第17話 翔べ!ヒイロ
地面を抉るほどの強い雨。
雷鳴が轟き、超巨大ナメクジに乗り移ったデネブ・オカブが咆えた。
その破壊活動はBファラオに操られていた超巨大ナメクジや、その後本能のままに躍進していた超巨大ナメクジの比ではない。
破壊神――その名を与えても過言ではなかった。
巨大な体で意思を持って破壊する。人々はその光景を見て戦慄した。
はじめのうちは持てる力で、近隣の破壊活動をしていたデネブ・オカブだったが、肩慣らしも終わったと言うことか、ある場所に向けて進撃をはじめた。
それは魔王城だった。
超巨大ナメクジを支配する者が変わろうと、大魔王ハルカの存在は邪魔者なのだ。
標的にされた魔王軍が猛攻をはじめる。
音速機が基地から次々と飛び立つ光景は、まるで世界大戦が勃発したのかと思わせる。
人々の恐怖心が膨らみ続ける。
投下される爆弾。
ミサイルが飛び交う。
通常の化学兵器では降下が薄いことはわかっている。それでもまったく効かないということはないだろう。
魔王軍は消耗戦でナメクジの体を少しずつ消失させていく作戦を実行した。
やられた身体はすぐに再生するとはいえ、デネブ・オカブとてやられぱなしではない。
超巨大ナメクジの身体に変化が起こる。それは進化と言うべきか、デネブ・オカブによって新たな力が与えられたのだ。
身体から伸びた触手が音速機を貫く!
「わぁぁぁぁぁ!」
兵士が最後に残した断末魔。
空中で爆発した戦闘機。
かろうじて触手を躱したパイロットが仲間に伝える。
「あまり近付くとやられるぞ!」
魔王軍は遠距離攻撃を積極的に行った。
高い高度からの爆撃、射程距離ギリギリの位置からのミサイル発射。
住宅街の崩壊など誰も気にして入らない。
ここは戦場だ。
生きるか死ぬか、やるかやられるか。
魔王軍が一斉に待避した。
東京湾の空母と魔王軍の主砲からミサイルが発射された。
ミサイルの雨が降る。
大地が激震した。
硝煙と砂煙が世界を覆う。
煙の中で何かが輝いた。
刹那!
デネブ・オカブの口から魔砲が発射された。
稲妻を帯びた黒い柱が待避していた音速機を呑み込んだ。
一瞬遅れて爆発が次々と起こった。
多くの仲間の命が一度に失われてしまった。
一機の戦闘機が命令を無視してデネブ・オカブに突っ込んだ。
「死ねーーーッ!!」
ミサイルが発射された。
巻き起こる爆発の先で兵士は見た。
「ぜんぜん効かねぇ、強くなってやがる!」
今までは爆発によって傷つき、その都度に再生していたデネブ・オカブの身体が、ミサイルを喰らってもまったくの無傷だったのだ。
驚愕していた兵士が乗った戦闘機を触手が貫いた。
「ぐわぁぁぁぁぁぁっ!!」
またひとり死んで逝った。
終わらない戦い。
一匹の魔物相手に多くの命が失われていく。
さらに強くなったデネブ・オカブによって状況は悪化するばかり。
このとき魔王城で指揮を執っていたカーシャの元には、日本からの要請が伝えられていた。
――結界を解け。
それは関東一帯を包む込んでいる結界のことであった。
上空や陸路を規制して外部からの侵入を拒む巨大な結界。これによって魔王軍は日本やアメリカなどの攻撃を防いでいた。
関東を乗っ取った魔王軍は日本やアメリカから目の敵にされている。
本土を占領された日本よりも、日本の基地を奪われたアメリカの敵対心は強い。いつでもミサイル攻撃を仕掛けて来ようとしている。日本は公には口にしないが、占領されている土地がアメリカから魔王軍に変わっただけ。
魔王軍は日本との裏条約によって日本の国民と領土を守ることを約束していた。
このたびの日本からの要請は自衛隊の派遣であった。
そのために結界を解けと通達してきたのだ。
結界を解けばアメリカ軍もしゃしゃり出て来ることは予想される。あわよくば魔王軍も一緒に倒してしまおうという魂胆だろう。
通常科学兵器で倒せない相手となると、核を使われる可能性だってありえる。
「自力でこの戦いに勝たなければ奴らが付け上がるだけだな」
カーシャは独り呟いた。
司令部のモニターを見つめるカーシャは苦笑を浮かべた。
「せめて雨さえ止めばいくらでも方法はあるというのに」
立ち尽くすカーシャに、横で作業していたオペレーターを声をかける。
「弱点の解析の途中経過をお知らせします」
「うむ」
「解析室と音声を繋げます」
司令室のスピーカーにハルカの声が響く。
《カーシャさんハルカがんばったよ、ほめてほめて♪》
「あとでいくらでも褒めてやる。弱点はわかったのか?」
《がんばって〈視〉たら、すごーい魔力の反応をナメクジの中に見つけたよぉ》
それを聞いてカーシャはオペレーターに顔を向けた。
「詳しい位置をモニターに出せるか?」
「今送られて来ました、すぐに映します」
モニターに映された超巨大ナメクジのシルエット。
側面と正面のシルエットが並べられ、赤いマークが点滅していた。
「ここはどの辺りになる?」
カーシャが尋ねると、調べるために少し時間をおいてから、オペレーターが答える。
「胃の辺りになります」
「ふむ、ここを攻撃しても駄目なのか?」
「ほかの部分がやられてもこの場所は無事のようです。通常科学兵器の攻撃ではまったく歯が立たないと思われます」
「硬度の問題か、それとも魔導処理がされているのか、どちらにせよこの高魔力の発生源が重要な場所ということは間違いあるまい」
カーシャはそう結論づけた。
そして、ある作戦を口にする。
「標的内部に侵入して内部から高魔力発生源を消滅させる(問題はそんなことやりたがるかだ。侵入はほとんど死にに逝くようなものだ)」
もし成功したとしても、デネブ・オカブが倒せるとは限らない。
光は一筋。
小学校には魔導砲がまだ残されているが、魔王軍は魔導砲の監視役以外は徹底してしまっていた。
魔導砲作戦が失敗したのち、カーシャとハルカは魔王城へ向かい、ヒイロたちは教室で待機していた。
教室の片隅ではミサとメイドがなにやらもめていた。
「姫様、どうかこの場をお離れください!」
「それはできない相談だわ」
「なぜです!」
「ここが戦闘を見るには見晴らしがいいからかしら?」
ミサは悪戯に微笑んだ。
たとえ仕える身だとしても、メイドはここで引き下がるわけにはいかない。仕える身だからこそ、主君の身を案じなければならなかった。
「それが危険だと申し上げているのです!」
「あまり意見するなら、命令としてあなたに黙るように言うけれど?」
「……ッ(姫様……どうしてわかってくれないのですか)」
メイドは黙してしまった。
二人の間に華那汰が割って入ってきた。
「あたしもここを離れた方がいいと思うな」
サングラス越しにミサは華那汰に顔を向けた。
「離れたいのならどうぞ、あなたの意思で」
冷たい響きを孕んでいた。
ミサに拒絶されたように華那汰は感じたが、それでも身を乗り出して訴えようと口を開いた。
「だってここにいても……あたしたちにできることなんてないじゃないですか!」
「予感がするの」
ミサの言葉を聞き返す華那汰。
「予感?」
「そう予感。確証なんてなにもないわ。でもね、私は予感を大切にして生きているから、だから私は時が来るまでここに残るわ」
「……だ、だったらあたしも残ります!」
「無理しなくてもいいのよ?」
「無理なんて……してますけど、月詠先輩は大事な先輩ですから!」
「ふふっ、ありがとう華ちゃん」
ミサは穏やかな笑みを口元に浮かべた。
このときヒイロは教室の端で絶望していた。
「ぜってー勝てねー。もう全類滅亡だ……死ぬ前に鍋ごとカレーが食いたかった」
この話をイスに座って拘束されているBファラオは近くで聞いていた。
「かわいそうに、だいぶ落ち込んでるみたいだね。にゃははは!」
まだ痩せ細っているが、声は通常まで回復しているようだった。
ヒイロはBファラオに掴みかかった。
「キサマどうにかしろよ!」
「またその話か、聞き飽きたね」
「お前ならどうにかできるんだろ!」
「う〜ん、ちょっと前まではね」
「はぁ?」
話が変わったことにヒイロは驚いた。
「どういうことだよ!」
尋ねたヒイロにBファラオは悪戯な笑みを浮かべながら答える。
「残念だけどね、あれは変な奴に乗っ取られちゃったんだよ。そいつをどうにかしてからじゃないと、ぼくにはなんにもできないね」
「ウソじゃねーだろうな!」
「まだ魔物の召喚する術は完成してなくてね、一歩通行なんだ。だから強制送還もできない。ぼくにできるのは使役して命令を出すことだけなんだよ」
ミサがこの場に近付いてきた。
「その話、もう少し詳しく教えていただけないかしら?」
「いやだね」
Bファラオをそっぽを向いてしまった。
ミサはBファラオが聞いてようといまいと、勝手に話をはじめる。
「あなたがどうやってネメクジを使役していたのか? そのことについて少し考えてみたわ」
そう言いながらミサはファラオの柩に近付き、さらに話を進める。
「拘束されたのちのあなたはナメクジを使役できなかった。最後に使役できていたのはおそらく柩の中にいたときだわ」
「ギク!」
思いっきりBファラオは口に出していた。
柩を調べはじめたミサはある物を見つけた。それは隠されていたふただった。そこを開けると出てきたのは一冊の魔導書。
「これね」
ミサはその魔導書を手に取り、まざまざとBファラオに見せつけた。
明らかに動揺するそぶりを見せるBファラオ。細い身体から絞り取るように汗が噴き出していた。
「にゃはは、それはぼくの日記さ。プライベートな物だから見ちゃだめだよ?」
と、言われると人は見たくなる。
構わずミサは魔導書を開いた。
「魔導に関することが書かれているわ。今全部目を通すことはできないけれど、おそらくこれが召喚と使役に必要なアイテムなのでしょうね」
「ああ、そうさ!」
Bファラオは開き直った。
ミサはメイドに魔導書を手渡した。
「カーシャお婆様へ届けて頂戴(これがナメクジを倒す足かがりになればいいけれど)」
魔導書を持ったメイドが部屋を出て行ったあと、教室に運び込まれていた大型テレビの映像が、デネブ・オカブのライブ映像から別の画面に切り替わった。
画面に映し出されたのは司令部にいるカーシャだった。
《ヒマでヒマでヒマ潰しにおまえらと話をしようと思ってな》
こんな状況でヒマというのは明らかに嘘だった。
ミサが画面に向かう。テレビの上には小型カメラが取り付けられている。
「たった今、あのナメクジに関わる魔導書をそちらにお贈りしましたわ」
《本当か!?(それさえあれば大逆転のメイクドラマだな、ふふっ)》
「ですけれど、別の存在に乗っ取られているナメクジの制御はできないらしく、今はまだ役に立たないかもしれませんけれど」
《チッ》
思いっきりマイクが拾った舌打ち。
ヒイロがカメラの目と鼻の先まで迫った。向こうの映像では、ヒイロの鼻の穴がドアップで映っている。
「あの怪獣倒せるのかよ、どうなんだよ!」
《カメラから離れろ、大声出すな莫迦もんが》
「倒せるのかよ、倒せないのかよ!」
《弱点らしき物は見つかっただが、それを叩く手段と準備が整っておらんのだ。だからやることがなくてヒマでヒマで困っておる》
ヒイロを押して華那汰がカメラの前に割り込んだ。
「はいはい、ええっと、弱点ってなんですか?」
《ナメクジの胃袋に高魔力反応を感知したのだ。そこは外部からの攻撃を受け付けず、妾の判断だと魔導的な防壁に守られておる。直接胃の中に入って叩ければよいが、方法と準備がな……》
カーシャの話を聞いていたミサはこの上ない妖しい笑みを浮かべた。
「準備なら整っておりますわよ、カーシャお婆様」
《なんだと!?》
「私に良い考えがありますわ。ただ、方法と機具は揃っていても、ネメクジの体内に侵入する人間がおりません。それから定員は1人で精一杯でしょうね」
「俺様がやる!」
力強くヒイロが名乗り上げた。
祖父の赤いマントを羽織ったヒイロの姿。いつもよりも……ギャグにしか見えない。ヒイロが赤いマントを装備すると、どう見てもギャグだ。
ヒイロはヤル気満々らしいが、無表情のカーシャがザックリ。
《おまえに任せる理由がない。もっと収集な人材に任せた方がいいに決まっておろう》
正論だった。
「せっかく俺様がヤル気になってるのどういうことだよ!」
ヤル気があればいいというものではない。
ヒイロの輝く緋色の眼をミサは見つめていた。
「人材の選考が終わる前にまずは覇道君でやればいいわ。本人がやると言っているのだから、それでいいわ」
「ミサ先輩さすがだな!」
「すぐにやるわよ」
ミサの指示でファラオの柩が運び出される。
早急に事は運び、ミサの考えた方法が明らかになってくる。
それを知って眼を点にしたヒイロは、気が変わったようすでわめきだしたが、構わずファラオの柩の中に押し込められた。
そして、その柩は校庭に残されていた魔導砲の主砲に収められたのだ。
魔導砲のコックピットに乗り込んだのはミサ。
魔力源であるハルカの代わりに用いられたのは、ミサの魔力を持ったペンダントだった。
マナ結晶であるこのペンダントは、魔導砲を最大出力で撃つエネルギーはなくても、ヒイロを入れた柩を打ち出すことくらいはできる。
そう、ミサは魔導砲で柩を撃って、ナメクジの口の中から直接ぶち込もうと考えたのだ。
こんなリスクの高い大胆な作戦、普通はやりたがらない。もちろんリスクを負うのは柩の中のヒイロだ。
しかし、ミサは一定の安全性があると判断していた。
Bファラオが遠く空から柩に乗って窓をぶち破った現れたときのことが思い出される。さらに最強の防具らしいのできっと平気。Bファラオだから可能だったのかもしれないけど。
ミサは操縦桿を力強く握った。
モニターに映された照準がデネブ・オカブにセットされた。
チャンスを待つ。
戦闘機がデネブ・オカブの上を掠め飛んだとき、その巨大な口が開かれた!
「行くわよ」
静かな一言と同時に魔導砲が発射された。
柩の中を襲う揺れ。
外のようすがまったくわからない恐怖
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
柩の中にヒイロの叫びが木霊した。
撃ち放たれた柩は魔導砲の光線に乗って、大きく開かれた口の中へ消えた。
さよならヒイロ!