あの日の音
十数年前に流行ったとある洋楽をベースにしています。
来月、結婚することになった。
俺は生まれてこのかた28年間、実家暮らしだ。
大学まで地元。
就職も地元。
男でそんな奴って珍しいのかもしれない。
さすがに結婚してまで親の脛かじるわけにいかないから、ひとまずマンションを借りた。
結婚相手も地元。
大学で知り合った女だ。
付き合って7年。
相手の親も、そろそろ……なんて。
不満もないし、一緒にいて居心地もいい。
そんなんで結婚を決め、準備も順調に進んでいる。
ここのところ、準備だなんだで休日は潰れている。
心のこもった手作り結婚式がはやりだか何だか、嫁はいそいそと手作りをしている。
手伝わない俺にたまにキレたりして。
ダルくて会社の同僚に愚痴ったら、「マリッジブルー」じゃないか、だってさ。
女ってめんどくさいな。
でも、結婚式なんて過ぎちまえばそれまでのこと。
その後の生活に支障が出ないように、俺は素直に謝って優しい男を演じる。
俺だってそこまでガキじゃない。
結婚を1か月後に控え、俺は実家から引越しすることにした。
実家から30分ほどの位置のアパート。
そこが俺たちの新居。
たいして荷物もないから、業者に頼まず自分の車で移動する。
服をまとめ、いらない本を縛り……。
つい昔の教科書やノートなんかを見つけて脱線。
なんだかんだで丸2日を使ってしまった。
やっと荷物がまとまりかけた日曜の夕方。
新居に持っていくCDを選定していた。
時代を感じる。
中学の頃買ったジングルはパッケージが細長い。
初めて自分の小遣いで買ったミスチルの「イノセントワールド」
これは持っていこう。
流行にのって買ったダンス系。
一時ちょっと洋楽にもハマってたっけ。
音楽は聞けばその時の情景なんかが、ぱぁって蘇る。
たまにラジオなんかで懐メロ聞くとちょっとセンチな気分になったりしないか?
引越しの準備がひと段落して気持ちに余裕があったから、ついのんびり見いてしまう。
そんなCDの中のひとつを手に取ったとき、すべての空気が止まったような感覚を覚えた。
それは高校の頃、聞いていたもの。
いつの間に、聞かなくなったんだろう。
あの頃は学校までの通学の間、擦り切れるほどウォークマンで聞いていた。
何であんなに聞いてたんだ。
もともと洋楽派じゃなかったのに。
新居には新調したオーディオがある。
なので、俺は大学時代からかれこれ10年ほどの付き合いのMDが聞けるような古い型のオーディオに別れを告げることにした。
時代を感じさせるそのオーディオに手に取ったCDを滑り込ませ、スタートボタンを押す。
突然流れ出すアコースティック・ギターの音。
思い出した。
高校の時のダチから教えてもらったアーティスト。
当時は映画に使われたりしてけっこう流行ってた曲だ。
そのダチはギターをやっていた。
他にも何人か音楽が好きなやつがいて、放課後誰もいない教室で練習したり、将来について語ったりしていた。
俺は特別音楽が好きでのめりこんでたわけでもなかったが、居心地がよくて一緒にいたりした。
そうだ。この曲。
アイツが発売日、補習授業が終わった瞬間消えたと思ったら駅前のCDショップで買ってきたんだ。
帰ろうとしてた俺を引きとめて
「イイだよこれ。聴けよ」
走って買いに行ったのだろう。
息を切らしながら、CDフォークマンを鞄から引っぱり出し、イヤフォンを片方投げてよこした。
もどかしそうに包装のビニールを破き、CDをセットし、イヤフォンを片耳に押し込むアイツ。
その勢いに圧倒されながら俺も渡された片方を耳に押し込んだ。
短いイヤフォンの線。
俺はアイツと身を寄せるようにその曲に聴き入る。
クリアーなアコースティック・ギターの音と甘いボーカルの声。
英語の聞き取りは苦手だったが、その曲は聞き取れた。
ものすごくロマンチックな歌詞。
日本語でこんなこと言ったらただのキザヤローだ。
男の俺でもくらっとくるような言葉をボーカルは甘く囁きつづける。
隣のギター野郎は早くも歌詞をほぼ完璧に記憶してるようだ。
軽く口ずさみながら左手はコードを追っている。
曲が変わり、聞いたことのある古い歌のギターバージョン。
そして歌のないインストゥルメンタル。
終わるとヤツは静かにリプレイボタンを押した。
7月の午後、暗くなりかけた教室で、俺たちは身を寄せて何も語らず
1曲目を何度も繰り返し聞いた。
俺にもいつか、この歌詞のように思える相手ができるのかな。
なんてくだらないことを考えながら。
気づくと俺は1曲目だけをリプレイしていた。
その日の、その瞬間の記憶は何より鮮明に思い出される。
そいつとは2年の時クラスが分かれ、そのままなんとなく疎遠になった。
どこの大学に行ったのか、今何をしているかも知らない。
今となればアイツを連絡をとる手段もない。
東京へ出てプロのミュージシャンになるのが夢だって言ってた。
人と距離をとるのが下手なやつだった。
まじめすぎて融通が利かない。
でも何となく俺とはウマが合った。
なのに……
どうして疎遠になっちまったんだろう。
またあのころみたいに真剣になれるものを語ってみたい。
今なら酒が入ったりするのかな。
1曲目のリピートを解除して、2曲目の物悲しげで美しいギター音に耳を澄ませながら
過ぎたあの頃に思いを馳せた。
「もし、俺が世界を変えられるのなら」
あの頃の俺に戻りたい。
そしてお前とあの頃の関係に戻りたい。
お前とだったらずっとダチでいれたと思うよ。
リフレインするその歌詞に
誰に告げるでもない気持ちをのせる。
曲が終わり、部屋の中に静寂が訪れる。
突然現実に引き戻される携帯音。
嫁からのメールだった。
『片付け終わった?ご飯食べよう』
時間を指定し、携帯を閉じる。
CDを取り出し、オーディオの電源を切る。
あのCDは実家に置いたまま。
言葉にできない幸福感にも似た空間を共有した、あの思い出は置いてこなければ、現実には戻れない。
「もしもし、俺。何食いたい?」
そして、俺は現実へと還る。
男は過去に思いを馳せ、
女は未来に生きる生き物です。