第十一節
「やってくれたな、パウマス・サット・ジェラン」
走り去る異人と弟子の背中をちらりと見つつ、エルト・カール・デューは呟いた。まんまと出し抜かれた悔しさもあり、怒りを隠せない。
「やってくれたな、とは心外ですな、デュー博士」
翼龍に跨がったパウマスは肩をすくめた。彼の背後には鬼人の騎龍兵が三騎と、ブラントン王立神教会が誇る楽土大聖堂がそびえる。
今すぐにでもひねり潰してやりたいが、訊いておきたいこともある。幸い、馬鹿弟子たちはすでに街路へと消えた。僧兵も全滅している。
二対の赤い瞳が向かい合う。
「言いたいことがあれば言ってみろ」
「たいしたことではありません」
勝ち誇った口調が腹立たしい。
「やってくれたも何も、ポテルクワ城伯に皇帝陛下の危機を吹き込んだのも、リューゼ修士に暗殺計画の調査を命じたのも、血の気の多い碧空騎士団にポテルクワ城伯を斬らせたのも、私にリューゼ修士の結界を破らせたのも、この〝バッソグザルクの護符〟を貸してくださったのも、貨物列車を借り切ったのも、鬼人族に帝都を襲撃させたのも――」
パウマスは手綱を放し、両手を大きく広げた。
「すべて、あなたの計画ではないですか」
彼らの間を静かな夜風がすり抜けた。
月は遙か西の空にあり、朝の到来を予感させる。
エルトは貌を歪め、ゆっくりと口を開いた。
「……やり過ぎだと言っているんだ」
盤上の駒は勝手に動いてはいけない。そんなことは当たり前だろう。だのに、パウマスにしろミューネにしろちょろちょろちょろちょろと。
「誰が翼龍まで持ち出せと言った? 誰が皇帝を殺せと言った?」
「あなたのやり方は手緩い。とことんやってしまってもいいでしょう?」
エルトの計画に皇帝暗殺は含まれていない。そんなことをすれば旧大陸列強や革命党員につけ込まれるのが落ちだ。皇帝暗殺計画はあくまでも幻であるべきだった。鬼人の襲撃も危機を演出できればそれでよかった。世界が注目する戴冠式の前夜に危機が起こり、それを魔術師が収拾しさえすればよかった。これは今後の大きな布石となるのだから。
それだけでよかったものを!
「それで……貴様と鬼人とで国を盗るつもりなのか?」
鬼神バッソグザルクの力を宿した護符さえあれば、声の届く限り鬼人族と翼龍を統制できる。鉄道を使って鬼人の軍勢を帝都に放つ。そこまでが彼の任務だった。
「まさか! こんな蛮族、今夜中に一掃しますよ」
人語を解さない鬼人族は切り捨てられることにも気づいていない。
「貴様ひとりで?」
「協力者がいるのでね……おや、ちょうどいいところに」
大通りの方から駆け足でやってくる一団がある。
着剣した小銃に赤い軍服、その数百数十。エルトの知らぬことだが、モデルトレデト大佐が寄越したマリエスタ陸軍教導連隊の歩兵第二中隊である。
「中隊、横列に展開!」
あれよあれよという間に、エルトは翼龍と新式陸軍に挟まれてしまった。
「素晴らしいとは思いませんか、デュー博士?」
なるほど、パウマスの自信はそこにあった。ヴェリアリープ帝国唯一の近代化戦力マリエスタ陸軍の一部乃至全部と結託していたのだ。
こちらを出し抜いたことがよほど嬉しいのだろう。嬉々として語り出すパウマス。
「魔術と近代戦力が非力で時代遅れな貴族に代わってこの国を治めるのですよ! ヨッセル上流戦争の敗戦? あんなもの騎士が弱いからに他ならない! 敵と同じ兵器を持ち、そのうえ我らにしか持ち得ない魔術があれば、相手がケーネルキーだろうがアルテプラーノだろうが負けるわけがない!」
マリエスタ陸軍の歩兵たちがせっせと弾を込める間、パウマスは自分の理想を声高に叫んでいた。それを聞いて、エルトの怒りは収まった。
たかがその程度か、と。
「パウマス・サット・ジェラン、ひとついいことを教えてやろう」
この男はあの馬鹿弟子よりも愚か者であることがわかった。ならば、魔術の教師として教育してやらねばならない。
「なんです?」
パウマスは圧倒的に有利な立場にいる。四騎の翼龍と近代歩兵一個中隊でひとりのやせ細った男を取り囲んでいるのだ。本来なら、エルトはもっと恐れてもいいはずだ。
しかし、それでも、エルトは平然と言い放った。
「貴様は本当の〝魔術〟というものを知らない」
ローブに隠れた腰の後ろから、エルトは一冊の本を取り出した。




