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汝の零した青き涙に  作者: 嘉野 令
第二章 魔術師の師弟
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第二節

「こぉてぇへぇかしいぎゃくぅ!?」

 文字にすれば「皇帝陛下弑逆」である。あまりに不穏当な単語の組み合わせに、ミューネは大声で聞き返してしまった。

「内密の話だと言ったはずだ」

 エルトはこめかみを抑えたまま、じろりと睨んだ。師匠はお怒りだ。

「お前を黙らせるには沈黙の呪詛が必要なのか? それとも縫い針か? その口を縫えばいいのか?」

「あ、へ、ごめんなさい。黙ります。静かにします」

 彼は本気だ。ミューネは震えながら畏まった。

「何もお前に暗殺犯になれなんて言っていない。反逆者の中にそういう動きがあるらしいという、それだけの話だ」

「なんだ、私はてっきり……」

 この師匠なら「ちょっと、皇帝を殺してこい」と言いかねない。開国以来、国内の政治情勢は奇々怪々だ。いつ誰が叛旗を翻しても不思議ではなく、それが本当に叛旗なのかもよくわからないのが実情といえよう。

「愚かだ愚かだと思ってはいたが、お前はどこまで愚かなんだ?」

「……努力します」

「やはり、お前は〝タネコイガル修験洞〟に放り込んで――」

「わかりました! どうせ、私は愚かです! バカです! バカだけどどんな仕事でもしますから、それだけは許してください!」

 ミューネが開き直るとエルトは微笑んだ。

「よろしい」

 またも例の罠に嵌ってしまったようだ。どんな任務を与えられたとしても、これでは断るどころか文句のひとつも言えやしない。

 ミューネは師への反抗を諦めた。

「それで、その、どんなお仕事、ですか?」

「不穏分子が皇帝陛下弑逆を企てているらしい」

 そこまではすでに聞いた。

「それを捕らえろ」

 エルト・カール・デューはしれっと言った。

「へ?」

 突飛な言葉にうまく反応できない。

「へ、それ、どういう意味ですか?」

「愚かなのか? やはり愚か者なのか? それとも愚かなふりをしてまで俺の声が聞きたいのか? 抱きしめられたいのか?」

 この十年、彼に心ときめかせた時期もあるにはあった。しかし、そんな甘酸っぱい気持ちなど、数々の修行と修行に見せかけた虐めによって、とっくの昔に叩き潰されてしまっていた。

「へ? あ、いや、えっと、そうじゃなくて! 罪人を捕らえるなんて……。私が? 私がやるんですか?」

「この部屋にいる俺以外の人間は? もちろん、お前だけだ」

「でも、それ、おかしくないですか? だって、そんな情報があるなら近衛騎士団にでも知らせた方が……」

 または帝都の治安を預かる諸侯に知らせるべき情報だ。宮廷魔術師の職分ではない。ましてや、ミューネのような助手風情がどうこうできる事案とは思えない。

「やはり愚か者か」

「へ? 今のは結構ちゃんとしたこと言ったつもりですけど……」

「明後日に戴冠式を控えて、近衛の連中が暗殺を警戒していないとでも?」

 先帝崩御から一年。明後日――愛華月十七日、喪の明けた新皇帝は正式に帝冠を戴く。帝都は今、お祭り騒ぎと厳戒態勢で騒然としていた。

「あ、いや、そう、です、よね。警戒は万全です、もんね?」

「当たり前だ」

 いつだってエルトの思考に追いつくことなどできない。その都度、ミューネは愚か者だと罵られるのだ。

「そもそも、噂の域を出ない不確かな情報だからお前に任せるんだ。確かな情報であればお前なんかに任せるわけがないだろう?」

「です、よね……」

 反論できない自分が情けない。

「お前に結果など期待していない。やったという実績があればいいんだ。報告書だけは提出するように」

「はい……」

 面と向かって期待していないと言われてしまうと、さすがに寂しいものがある。だが、彼の言動にいちいち落ち込んでなどいられない。いつものことなのだ。

「あ、そうだ、師匠。これ、エルデルドーの従軍報告です」

 気を取り直して、ミューネは報告書を差し出した。

「ふむ……例の新しい魔術は成功したのか?」

 読んでいるのかいないのか、ぱらぱらと捲りながらエルトは訊いた。

「あ、はい。魔術陣の準備と詠唱に時間かかっちゃったんですけど、皆さんのおかげでなんとか〝マアハピオロンの燈明〟は成功しました」

「そうか、よくやった」

 さらりと褒めるエルト。たったそれだけでミューネの胸の内は晴れた。

「しかし、魔術陣の構成が甘いな。これを直すだけで結界の有効範囲は数倍になるんじゃないのか?」

 報告書の添付資料を一瞥しただけだが、エルトの指摘はまたも正しい。ミューネの心はあっという間に曇ってしまった。

「……えっと、私もそう思いますけど、でも、その、魔術陣が――」

「ああ、知っている。苦手だったな」

「……はい」

 自覚があるだけにミューネは肩を落とすことしかできない。落ち込むミューネをよそに、エルトはさらに追い打ちをかけた。

「あとは……燈籠の質が悪いな」

「へ、発注書は事前に確認してもらったし、なにより経費払ってくれなかったのは師匠じゃないですか!」

 さすがにそこは黙っていられなかった。口を尖らせて抗議すると、エルトの片眼鏡が光る。カーテンを閉め切った薄暗い室内に、気づくと天窓から日の光が差し込んでいた。

「ほう? つまり、皇帝陛下の宮廷魔術師とその予算はお前の尻拭いをするためにこの世に存在すると?」

「あ、いえ、そんなつもりじゃ……」

 魔術具の製作には予算も時間もかかる。〝マアハピオロンの燈明〟で用いる燈籠は高価な破邪銀をふんだんに使うため、製作を依頼する職人のランクを下げたのだ。ミューネの私費ではそれが限界だった。

「やはり、ケンデンス先生に連絡を取って――」

「はっ、反逆者ですよね!? 反逆者捕まえればいいんですよね!? いってきますッ!!」

 ミューネ・ルナッド・リューゼは逃げるように部屋を後にした。もとい、逃げ出した。

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