第10話 ヌメヌメパラダイス
1時間目の授業が終わり、教室を出て行く生徒たちの姿がちらほら。
廊下から聞こえた声はヒイロの元まで響いていた。
「おい、棺桶がひっくり返ってんぞ」
「中身どこ行ったんだよ?」
あきらかにアレのことを言っている。
ヒイロは急いで廊下に駆け出した。
自分でそこに置いたファラオの柩が、動いていることにヒイロは驚いた。柩の扉が上を向いて開いている。たしかにそこに置いたときは逆さだったハズだ。
柩の中はしっとりと濡れていた。
汗で濡れたのか、それとも別の理由で濡れたのか?
ヒイロがちょっと指先で中を触れてみると、ベトッとした。
「汚ね!」
指先が糸を引いた。あきらかに汗ではない。
ヒイロはこっそり汚れた指を壁で拭いた。
廊下をよく見ると、テカテカと輝く太い透明の線が延びている。それは柩から延び、廊下の先まで続いていた。きっと柩の中のベトベトと同じ物だ。
ヒイロはその線を辿って歩き出した。
「(なんかでっけーナメクジが這ったみたいな……って、またかよ!)」
ヒイロの脳裏によみがえった出来事。
おととい起きたナメクジ事件だ。
ファラオの柩の中に入っていたのは巨大ナメクジだったのか?
いや、あれはあきらかにあの男だ。華那汰とのやりとりから間違いない。
廊下に残された痕跡はだんだんと細く消えていくようだった。
そして、ついに痕跡が途絶えた。
辺りを見回すヒイロ。
「ここは……?」
トイレ近くの廊下だった。
ヒイロの目の前で男子トイレに入っていく生徒。
「ぎゃ〜〜〜っ!」
すぐに男子トイレから悲鳴が響き出てきた。
おそらく今入った生徒の悲鳴だ。
すぐに男子生徒が血相を変えて男子トイレから出てきた。
「どうしたんだよ?」
ヒイロは呼び止めようと男子生徒の肩をつかんだが、其の手を振り払われて男子生徒は逃げ去ってしまった。
男子トイレの中でいったいなにがあったのか?
ヒイロは恐る恐る中を覗き込んだ。
「……またか」
男子トイレの壁や床にビッシリと這っているナメクジたち。
しかもそのサイズと来たら、全部あの巨大ナメクジサイズだったのだ。
ヒイロは無かったことにして回れ後ろをして歩き出す。
が、その背中にとある音が響き渡ってきて、思わず足を止めずには居られなかった。
ジャ〜ッ。
トイレの水が流れる音。大のほうだ。
あんなナメクジが生息しているトイレで、いったい誰が用を足していたのか?
「あ〜すっきりしたぁ」
聞き覚えのある声。
トイレの個室から出てきたのはBファラオだった。
「柩の中で漏らしちゃうところだったよぉ……ってなんでおまえが!」
Bファラオは驚いたようすでヒイロを指差した。
指を差されてヒイロはシカト。
顔を合わせずその場から何事もなかったように歩き去ろうとしていた。
慌ててBファラオが呼び止めた。
「待ってよ、きみに用があって来たんだから!」
「あ〜次の授業なんだっけなぁ?」
わざわざ独り言を口に出してまでシカトを押し通す。
Bファラオはヒイロを追い抜かして、クルッと振り返って廊下を塞いだ。
「その〈壺〉はぼくの物だ!」
とか言われても、ヒイロは視線すら合わせようとしない。
焦らず騒がず歩いてシカト。
「ちょっと、なんでぼくのこと無視するんだよぉ!(こうなったら!)」
Bファラオが手にしているのは魔導書だった。皮の装丁はベットリと濡れていた。いや、濡れているのは魔導書だけではない。Bファラオもテカっている。
「忠実なる魔物たち、こいつを食い殺して〈壺〉を奪うんだ!」
叫んだBファラオの命令に従って、巨大ナメクジたちがヌメヌメと廊下に這い出してきた。
襲い掛かってくる巨大ナメクジたち。
だが遅い!
後ろからは巨大ナメクジ、前にはBファラオ。ヒイロは追い詰められながら考えた。
「(あんなたくさんのナメクジ野郎相手にできるわけないだろ。だとすれば道は一つ!)」
ヒイロはBファラオを押し飛ばして、そのまま逃亡しようとした。
が、タックルが決まる瞬間、股間の〈壺〉をつかまれ、しかもそのまま持ち上げられた。
ヒイロの足が浮き、グルングルン回される。
「おい離せよ!」
「この〈壺〉を渡せーっ!」
「渡さねーよ!」
でも、ヒイロは股間から〈壺〉が外れなく困っていて、Bファラオはそれを欲しがっているわけだから、互いの利害は一致しているように思えるが?
しかし、ヒイロにはどうしても譲れないわけがあった。
「自分のもんを人にやるなんてありえねーんだよ!」
貧乏だから。
ちなみに〈壺〉はいつの間にかヒイロの物ということになっている。拾った物は自分の物という貧乏の法則が働いている。
グルングルン回り続ける二人。
Bファラオは眼を回してついにヒイロを〈壺〉ごと投げ飛ばした。
「……ううぅ、気持ち悪いよぉ」
息を整えて顔を上げたBファラオは唖然とした。
巨大ナメクジが倒されている。
いったい誰の手で!?
周りが見えなくなっていたBファラオの自滅だった。
二人でグルングルン回っているうちに、ヒイロの体が巨大ナメクジに当たって、一匹残らずなぎ倒していたのだ。
ヌルヌルの廊下に足を取られながらどうにかヒイロは立ち上がった。
「この野郎ぶっ飛ばしてやる!」
Bファラオに殴りかかるヒイロ!
だが、ヌルッと転ぶ!!
そのスキにBファラオがヒイロに飛び掛かった。
だが、ヌルッと転ぶ!!
ヌルヌル廊下は勢いよく動こうものなら、容赦なく足を取られる。
それでもヒイロは勢いよくBファラオに飛び掛かろうとした。
でもやっぱりコケた。学習しろよヒイロ。
Bファラオは廊下を這いながら進み、ヒイロの体に乗った。
「〈壺〉を渡せよぉ!」
強引に〈壺〉を奪おうとするが、ヌルッと手がすべってしまう。
ヒイロはBファラオの体をどけようとするが、やっぱり手がすべってどうしようもない。
二人は全身をヌルヌルにしながらもつれ合う。
まるでローションプレイだ!
男同士がヌルヌルの体を擦り合っている光景はその物は一部しかウケないが、二人の熱戦(?)は観客を大いに沸かせていた。
いつの間にか廊下には生徒たちが集まりローションファイトを観戦していた。
「いけー覇道! おまえにジュース1本賭けてんだからな!」
しかも賭まではじまっていた。
ヒイロとBファラオはいったん離れて体勢を整える。
立ち上がって攻撃のチャンスを互いに謀っている。
ヒイロが動いた。
合わせてBファラオも動いた。
ツーッとすべって互いの横を通り過ぎていく。
相手を追い越しちゃった二人はあせって動こうとするが、コケる!
ゴン!!
二人して後頭部を強打した。
「イテーッ!」&「にゃ〜っ!」
仲良く二人で廊下を転げ回った。
痛みを堪えながら立ち上がったヒイロがBファラオに飛び掛かった。
「もう許さねーッ!」
だが思うように動けず床で転げ回るBファラオの横をツーッとスルー。
おまけに勢いよく動いてしまったために止まれない!
ヒイロは激しいタップダンスを踊るように廊下をすべった。
「止まんねーッ!!」
ちょうどそこへ騒ぎを聞きつけて野次馬しに来た華那汰が、人混みをかき分けて前列に姿を現した。
ジタバタ踊るヒイロと目が合う華那汰。
「え?」
「どけーッ!」
むにゅ♪
前に出したヒイロの手が華那汰の胸をわしづかみした。
「きゃあーーーっ!」
ドン!
っと思わず華那汰はヒイロを押し飛ばした拍子に、転んだヒイロに巻き込まれて一緒にコケてしまった。
ヌルヌルの廊下で激しくもつれ合う二人。
観客たちから歓声が上がった!
M開脚の華那汰の上にヒイロが乗っている。男子たちは大喜びだ。
「変態!!」
華那汰は会心の一撃でヒイロを突き飛ばした。
ぶっ飛んだヒイロが人混みの中に飛び込む。
まるでボーリングのピンのように生徒たちが倒れていく。
悲鳴がそこら中がからあがった。
ヌメリにハマった生徒が次々と無事な生徒を巻き込む。
ここに集まっていた野次馬がローション地獄にハマっていく。
たまたま体操着を着ていた女子もローションの餌食になり、服がスケスケだ!
さらに制服の女子はパンチラしまくりパンチラパラダイスだ!
とくに白はヤバイ!(何がとはあえて言わないが)
女子の悲鳴が次々と上がる。
「今触ったのだれ!?」
「きゃっ」
「ちょっと触らないでよ!」
「男子あっち行ってよ!」
間違いなく混乱に乗じて痴漢をしている男子生徒がいる!!
辺りは大混乱だ。
収拾が付かなくなったこの中で、周りの空気をムシしてヒイロとBファラオは死闘を続けていた。
「キサマはすでに負けている!」
ビシッとヒイロが決めた。これで勝てなかったらかなりカッコ悪い。
Bファラオが怪訝そうな顔をする。
「ふん、ぼくが負けるわけないだろぉ!」
「いいや、キサマはすでに負けている……俺様に包帯の先っぽをつかまれている時点でな!」
「にゃにー!?」
これはあの必殺技が繰り出されるに違いない!
ヒイロは包帯を思いっきり引っ張った。
「うりゃ〜!」
「あれぇ〜!」
Bファラオがスピンしながら、そのままヒイロにぶつかった。
倒されたのはヒイロだ!
Bファラオはどうにか持ちこたえてその場に立っていた。
「にゃはは、なんども同じ手に引っかかると思うなよ。こんなこともあろうかと包帯をきつく縛っておいたんだ!」
「が〜ん! なんだとーっ!?」
ヒイロ敗北。
さすがに毎回同じ手でやられているわけにはいかない。今回のBファラオは万全を期して来たのだ。
万全を期すために最強の防具であるファラオの柩に入り。
万全を期すために巨大ナメクジ軍団を用意した。
二つとも思いっきり裏目に出たがな!
それでも最後の砦であった包帯を取られるという失敗は犯さなかった。三度の目の正直というやつだ。
しかしBファラオは気づいていなかった。
ヒイロはBファラオの股間を指差した。
「ところでさ、おまえさっきからスケスケだぞ?」
「にゃーっ!?(ホントだ、体中スケスケになってるぅーーーっ!)」
白い包帯がヌメヌメでスケスケ。
大事なところはボカシが入っているような状態だった。
結局Bファラオはこうなる。こういう役回りなのだ。
パニックになったBファラオはヒイロに飛び掛かった。
「なにか隠す物貸してよぉ!」
Bファラオはヒイロの学ランを脱がそうとする。
これを取られたら死活問題のヒイロは必死で抵抗した。
「これ取られたら明日から生活できないだろ!」
マジでこれしか服を持っていないのだろうか?
Bファラオはある物に気づいた。
「ああっ、ちょうどいいのがあった!」
Bファラオがつかんだのはヒイロの股間の〈壺〉だった。てゆか、ちょうどいいとかどーとかじゃなくって、それが本来の目的だったんじゃ?
すっかり〈壺〉を奪うことが目的だったことを忘れ、結果的に〈壺〉を奪おうとするBファラオ。
「〈壺〉を渡せー!」
窮地に追いやられるといつも以上の力が発揮されることがある。
いわゆる火事場の馬鹿力だ。
Bファラオは渾身の力で〈壺〉を引く抜こうとした。
そのとき、〈壺〉の色が黒から白に変わったのだ。
スッポン!
〈壺〉が抜けてヒイロとBファラオは目を丸くした。
「ついに〈壺〉がぼくの物になっ……!?」
Bファラオの手の中で踊り狂う黒い〈壺〉。再び色が白から黒に変わり吸引がはじまったのだ。
一目散にヒイロは床をかいて廊下を泳いで逃げた。
Bファラオの近くにいた生徒たちが次々と吸い込まれていく。ヌルヌルのせいで力が入らず簡単に吸い込まれてしまう。
生徒たちの悲鳴もそう長くは続かなかった。
静まり返ってしまった廊下。
そこにただ独り立っていたのは股間に〈壺〉を装着したBファラオだけ。
「ふぅ、やっと制御できた。この〈呼吸の壺〉さえあればアレが完成する。そして、ぼくはあいつに復讐するんだ!」
と、ここでBファラオはあることに気づいて辺りを見回した。
「あいつは?」
あいつとは、つまりヒイロがいない!
ガーン!
「まさか……吸い込んじゃった?(そしたらアレとかもうどうでもいいじゃないか。しまった、復讐する前に復讐してしまったよぉ)」
大魔王遣いヒイロ〜電波系大神官の復讐!(完)
なんかやるせない気持ちでこの場を去っていくBファラオ。
それからしばらくして、物陰に隠れていた男が廊下に這い出してきた。
「マジ危なかったぜ」
ヒイロだった。
あの吸引力を知っていたヒイロは、どうにか独りだけさっさと逃げて助かっていたのだ。
教室からパラパラと数人の生徒たちが姿を見せる。
騒ぎが大きかったために、多くの生徒たちが野次馬をしており、学年の大半が〈壺〉の中に吸い込まれてしまったようだ。
これからどうするかヒイロが廊下に座って考えていると、大勢の足音が遠くから響いてきた。
ヒイロは音が聞こえた廊下の先を見て顔面蒼白になった。
白い集団到着!
「もういやだぁぁぁぁぁぁ〜〜〜」
世界は白い煙に覆われ、その中にヒイロの叫びが呑み込まれて消えた。