引くのを感じた。
これはやばい。お兄様も大分気が立っているご様子だ。
さすがにこのような公衆の面前で侯爵家相手に剣を抜くのはとってもまずい。
どうしよう、と助けを探した時、遠巻きにこちらをうかがっている人垣のむこうから低い声が響いた。
「お前たち、何をしている。」
その底冷えするような声に、心臓が飛び跳ねる。
今までたった二度しか耳にしたことが無いのに、間違いようもないこの声は…
「閣下!」
「「殿下!」」
私とロザリンド、ルミールお兄様の声が重なる。
人垣の向こうから、赤い色がこちらへ近づいてくる。
燃えるようなその色が目に痛い。
後ろに数人の近衛騎士を従えたその姿に先ほど跳ねた心臓が、そのままの勢いで弾みはじめ、私の息は急激にあがってくる。
足が震えて逃げたいと訴えるが、ぐっと我慢して踏みとどまった。
ここで逃げては先日の二の舞である。
グレイン子爵はウルベルト殿下と近衛騎士たちの姿を確認すると、さきほどとは違う穏やかな顔を作った。
「殿下、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。私は婚約者と話をしたいだけなのです。」
そう言って、手を離せとルミールお兄様に視線で促す。
殿下の手前、お兄様は渋々ながらその手を離した。
自由になったグレイン子爵は居住まいを正すと、私に向き直る。
「さあ、いきましょうアリィシャ。とんだ邪魔が入ってしまいましたね。」
言って私の前に手が差し出されるが、私はまったくもってそれどころでは無い。ふるふると小さく首をふって、拒絶を示すのがやっとである。
「おやめ下さいませグレイン子爵。アリィシャは気分がすぐれないと申しあげているでしょう。」
私の横にいたロザリンドが、きっと彼を見上げて睨む。
先ほど突き飛ばされたにも関わらず、彼女の瞳に怯えは無かった。
「まったく困った人たちですね。婚約者同士の語らいを邪魔をするものでは無いと…」
「やめろ。」
またも立ちふさがるロザリンドに、グレイン子爵が手をあげかけた時、後ろから恐ろしく冷たい声がかかった。
その声の主はいかにも不愉快だということを隠しもしない顔で、こちらを金色の瞳でにらみつけてきている。
その姿に、私は恐ろしくてたまらず震えあがってしまった。足が体重を支えられず、ロザリンドによりかかってしまう。そんな私を、ロザリンドは抱きしめて支えてくれた。
グレイン子爵は声がしたほうに振り返ると、ふう、と煩わし気にため息をつく。
「殿下、これは婚約者同士の問題ですので、殿下の手を煩わせるようなことではありません。」
あんな恐ろしい視線を向けられてよくそんな態度がとれるな、といっそ感心する。
「お前たちが婚約者同士か否かについては私が関与するところでは無いが…。」
苛立たし気にそう言いながら、ウルベルト殿下はこちらに歩を進め、そのまま私達とグレイン子爵の間にその大きな体を割り入れる。
「泣いている少女を連れて行こうとする男を、たとえ婚約者だとしても見過ごすのは騎士道精神に反する。」
言われて私は、自分が涙目になっていることに気が付いた。
どうやら涙腺は抑えられなかったようである。
私があわてて涙をぬぐおうとロザリンドにしがみついていた手を頬にあてると、頭上から抑えたくぐもった声が聞こえてきた。
「お前、あの時私もあそこに居たのをよもや忘れたわけではあるまいな…?」
グレイン子爵と私たちにしか聞こえないであろうその声に、グレイン子爵はあからさまに眉をよせた。
「わかったら立ち去ることだ。」
ウルベルト殿下が声を戻してそう言うと、グレイン子爵は忌々し気にロザリンドとルミールお兄様をにらみつけ、そのままその場を後にした。
しかし災難が去ったというのに、私の震えは止まらない。
目の前の大きな背中になんだかクラクラとする。
「閣下、ありがとうございます。」
私が震えている間に、ルミールお兄様がウルベルト殿下にかけより敬礼をする。
殿下はそれに頷くと、ゆっくりとこちらを振り返った。
その動きが、なんだかスローモーションのように感じられ私は息をのむ。
「大事ないか?」
そう聞いてくる声は、もう先ほどのような冷たさは無かった。
気づかわし気にこちらを見つめてくる瞳を、そういえばこんなにしっかりと見返したのは初めてだな、とどこか他人事のように思いながら見上げる。
二年前も拝華祭の時も、たしかに間近にはあったのだが、それどころでは無かったので、私はウルベルト殿下の顔をよく見たことが無かった。
今私を見つめてくるその顔は、記憶の中のそれより随分柔らかい。
きりりときつめの目元に、大きな金色の瞳、堀が深く、すっと伸びた鼻筋は形が良い。
男らしく力強い眉は、今は私を心配してか間に皺をよせている。
「まあ、本当に助かりましたわ殿下。あの男、こんな往来で何を考えているのか本当に恐ろしい思いをいたしましたの。殿下が来て下さらなかったらと思うと、胸がつぶれる思いですわ。」
私を支えるロザリンドが、いかにもか弱い令嬢といった様子で、よよよ、と目をふせながら殿下に感謝を伝える。
その言葉に殿下の顔に見入っていた私ははっと我に返った。
こんなところで震えている場合では無かった。涙腺は止められなかったが、これはチャンスだ。
この時のために私は今日、家族を説き伏せてここに来たのではないか。
~しっかりするのよ私の体!
逃げ出そうとする足と、もはや暴走馬もかくやという勢いで心音を響かせる心臓を抑えて深呼吸してから、私は渾身の力で淑女の礼をとった。
「殿下、先日の拝華祭では無礼な態度をとったにも関わらず、危ないところを助けて頂き大変ありがとうございました。わたくし、アリィシャ=フェリンドと申します。幾度も殿下の手を煩わせたこと、大変申し訳ありません。心から感謝と、そしてお詫びを申し上げます。」
よし!お礼もお詫びもしっかり言えたぞ!
つっかからず、うらがえらずに口上を言い切った安堵感に心の中で拳をにぎりつつ、たっぷり三秒数えて頭を上げ、殿下を見上げると、彼の頬は心なしか赤かった。
もしかして怒りで血がのぼっているのだろうか、と内心であせりつつ、さらに言いつのる。
「わたくし…拝華祭で殿下にご挨拶できなかったことに本当に胸を痛めておりましたの。先日もご足労いただいたのにも関わらずお出迎えもせず…このような不作法者はやはりお許しいただけないでしょうか…?」
思わしくない反応に、またしてもうるっと涙腺がゆるんでしまう。
気合をいれているはずなのにここだけはまだコントロールがきかない。
ちゃんと堂々としていなくてはダメなのに。
そんな私を見て、殿下はあわてたように首をふった。
「まさか。そのようなことは気にせずともよい。私こそ体調が悪いところ押しかけて悪かった。あなたが起き上がれるようになったようでなによりだ。」
どうやら無礼に怒っていたわけでは無いようだ。思いもよらない、と言った様子で首をふるその姿に、私は内心で首をかしげる。
正体を追及するようなそぶりも無い。これはロザリンドの言っていた通り、私の取り越し苦労だったのだろうか?
「本当でございますか!?殿下の広いお心に、感謝いたします!」
ここ数日不安に思っていたことが解消されそうな気配に、希望が胸をかすめて思わず口元がだらしなく緩んでしまう。
殿下が一歩ひいたのを見て、これはいけない、と表情を改めた。
ここで気を緩めてはいけない。このまま決着をつけるために、一気にいかねば!
「あの…殿下。わたくし、先日までの非礼のお詫びと、お見舞いへの感謝を込めて殿下にお渡ししたいものがございますの。」
心の中で奮起しつつ、私は先ほど兄から受け取った箱を差し出す。
「これは?」
殿下が受け取ってくださったのを確認しつつ、私はにっこり微笑んだ。
「それはお帰りになってから改めてくださいませ。私のような不調法者が殿下に何か差し上げるなどおこがましいですが、せめてもの気持ちですの。」
殿下は赤い顔のまま、私と箱を交互に見た後、そうか、わかったといって箱を丁寧に懐へ入れた。
お詫びの品も受け取ってもらうことが出来、私は胸をなでおろす。
こんなものいらんと突っ返されなくて本当によかった。
そしたら今度こそ泣き出してしまったかもしれない。
箱をしまいおわった殿下は、何かに気づいたように、そのまま懐をさぐる。
そして引き抜いた手を、そのまま私の前に差し出した。
私が不思議に思ってそれをのぞき込むと、そこには星鈴草を模した小さなピアスが大きな手の上にのっている。一か月前、なくしたと思っていたルミールお兄様からのプレゼントだ。
それを見たお兄様も「あっ」と小さく声をもらしている。
「これは先日、博物館の近くで拾ったものなのだ。アリィシャ嬢とロザリンド嬢の歌に聞き入って声をかけようとしたのだが、その時は叶わなくてな…。あなたがたどちらかの物なのではと思うのだがどうだろうか。」
こちらを伺うように言う殿下の声に、ロザリンドもその手の中を覗き込み、目を瞠る。
「あら!この星鈴草のピアス…。」
そう言ってこちらに視線をよこすロザリンドに、私は頷いた。
「わたくしのですわ。失くしたと思っておりましたの。殿下が拾ってくださっていたのですか?」
再び手の中に戻ってきた小さな白い花に、私は嬉しくて思わず声を上げその大きな手ごと両手でつかむと、殿下の手がびくりとはねた。
うっかりと無礼を働いたことに気づき、私はあわてて手を引っ込める。
「も、申し訳ありません。うれしくてつい…。」
「い、いや…。」
呆れたのか、口ごもりながらも、殿下は私の手の上にそっとそのピアスを置いてくれた。
「本当は拝華祭の時に渡そうと思っていたのだが、結局それどころでは無かったからな。思い違いではなくよかった。」
そう言って、視線をそらす。
嬉しかったとは言え失敗してしまったと反省しつつも、私は殿下の言葉に目の前が明るくなる心地だった。
つまり、今日まで殿下が私に会おうとしていたのは、謝罪要求でも私の正体に気づいたわけでも無く、ただ単純に落とし物を届けようとしてくれていただけだったのだ!
失礼な態度をとった令嬢に尚も会いに来ることが不思議だったのだが、これで謎が解けた。
落とし物を届けるだけなら従者にでも任せればいいのに、きっとこの方は随分とマメな方なのだろう。
「とても大切なものでしたの。戻ってきて本当にうれしいですわ。殿下、ありがとうございます。」
私は心の中で快哉を叫びながら、殿下にできうる限り最高の笑顔をむけ、お礼を言う。
彼はその顔をちらっと見て、「うむ。」と短く返事するとすぐにこちらに背を向けた。
「それでは、私は仕事に戻る。もう奴も来ないとは思うが、気を付けて帰られよ。」
ずんずんと騎士たちを連れて人込みの中に進んでいく姿に、殿下の私への用事は済んだのだな、と感じる。
これでもう、彼とこんな間近で言葉を交わすことも無いはずだ。
夜会などでは顔を見ることはあるだろうが、侯爵令嬢のロザリンドならともかく、私のような中級以下の伯爵令嬢では、本来お声をかけていただけることも稀な存在なのである。
接触が少なければ少ない程、正体が知られるリスクも少ない。
私はその背中にもう一度お礼を言いながら、無事に危機を乗り切った安堵感に胸を抑えた。
危機は去ったというのに、急には止まれ無いのか、未だ心臓の鼓動は早い。
その中に微かな痛みを感じたことを、私はその時はきのせいだとさして気にもとめなかった。




