プロローグ
「ちょいとちょいと、そこのお兄さん。漢字検定やってかない? 全問正解ならいいものプレゼント」
突然、街中で声をかけられたのでなんだろうと思って声の元へ視線を向ける。
そこには机に座る露天商風の男がいた。机の上には一枚のプリントと鉛筆が転がっていて、プリントの内容は男の言葉通り漢字の問題文。
10×10の、50問漢字を書き50問漢字を読み、という漢字100問テストみたいな感じだった。
「……ただ?」
「お金は取らないよ」
「ならやる」
ただより怖いものはない、とはいうがただより安いものはない派の俺にとって受けない手はない。
それに漢字に関してはそこそこの自信もあるのだ。一応、漢字検定の級も持っている。誰でも取れる奴だが。
「……」
全問正解のプレゼントとはなんなのだろうか、どうせただなのでティッシュとかでも落胆はしないが、くれるのならより良い物がいいに決まっている。
己の強欲さに呆れながらちょっぴりワクワクしつつ、数分後。30問辺りまで解いた所で、露天商風の男が話しかけてきた。
「お兄さん、漢字って凄いと思わないかい?」
「……あー、どういう意味で?」
「まずねー、表現の多様性だよね。少なくとも僕は、漢字を用いて表現出来ないことはないと思っているよ」
多様性の話か。確かに漢字の表現力は凄い。
例えば俺がこうして街中で漢字を解いている場面を様々な文章で書き起こせといわれたのなら、何百という多種多様のパターンがあるだろう。
日本語や漢字は表現の自由が多すぎて難解な言語と呼ばれる所以である。しかしそれゆえに、表現の豊かさは他の言語の追従を許さない。
まあ他の国の言語をよく知らないので適当だが。唯一学校でならった英語もあいきゃんのっとすぴーくいんぐりっしゅ。
「それに格好いいよねー」
「あっ、すっごいわかる」
思わず同意してしまった。だって漢字って格好いいじゃんか。
漆黒とか、深淵とか、究極とか、もうなんか見るからにゾクゾクするような格好良さが漢字にはある。ああ、どうせ厨二病だよ。
「そして――“漢字は力を持つ”。それが何よりも素晴らしい。他の言語にはない、最も評価する点だ」
ボソっ、と露天商風の男は何かをつぶやいたが、小声だったのでよく聞き取れなかった。
何やら漢字は力うんぬんと聞こえた気がするが。
「……え?」
「いやいや、なんでもない。こちらの話だ……おや、出来たようだね。採点するからこっちに頂戴」
言われるがまま解き終えたプリントを渡す。
ちなみに出来は最高と言わざるを得ない。さすが俺……本当は一文字だけ正解かどうかわからない漢字があったので、それだけはニュアンスで書いておいたが果たして点数は……。
「――おめでとう、全問正解だよ。凄いね、かなり難しく作っておいたんだけどね」
「よしっ」
ついガッツポーズ。学校のテストでもなんでもないが、やはり満点というのは気持ちのいいものだ。
「はい、これはプレゼント」
「おっ、あざー……す……」
プレゼントとして手渡されたそれは、羽根ペンであった。
プレゼントとして手渡されたそれは、羽根ペンであった。
プレゼントとしてた渡されたそれは、何度みてもリボンに包まれた羽根ペンであった。
「……」
いや、羽根ペン自体はいいのだ。個人的に羽根ペン好きだし、いくつか所有している。
ただ――羽根のデザインがあまりにも禍々しすぎて、びっくりしたのだ。
それはあまりにも禍々しい色をしていて。
それはあまりにも恐々しい模様をしていて。
表現するなら、そう。背徳的――と言った言葉がよく似合う。
正直言おう。めっちゃ返したい――!
「あとこれもあげるね」
更に追加でプレゼントされたのは、何かの小雑誌だった。
なになに……“許されざる世界の歩き方&神羽根筆の使い方”? なんだこれ。
「実はこれ、僕達が作った世界のPRなんだ。興味があったら読んでみてよ」
世界……? ああっ、これひょっとしてゲームブック的なアレか!
なるほど、どうやら許されざる世界ってのはゲーム名で、神羽根筆というのはこのプレゼントされたペンの名前なのだろう。
想像だが、この羽根ペンはテーブルトークRPGで使うサイコロのような用途で使うものではないだろうか。なるほど、それでただでくれたのか。漢字検定に扮していたのは謎だが。
へー、でも面白いPRの仕方だ。何より漢字好きの人が作ったゲームというのがとても唆られる。
もう、あれだろ? 格好いい漢字とかユニークな漢字とかクールな漢字が満載なゲームなんだろう?
やべぇめちゃくちゃ楽しみだ。
なんだか、ワクワクに比例してこの羽根ペンも良いデザインに見えて――来た気はしないが、それでも慣れてきたぞ。
早速帰ったら読んでみよう。
これは試作品なのだろうか? だとしたら本製品の発売日はいつになるのかな……。
そんなことを考えながら、俺は露天商風の男にお礼をいって、家路についた。
足取りは軽く、速く帰って読みたいと、久々にワクワクしまくっていた。
だからこそ――。
「おめでとう、君が記念すべき100人目……最後の神字使いだ。精々、あの許されざる世界に混沌を生み散らすといい」
風の中に消え去りそうな男の声を、聞き逃したのだろう。
■■■
家に帰ってベッドに寝転がりながら小雑誌を読む。
許されざる世界という世界観を簡単に説明すれば以下のような感じらしい。
・この世界はいわゆるファンタジー世界。スライムやドラゴンといったモンスターが自然に生息し、人々と争っている。
・人々はモンスターに比べて貧弱だが、武器や魔法を使ってその弱さを補っている。しかし魔法はモンスターも使える。
・世界は3つの大陸に分かれていて、今は冷戦状態だが三つ巴の戦争中らしい。
・文明は中世時代に似ているが、魔法のおかげで生活水準などの文化レベルは高い。
なるほど、どうやら世界観自体は良く言えば王道、悪く言えば陳腐なファンタジーだ。
別段代わり映えもせず、かといって変に穿ったこともなく、普通に纏められていると思う。
世界観自体に惹かれる所はそれほどないのだけれど、この背徳的なデザインをした神羽根筆というペンの設定はかなり好みだった。
・ 神羽根筆。
・この羽根ペンを持つ者は世界に“漢字”改め“神字”を刻むことが出来る。
・神字は単語だけでは効果はないが、“文章”にして“意味”を生み出すことにより奇跡を起こす。
・例えばこの羽根ペンを使って“【矢】は【的】に【当】る”という文章を世界に書き加えると、その文章通りに事象が動き出す。
・どのように射抜いても、それが明後日の方向に放とうと世界に書き加えたこの文章があるかぎり、矢は必ず的に命中するという結果になる。
・世界に書き加えた文章は常に自分の周りに浮遊しているので、効果を消したかったら羽根ペンの羽根ペンの部分で払えば簡単に消える。
・効果を及ぼす範囲は羽根ペンの半径10キロ圏内。
なかなかイカした設定だ。つまるところこのペン自体に攻撃力や殺傷力はないが、このペンさえあれば好きな“俺ルール”を世界に書き加えることが出来るらしい。
これだけ見るとぶっ飛んだバランスブレイカーっぷりを誇るアイテムに見えるが、当然制約はある。
どうもこのペンで使える漢字は、自分の名前と自分で最初に選んだ一文字の漢字のみらしい。
なるほど、それくらいの制約がなければゲームにはならない。なにせルールを付け加えたい放題だったら簡単にゲームクリア出来てしまうだろうし。
俺の名前は 青空 凌治と言うのだが、利用出来るのはこの4つの漢字と、最初に選ぶ一文字だけ。
そしてその一文字を除き、一度刻んだ漢字は消さない限り再び使うことは出来ないようだ。
ここで最初に【飛】という文字を選んだ場合、【空】を【飛】べるという文章を作ることができて、俺は空を飛べる!
と、言いたいが小雑誌を読む限りこれでは指定する対象がないので発動しないらしい。概ね、神字を使うには○○が○○を○○という風な定型文で作らねばならないそうな。
だから俺が空を飛びたいのなら【凌】は【空】を【飛】べる、とかにすればちゃんと効果は発動して【凌】と名のつくものは空を飛べることになる、らしい。
これだとかなり作れる文章が狭まりすぎる気もするが、ただでさえ強すぎる能力なので問題ないのだろう。
それに、最初に選ぶ一文字の漢字……設定によればこれを【固有神字】と呼ぶそうだが、【固有神字】にのみ使いまわせない制約はなく、さらに特典として前後に熟語となる漢字を入れることが出来るのだ。
熟語となる漢字……上記で説明した【飛】だと、【飛行】や【飛躍】などといった【飛】と合致する言葉を使えるということである。
なるほど、つまり最初に選ぶ漢字はよく選ばなければ神字という能力の汎用性を失う、ということだろう。なかなか良く出来た制約だ。
考えて選ばなければ……と、次々と紹介される設定にウキウキしてページを捲ると、最後のページになってしまった。
なんだ、もうおしまいなのか、やっぱり試作品でまだ完成品ではないんだな、と落胆してそのページに目を通すと……。
「……許されざる世界にご招待の案内?」
最後のページにそう書かれているではないか。
名前と固有神字を記入する欄があって、それにサインすれば許されざる世界にご招待されるらしい。しかも無料で。
「おおっ! 応募券だなこれ! マジかよ、こんな面白そうなものただで貰えんの!?」
あの露天商風の男が務めるゲーム会社は、なんてサービス精神に溢れたところなのだろうか。
世の中営利主義だけではなく、本気で消費者を楽しませようとする会社もあるのだ。これほど救われる話はあるだろうか。
「固有神字は何にしようかなぁ……うーん、うーん……やっぱ空を飛ぶのはガキの頃からの夢だし……」
悩む。必死に悩む。これほど悩んだのは高校受験以来かもしれない。
それほどゲーマーというわけでもないのに、ゲームにこれほど一生懸命になったのは初めてだ。
「……“力”だな! やっぱここは汎用性を大事にしたいし、力ならいくらでも熟語あるしな。これっきゃないでしょ!」
俺はいそいそと名前と固有神字にサインする。
何やら契約事項のところにサインは神羽根筆を使ってねと書いてあったので、その通りに。
不思議なことにこの羽根ペン、インクをつけなくとも普通に書けた。中にボールペンの芯でも入っているのだろうか?
「まっ、いいや。楽しみだなぁ許されざる世界……はやくやってみたいな…………アレ」
興奮冷めやらぬ、といったところで重大な部分に気づく。
これ、俺の住所を書く場所もないし、応募券を送る送り先も書いてない。
ん?
「……どうやって案内されるんだ、これ」
まさかの記入漏れ?
なんてのほほんとしたことを考えた瞬間。
この世界から、青空凌治という存在は跡形もなく、完全に消滅した。
■■■
周りを見渡す。木、木、木、木。
地面を眺める。草、草、草、草。
空を見上げる。如何ともしがたい、凄まじい色をしていた。
耳をすませる。何やら野獣の鳴き声のような、現実世界では聞いたこともない雄叫びが聞こえる。
Q.ここはどこ?
A.どっかの秘境。
「…………えぇ」
何がどうしてこうなった。
……いや、確かに、確かに書いてはあった。
確かに、“ご案内”とは、書いてあったけれど!
「……聞いてねぇええええええぞおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」
まさか直通で“俺の方”が案内されるなんて、誰が思うかアホンダラァァァァ!
やはりただより怖いものはない……凌治がそう考えを改めるのは、ずいぶんと後のことであった。