命は未来を買う通貨
死にたくない――それだけがあたしの願いだ。
大病を患って余命を宣告されているわけではない。寧ろ、余命が宣告されていたらどれだけ楽だろうと思う。それはある意味で自分の生の期間が保証されているという事に他ならないからだ。臆病者のあたしはいつ、どんなタイミングで死ぬか分からない生き物としての常識、そして何が死へと繋がるか分からない環境が怖くて仕方がなかった。自分が事故や病気、寿命に他者からの殺害などなど……それらを全て換算して結局、何歳の何月何日で死ぬのかが知れれば怖がる必要などないのにと、常に思っていた。
でも、そんなものは分からないから――私は死なないための努力を惜しまない。
マンションなど背の高い建物の前を歩く時に、上の階層の人間がベランダで育てている植木鉢が落ちてきてあたしの脳天に直撃しないよう、少し距離を置いて通るようにしていたり。外界では常に周囲に気を配って、茂みを見つけたら蛇やら蜂のような危険な生き物が存在しないか確認したり。歩車分離式信号にまだ慣れていない人間の乗る車が歩行者側の青信号で走り出してくる危険性があるため、全て赤信号に染まった時に進む事にしたり。
しかし、外界は危険がいっぱいだからといって屋内にいればいいというものでもない。無論、屋内の方がリスクは低いものの、気を付けなければならない事は沢山ある。
室内にぶら下がっている傘を被った蛍光灯が何らかの理由で落ちてきて、その衝撃で割れた破片で怪我をしないよう真下を避けたり。今は学生で実家暮らしのため叶わない願いだが、本当は事故に繋がらないようにガスと電気は解約して欲しかったり。でも、叶わぬ願いだから家族の中で一番最後に寝るようにして、ガスの元栓を確認し、タコ足配線を全部引っこ抜いた上で埃が被らないようにコンセントを掃除してから眠る。無論、訳の分からない生き物が入ってこないように戸締りはきちんとする。
他に命に対する保険として、警察と消防に救急車の番号は携帯に登録してある。無駄な番号で圧迫して掛けられない状況にならないように家の番号すらも登録していない。いざとなった時、ボタンをきちんと押せなかったら死に直結してしまうので番号の登録は重要だ。。
あと今現在、学校に行っていない。数多の人間が存在し、いつどこで恨みを買っているか分からないのだ。突然、ナイフで胸を突き刺されたりしても「そんな馬鹿な」なんて驚きを口にする方が間違っているくらいに、頭が沸騰している連中も同じ校舎に存在するのだ。誰が、いつ、殺してきてもそこに理由が伴わない事を疑えない世の中になってきているのだ。家族ですら信用できない世の中で、赤の他人数百人を箱詰めしたような空間で半日も過ごしていたら、精神が狂ってしまう。
それと、本当は引っ越しをしたいのだ。私の地域は内陸部であるため、津波の心配はないものの地震という危険性は十分にある。沖縄は地震が少ないらしいから最適かとも思ったが、見渡す限りの海というのもそれなりに恐怖である。逃げ場がない。ちなみに外国は、治安の問題で却下である。
加えて、体調管理もしっかりしなければならない。独学で栄養学を学んで、今はきちんとバランスの良い食事を取るようにしている。不登校の私だからこそ、家の手伝いをすると言い張って料理の全権は私が所持している。そのため、真っ先に包丁は処分した。家族が変な気を起こして私を殺すかも知れないからだ。野菜や魚は仕方なく外出した先のスーパーにてカットしてもらう。食中毒の危険性を孕んだ食材は、それがどれだけ好物でも食べない。栄養をきちんと確保する事が重要だからだ。
唯一の外出とも言える買い物は一週間分を購入して、そのほとんどを冷凍庫で保管する。毎日買い物に行けばその道中で、死ぬ確率は七倍になってしまう。ある意味、考え方としては四分の一とする、一か月分の買い物という考え方も出来るのだが我が家の冷凍庫のキャパ的に不可能だ。
そういえば、通販で野菜等を扱っている業者もあるらしいが、私としてはそれも選択肢としては排除すべきだと思う。通販は人間を家に招くという考え方になってしまうため、出来るだけ避けたい。
スーパーを目的として私が赴くのと、私を目的として運送業者がやってくるのでは恐怖レベルが段違いである。
――などと、全力で死に対する策を講じているのである。死ぬ気で死なない努力をしていると語れば妙な感じだが、死にたくないという本望に突き動かされているのだから、苦ではない。
ただ、時々は思う。
死にたくないのと、生きていたいのは違う。
なら。
必死に生きて――何の意味になるのだろうか?




