11 十五歳
ウェジントン侯爵邸での淑女合宿は、お父様には反対され、逆にウェジントン侯爵は狂気乱舞した。
結局お母様の口添えもあり、休日にフェリンド伯爵邸に戻ることを条件に、お父様はしぶしぶ認めてくださった。
そこからデビュタントまでの一年、私はロザリンドのおばあさま、レディ・リディア=ウェジントン侯爵夫人について淑女教育を受けることになる。
レディは厳しい方だったけれど、保守的なわけでは無くむしろ変化を好み、柔軟な思考をもったとても素敵な女性だった。
話術が巧みで、すでに御年60に届こうかというのにシャンとした佇まいの華やかな黒髪美人であり、とても壮年の…といった枕詞は似合わない。
私はすぐに、彼女が大好きになった。
「いいこと、ロザリンド、アリィシャ。淑女は慎ましくあれとは言え、何もしないのが美徳なわけでは無いのですよ。男性の後ろで佇んでいるだけならお人形にもできるの。これからの女性は賢くなくてはだめ。学んだものがすべて己の武器になると思いなさい。せっかく女性に生まれたのですもの、美しく咲いてなんぼというものよ!」
そう言ってレディが教えてくれたのは、立ち方、あるき方、お作法に始まり、芸術、文芸、歴史に政治、経済と最終的に美しい動きには体力が肝心、と筋トレに体力作りにまで及んだ。
特に少し前まで寝たきりだった私は体力が無く、レディの生徒として学び始めて数ヶ月後には、もう所作はいいからその分体力作りにあてろと言われ、朝晩のストレッチに筋トレを追加し日がな一日運動して終わることもあるため、淑女勉強というよりは騎士団かなにかの訓練のような気分である。
ルミールお兄様にそう言ったら、さすがに笑われてしまうかもしれないが。
しかしそのかいあって、最初の内は夜にはフラフラだったのだが、レディの元で学んでから一年も経とうという頃には日課の運動は軽くこなせるようになっており、追加でもう1セットも行けるくらいにはなってきた。
随分体力がついたように思う。
今であれば淑女の礼をしたまま1時間や2時間くらいはじっとしていられるだろう。
レディは一日も余裕だと言っていたのでまだまだではあるのだが。
苦手だったダンスも随分慣れ、最近では練習相手のお兄様方の足を踏むことも少なくなった。
「二人共、どうせ殿方たちからダンスの申し込みが殺到するんでしょうから、続けて10曲ぐらいは踊れるようにしておくのですよ。」
とレディにさも当然のように言われた時にはさすがに笑顔がひきつったが…。
現状、5曲でも随分厳しい。せめて合間に休憩がほしいところである。
そうやってほとんどの時間を運動にあててる私とは違い、ロザリンドは元々レディに仕込まれていたせいか、ほとんどの基本はできており、大半の時間を政治学の勉強にあてられた。
本人は乗り気では無いのだが、竜王国に3家ある侯爵家のうち、適齢の女性がロザリンドしか居ないために王太子妃の筆頭候補から外れていないためである。
もし万が一本決まりになったらゆくゆくは王妃になるために、どうしてもその勉強を外すことは出来ないのだろう。
本人は不服そうながらも、勉強すること事態は嫌いでは無いようだ。
体力づくりの一貫で、分厚い本を手に立ったままの姿勢でその本を読んでいるのだが、数時間後に様子を見に行ってもその姿勢に乱れがないのはさすがである。
「はあ…」
デビュタントの日が一ヶ月後にせまったある休日、私は一週間ぶりに返ってきた我が家の庭で、自分の花壇の花の世話をしながらため息をついていた。
先日届いたという花の種を植え、そこにそっと手をかざす。
するとそこからするすると芽が出て、蕾をつけた。
勉強の合間にこうやって妖精の魔法が今の体でどれくらい使えるのかの実験をしていたのだが、
結果として都にあっては私に使えるのは簡単な治癒魔法とこれくらいの植物の成長を促すくらいの魔法だけだった。
たぶん、森が近くにないのが要因だろう。
妖精の魔法はまわりの木々や植物から力を借りて使うものがほとんどだ。
都のような場所ではあまり多くの魔法は使えそうにない。
まあ使えたとしても、あんまりおおっぴらに披露するとそれはそれで怪しまれる原因になりそうなのでどちらにしろな話ではあるのだが。
花が開いたところで私はその端を摘み取り、横においてあった本に紙と一緒に挟み込む。
そしてちょっとしたまじないをかけてその本を紐できゅっとむすんだ。
これはグレイン子爵へ、デビュタントでのエスコートを引き受けてくれたことへのお礼の手紙に添える押し花である。
結局、顔合わせ以来子爵とはまったく会っていない。
細々とした手紙のやり取りと、たまにプレゼントなどが贈られてきたがそれっきりである。
レディの下で勉強していたあれこれは、今日までお披露目の機会が無かったのだ。
このことに関して、ことお父様はご立腹のご様子で、彼の話題を振ると眉間にシワがよる。
私の手前、おおっぴらに不機嫌になったりはしないのだが、普段はニコニコ笑っているお父様がそのような表情を見せるだけで、心中を察してしまうというものである。
そのことが私のため息をより一層深くしていた。
もしかしたらこのままデビュタントのエスコートも断られるのでは無いかと思っていたのだが、さすがにそこは受けてくれるようである。
というか、グレイン侯爵がもうすぐデビュタントですな、とうっきうきでお父様に声をかけていらっしゃったらしい。
同じ夜会に出ていたラフィルお兄様は、その時のお父様が平静を保てたのは奇跡だろう、と帰ってきてから語った。
ここまで来ると、よほど顔合わせの時の印象が子爵によろしくなかったのだろう。
侯爵には気に入られているようだが、夫になるのは子爵なので意味が無いとは言わないが、あまり喜べない。
今思い返しても緊張してたし、やっぱり喋りすぎたような気がするし、天気が悪かったのも手伝って生気がない、幽霊みたいな女だと思われたのかも…。
せっかくアリィシャの素地はいいのに、中身の私が台無しにしていると思うと本当にもうもう…。
と土をほじりながらどんどんとマイナスな思考に落ちていってしまう。
そんな私の落下を止めたのは、ジェニーの声だった。
「お嬢様、ロザリンド様がお見えになるまでもうお時間がありませんよ。いつまでも土いじりしていないでお支度をなさってください。」
「やだ、もうそんな時間?ありがとうジェニー、すぐ行くわ。」
今日は午後から、ロザリンドと街へでかける約束をしていたのだ。
あの顔合わせ前のお買い物以来、ロザリンドはちょくちょく私を気分転換にこのようなおでかけに誘ってくれた。
今日は博物館で開催されているらしい展示会を見た後、お茶の予定だ。
私は急いで自室に戻り、装飾の少ない外出用のドレスに着替えた。
ジェニーにも手伝ってもらい、髪の毛を整え終えたところで、ロザリンドの来訪を執事が告げにやってくる。
なんとかギリギリ間に合ったようである。
階下に降りると、そこには落ち着いた赤のシンプルなドレスを着たロザリンドと、外出着姿のルミールお兄様が待っていた。
「あら、今日のお目付け役はルミールお兄様なの?」
私が聞くと、ルミールお兄様が苦笑する。
「それについては今ロザリンド嬢にも文句を言われたところだよ。ラフィル兄さんは今日用事があるらしくてね。貴重な休日を使ってお供するんだから、僕で妥協してくれないかなぁ。」
ロザリンドとのお出かけは、たいていはラフィルお兄様が保護者として同伴してくれた。
たまにウェジントン子爵の時もあったが、ルミールお兄様は騎士団に出仕なさっておいでになることがほとんどで、滅多に一緒に出かける機会がなかったのだ。
「やだ、文句を言ってるわけでは無いわ。むしろルミールお兄様とご一緒できるなんて滅多にない機会だもの。とても嬉しいに決まってるでしょう。」
そう言って私が腕に飛びつくと、お兄様は破顔する。
「僕もリィシャと一緒に出かけられて嬉しいよ。いつもラフィル兄さんばかりじゃ不公平だからね。」
私とお兄様がきゃっきゃと戯れていると、ロザリンドが処置なし、といった様子で肩をすくめる。
「別にわたくしだって文句を言ったわけではありませんわよ。ただ、ルミール様じゃアリィシャと双子の姉妹にしか見えないですわね、と申し上げただけですわ。」
「こう見えて僕は最近背が伸びたんだよ。アリィシャとはもう頭一個分は背丈が違うんだから、双子には見えないと思うよ。」
ロザリンドの弁解してるのか開き直っているのかわからない言葉に、ルミールお兄様が背筋を伸ばし胸を張った。
エントランスにある大鏡に映る姿はどうみても頭半分ちょっとくらいしか背丈がかわらないが、四捨五入すれば頭一個分といえないこともないので、言わないのが妹としての思いやりである。
「あら、姉妹については否定なさいませんのね。」
「その件については大衆の目がおかしいんだということで納得しているんだ僕は…。」
そう言って、ルミールお兄様はロザリンドから目をそらす。
お兄様、せっかく美しい姿勢でしたのに、台無しです。
女に見られることに関してはもう反論する気は無いらしい。
普段から言われ慣れすぎているのだろう。
「ルミール様はせめて髪の毛をお切りになってはいかが?髪の毛の短い女性なんて滅多にいないのだから、せめてそれだけで遠目からは男性に見えるでしょう?」
「僕もそれについては同意見ではあるんだけど、昔切った時に会う人会う人に似合わないから考え直せって言われたんだよね…。なんかリィシャが髪の毛ばっさり切ったようで見るに耐えないって…。」
ルミールお兄様の目が遠くを見つめる。
そういえばそんなこともあったかもしれない。
私は控えめに、どちらの髪型でもお兄様は素敵ですね、というにとどめたのだが、ラフィルお兄様とお父様はあからさまに眉をひそめ、お母様には諦めなさい、と諭されていた。
「まあ、わたくしもそのお姿拝見したかったですわ。さぞ面白かったでしょうに。」
「いや全然おもしろくないからね、むしろ僕にとっては重大な問題だから!」
「あら失礼。」
ルミールお兄様の切実な叫びに、ロザリンドはさして申し訳なさそうでもなくにっこり笑う。
「さ、この際ルミール様で構いませんから参りませんこと?このままでは日が暮れてしまいますわ。」
「構わないって…。まあいいけど。」
促すロザリンドに、ルミールお兄様は若干不服そうではあったが、彼女の言う通りこのままだと時間の無駄かと思ったのか、素直に私達を馬車までエスコートしてくれた。