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汝の零した青き涙に  作者: 嘉野 令
第九章 夜戦
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第十四節

「撃てッ!!」

 パウマス率いる翼龍四騎が飛び立つと同時に歩兵第二中隊はエルトへと撃ちかけた。一冊の本で武装したたったひとりの男に百五十の鉛弾が迫る。しかし、相手はあのエルト・カール・デューだ。呪文を詠唱せずともどこかに仕込んだ魔術でこれを防ぐことは充分に考えられる。

 魔術師パウマス・サット・ジェランは決して油断していない。

 案の定、弾丸の嵐はエルトの目の前で見えざる盾に遮られた。やはり、この敵は強い。

「鬼人共! 奴の背中から突っ込め!!」

 間髪入れず鬼人語で翼龍三騎に命じる。何らかの〝盾〟の魔術であればこれで討ち取れるはずだ。もちろん、自分は次の手に備える。

 楽土大聖堂の正面を旋回し、三騎の翼龍が一斉に襲いかかる。一騎は爪で引き裂かんとし、一騎は牙で食い破らんとした。最後の一騎はその両方を狙った。

「くだらん」

 そう呟いたエルトは心底呆れた顔で古めかしい装丁の本を捲っている。あの本は魔術書か、何かしらの魔術具なのだろう。背後からの翼龍の攻撃も不可視の力によって弾かれた。

 鬼人族は魔力を感じることができても、魔術を学ぶことも理解することもできない。翼龍に跨がる鬼人たちは驚きながら、その見えざる何かを破ろうと必死だ。彼らを支配している〝バッソグザルクの護符〟を作った張本人相手に。

 体の前後左右を守りきる魔術となれば、どんな神の力を借りたにせよ、おそらく〝鎧〟の魔術なのだろう。ならば、刀槍でも爪でも牙でも銃砲でも破れまい。

 パウマスは翼龍に鞭を振るい、上空からエルト目掛けて急降下。空いた手を掲げ、呪文を詠唱する。

「これぞ断罪、天なる無慈悲! 汝、不運を嘆くことなく――」

 あの痩せこけたすまし顔に、真っ正面からぶつけてくれる!

「ヨーグナリシュの神鳴りを聴けェ!!」

 掲げた掌にこの世ならざる紫電が渦を巻く。黒雲に暮らし、気まぐれで地上を焼く雷神ヨーグナリシュの雷火を誘引したのだ。これでエルトの〝鎧〟を打ち砕いてくれる!

 翼龍の勢いに任せ、白髪に覆われたエルトの頭蓋へ紫電を叩き込まんとする。だが、強烈な反発。何もない空間が押し返してくる。否、そこに堅い何かがあり、行く手を阻むかのようだ。「こ、これは〝盾〟でも〝鎧〟でもない……〝城壁〟かッ!?」

 龍の羽ばたきを、地に引かれる力を、神の稲妻を以てしても、エルトには届かない。

「だから言っただろう。貴様は本当の〝魔術〟を知らんと」

 弾けた紫電の光でエルトの片眼鏡が輝いている。そこに自分の顔が映るほど近づいたが、どうしても手が伸びない。

「これは城の〝壁〟ではない。〝塀〟だ、パウマス・サット・ジェラン」

 それは同義語、または類義語であるはずだが、その違いにはっとしてパウマスは退いた。翼龍の手綱を引き、上空へと舞い戻る。

「まさか、その本……!?」

「これは外敵から身を守る〝城壁〟ではない」

 魔術師は互いの手の内を明かさない。故に、伝説に聞く魔術〝ヨーグナリシュの神鳴り〟を師匠に伝授されたときはパウマスも驚き、興奮したものだった。

 だが、しかし、エルトのそれは段違いの伝説だ。実在するとは思っていなかった。

「狙えッ!! 構えッ!! 撃てッ!!」

 マリエスタ陸軍が第二射を放つ。そんなもの効くはずがない。

「罪人を閉じ込めておく高い高い〝塀〟だ、パウマス・サット・ジェラン」

「中隊、突撃ィ!!」

 パウマスが退くのを見て、マリエスタ陸軍が斉射からの銃剣突撃を敢行。ヨッセル上流戦争では、この戦法に為すすべもなく騎士たちは倒れたという。

 それを前にしても平然としているエルトは、本を片手に詠唱を始めた。

「我は典獄」

 翼龍三騎と歩兵百五十人に挟撃されているというのに、何と不遜で恐れ知らずか。

「白き土の大地を穢し、黒き罪に塗れた神々を、鉄鎖に繋ぐ〝ニアトルケレの牢獄〟を統べる主なり」

 遙か古代、大陸を荒らし回った粗暴で力強い神々。それを捕らえる監獄が世界のどこかにあると言われている。だから、現在、我らはこうして生きていられるという。

 その監獄が目の前にある。エルトの携えた〝本〟が監獄なのだ。

「我、特に赦す。咎人よ、ひとときの享楽に溺れるがいい。血の饗宴に酔うがいい」

 牢獄の〝塀〟に次々と銃剣を突き刺す近代歩兵たち。伝説の神々を捕らえておく塀を打ち破れるはずもない。

「第八八二頁、釈放」

 エルト・カール・デューが最後の一節を唱えると、本の中から巨大な影が顕れた。エルトを取り囲む人も鬼人もすくみ上がる。パウマスもまた例外ではない。

 これぞまさに〝魔術〟と呼ぶに相応しい禍々しさ。

 影は瞬く間に人に近い形を成した。身の丈は楽土大聖堂の鐘楼に迫る勢い。肌は黒く、鋼のような筋肉を纏っている。己が肉体が重いのか、腰を落とし、地に手をついている。

 その巨大な腕が振るわれるも、悲鳴すらあがらない。百五十の隊列が根こそぎ吹っ飛ばされた。まるで、盤上の駒を手で払うように。

 黒い巨人が今度はゆっくりと後ろを向く。そこには鬼人が繰る翼龍三騎。人間にとって天敵と呼べる大空の覇者もこうなっては弱者どころか餌であった。事実、巨人は手で掴むでもなく、直接噛み付いた。

 目の前で起こっていることがパウマスには信じられない。あっという間に、生きている味方は自分ひとりになってしまった。だが、死の恐怖よりも、目の前の存在に驚きを隠せない。

「ま、魔神、ディアテクロアを、召喚、だと……?」

 伝説に最強最悪と謳われた魔神ディアテクロアが目の前にいるのだから。同じ人間であるはずのエルトがその魔神を従えているのだから。

「まさか、こんな……そんな……」

 だから、血に塗れた豪腕で翼龍ごと掴まれても、まだどこか信じ切れずにいた。

「こんなことができるなら、あなたひとりで世界を変えられ――」

「黙れ」

 これなら異国も貴族も教会も皇帝も恐れる必要なんてないではないか。策なんて練らずに楽に天下を取れるじゃないか。ずるい。

 エルト・カール・デュー、なんてペテンだ。

「ひっ、ひぎゃ――」

 途切れゆく意識の中で、パウマスはエルトの呟きを聴いた。

「愚か者め」

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