第2話 まるでリメイクする朝
ぴーちくぱーちくスズメがさえずり、せせらぎのように爽やかなそよ風、朝日がサンサン眩しい日差し、そして住宅街を駆ける爆走少女。
「遅刻遅刻ぅ〜っ!」
今朝も遅刻街道まっしぐらの華那汰は、口にキツネ色のトーストをくわえ、ブレザーの袖に腕を通しながら走っていた。
毎朝の強制的早朝マラソンを欠かさない華那汰だが、高校入学から早二ヶ月、今のところ一度も学校に遅刻したことがないのが彼女の自慢だ。
学校への最終コーナーを曲がった直後、目の前に飛び込んできた人影!?
「危ない!」
ドン!
口にくわえていたトーストが宙に舞い、華那汰はアスファルトに尻餅を付いた。
「アイターッ!(ったく、いきなり飛び出して来たの誰よ!)」
あられもない声をあげて、華那汰はお尻を擦りながら目の前にいる人影を見る。
するとそこに立っていたのは陽の光を背中に浴びる長身の青年。
「(……ありえない)」
心の中で華那汰は呟いた。
まさか2ヶ月連続で同じ人物に登校途中に衝突するなんて……ヒイロだった。
でも、なんだかいつもヒイロと違うような気がする。
なんだかいつもより輝いて見える――恋愛的な意味じゃなくて。
「覇道くん……いつもより白くない?」
そう、あの丈の短い白い学ランがいつもよりも白い!
それだけじゃない。
なんだか顔色も蒼白い。
「お前は気絶してたから知らないだろうけどな、いろいろあって大変だったんだからな!」
昨日のG件(事件)のことだ。
ヒイロは尻餅をついている華那汰に手を差し伸べた。いや、指を差した。
「パンチ見えてるぞ(白か)」
「…………っ!?」
M字開脚をしてしまっていた華那汰が急いでスカート押えながら立ち上がった。
限界突破の跳躍力で華那汰がヒイロに飛びかかる。
通学鞄を大きく振りかぶった華那汰。
「このぉッ、変態魔神!」
ドゴーン!
顔面を鞄で抉られたヒイロがぶっ飛んだ。
ウィナー華那汰!
鞄で殴られ、塀に激突し、さらにアスファルトに強打したヒイロは、身動き一つしない。
……焦る華那汰。
「あれ……殺っちゃった?」
てへっ♪と笑う華那汰の表情は清々しい。
「今日も良い天気だなぁ」
見事に現実逃避した。
ヌッとヒイロが立ち上がった。
「殺っちゃったじゃねーよ、天気も良くねーよ、心配するとか謝るとかねーのかよっ!」
とりあえず殺ってなかったようだ。しかも空は今にも降ってきそうな暗い空。さらに謝らずに走り出す華那汰。
「遅刻遅刻ぅ〜♪」」
「遅刻じゃねーよ、謝れよ!」
ヒイロは華那汰を追っかけようとしたが、爆走少女は風のように住宅街を走り抜けて消えてしまった。
すぐに体力ゲージが残り僅かになってしまったヒイロは、走るのを止めてトボトボと歩き出す。
足のちょー早い華那汰で遅刻ギリギリでいつも登校しているのだから、このペースだとヒイロは確実に遅刻だ。むしろペースがどーこーよりも、華那汰と会ってる時点で遅刻確実だった。
「深夜からずっとバイトだったからな……」
それが遅刻の原因だった。
「外国人の乗ったコンテナを下ろして、代わりに車を乗せて……俺様もあんなカッコイイ車に乗りたいなぁ」
って、のんきにあこがれちゃってるが、そのバイトはもしかして……?
そもそも高校生が深夜のバイトをしている時点で非合法じゃ?
後ろからエンジン音が聞こえてきて、ヒイロは何気なく振り返った。
「そうそう、あんな感じの車が多かったよな」
グングンスピードを上げて迫ってくる赤いスポーツカー。
「えっ?」
ヒイロが眼を丸くした次の瞬間!
ドゴーン!!
ロケットのように空を飛ぶヒイロ。
狭い住宅街の道を駆け抜けていくランボルギーニ・ディアブロ。
見事なひき逃げだった。
朝のホームルームの時間。
教室は先生がなかなか来ないことをいいことに騒がしい。
しばらくして教師室の前のドアが開いた。
そして、颯爽とスーツに眼鏡で入ってきた20代前半の若い男。
女子生徒たちの目つきが変わる。うっとりとして瞳を輝かせたのだ。
男子生徒たちの目つきも変わった。女子の視線を掻っ攫った若い男への敵対心だ。
教室中に『誰だ、誰だ?』という声が飛び交った。
教室に入ってきたのは誰も見たことのない男。
若い男は教壇の前に立った。
このパターンは先月もあったような気がする。
「はじめまして、今日からこのクラスの担任になりました明星[アカボシ]ヒカルです」
これまでクラスは副担任が臨時で担任をしていた。
もともとの担任は交通事故で入院して、そのままいつの間にか行方不明。
代わりにやって来た偽教師美獣アルドラは、あの事件以降学校を去ってしまった。
そして、やっと新任の教師がやって来たのだ。
明星は出席名簿を開いて眼鏡を軽く直した。
「それでみなさんの顔と名前を覚えたいので、ひとりずつ名前を呼んで出席を取ります」
こうしてア行から順番に名前が呼ばれ、教室のあちこちから返事が聞こえた。
順調に進んでいた出席確認だったが、ある名前のところで止まることになった。
「覇道ヒイロ君……覇道ヒイロ君はいませんか?」
クラスを見回す明星だったが、返事をする者はどこにもない。ヒイロはまだ来ていなかったのだ。
「覇道ヒイロ君は欠席ですね?」
欠席マークをつけようと明星がした直後、教室のドアが力強く開かれた。
「はいはい、俺様が覇道ヒイロだ!」
勢いよく教室に駆け込んできたヒイロだったが、その姿を見て華那汰は唖然とした。
「なにアレ?(あたしに当てつけ?)」
華那汰がそう思ったのは、包帯グルグル巻きの姿でヒイロが現れたからだ。
ヒイロの姿を見ながら明星がふっと口元に笑みを浮かべた。
「君が覇道くんですか。私は今日からこのクラスの担任になった明星です」
「よろしく先生(新しい先生が来たってことは副担任のじいさんついに死んだか?)」
勝手に人を殺すなヒイロ!
自分の横の席についたヒイロをじとーっと華那汰は見つめた。まだ自分への当てつけだと思っているのだ。
「どうしたのそのケガ?」
「どうしたもねーだろ、お前に殴られたんだよ」
「はぁ? あたしそんな大けがさせたつもりありませんけどー?」
悪い態度で華那汰が言うと、ヒイロも意地悪そうに笑った。
「ウソだよ。あのあと車にひかれてさ、保健室でタダで絆創膏もらおうとしたら、大したケガでもないのに包帯グルグル巻きにされたんだよ」
「普通車にひかれたら保健室じゃなくて病院でしょ」
「病院なんて行ったら金がかかるだろ!」
「(元気そうだし、まっいっか)」
華那汰は溜息を吐いてそっぽを向いた。
ふと眺めた窓の外。華那汰はそこであるモノを見た。
そこにちょうど校内放送が流れた。
《校庭に車を止めている方、お心当たりがございましたら、至急指定の駐車場に移動させてください。繰り返します――》
放送を聞いた生徒たちが窓際に集まって校庭を眺める。
ヒイロも野次馬根性を発揮して、誰よりも前に出て校庭を眺めた。
そして、その“赤い車”を見てヒイロが叫ぶ。
「あがーっ! あいつだ、あの赤いヤツが俺様をひき殺そうとしたんだ!」
その発言を受けて教室中がざわめき立つ。
ヒイロをひき逃げした車がなぜ学校の校庭に!?
「俺様を殺し損ねてここまで追って来たに違いない!」
「すごい妄想」
ボソッと華那汰がつぶやいた。
騒ぎになった生徒たちを沈めようと明星が注目を集めるため手を叩いた。
「君たち自分の席に戻ってください」
そう言いながら生徒たちを席に戻そうと明星も窓に近付いて、ふと校庭に目を向けて衝撃の一言を放ったのだ!
「あれは私のランボルギーニだ」
さらに続く衝撃発言。
「あの場所は駐車場じゃなかったのか」
眼鏡スーツのクセにウッカリさん!
顔に似合わずウッカリさんとも言えるが、逆に顔とスポーツカーに似合って凡人ではないとも言える。
さらなる衝撃発言が明星の口から放たれた。
「それでは出席の続きを取ります」
車動かしに行かないんかい!
華那汰は今朝から今までのことを思い出していた。
まるで先月の繰り返しのような今日。
遅刻しそうになって走っていたら人にぶつかってしまった。それが先月と同じヒイロ。
学校に来てみたら新しい担任がやって来た。しかも先月と同じで変な人。
「(美獣のこと思い出しちゃうなぁ。もしかして明星先生も……まさかねぇ)」
偽教師として現れた美獣。その目的もわからないまま、華那汰は戦いに巻き込まれてしまった。
どっと溜息を吐いた華那汰。
「(なんであたしの周りばっかりで変なこと起こるんだろう)」
平凡な生活を一変させたのは大魔王ハルカの存在だ。
その存在は華那汰のみならず、世界に大きな変革をもたらした。
アニメやマンガのファンタジーな出来事が現実となってしまったのだ。
ニュータイプと呼ばれる人々とガイアストーンの存在。
その世界を変革させた1つの因子――大魔王ハルカは華那汰の姉だった。
異世界から帰ってきた姉はなぜか黒猫になり、そしてさらに……。
「(全部元に戻るなんて……無理だよね)」
動き出した世界は止まらない。
華那汰の知らないところでも世界は動き続けている。
闇は光に身を潜め、その機会を窺っているとも知られずに……。
突然!
「キャーッ!」
女子生徒が叫び声を上げた。
何事かと思ったときには、生徒全員がそれを確認していた。
ナメクジだ!
足下に群がるナメクジ。
壁や天井を這うナメクジ。
華那汰の机にボトッとナメクジが落ちた。
「…………」
魂離脱。
騒然とする教室内でただひとり動じない生徒がいた。
「なんだ殻のないカタツムリじゃんか」
ヒイロだった。
しかもヒイロは平気でナメクジを指で摘みやがった。
しかも素手で!!
たしかに殻のないカタツムリというのはあながち間違いじゃない。カタツムリの殻が退化したものがナメクジだとされているが、そういう生物学的なことをみんな言いたいわけじゃないと思う。
イメージだ、イメージが違うのだ!
世の中はイメージ戦略が大事だ。
中国人はなぜかアルを付ける!
アイドルはトイレに行きません!
日本人はメガネにカメラ!
オタクはリュックにチェックのシャツ!
全部ただのイメージだとは言い切れないが、マルチメディアの世界はイメージに侵蝕されているのだ!!
カタツムリは歌になって子供から大人まで親しまれ、アジサイとのコラボでイラストにもなっている。
それに比べてナメクジはどうだろうか。ジメジメ〜、ヌルヌル〜、キモイだけでキモカワイイとは言われない。梅雨の時期に大量発生する害虫でしかないのだ!
ナメクジはどこから沸いているのか、その数を増やし教室を制圧しようとしている。
生徒たちは足の踏み場があるうちに廊下へ逃げ出した。
すると同じように教室から飛び出してきた他のクラスの生徒がいた。
ほかのクラスでも同じ状況になっていたに違いない。
ナメクジは廊下にもいた。
学校中パニックだ。
自然と人の流れは校舎の外へと流れ、華那汰もほかの生徒といっしょにグラウンドの避難した。
教師たちは生徒たちを鎮めるので必死だ。クラスごとの整列を呼びかけるが、パニック状態の生徒たちは収拾がつかない。
人の波に呑まれながら華那汰が彷徨っていると、人混みの中にポツンと空いた場所があった。その真ん中に立っている独りの少女。
「月詠先輩(……あからさまにみんなから避けられてる)」
ボソッとつぶやいてから、華那汰はミサの元へ駆け寄った。
「月詠先輩だいじょうぶですか?」
「ええ、すでに特殊部隊を編制させて呼んだから、もう大丈夫よ」
そういう意味の大丈夫かっ!
きのうのG殲滅大作戦(仮称)と同じパターンだ。
ミサは辺りを見回してから、華那汰に視線を戻した。
「ところで、今日は一緒ではないのね?」
「だれとですか?」
「覇道君と(いつも私と会うときは一緒だから)」
「なんであんなヤツといっしょじゃなきゃいけないんですか!」
大声を出して拒否した。
鼻先でミサは静かに笑った。
「うふふ、ムキならなくてもいいのよ」
「それってどういう意味ですか? まるであたしがあいつに気があるみたいな言い方じゃないですか!(マジありえない)」
「違うのかしら?」
「違います! 絶対に違います! あたしもっとぜんぜん理想高いですから!」
こういうのは否定すればするほど、相手に深読みされるだけだ。
そんな感じでミサとトークを繰り広げる華那汰は、周りから好奇な目で見られていた。金持ちで変人で、妖しく近寄りがたい雰囲気のミサと普通に話しているからだ。そういえば最近、華那汰の友達がちょっと減ったような気がする。その要因を作っている人物はほかにもいそうだが……。
好奇な目で見られていると言えば、グラウンドに停めてあるランボルギーニ・ディアボロもそうだ。ナメクジ騒動なんて忘れて高級スポーツカーに生徒たちが群がっている。この車の持ち主はグラウンドにはいなかった。
では、いったいどこに……?