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妖精姫の幸せは  作者: 手塚立華
本編
11/54

10 アクス=グレイン

 婚約者が出来たと言われて、その肖像画を見せられたのは、アクス=グレインが10歳の時だった。

 第一印象は絵本の挿絵のようだな、ということ。

 そして次に、父親の書斎に置かれている美しい女性の肖像画によく似ている、と思った。

 少年だった彼から見ても、肖像画の中で微笑む少女は非現実的な美少女に見えたので、こんなにかわいい子が婚約者になるなんて嬉しいな、と素直に思ったのだ。


 どんな子なのだろう、見た目どおり、素敵な子だといい。


 そう夢想しながら、会えるのを楽しみにしていたのだが、彼女が住むフェリンド伯爵領が大変遠かったことと、父親の仕事の手があかなかったので、なかなか彼女に会う機会には恵まれなかった。


 そうこうしているうちに、婚約者の少女が病床に伏してしまったという知らせが届いた。

 アクスも幼い頃はよく風邪をひく少年だったため、きっとすぐよくなる、と励ましの手紙を書いて送った。

 しかし数年たっても彼女の病状がよくなったという知らせは来ない。


 それどころかとうとう、アクス=グレインが17歳の頃、婚約者の病状は回復の見込みが無い旨と、そのために婚約の破棄を打診する手紙が父の元へ舞い込んだ。

 その頃すでに父親の仕事を手伝っており、夢想の世界で生きる少年では無かったアクスは、彼女に会えなかったことは残念だな、とは思ったがそれ以上の感想は特に無かった。


 しかし父親はその手紙に大変落胆をし、手紙が届いた日はずっとふさぎ込んでいるほどだった。

 母親の手前、あまりおおっぴらには語られないが、婚約者の少女は、父親が昔恋した女性…書斎の肖像画の女性の弟の娘で、その顔は肖像画の女性に瓜二つなのだそうだ。

 一度も会ったことが無く、肖像画でしか彼女を知らないアクスより、父親のほうが婚約者への思い入れが大きかったのだろう。


 ひとしきり落ち込んだ後、父親はアクスを書斎に呼んでこういった。


「フェリンド伯からは婚約の破棄を打診されたが、私は死を待つ少女にそのような知らせを届けたくない。お前はまだ適齢期には早いのだし、この婚約は彼女が生きている限り継続しようと思う。」


 つまり、せめて少女が生きている間は婚約者でいておけ、という命令であり、相談では無かった。

 このことに関して、特にアクスには思うところは無かったので、「わかりました」と答え、話はそこで終わった。


 18歳になり、社交界に出るようになると、アクスには親しくする女性が出来た。


 デレシア=ハゼットという、ハゼット伯爵家の三女で、やわらかい金髪とブルーの瞳が美しい女性である。

 いるだけでその場が華やぐ彼女は、社交界では人気者で自分には高嶺の花だと思っていたが、ある夜会で、なんと彼女からアクスに話しかけてきてくれたのである。

 彼女はあまり女性との気の利いたおしゃべりが得意ではないアクスにも嫌な顔ひとつせずに積極的に話題をふってくれた。

 そしてその後、二人で観劇へいったり、食事をご一緒したりと逢瀬を重ねていくうち、アクスはデレシアのことが好きになっていた。

 すでに婚約者がいる身ではあったが、その婚約も婚約者が死ぬまで、というあって無いようなものであり、父親も彼女との付き合いには口をださなかったので、アクスは思い切ってデレシアに告白することにした。


 自分には婚約者がいるが、近くその婚約は解消される予定であること。

 その暁には、婚約を申し込ませてほしいこと。

 本来であれば婚約が解消されてから申し込むべきところ、誠実さにはかけてしまうが、社交界の花であるデレシアに一刻も早くこの思いを伝えたかったこと。


 彼女は最初驚いたようにしていたが、聞き終わる頃には花のような笑顔でもってその申し出を了承してくれた。

 アクスはこの時、自分が世界で一番幸せな男だと思ったのである。


 が、この告白の数ヶ月後おもわぬ事態となる。


 なんと、婚約者の少女が奇跡のような快復を見せ、死地を脱したというのである。

 喜色満面の父親にそう報告された時、アクスは自分がどういう顔をしていいのか途方にくれた。

 父親はひとしきり一人で喜びの言葉を述べたあと、そうそう、とアクスに振り返りこう言った。


「お前は最近一人の女性と親しくしているようだが、婚約者が無事だったのだから醜聞は避けるんだぞ」


 つまり、デレシアとは距離を取れ、という命令だ。


 さすがにこの時は、アクスは父親に否を唱えた。

 自分はデレシアを愛しているので、この婚約は続けられない、と説得したのだ。

 しかしそれを聞いた父親は顔を赤くして怒り


「お前は先日まで病床に居た少女に、婚約破棄を突きつけるつもりなのか!」


 とすごい剣幕で怒鳴られてしまった。


 結局父親の説得は成功せず、デレシアになんと言うべきかと頭を悩ませていたのだが、いざデレシアに会うとその花のような笑顔に心を捕まれ、とても自分から付き合いを解消させてほしい、などとは言えなかったのだ。


 そうこうしている内に一年がたち、婚約者の少女が都に出てきたという知らせが届いた。

 父親はすぐに連絡を取り、早々に顔合わせの日程が組まれることになる。


 結局この一年、父親への説得はおろか、デレシアに相談もできなかった。

 暗雲たる気持ちでフェリンド伯爵家のタウンハウスへ向かう馬車の中、アクスはあることを考えていた。


 男性のほうから一方的になんの非もない少女に婚約破棄を突きつけては婚約者の傷になってしまう。

 ここは気が進まないが、なんとか彼女のほうから断りを入れてもらえるようお願いしてみるというのはどうだろう。

 婚約してから先一回も会ったことが無いのである。

 あちらもこちらへ特になんの思い入れも無いはずだ。

 デレシアに別れを言えば泣かれてしまうかもしれないが、婚約者の少女は何も思わないのではないか。

 家格的にフェリンド伯爵家から断りを入れるのは難しい話かとは思うが、彼女からの申し出があれば、自分も父親を説得しやすくなるはずである。

 よし、そうしよう、と決心し、到着したフェリンド伯爵邸の門をくぐる。


 しかしその決心は、婚約者の兄にエスコートされ部屋に入ってきた少女を見た瞬間、アクスの頭から飛んでしまった。


「お初にお目にかかります、アリィシャ=フェリンドと申します。本来であればこちらからお伺いするところ、本日はこのような場所に足をお運びいただき、大変ありがとうございます。」


 そう言って優雅な礼をして微笑む少女は、正しく本の挿絵から抜け出した妖精のようだった。


 それまでアクスは肖像画というものは多かれ少なかれ、実物を美化して描かれた物だと思っていたのだが、彼女に関して言えば、肖像画のそれより実物のほうがずっと美しい。

 まず、全体的に色素が薄いせいなのか白い肌や淡いプラチナブロンドの髪の毛がまわりの光を反射してなぜかそこだけうっすら輝いて見える。

 澄んだ青空のような淡いブルーの瞳はキラキラとしていて、白桃のような唇は瑞々しく、薄く弧を描いて微笑んでいる。

 そんな彼女が、妖精のような軽やかさで動くのだから、その所作の優美さと相まって肖像画では伺いしれない幻想的な美しさがあるのだ。


 父親がそんな彼女に歓喜しながら自己紹介をし、あわせて自分を紹介してくれる。

 アクスもなんとか名乗って礼をしたのだが、彼女に圧倒されてしまい、ちゃんと微笑むことができたのかは自信が無かった。


 その後のお茶会は浮かれた父親が喋り通したおかげでほとんど喋る機会は無かった。

 あまり話し上手ではないアクスはこれ幸いと、父の会話に相槌を打つのに徹する。

 

 二時間もたっぷりと父親が話し続けた後、フェリンド伯爵がアリィシャ嬢に「庭を案内してきてはどうか」と促し、ようやく二人きりになる機会が巡ってきた。

 それはアクスにとっては待ち望んだ時間であり、それと同時に、できれば来てほしくないと思っていた時間でもあった。


 正直、この妖精のような美少女を前に上手くしゃべれる気はまったくしない。

 しかも婚約破棄の相談についてならなおさらである。


 アリィシャ嬢は常時にこやかに話しかけてくれ、花について説明する姿はやはり妖精そのものだった。

 こんな儚げな、しかも先日まで病床に居た少女に、いきなり婚約破棄の話題など振っては悲しませないだろうか。

 ショックでまた寝込んでしまったらどうしよう…。

 そんなことを悶々としていたところ、つい彼女が話しかけてくれていたのに物思いにふけってしまった。

 アリィシャ嬢が気遣わしげな表情でこちらを覗き込んでいるのに気づいて狼狽する。


「あっ、申し訳ありません…。」


 あわてて謝罪したが、彼女は眉を少しハの字に下げて


「いえ、何かお気に触ったのでしたら…。」


 と謝罪してくる。

 まったく非がない彼女にそう言わせてしまったことに、罪悪感がズンとアクスの胸にのしかかった。


「い、いえ、違うのです。ただ、お体が快復されて本当に良かったと…」


 話をきいて居なかったため、適当なことを言って言い繕ったが、彼女はまだ眉をハの字にしたまま小首をかしげている。

 その姿は大変可愛らしく、たいていの男がこの姿を見たら、彼女にそんな顔をさせている原因を叩きのめしに行くだろう。この場合、叩きのめされるのは自分であるが。

 いっそ誰かそうしてくれないだろうか…。

 随分後ろ向きな思考になり、でかけたため息をなんとかこらえる。

 ここでため息などついては余計彼女に心労をかけるだけである。


 少しの間必死に頭をまわしたが、結局出てきた言葉は


「あの…お体は本当にもうよろしいのですか?」


 という、合格点には程遠いだろう言葉だった。

 病床から快復したとはいえ、病弱なままだというのであれば、社交に出る機会の多い侯爵夫人という立場は彼女にはいささか重荷であろう。

 そこから話を切り出せないか、と思ってのことである。


 彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐににっこりと微笑むと、


「ええ、ご心配いただき本当にありがとうございます。この通り、もうどこも悪くありませんの。少しくらい遠出しても問題ありませんわ。」


 と胸をはって答えた。

 その笑顔は健康を喜ぶ気持ちが溢れている。


「そうですか…」


 とうなずくと、顔に落胆が出てしまっていたのだろうか。

 彼女はもう本当に、あれから風邪もひいていないんです、と一生懸命言い募っている。

 こちらを心配させまいという気遣いが伝わってきて、なお一層罪悪感がつもる。

 結局、その後何度か話を切り出そうと試したものの、彼女に婚約についての話をすることは叶わなかった。


 顔合わせの後、対面がだめなら手紙で…。

 と机に向かうものの、結局何枚も紙を無駄にし、ごく短い挨拶の手紙を出すだけにとどまった。

 その都度、アリィシャ嬢からはアクスが書いた文章に対して短すぎず長すぎない手紙で、彼女の近況と、手紙へのお礼が返ってきた。

 何度かその中でご一緒にでかけませんか、という誘いを頂いたのだが、出先でデレシアに遭遇してしまったら、と思うと受けることができず、その都度あれやこれやと言い訳をつけてお断りしてしまう。

 アリィシャ嬢はそれには気を悪くした様子を見せず、その後は誘いを控えてたまに手紙だけが届くようになった。


 彼女は見た目だけでなく、中身も控えめで慎みのある女性のようである。


 一方、デレシアにも気まずくて会えない日が続いていたのだが、彼女からは会えない日が続く程に、どうして会いに来てくれないのか、という催促の手紙が山のように届くようになった。

 来てくれないのであれば私から行く、と言われたところで慌てて会いに行くことを繰り返し、結局彼女にもその後相談は出来ていない。


 デレシアに自分から愛の告白をしたのだから、彼女を優先するべきだろう、という考えとアリィシャ嬢が元々の婚約者であり、すでに婚約を結んでいる以上、婚約の破棄をすれば彼女の心も評判も傷つけてしまいかねない、ここは口約束だけのデレシアに断りを入れるべきだろうか…という考えで堂々巡りになる。


 アリィシャ嬢が、もっとそのへんのどこにでもいるようなご令嬢であったなら、アクスもこんなには悩まなかっただろう。

 彼女に会い婚約を破棄するのが口惜しく思われたのもまた事実だった。

 今なら必死で婚約を勝ち取ってきた父親の気持ちが少しだけわかる。

 だからアリィシャ嬢の評判という表向きの理由を盾に逃げたのである。

 本当は、どちらかを選ぶなんてできないという、己の自分勝手な言い分には目をつぶった。

 いっそどちらかがこんな自分を見限ってくれないだろうか、とも考えたのだが、結局どちらの女性もアクスへ別れを告げて来ない。

 二人の女性に一度に愛されて、自分はなんて罪な男なのだろうか。

 結局アクスは問題を棚上げしたまま、どちらを選ぶこともできずに一年を過ごすことになった。

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