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妖精姫の幸せは  作者: 手塚立華
本編
17/54

16 彼の探し人

 その日彼は、机仕事で執務室にこもっていた。

 書類に目を通し、黙々とサインをしていくが、先日からの懸案事項が脳裏をよぎり、ため息をついてペンを止める、ということを先程から続けている。


「失礼します。」


 そう言って入ってきたのはウェジントン子爵である。

 彼の手には新しい書類が握られている。

 捌けども捌けども減らない書類に辟易して彼はため息をついた。


 そのため息に、子爵は眉を少し上げただけで、特になにも反応はしめさない。

 新しい書類を机の横に置くと、済んだものを手に取り、確認をはじめる。


「キース、休憩にしないか。私は少し疲れたぞ。」

「承知しました。ではお茶をお持ちします。」


 言いながらすべての書類を確認し、それを持ち直すとまたウェジントン子爵は礼をして部屋を辞した。

 子爵が戻ってくるまで、もう少し進めようとまた書類に目を落とす。


 しかし筆の横に転がる小さな白い花に目がとまり、また手が止まってしまった。


〇・〇・〇・〇・〇


 数日前、しばらく続いた書類仕事に、元来体を動かすほうが性に合っている彼はとうとう音を上げて外に気分転換にでかけたのである。

 出かけると言うと、やれ供をつけろだのなんだの煩いのでその日は少し昼寝をすると言って人を下がらせ、そのまま窓から脱出した。


 休日で賑わう街中に行くのは気が乗らなかったため、そのままぶらぶらと歩きながら学生街のほうにある博物館まで歩くことにした。

 博物館までの道はちょっとした林になっており、散策にはちょうどいいのだ。


 しばらく歩くと博物館横の公園に出る。

 その手前の開けた芝生に彼は体を横たえた。

 遠くから聞こえる人々のさざめきと、木々が風に吹かれる音が気持ち良い。

 春の暖かさも手伝って、ついうっかりそのまま本当にそこで昼寝をしてしまったのだ。


 目が覚めたのは、歌が聞こえたからである。

 その歌声は遠くから聞こえているのに、やけに耳にはっきりと届いた。

 美しい笛の音に似た、細く小さく響くこの歌声には覚えがある。

 二年前に、月夜の丘できいた声とそっくりなのだ。


 起き上がって声がするほうを伺うと、公園の広場の芝生の上に二人の少女が座っていた。

 一方は黒い髪の毛が鮮やかな少女である。その色はウェジントン子爵を思わせ、彼は自分が抜け出してきていたことを思い出した。


 あわてて踵を返そうとした彼の目に、その横のもう一人の少女が飛び込んできた。

 その姿に歩き出しかけたピタリと足が止まる。


 淡い色合いのプラチナブロンドが傾きかけた夕日をはじきほんのりと白く輝いている。

 遠目から見えるそのシルエットと色合いは、あの日月の下で歌っていた妖精にそっくりだった。


 もっと近くで見たい。


 あの日遭遇した妖精の正体を知りたくて、彼は二人の少女のほうへ引き寄せられるように歩みを進める。

 しかし二人までの距離を半分も進んだ時、彼女たちは後ろからきた人影に呼ばれ、道にとまっていた馬車に乗り込んでいってしまった。

 あわてて追いかけたが、たどり着く頃には馬車も道に消えて見えなくなってしまっており、馬も無い状態ではそれ以上は追いかけられそうにない。


 ~気づくのが遅かった。


 そう嘆息し、踵を返す。


 すると視線の先、彼女たちが居たところに何かが夕日を反射して光っていた。

 なんだろう、と屈んでみると、それは白い花を模したピアスの片割れだった。


 拾い上げて、まじまじと見る。

 たしかこの花は星鈴草といっただろうか。

 春に咲く花であり、今も足元に沢山咲いている。


 ずっと前から、そこに落ちていたのかもしれない。


 しかしその小さなピアスが、彼女たちが落としていったもののように思え、彼はそれをそのまま自分のポケットにしまいこんだ。


 ピアスがポケットに沈むと、街のざわめきが彼の耳に戻ってきた。

 はっと空を見上げると、もう日は随分と傾いている。

 しかも今、自分はまったく変装などしていない。

 忌々しいことに自分の髪色が人の中で随分目立つことを思い出した彼は、そそくさと林へ踵を返したのだ。


〇・〇・〇・〇・〇


 結局、その場では騒ぎにはならなかったが、王城では騒ぎになっていたようで、ご立腹だったらしいウェジントン子爵に仕事をもう一山積まれ、今に至るのである。


 ~そういえば、彼女たちが歌っていた歌はウェジントン侯爵領の歌じゃなかったか。


 それに、あの妖精を見たのもウェジントン侯爵領だった。

 改めて思い返していると、ドアがノックされ、ウェジントン子爵が銀のトレイにお茶を載せたメイドを連れて部屋へ入ってきた。


「どうぞ。」


 とソファへ促す子爵に頷いて、席を立ちソファに座る。

 その前に湯気をたてる紅茶と菓子が置かれた。


「失礼します。」


 と言って毒味する子爵の顔をまじまじと見つめていたら、別に毒は入ってないようですよ、と視線で返される。

 頷き紅茶を手にしながら、彼はソファに背を預けた。

 ふんわりと体を受け止めてくれる感触が心地よく、疲れが背中から染み出していくような気がする。


 紅茶を口にしながら、あの日のことをもう一度思い返す。

 博物館は、学生街にあるので平民も多く利用しているが、彼女たちは辻馬車では無く個人所有らしい馬車に乗っていた。

 家紋は確認できなかったが、馬車を所有できるということは裕福な商人か中級以上の貴族だろう。


「キース。お前、妹がいたんだったか?」


 向かいに座り、紅茶を飲むウェジントン子爵にそう声をかけると、彼は珍しく眉を潜めた


「はい。一人おりますが。」


「妹はお前に似てるのか?」


 これには少し、返事に間があく。


「…似ている、と言われることはあります。」


 質問の意図がわかりかねる、というウェジントン子爵の視線に、彼はふむ、と考えた。


 子爵の妹は、たしか王太子妃候補の筆頭だったはずだ。

 黒薔薇姫、と呼ばれているのをきいたことがあるような気がする。

 たいそうな名前だな、と思った覚えがあるが、名前の由来が、ウェジントン子爵と同じ黒い髪の毛なのだとしたら、あの日見た少女は彼の妹だったのでは無いだろうか。

 黒い髪の毛の令嬢は彼女の他にもいるだろうが、ウェジントン侯爵領の歌を歌うのは、その領地の者である可能性が高いはずだ。

 しかし妹が一人しか居ないのであれば、一緒にいた少女はたぶん、友人かなにかだろうな、とも思う。


「最近、街で妖精のような少女の噂があるが、お前の妹の知り合いにそういう人物はいるか?」


 この質問には、さきほどより更に間があく。


「……二人、います。」

「なるほど。」


 どうやら、当たりだったようである。

 少女の正体にたどりつけそうな気配に、彼は胸の高揚を抑えるため、もう一口紅茶を飲んだ。


「その少女に用事があるんだが、お前中継ぎを頼まれてくれないか。」


 彼が言うと、ウェジントン子爵はあからさまに渋い顔をした。

 こんな表情の子爵は随分珍しい。


「…お会いになりたいのでしたら次の拝華祭であれば二人共出席すると思いますが…どなたかが先日城を抜け出したために仕事が。」


「む。」


 たしかに、あの日のしわ寄せやらなんやらのせいで拝華祭の当日も、この補佐官と対面耐久書類仕事となることはほぼ決定事項である。

 そのせいで子爵は妹のデビュタントに出席できなくなったのだった。

 そのことについて、「デビューの日のパートナーは兄なんかより他の男のほうがいいだろう」と失言してその日夜まで仕事を詰め込まれたことを思い出した。


「わかった。追い込みをかけよう。うまくすればお前も妹の晴れ姿ちょこっとくらいは覗きにいけるかもしれないぞ。」


「そうですか。」


 期待してません。


 無口で無表情なくせに、はっきりそう顔にはりつけて返事するウェジントン子爵にカチンときた彼は、有言実行するべく、ソファから立つ。


「休憩は終わりだ。お前各部署にまわって今できる書類全部回収してこい。」


 そう言うと、ウェジントン子爵は特に否とは言わず、静かに席を立って退室していった。


〇・〇・〇・〇・〇


 その後、彼の仕事ぶりは近年稀に見るできだった。


 ウェジントン子爵に「できるなら最初から」と言われつつ、なんとか書類が片付いたのは拝華祭がちょうど始まろうかという時刻であった。

 まだ片付いてない案件はあるが、とりあえず今日中にできる仕事はすべてである。


 彼は大きく伸びをした後、ウェジントン子爵によし行くか!と声をかけ、首根っこつかまれて止められた。


「なんだキース。言っとくがもう今日の仕事は無いぞ。俺は無罪放免だ。」

「いえ、ご出席なさるのは良ろしいのですが、少し身なりを整えてください。」


 言われて窓を見ると、なるほどたしかに随分根を詰めていたせいか少しくたびれている。

 一方、ウェジントン子爵はいつもどおりのスキのない装いであり、このまま夜会に出席してもまったく違和感がなさそうだ。


「仕方ない、軍服でも着るか。あれは着るだけでそこそこ様になるからな。」


 そう言って侍女を呼んで着替えをする。

 多数の新米紳士淑女のデビューの日であるし、さすがに普段使いの物ではなく、準礼装の物を指定する。

 侍女たちはテキパキと仕事をしてくれたが、それでも小一時間程時間をとられてしまった。


 廊下に出て、待っていたらしい子爵に目配せすると、早足で会場に向かう。

 しかし残念なことに、すでに一曲目のダンスは終わっていたようで、すでに会場は皆が思い思いに散って歓談を楽しんでいた。


「こんなに広いというのも考えものだな。キース、件の少女は見当たるか?」


「そうですね…。」


 ウェジントン子爵は言われてあたりを見渡していたが、ある一点をとらえてその視線を止めた。


「とりあえず、あそこに一人おります。」


 彼が指差す方向、そこには一人の少女が居た。

 淡い金色の髪の、小柄な少女だ。たしかにあの日見た妖精の色合いに似ている。


「よし、でかしたぞ。お前は妹を探しに行ってこい。」


 そう言って彼女を見据えたままウェジントン子爵に手をを振る。


 少女は大勢の男たちにかこまれて何やら楽しそうに談笑している。

 なんだかその光景にイラっとしながら、彼は頷いてそちらに歩を向けた。

 少女はちょうど、彼を背にして男たちと話ているのでまったく彼には気づかない。

 後ろまできて、声をかける。


「失礼。」


 声をかけられた少女は面倒臭そうに振り返った。

肩にかかっていた細い髪の毛が、さらり、と彼女の顔の動きに合わせ、背中に落ちる。


 が、彼を見上げた瞬間、金色のまつ毛に縁取られたまんまるな緑色の瞳が、驚いたように見開かれてこちらを凝視した。

 その大きな瞳の中に、ホールの上から光を降らせるシャンデリアの灯がキラキラと移り彼女の動揺を現すように揺れる。


 そして彼もまた、驚いていた。


 その外見は、たしかに絵本から抜け出した妖精のようだった。

 全体的に色素が薄く、線が細く、儚げな印象である。

 瞠られた大きな淡い緑の瞳は、中央へ行くほど水色がにじんでおり、春の丘と澄んだ青空を思わせる。

 細い鼻梁に薄桃の唇は瑞々しくサラサラの髪の毛は柔らかく光を反射し、サイドで細くみつあみにした髪の毛を後ろで結ぶだけのシンプルな髪型も、逆に彼女の清廉さを引き立たせていた。


 が、それよりも彼が驚いたのは、彼女の顔が二年前の月夜の晩に、精霊たちと踊っていたあの半透明の少女のほうにそっくりだということだった。

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