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汝の零した青き涙に  作者: 嘉野 令
第九章 夜戦
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第十六節

 木の扉が跳ねる。

「ぐッ!」

 オリビノエイタは両手で押さえ、両足で踏み留まり、全身でそれを押し留めた。

 継ぎ目からは蛮族の雄叫び。

 別に城門でも何でもないから、大きな閂なんてない。普段は倉庫として利用されているので、内側から鍵をかけられない。扉を支えるのはオリビノエイタとマンシュテンの肉体のみ。

 オリビノエイタの知らぬことだが、エルデルドー渡河点でその役目を負ったのは、ひとつの砦と二千もの軍勢だった。それを知っていたら心が折れていたかも知れない。

「カンディアバルの息子、百と十四の氏族を統べる頭領、ウェミクパナンの守護神――」

 広い室内の中央、魔術陣の中央、銀の燈籠の傍らで、ミューネが呪文を詠唱している。

 オリビノエイタの知らない言語でその内容はわからないが、それによって鬼人族が呼び寄せられているという。

「千の獣の王マアハピオロンよ」

 ミューネが儀式を始めてから、かれこれ二十数分。開始五分で鬼人たちはすっ飛んで来た。彼らにとってそれほど恐ろしい魔術なのが伺える。

 その魔術の名を〝マアハピオロンの燈明〟という。

 思えば、オリビノエイタが渡航して始めて目にする〝魔術〟である。もっとよく見たいのが本音だが、扉の向こうにいる何十、または何百という亜人種〝鬼人族〟がそれを許してはくれない。さらにいえば、オリビノエイタはその鬼人族をももっとよく見たいくらいだ。

「汝が屠りし悪鬼羅刹の末裔を、我らが共に拓いた白き土の大地より――」

 詠唱は続いている。

 ここにこれだけの鬼人が殺到しているということは、帝都全体でも鎮圧が進んでいない証左でもある。

 これは本来の敵味方双方を攻撃したうえに、自らも壊滅したマリエスタ陸軍によるところが大きい。アニエミエリやエルルティスが鬼人より人間相手に苦戦した事実を知らないオリビノエイタは彼女たちを心配するのだった。

 今や、自分自身の命も危ないというのに。

「燃え盛る火炎の息吹によりて祓い給え。薙ぎ払い給え」

 そのとき、扉が勢いよく開いた。

 開かせてしまった。

 マンシュテンは悲鳴と共に壁際へ吹っ飛び、そのまま動かない。

 オリビノエイタも尻餅をついたが、意識はある。

 勢いそのまま扉を破ったものだから、押しかけた鬼人たちは一斉に前のめりに転んだ。

 しかし、その集団を跳び越えて室内に飛び込んだ鬼人が一匹。石斧を振りかぶりながら、オリビノエイタもマンシュテンも無視してミューネ目掛けて駆けだした。

 床に転がりながらも、オリビノエイタは空いた左手を伸ばし、その一匹の足首を掴んだ。

「でえええええええええいッ!!」

 そいつを力任せに扉の外へと投げる。成人の半分ほどの体格しかない鬼人。非力を自覚するオリビノエイタでも投げ飛ばすことができた。単なる火事場の馬鹿力ともいえよう。

 ともあれ、投げ飛ばされた鬼人は数匹の同胞を巻き込んで部屋の外へ。それでも鬼人族の勢いは止まらない。

 なりふり構わず前進し、ミューネか燈籠を打ち倒そうとする鬼人族。

 尻餅をついたまま、彼らの行く先を塞ぐオリビノエイタ。

「汝、マアハピオロン!」

 オリビノエイタは、アニエミエリから託された最新鋭の六連発拳銃を構えた。床に倒れていて視線が低い。鬼人たちと目が合った。

 言葉も通じない獣のような彼らも死を恐れている。だからこそ、仲間を踏みつけてでも、死に物狂いで突き進んでくる。

「我、ミューネ・ルナッド・リューゼ!」

 本当ならば、彼ら亜人も魔術と同じように、オリビノエイタにとって憧れの対象だ。旧大陸にも東新大陸にも存在しない、まるで童話やおとぎ話のような存在。オリビノエイタはそれらを研究――よりよく知るために西大洋を越えてここまで来たのだ。

 それを今、撃たねばならない。

 アニエミエリやエルルティスのために。

 皇帝やこの国に暮らす人々のために。

 今も諦めずがんばっているミューネのために。

 そして、なによりも、自分自身の何かのために。

「我、汝に乞うッ!!」

 ミューネの詠唱が叫びへと変わると同時に――

「ああああああああああああああああああッ!!」

 オリビノエイタも叫び、そして、引き金を引いた。

 轟音。

 練兵場で的にされたときよりも、耳元で発砲された無謬園のときよりも、大きく聞こえ、衝撃も重い。手の中で火を噴いた拳銃はそれほど大きくもないというのに。

 悲鳴と血飛沫を上げて倒れる鬼人。

 それを押しのけて前へ前へと進む鬼人。

「汝の息吹を!!」

 そんな彼らへと、六連発の利点を活かして次々と無慈悲な銃弾を放つ。

「ああああああああああああああああああああああああッ!!」

 繰り返される轟音と悲鳴。

「汝の炎を!!」

 あっという間に撃ち尽くし、引き金を引いても弾装が空回る。

 オリビノエイタにはもう打つ手がない。

「あ……」

 女神プラニラムに祈る時間すらない。

「その一片を!!」

 ただ、オリビノエイタには何もできなくとも、魔術師たるミューネには呪文の最後の一節を唱えることができた。

「今一度!! 貸し与え給えッ!!」

 そっと、銀の燈籠に緑の炎が灯る。

 その瞬間、魔力の波動が暴風を巻き起こした。破邪銀の燈籠と緻密な魔術陣によって、ミューネの魔術は何倍にも強化されていた。淡い光を帯びた魔術陣は直径数里にまで膨れあがり、帝都を覆う結界となった。この結界の中では、古の戒めにより鬼人族は心の臓を働かせることができない。

「やった……」

 そう呟いたのはミューネだったか、オリビノエイタだったか。

 オリビノエイタの目の前で鬼人族がばたばたと倒れだした頃、東の空から顔を覗かせた太陽は、帝都クロスフェールに朝を告げた。

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