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3. 魔女というより女神

アレスは漸く会議から開放され、真っ直ぐに城内に与えられている、自分の私室へと向かっていた。

一月前に王籍を返上してから殆ど使っていなかった、かつての生活空間だが、今はあの頃に戻ったかのように、頻繁に訪れている。


紛糾した午後の会議の議題は、予定されていた“停戦中の隣国との国境の報告”やら“平和条約締結に向けて縮小される軍事力の件”やらをすっぱり飛び越して、先日発見された瀕死の少女の処遇に関してだった。

面倒ごとを避けるために、“若輩の末席”に大人しく納まっていたアレスは、普段は会議で発言する事はなかったが、今回ばかりはそうも行かない。


なにしろ、件の少女は、アレスの庇護下にあり、今アレスが足を向けている、彼の私室に眠っているのだ。


発見してすぐに、元王子の肩書きとコネを最大限に活用して信頼の置ける御殿医に診療を仰いだ結果、低体温と脱水症状と診断された彼女が目を覚ましたのは昨日の事だ。

それまでは、元々その部屋でアレスの侍女として仕えてくれていたマリエンヌに看護を任せ、アレス自身は“彼女”の処遇に関して国王陛下と謁見したり、貴族院の重鎮たちを個別に回って根回しをしたり、忙しく飛び回っていた。

特に根回しは、慎重に行った。昨夜陛下の御前に緊急招集された、宰相・ゴッツエル、貴族院長・ユースタスとの密談には、彼女の保護者としてなんとか滑り込み、彼女を厚遇することが如何に重要かを説いたアレスだったが、3人は彼女が目を覚ます前に“なかったことにする”という手段が一番だと思っているようで、何もしなければ、彼女は発見されたあの時に、殺されてしまうところだったからだ。


だが、睡眠も返上で駆け回ったおかげで、貴族院の結論は彼女を生かす方向で決まった。

このまま語学に堪能なアレスが責任を持って監視し、逐一報告を入れることになった、と言うわけだ。

何もかも、アレスの思惑通りに事が運んでいる。



部屋の前で護衛と言う名の監視をしている騎士と視線を合わせれば、「異常はありません」と短い報告と共に鍵を開け、ドアを開けてくれた。

「そうか。後でギルバートが来るだろうから、通せ」

「御意」


入ってすぐの応接室を通り抜け、執務室の更に奥、更衣室でもある居間を抜ければ寝室だ。

居間と寝室を隔てるドアの前には、元々アレスの護衛でもあったロダンが、落ち着かない様子で立っていた。

いかつい顔には重ねた年齢の重みが滲み、熊のような立派な体格は向かい合っただけで戦意を喪失しそうなくらいの貫禄があるのに、何だか不安そうな顔をしているのは、寝室で眠っているのが“魔女”と呼ばれる得体の知れない少女であったからだろう。


「案ずるな。あれはただの無力な娘だ」


―――今は、な。


心の中で付け足しながら、安心させるようにロダンの肩を叩く。

寝室の扉へと手を伸ばしたが、ロダンは苦い顔でアレスを見つめたまま扉の前から動こうとしなかった。


「閣下。また、閣下自らがあの者を介抱なさるおつもりですか」

「そのつもりだ。マリエンヌにも無理を言って、彼女についていてもらっているんだ。夕方の一時くらい彼女を王妃殿下にお返ししないとな」

そもそも、今の彼女は王妃付きの侍女なのだから。

「ですが、あまりにも危険なのでは。第一、きちんとお休みにならなければ、御身に障ります」

「お前は心配性だな、ロダン。私はそんなに柔ではないぞ」

「いくら閣下がお優しいとは言え、閣下が情けをかけるほどの者ではありません」

もう何度も交わされる同じやり取りに、いささかうんざりしながら、アレスはロダンを押しのけるようにして扉を開いた。



◇◇◇



マリエンヌに下がらせ、寝台の隣に運ばせた文机で、朝にギルバートが持ってきた仕事をする。

きちんと優先順位順に整えられた書類に目を通しながら、時々うなされている様子の少女を見守った。


マリエンヌに教えられたとおりに、氷水に浸したタオルを絞り、額の汗を拭ってやると、強張った表情が少し安らいだ。

そしてふいに、ぼんやりと薄目を開けた。


初めてその漆黒の瞳を見たとき、報告に来たマリエンヌは「禍々しい闇の色」「呪わしい」と表現したが、自分はそう思わなかった。

どこまでも澄んだ冬の星空のような、ある種神聖な静けさ。

高熱に浮かされながらも、真っ直ぐにアレスを見つめ、状況を把握しようとする理知的な眼差し。

美しいとさえ思った凛とした瞳が、不安に揺らいで涙に潤めば、急に庇護欲を掻き立てた。



彼女が初めて目を覚ましたあの時に、彼女の言語がアレスが知るものではなかったのは確認済みである為、アレスは無駄に彼女を消耗させる事を避けるために、言葉は発さず、ことさら穏やかな表情を作って彼女に微笑みかけ、侍医が指示した最低限の栄養を取らせる水分を口に含ませる。

従順にそれを飲み下して、再び眠りに戻っていく少女を見守っていると、寝室の前に気配を感じた。


「ギルか。入れ」

小声で促せば、現在多忙なアレスに代わって殆どの執務を代行してくれている彼が、どうしてもアレスの決済が必要な仕事を持って入ってきた。

アレスはにやりとギルに笑いかける。


「残念だったな。女神殿・・・はまた眠りに戻ってしまったよ。今さっき、少し目を開けたんだがな」

「・・・さようでございますか」


ギルバートはアレスの言いようにも特に感情を動かした様子もなく、淡々と手にしていた紙の束を机に置き、決済済みの書類を回収していく。

「今日の御前会議はどうなりましたか?」

「あぁ。私の希望通りになったよ。彼女は私の管轄下になった」

「・・・お喜び申し上げるべきでしょうか」

ギルバートの返事の仕方に、アレスは机の隣に佇む彼を見上げた。

彼は、唯一、アレスの思惑を正確に把握しているようだった。


彼女は魔女ではない、と臣下に言い聞かせ、貴族を説得しながら、実は一番アレスが彼女を魔女だと確信している事も。

その彼女を擁護し、自分の手ごまとし・・・いつか復讐の道具にしようと考えている事も。


「流石だな。伊達に私の倍生きているわけではないと言う事か」

「・・・もう正確には1.8倍です。アレス様。時は流れるものです」

「そうだな。彼女が死んで、もう2年経った。2年だぞ?私は・・・もう疲れたのだよ」


そっと漆黒の髪に指を通す。

黒と言えば災いの色だが、王家にとっての災いならば、アレスにとっては福音に違いない。


愛しげにさえ見えるその仕草に、かすかな希望を感じて、ギルバートは「この少女を・・・死なせる事になってもよろしいのですか?」とアレスをたしなめる。

だがアレスは冷めた瞳でギルバートを見返した。


「愚問だな。彼女は私に使わされた復讐の女神(ログス・デローチェ)なのだから、使命を果たしてもらおうじゃないか。だがそうだな・・・全てが上手く行った暁には、私も一緒に死んでやってもいい」

「閣下」

「ギルバート。この話しは、以後王城ではするな。・・・分かったら下がれ」

「・・・はい」


ギルバートを追い出すようにして下がらせ、寝室にしつらえられた大きなチェストの中段を開ける。

そこに内側に板で仕切られた隠しスペースが存在しているのだが、アレスは更にそこから鍵の掛かった箱を取り出した。


箱の中から艶やかな光沢を放つ、オレンジ色の布を取り出す。

それは、少女がこちらに来たときに来ていた衣装だ。

御殿医とマリエッタに口裏を合わせてもらい、これは救命処置のために破かれ、処分されたと証言したが、実はこうして取ってあった。

今初めて、一人でこの部屋で一人になる時間を持って、やっとゆっくりと検証できる。


広げてみれば、やはり大きな腹部の血痕。

自ら裂いてしまったが、あの腹の部分に空いた穴は、戦場でも見慣れた銃創のようだった。

これだけの傷を受けた形跡がありながら、少女の身体には傷一つなかったのだから、魔法と言わずして何と言おう。


「正面から一発、だな」


逃げれば普通は後ろから撃たれる。

だが正面からの攻撃など、魔女ならば何らかの対抗が出来たのではなかろうか。

ドレスの後ろ側には穴も出血もない。

普通に考えれば、銃弾が貫通しなかったと言う事になる。

たとえば、彼女が拘束されたり魔術を奪われた状態で攻撃されたとして、それならば相手はもっと確実に殺せる至近距離から攻撃するのがセオリーではなかろうか。

少なくとも、こちらの銃殺刑ならそうする。


「魔術のある世界にこちらの常識は通用しない・・・か」


彼女はあの空間へ現れるまで、どこでどんな状況にあったのだろう。

彼女を自分の手元に置く事で、この国の事だけではなく、彼女の世界の事情に巻き込まれる事になりはしないだろうか。


仮置きの執務机の上に置いていた右手の人差し指で、とんとんと小さくリズムを刻みながら熟考する。

考え事をするときのアレスの癖だった。


どれほどそうしていただろうか。

「マックス・・・」

少女が小さく呟いた言葉に、思考を中断した。

椅子から立ち上がって、寝台に眠る彼女の顔を覗き込む。


実は彼女がこの言葉を呟くのは初めてではない。

今朝方も聞いた言葉だった。

・・・その時は「マクスウェル」だったが。


“マックス”“マクスウェル”。

普通に考えれば、どちらも名前のようだ。

こちらの世界の感覚ならば、男性の。


何かの手がかりには違いないと、頭の隅にその音を刻みながら、彼女の服を入れていた箱の、さらに隅に入れていた小さな箱を開ける。

そこには、彼女が身につけていた唯一の装身具が入っていた。

なかなか繊細な意匠の、金剛石ダイヤモンドの指輪。

内側に“to my one & only"と刻まれたそれは、飾り気のない彼女の身なりの中で、異様なほど目立ったものだった。

きっと重要なものに違いない。


こうして彼女の事を・・・彼女の弱みになりえるものを・・・抜け目なく観察している己に気付いて苦笑する。


リスクもなにもない。

アレスの中では、もう決定事項だった。


たとえ己の命が引き換えになろうとも。

この国の王族を。王政を。絶やす事ができるのならば。



「君には私のために動いてもらうよ。女神殿」




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