17 兄の受難
その日ルミールは、騎士団の仕事を終わらせた後、貴族の団員と共に、拝華祭の会場へ足を向けた。
会場は王宮内であり、騎士団の詰め所は王宮のとなりに位置していたので、馬車を使うほどもない。
夜会に一緒に参加してくれるパートナーがいないというのが大分寂しいところではあるのだが、さりとて妹の晴れ舞台を見ないわけにもいかなかったので、今日は寂しい男連中でわいわい会場いりしたのである。
拝華祭の開始が宣言され、他の者たちと供に妹がホールに入場すると、会場はにわかに騒がしくなった。
従妹のロザリンドの時に負けないくらい、会場の男たちが色めき立っている。
ルミールも今朝ぶりに見る妹が、別人なのではないかと何回か目を瞬いた。
それくらい、今日の妹はきれいだった。
淡いグリーンのドレスと、彼女のプラチナブロンドがシャンデリアの光を反射し、
髪の飾られた花は彼女を飾るために生を受けたと言うかのように、彼女を引き立てている。
兄妹そろって妖精のようだと言われることはあるが、今日の彼女は妖精というよりは、精霊のように気品のある美しさを辺りに放っていたのだ。
そして会場の男たちとは違った意味で騒然としたのは、ルミールの友人たちである。
「お前の妹、一発でわかるな…!お前本当なんで女に生まれてこなかったんだ?」
「ルミール…かわいそうに…。性別が違うだけでこんなに違うなんて…。」
「やばいなぁ…。騎士学校でお前にひっかかった男が次はあっちに流れるんじゃないか…。あぶないぞあの子」
称賛なんだか憐れみなんだかわからないことを口々にささやく友人に、妹を自慢したいのになんとも複雑な心境で額に手をあて、ルミールは黙り込んでしまう。
とりあえず、これだけは言っておかないといけないだろう。
「妹にはもう婚約者がいるし、手を出すんじゃないぞお前ら。」
グレイン子爵はいけ好かないが、こういう時はなんとしても防波堤になってもらわねばなるまい。
一年も連絡よこさなかったくせに、すました顔で妹の横にいる男には腹立たしさしか覚えない。
少しは役に立ってもらわなくては。
しかしその彼の期待もむなしく、グレイン子爵は最初の一曲を終えると、妹とダンスを踊ろうと殺到する男たちに彼女を引き渡し、早々にどこかへ引っ込んでしまった。
たしかにダンスは続けて同じ女性と踊るものではないが、婚約者や恋人とは別である。
たとえ踊らなかったとしても少し近くで見守っておいてあげるとかできなかったのか。
堂々としてはいても、妹は今日がはじめての夜会なのである。
まったく役に立たない彼を目で追うと、なんと彼はそのまま他の女性に声をかけにいってしまった。
「あいつ…」
なにか言ってやろうと足を踏み出しかけた時、横から声がかかった。
「こんばんは、またお会いしましたね。」
こんな時に誰だ、と振り向いたら、さきほどまで目で追っていた人物の顔がすぐそこにあって混乱する。
しかし髪の毛の色まで見上げて、彼が役立たず男の弟であることに思い至った。
「クライム殿。」
名前を呼ばれると、グレイン子爵そっくりの顔がにっこり微笑む。
「私に何か御用ですか?妹でしたらまだダンスホールにおりますが。」
こいつ、まさか妹と僕を間違えてないだろうな、と邪推したが、それはどうやら違ったようである。
「はい、ダンスを申し込もうとしたのですが、先を越されてしまいました。次は前のほうでお待ちしようと思ったのですが、兄君をお見かけしましたので先にご挨拶をと思いまして。」
そう言ってクライムは少し困ったように苦笑する。
そして丁寧に礼をした。
「妹君を、ダンスにお誘いしても?」
「それは、妹が頷くなら構わないですが…。」
そう答えると、クライムは嬉しそうにありがとうございます、と礼を述べて、いそいそと妹が踊る近くへ歩いていった。
そのまま妹が踊っている様子をじっと見つめている。
妹はといえば、茶色の髪の男に手をひかれ、ダンスを踊っている最中だ。
彼女が回るたびにきらきらとひかりの粒がちるようで、まわりの人からほう、とため息が漏れていた。
これはたぶん、次のダンスの競争率も、高くなるだろう。
そういえば、妹と同じくらい目立つロザリンド嬢がダンスホールに見当たらない。
さきほど一曲目を兄と踊っていたのは確認したが、どこにいったのだろうか。
なんとなく気になって見渡すと、彼女は早々にダンスを申し込む男たちをはねのけてラフィルとともにダンスの輪から抜けていた。
あっちはパートナーを盾にうまくやっているようである。
が、そんな彼女に鮮やかな赤色が近づいていく。
振り返った兄の顔は、遠目ではわからないがひきつっているであろうことは想像に固くない。
「うわあ…」
赤い髪の後ろ姿に、なんだか殺気のようなものを感じルミールは思わず声をもらした。
これは触らぬ神にたたりなしと、巻き込まれないよう、早々にそちらから視線をはずす。
そこへ友人が声をかけてきた。
「おいルミール、今声かけてきたのグレイン侯爵家の次男坊だろ。あれがお前の妹の婚約者か?」
「婚約者がいちいちダンスのお伺いを兄にしないだろ。妹の婚約者は彼の兄だよ。」
「兄って、次期グレイン侯爵じゃないか!さすがだなぁ、納得だよ。」
僕はまったくもって納得できないぞ、と考えたところで、さきほどの憤りを思い出す。
しかしグレイン子爵を最後に見た場所を振り返っても、そこにはもう彼は居なかった。
〇・〇・〇・〇・〇
ダンスの二曲目がはじまったあたりから、ルミールに声をかけてくる者が多くなった。
これが女性ならありがたいのだが、残念ながら全員が全員、男である。
「失礼」と声をかけられ、振り返ると微妙な顔をされる。
そして「申し訳ありません、人違いだったようです。」
とそそくさと離れていくのだ。
どうも顔だけ見て妹と間違われているらしい。
さすがに今日の気合を入れて着飾った妹と間違われるとはいろんな意味で心外だが、高い競争率に、男たちも気が焦っているのかもしれない。
そうやって同じことを数回も繰り返し、大分辟易してきたところ、また後ろから男の声がかかった。
どうせまた人違いだろうと振り返ると、思いがけない人物が立っていてルミールは固まってしまう。
そこにいたのは勲章がいくつもついた黒い軍服に身を包み、キツめの金色の瞳でこちらをまじまじと見つめる大柄な男。
「か、閣下、何か御用ですか!?」
騎士団の式典などでたまに壇上に現れるその人物は、竜王国第二王子、ウルベルト=ドラグ=ハズルーン近衛騎士団長だったのである。
所属の騎士団は違えど、階級の圧倒的な差に、ルミールは反射的に背筋をのばし、姿勢を正す。
まわりにいた騎士団の友人たちも、一様にそれにならった。
しかしウルベルトは、ルミールを頭の上から足先まで検分した後、眉を潜めた。
あまり思わしくないその反応に、一同は戦々恐々とする。
「お名前をお伺いしても?」
そしてなぜか敬語で名前をきかれる。
言いたくありません!というわけにはいかず、ルミールは声がうわずるのをなんとか抑えながら即答する。
「っは!第二騎士団所属、ルミール=フェリンドと申します。」
「騎士団所属…」
言葉の意味を咀嚼するようにウルベルトはつぶやき、もう一度ルミールの頭の上からつま先まで視線をすべらす。
「お前、男か。」
その言葉に、ルミールの後ろで友人が吹き出す声が聞こえたような気がしたが、振り返ることはできなかった。
後で殴ろう。
「は、はい。おっしゃる通りです。」
その返答に、ウルベルトは難しい顔をして腕を組む。
そして後ろを振り返って、すぐにまたこちらに向き直った。
「すぐに行かせるんじゃなかったな…。」
とぶつぶつ言っているが、なんのことかはよくわからない。
しかし、ルミールにはウルベルトが何を探しているのかはだいたい見当がついた。
たぶん、彼もまた、妹と自分を間違えたのである。
「あの、閣下は私の妹をお探しでしょうか?」
恐る恐る聞くと、ウルベルトは何か考えていたらしいのを止めて、こちらを見下ろしてきた。
「お前、妹がいるのか?」
「はい、よく似ていますので間違われるのです。」
「そうか、たぶんそれだ。何処にいるかわかるか?」
先程まで不機嫌そうだった顔が一瞬で笑顔になる。
ルミールはこれでなんとか自由になれそうだぞ、とほっと息を吐いた。
妹にすでに婚約者がいることが知られたらどうなるのかとか若干不安な部分はあるが、別にダンスを申し込むだけとかであれば問題ないはずだ。
そういうところはまるっと妹に丸投げしよう。
というか、それこそグレイン子爵の仕事なんじゃないか!?と先ほどの怒りを思い出しつつ妹を探してダンスホールに目を向ける。
しかし先程までそこで踊っていたはずの妹はすでにその姿が無かった。
あわてて視線をめぐらすと、反対側、相変わらずロザリンドのところにくっついているもう一人の赤い髪の王子の横に、なんと妹もいるのである。
~勘弁してよ…。
王太子のターゲットは十中八九、ロザリンドのはずだ。
彼女が王太子妃の筆頭候補であるのはたぶん、有名な話である。
そういうところを加味してもらえるといいな、と思いつつ、視線で回答を催促してくるウルベルトに、ルミールは答えた。
「妹は、あちらにおります。こちらへ呼びますか?」
ルミールが手で彼らを指し示すと、ウルベルトの視線もその手の先へ向けられる。
そして彼らを見つけたらしいところで、機嫌の良さそうだった顔は思いっきり表情が険しくなった。
~あ、これだめなやつだ。
明日は訓練で死ぬかもしれない。
そんなことがルミールの脳裏をよぎった時、彼の願いが通じたのか、ロザリンドとアリィシャだけ、一団からはずれて動き出した。どうやら外の回廊へ、空気を吸いにいくようだ。
今日一番目立っている二人が一緒に移動するとあって、男たちが一斉に取り囲もうとしヒヤっとするが、
半分は王太子に、半分はロザリンドに散らされたようで、最後まで食いつけた者は居ない。
~よしよし、よくやったぞ。さすがロザリンド嬢!
彼女の強気な態度に今日ほど感謝した事は無い。
願わくば、ウルベルトまで追い払わないでくれればいいな、と思うところである。
「回廊のほうへ行くようだな。よし、行くぞ。ルミール。ついてきてくれ。」
横からかかる声に顔をあげると、ウルベルトの表情はさきほどの機嫌の良さそうな…とまではいかなくとも、最初のふりだしくらいには戻ったようだ。
「お供します。」
といってさっさと歩を進めるウルベルトについていく。
妹たちはホールの南側から回廊へ出たようなので、こちらは最寄りの北側の出口へ向かう。
コンパスの長いウルベルトに必死に付き従っていると、上から声がふってきた。
「ルミール、俺はよく顔が怖いと言われるんだが。」
「は?はい!」
いや、はいじゃだめだろ、ここは否定しないと、とあわあわしてると、気にしてないのかウルベルトは先を続ける。
「この顔は生まれついてのもので…別に怒っているわけじゃない。だからそんなに怯えなくていい。」
「は、はい。心得ました。」
表情が見えないせいか、なんだかちょっと申し訳なさそうなその声である。
そんなにびくついて見えてたのだろうか、と冷や汗をかきつつ。了承の意を示したのだった。