0. 魔女と呼ばれた少女
初投稿です。
コミュニケーションに焦点を当てた異世界ものが書きたくて始めました。
しっかり完結できるように、頑張っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
磨きぬかれて優美な光沢を放つ大理石の床に、その辺の建物など軽く収まってしまいそうなほど高い天井から吊るされた豪勢なシャンデリアが輝く、レスタバーン王国自慢の王城のエントランスで足を止めた青年・アレス、ことアレシュタイン・デルフィニアは、ここレスタバーン王国の外務大臣だ。
弱冠26歳で国の重責を任される彼は、誰もが一目置く聡明さと、国の代表たるに恥じない端麗な容姿をしている。
王城でのその日の仕事を終えたアレスは、王城のすぐ隣にある自分の邸宅へ帰る途中に、その騒ぎを聞きつけた。
王との謁見もあった今日はことさら堅苦しく正装していて。本来ならば、一刻も早く屋敷へかえり、装飾華美で重苦しいジュストコールを脱ぎ捨てたいと思うところだが、エントランスホールで、普段は封鎖されている区画へと慌しく向かっていく数人の騎士を見かけて、どうしようもなく胸騒ぎを覚えたのだ。
そこは地下牢などへと続く入り口がある廊下だったが、騒ぎがあったのはもう少し手前だ。
―――あれは・・・「塞いではならない空間」への入り口ではないだろうか。
この城の丁度真ん中に当たる部分の地下深くには、「塞いではならない空間」と呼ばれる部屋があった。
何も無い、ただの12m四方の空間で、いつからあるのかは定かではない。
ただ王族の間では、代々、その部屋をもので満たしたり、取り壊してはならないと言い伝えられてきた。
古い城ならいくつかはあるだろう、迷信の一つだろうと嗤いながらも、一応時々騎士たちに巡回させながらその空間を守ってきたのだ。
アレスが騒動の中心にたどり着くと、そこはやはり「塞いではならない空間」への入り口だった。
「何があった?」
アレスが声をかければ、若い騎士が緊張した様子で「はっ」と礼を取る。
「この下の部屋の中で、若い女が見つかりました」
「女?」
「はい。それが・・・気持ち悪い姿をしていまして。服には腹部に血のあとのようなものも付いていますし、もう息はないかと」
眉をしかめる騎士に、アレスは首をかしげた。
「確認していないのか?」
「・・・誰も触れたがりません」
―――なんだ、それは。
アレスは要領を得ない騎士から視線を外すと、地下へと続く階段へ足を向ける。
「殿下!危険です。殿下が行かれなくても・・・」
慌てて引き止めようとする別の若い騎士にアレスは苦笑する。
この国の第5王子であったのはつい先日までの話しだ。
「私はもう王籍を抜けた身。ひと月も経ったんだ。いい加減慣れてくれないと困る」
「・・・申し訳ありません、デルフィニア公爵。ですが・・・」
「事は王家の一大事かもしれないのだ。なにしろ、この部屋に何かが起きたのは、私が知る限り初めてだからな。確認する必要がある」
アレスは「もう引き止めてくれるな」と身振りで示すと、暗い階段を降りて行った。
長い階段を降りきった先にある扉の前では、3人の騎士が立ち呆けていた。
そしてその足元には確かに線の細い、女と思われる人影が横たわっている。
見たことも無い漆黒の髪は水の流れのように真っ直ぐで、ランプに照らされて艶かしくさえ見える白い肌は真珠のように滑らかだ。
王子として各国を回っていたときにだって見たことが無い姿に、騎士たちが恐れている理由を察する。
黒髪に白い肌。それはこの国のみならず、いろいろな国で言い伝えられている悪魔や魔女の姿だったのだから。
「現状報告を」
短く命じれば、3人の中では一番地位が高い騎士が、礼をとる。
「こちらにいるダニエルが見回り中に発見しました。こちらのレスターが先週確認したときには異常は無かったそうですから、この1週間の間に侵入したと思われます」
「・・・侵入、ね」
報告を聞きながら、自分でも観察を続けていたアレスの目には、彼女が進んでここへ入り込んだようには見えなかった。
扉の裏側には必死で開けようとした努力が刻まれていて、痛々しい状態になった指先は今も扉へと向けられている。
誰も助け起こさなかったのだろう。
彼女は頬を石の床につけるように、うつぶせに倒れたままだ。
ふと、艶やかな黒髪に隠された顔を見てみたい衝動に駆られて手を伸ばせば、報告途中の騎士が慌てて止めに入る。
「殿下!呪われてしまいます!」
「・・・お前もか。私はもう殿下ではないぞ」
うんざりしたように返しながら、アレスはさらりと髪を背中の後ろへと流す。
妖艶な姿を思い浮かべていたが、色をなくした小ぶりな唇も、涙の跡が残る頬も、どこか庇護欲を掻き立てる稚さがある。
―――まだ子供じゃないか。
「そういう話しをしている場合では!この女は魔女です」と、慌てている騎士を無視して、そのまま首筋へ手を当てた。微かだが、まだ脈がある。
「私を呪う力があれば、こんな状態になる前にこの女は自分を救ってるだろう?・・・大体魔女や悪魔など迷信にすぎない」
抱き起こせばすっぽりと自分の腕に収まる、小柄な身体は頼りなく。
見たことも無い素材のオレンジ色のシンプルなドレスの腹部を染める血痕は致命的な出血を思わせた。
血痕の中心に小さな丸い穴が開いているのに気づき、そこから指を入れて布地を引き裂く。
だが露になった透き通るように白い肌には傷一つない。それを見たアレスはアイスブルーの瞳を少しだけ大きくした。
めまぐるしい思考も、動揺も一瞬だった。
やせ細った身体が頼りなく呼吸する様に、彼女の命が風前の灯なのは明らかだったからだ。
「陛下にこの事は?」
「・・・場所が場所ですので、一番に使いを出しました」
「そうか。ならばもう一人伝令を出してもらおう。・・・彼女は私が預かる」
「ですが、殿・・・公爵閣下。閣下がこのような不気味なものに関わらずとも、私どもでどうにかしますから」
アレスはゆるゆると頭を振った。
「彼女を恐れている君たちでは、冷静に対応できないだろう。事は王家の一大事だぞ。判断を誤る事は許されない。まずは医師の診察が先だ。警護のしやすい貴人用の客間を整え、彼女を運び込むぞ」
「・・・ですが、まずは陛下のご指示を待たなければ」
「彼女の状況を見て分からないのか?一刻も早く医師に見せるべきだ」
早く伝令を出せと急かすように、彼女を抱いたまま立ち上がるが、騎士は黙り込む。その目は責めるようにアレスを見つめていた。
―――“言わずとも分かるだろう?その娘は生かすべきではない”とでも言いたそうな目だな。
分かっていた。
サリーを殺したこの城の者達は、この娘を殺す事にも躊躇は無いだろう。
埒が明かない。
すると、軽快な足音が階段を駆け下りてくる気配に、アレスは視線を上げた。
「アレス様!」
聞きなれた声にホッとする。
この伏魔殿のような王城で、絶対的に信頼できる護衛兼側近であるギルバートだった。
「ギル。丁度いいところに来た」
アレスはつい安堵を浮かべてしまうが、アレスの腕の中の存在を目に留めたギルバートは、一瞬目を見開き、ついで少しだけ咎めるような視線をアレスに送る。それでも、そんな表情は長くは持たず、優秀な側近の顔に戻ると、「私が」と彼女を受け取るべく両腕を差し出した。
色々な葛藤があっただろうに、最終的に主の意思を尊重する。
―――それができる男だから、なかなか手放してやれないんだよな。
アレスは苦笑した。
「構わん。猫より軽いくらいだ。それより、私の寝室に御殿医を呼べ。メイドも必要だろう」
「・・・そのお方を、アレス様の私室へ運ぶのですか」
「他に安全な場所も思い浮かばないからな」
「・・・かしこまりました」
ギルバートは静かに礼を取ると、今下りてきたばかりの石段を駆け上がっていく。
その背中を頼もしく見送りながら、アレスは後ろに控えた騎士たちに声をかける。
「このようにか弱い、死に掛けた少女一人に、怯えるしか能の無いお前たちでも、現場検証くらいはできるだろうな?」
「・・・お任せください」
応える声には、アレスにあからさまに侮辱された怒りが篭っていたが、アレスは気にすることなく鷹揚に頷いた。
「任せる。何一つ見落とすことなく仔細に調査し報告しろ」
―――これはいい拾い物をした。
アレスは、後ろで畏まる騎士たちには見えないところで、口元を歪める。
それは確かに笑みだったが、冷たいアイスブルーの瞳に宿る強い憎しみの色で、どす黒く染まった微笑みだった。