第三節
オリビノエイタ・エパスタの期待はすぐに裏切られた。
「ご覧ください、この街並みを! これほどの近代都市は旧大陸でもなかなかお目にかかれないでしょう?」
馬車の車窓から臨むマリエスタ府マリーワール市は、確かにその男の言うとおり近代的だった。小規模だが旧大陸列強の首府にも見劣りしないだろう。道路は広く舗装もされ、建物は高い。通り沿いにはガス灯と電信柱が並ぶ。空を横切る電線の数は世界一ではなかろうか。
馬車が揺れる度にオリビノエイタの瞳から輝きが失われていった。この街には中世や神話の面影がない。彼らがそうであるように、近代化の波も西大洋を渡ってきてしまったのだ。
「ようこそ、ヴェリアリープ帝国へ! 本官はケルトケッハ子爵マリエスタ陸軍大佐カージルト・ヨハイツ・モデルトレデトであります!」
「お出迎え恐れ入ります、子爵閣下。本官は教官団の団長を務めさせていただく、アルテプラーノ共和国陸軍騎兵中尉アニエミエリ・フローナーストであります!」
一行が渡し舟から降りると、埠頭にはすでに迎えの一団が待っていた。
ケルトケッハ子爵という中世らしい称号とは裏腹に、その男は近代風の赤い軍服を着ていた。世界最強といわれるケーネルキー陸軍のそれを真似たのだろう。
さらに、二頭立ての屋根付き馬車が三台も用意されていた。どうやら輸入品のようだ。オリビノエイタの故郷では高官や資産家しか乗ることのできない類の代物である。
平原ヴェリアル人特有の金髪碧眼でなければ、子爵は列強の陸軍士官にしか見えない。甲冑に身を包んだ騎士や、煌びやかで非実用的な服を着た式部官の出迎えを期待していたオリビノエイタは肩を落とした。
「閣下はおやめください、フローナースト中尉。今や私はヴェリアル貴族である前に、近代陸軍の将校なのですから」
騎士の国の貴族とは思えない気さくさだ。
「わかりました……では、大佐殿」
「できうるなら殿も付けないでいただきたい。あなたは私の教官でもあるのですよ?」
「申し訳ありませんが、それはちょっと……」
「はははっ! さすがにそれは欲張りすぎましたな! まぁ、いいでしょう!」
ヴェリアル貴族とはすなわち、礼節や伝統を重んじる世界最大の封建国家の支配階級であるはずだ。それなのに、万民の平等を信じる旧大陸人が尻込みしてしまった。もちろん、軍人たるアニエミエリにとって階級は絶対だからなのだが。
そのうえ、モデルトレデト大佐はこれらすべての会話を流暢なアルテプラーノ語でやってのけた。誇り高き騎士たちの逸話はどこへ行ってしまったのか。
舶来の馬車は近代的な街中をぐんぐんと進み行く。オリビノエイタは僅かな期待を胸に、過ぎゆく景色を眺めた。
「我が国の近代化に驚かれましたか?」
対面に座るモデルトレデト大佐がふいに語りかけた。熱心に車窓を覗くオリビノエイタの気持ちを誤解したらしい。
「あ、いえ……はい、そうですね。正直驚いてます」
「皆さんそうですよ。どうも旧大陸では、未だに我が国を未開の地か何かと勘違いされているようですからね」
誤解を察したアニエミエリが苦笑しながら口を挟む。
「すみません、大佐殿。こいつ、本業は学者なんですよ。それで、魔法とか怪物に興味があるらしくて」
「それを言うなら魔術と魔獣、それに亜人だね」
オリビノエイタがすぐに訂正すると、アニエミエリは少しむっとした。
「ほほう、そういったものに興味がおありで」
「ええ、そうなんです! 帝都に行けば見られますか?」
「申し訳ないがそれは難しい。卑しき存在は帝都には入れませんからね」
「そうなんですか……」
肩を落とすオリビノエイタ。
「……ただし、魔術師になら会えるでしょう」
どこか不本意そうに大佐は答えたが、オリビノエイタはそれに気づかない。敷石に穴でもあったのか、馬車が大きく揺れた。
「本当ですか!?」
「ええ、宮廷魔術師もいますし、帝都には王立魔術院の分校もありますからね」
オリビノエイタの瞳に輝きが戻る。魔術師に会えるのだから、魔術を目にすることができるかも知れない。希望を捨てる必要はなさそうだ。
オリビノエイタが自分の世界に入ってしまったために短い沈黙が訪れた。蹄と車輪の音だけが車内に満ちる。ちなみに、話題に興味のないエルルティスは今にも居眠りしそうである。
「ところで、戴冠式は三日後ですが間に合いますか、大佐殿?」
気を利かせたアニエミエリが訊いた。新皇帝の戴冠式が執り行われる帝都クロスフェールはヴェリアル大平原の中央に位置する。しかも、向かい風に阻まれたガブレーサール号は一週間ほど入港が遅れていたのだ。
「ああ、それなら大丈夫ですよ」
モデルトレデト大佐は自慢げに胸を張った。
「我が国近代化の基幹――東方鉄道の特別列車に乗っていきますからね」
遠くから聞こえてくる蒸気機関車の汽笛に、オリビノエイタはげんなりするのだった。