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3.ちょっとしたさざ波

 翔子を鼓動が強く打つ。身体を強ばらせる。恐る恐る、声のした方向を隠れ見る。

 そして、いつの間にか隣に座っていた翼を見て、我を忘れたように叫ぶ。


「きゃああああぁぁぁぁーーーーーーーー」


(見られた!? どこから? 何を!?)


 翔子は咄嗟にノートパソコンを閉じ、素早く抱きかかえ、慌ててガラステーブルを飛び越える。向き直ったその姿勢は警戒心に溢れ。まるで自分はどうなっても良い、どんなことがあってもこのノートパソコンだけは見られてなるものかと言わんばかり。両の手で固く抱きかかえられ、その目には涙すら浮かべ。その様子に翼は戸惑うばかり。


「……何見てたの?」


 恐る恐る、翔子は訊ねる。どうしてそんなに慌てているのかわからないと言った風の翼は、気軽に答える。


「何って翔ちゃんの感想欄だけど。たしか最初に貰った感想だよね、今の」


 その言葉に、最初は見られていたことに焦り、ふと翼の言葉に引っかかりを覚えて問い直す。


「……私、IDとか教えてないわよね。なんで知ってるの?」

「なんでって、別に『バード メディーナ』とかで検索すれば普通に出てくるし。通勤中とか、たまに読んでたよ」

「…………」

「どっちかというと、感想欄かなぁ。内容はほら、読ませて貰ってるから」

「…………」

「あ、感想貰ったんだってその時は思ったかな。ずっと感想無かったから嬉しかったんだろ……

「勝手に読むなーーーー!!」


 翼の声を遮って。翔子の多分理不尽であろう怒りが、リビングの中をこだまする。



 キョトンとする翼を前に、ガラステーブルに足をかけ。差し出されたノートパソコン、思わず受け取る翼。……空いた手でソファの上のクッションを掴む翔子。


「検索してまで! わざわざ!」

「いやだって、公開してるじゃないか。別に読ん……」


 手にしたクッションを振り下ろし、振り回し。少しだけ声を震わせた怒り声に言葉を中断され。


「誰も!! 読んでいい! なんて!! 言ってない!!!」

「ちょっと、まって、おちついて。とりあえず、机、危ない」


 なぜか両手で抱えるように、庇うように。ノートパソコンを守るような形で叩かれ続ける翼。何故か片言でガラステーブルから降りるよう諭す翼を、上下左右から無茶苦茶に、気が済むまで。翔子は怒りをぶつけ続ける。――やがて落ち着いてきたのだろう、振り回すのをやめ、無言で少し離れた、食卓の椅子に座るその時まで。



 音量を抑えたテレビの音。壁の方を見る翔子に、困ったように立ち尽くす翼。その胸には未だ抱えたままのノートパソコン。気まずい空気。「あのー、翔子、さん?」、呼びかける翼の声は宙を漂う。

 来客を告げるインターホン。黙って立ち上がる翔子。「回覧板ですぅ」「すぐ行きます」、受け答えする声は普段通り。玄関から戻ってきた翼が話しかけようとすると、答えたのは無言のまま飛んできたクッション。変わらずそっぽを向く翔子。

 その態度に、翼は意を決し、再び声をかける。


「……ちょっと、散歩に行ってくる」


 そして、そそくさと。その場を後にする。



「……うるさいわね」


 誰にともなくそう言って、翔子は、ガラステーブルの上に置かれたリモコンを手に取り、テレビを消す。そしてまた、わざわざ普段は座らない食卓の椅子に戻り、壁に視線を戻す。そこには居ない誰かから視線を逸らすように。静かな部屋に一人、物音を立てず。肘をつき、不貞腐れたように。――居づらい部屋に、頑として。翔子はただ一人、座り続ける。



「ただいま」


 少しして玄関から聞こえてくる、扉を開ける音。帰りを告げる声。一瞬だけ、ほんの少しだけ身体を動かしかけて、そっぽを向いたままの翔子。


「ケーキ買ってきたよ」


 そう言って、キッチンに行き、小皿に移し替える翼。黙ったままの翔子。

 そのまま、二人分の小皿を手に、ソファの方に移動する翼。その様子を確認しつつ、黙ったままの翔子。

 椅子に座る翔子、ソファに座る翼。ガラステーブルに置かれたままのケーキ。静かな部屋に時計の音だけが響く。――そのまま少し待って、翼が席を立つ。


「とりあえず珈琲を淹れたら、僕は部屋で食べるから」

「……いいわよ、そこで。私もそこで食べるわ」


 その声に、翼の表情は緩み。


「そう! じゃあ珈琲を淹れるからちょっと待ってて!」


 そう言ってキッチンへと足を向ける。ホッとした声と、少し軽くなった足取りで。



 静かなリビングに、珈琲を挽く音が響く。椅子からソファに移動する音。ケトル(やかん)からは沸騰する音。これも珈琲道具一式の一つ。丁度いい量で沸かせば美味しく淹れ易いとかなんとか、これは翼の言。

 今回の珈琲にはブルーマウンテンが少し。なんだかんだ言って、値が張るだけのことはある、ちょっと混ぜるだけで美味しくなると。そう言いながら、決してストレートで淹れようとしないのはこだわりか。

 やがてサーバを満たす黒い液体。薫る香気、立ち昇る湯気。マグカップに移し、翔子の待つソファへ。

 まだ少し不機嫌そうな表情、でもすぐに治ることを知っている、だから指摘せず、ただ黙って時が過ぎるのを待つ。


「ちょっと良い?」


 翔子が声をかけたのは、ケーキを食べ終わり、空の小皿を持って翼が席を立とうとした、そんな頃だった。



「そっか。この感想、宣伝目的だったんだ」

「ほぼ間違いなく、ね。あと、『宣伝』って表現には語弊があるわね。ほとんど詐欺よ、こんなの」


 食後のスイートポテトをフォークでつつきながら、翔子は話す。


「……うーん、そうなのかな?」

「そうよ。人をぬか喜びさせて、実は金目当てでしたなんて、ふざけてるにも程があるわ。……実の所ね、評価が目当てだったんじゃないかって思った事もあるのよ」

「評価?」

「誰かがね、この作品は面白いと点を入れれば、読まれやすくなるのよ。そう言った目的で感想を書く人もいるわ。私は興味が無かったけど」


 翼に説明をしながら、いかに自分が「小説投稿サイト」の常識に染まっていたか、翔子は痛感する。最初に疑ったのが評価点目的の感想、他の理由など考えもしなかったと。


「読まれたく無いの?」

「読まれたいわよ! けどね、だからと言ってやって良いことと悪いことがあるわ。私はね、私と同じように小説を書いている人をないがしろにしてまで読まれたいとは思わないわよ」

「まあ、そうだよね」


 翔子は卑怯なことをしてまで読まれたいとは思わなかった。そして、そこまでする人がいることも知っている。そんな情報は「小説投稿サイト」の中に溢れてる。作家のあるべき姿、創作論、読者との接し方、宣伝方法、そう言ったものはどこかで常に話題になっているものだ。

 ただ、ここがインターネット上に公開されている場所だということを、少しだけ忘れていただけ。本当に色んな人が居て、色んな思惑があるということを。

 同時に、もしもの話だけど。退会になってなかったら、とも思う。もしも、知らないうちに翼がリンクを辿っていたら。リンクされた先がウイルスを配布するような、違法な犯罪サイトだったらと。

 悪いのは先に消さなかった運営だろうか。そんな目的で書き込みをした人だろうか。それとも……


「ちょっと迷ってるのよ、この感想。正直ね、こんなの感想じゃない。書かれた直後はただのリンク、今となっては詐欺の残骸」

「うん、まあ、そうだよね」

「ちょっとさっきまでは冷静じゃなかったから、焦って悩んじゃったけど。慌てることは無かったのよね。……けどやっぱり、どうすれば良いか悩むのよ、この感想」


 だからこそ、翔子は迷う。退会になった理由を知ってなお、どう対処していいかわからないから。自分でリンク先を確認する事も出来ない。自分だってリンク先がどうなっているのかわからないのだから。


「どう思う?」

「どうって、そうだね……」


 翔子の問いかけに、翼は考える。なぜ翔子があんなにも取り乱したかは、正直翼には理解できない。普段はどちらかと言えば冷静なのだ、翔子という人間は。それがあそこまで取り乱し、今もどうすれば良いかわからない風。

 普通なら消すの一択だと思う。翔子は「詐欺の残骸」とまで言って、実際ニュースにまでなったのだから。それでも迷うんだから、相当思い入れがあるのだろうなと、翼は思う。

 そして、考えたことを静かに、言葉を選んで。翔子から言葉を引き出しながら考えを伝える。過去どうであろうと、今は残しても害が無いと聞いた上で。感想自体が無意味でも、その返信にはきっと意味があること。それでも、それが逮捕されるような書き込みなら、消すのもきっと間違いじゃないと。

 残すことにも消すことにもきっと意味がある。だから、この感想をどうすべきかは、翔子自身で決めるべきだと。――その言葉を聞いて、考えて。やがて翔子は答えを出す。そうして彼女が選んだ行動は…………



「返信する時に気付いたらこんな悩まなかったわ、まったく」


 全てが終わった後の翔子の言葉に、翼はどうだろうと考える。結局、書き込まれた時点ではわからないのだ。感想の先にあるページには小説が置かれ、「広告収入サイト」のリンクがある。その先はもしかしたらもっと悪質な、本当の詐欺サイトかも知れない。ウィルスをまき散らすサイトかも知れない。

 怪しげなURLはクリックしてはいけない、携帯電話のメールで良く言われていることと、結局は一緒なんだろうなと、そうすると、結局のところ、真偽はわからないんじゃないかと翼は思う。


「そうね、けどこんなこともあると知ってれば、流石にあんな返信はしなかったわ」


 翼の疑問に対する翔子の答え。その答えを聞いて、少しだけ翼は寂しさを感じる。その位、感想を書いてくれた喜びが伝わってくる、そんな返信だったから。その想いが伝わったのだろうか、翔子が言葉を重ねる。


「自分がわからなくてもね、本当に有害ならすぐに対処されるのよ。サイトの運営会社に。だから、ちょっと待ってみても良い。もっと簡単な返事を出して、違うとわかってからもう少し言葉を足しても良い。いくらでもやりようはあると思うわ。……第一ね、私だって、このサイトをずっと監視している訳じゃない。気が付いた時には終わってた、なんてことだってきっとある。こんなことがあったからって慌てなくて良い、ただ、ちゃんと納得がいくような行動を取りたいとは思うわ」

「……そうだね」


 翔子の言葉を肯定しながら、それでも。きっともう、同じ書き込みではあそこまで喜べないんだろうなと。それが良いことなのか、悪いことなのか。翼には答えを出すことが出来なかった。



「ところで、そういえば。何で小説投稿サイト、見られるのが嫌だったの?」

「……うっさいわね」


 今更のように問いかける翼に、翔子は少しだけそっぽを向いて。少し低くなった声に慌てて取りなす声。


(あんな返信、見られてるなんて思ったら書けないわよ!)


 何を恥ずかしがるかは人それぞれ。作品に描かれた趣味やあまりに都合の良い展開を隠したい人、自分の中に住む子供の部分(ちゅうがくにねんせい)を知られたくない人もいる。

 中には、素直に、正直に、読者と接する姿勢に照れを感じる人もいる。たったそれだけのことが生んだ、これは、ほんのささやかな物語。

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