第二節
然して、あれだけ高らかに皇帝が所在を告げたのだから、オリビノエイタは待ち伏せのひとつも覚悟していたが、無謬園は静かなものだった。むしろ、閲兵場で戦っている衛兵たちが奮起し、鬼人たちを押し留めているのだろう。思いの外すんなりと事が運ぶかも知れない。
春の花の咲き乱れる庭園を進む。
至聖殿や厩の炎はゲリークフェン宮殿が陰となって届かないが、シュレージル兵営の炎と月光が〝無謬なる庭園〟を照らしていた。木々の影が絶えずゆらゆらと形を変え、そこに鬼や獣がいると錯覚させる。その度にオリタの心臓は跳ねた。アニエミエリや皇帝の凛々しい横顔を見て、少し情けなくなる。
夜風に煽られた木々の葉の音、建物の燃え盛る音。それらに混じって人の声がする。耳を澄ますと、それは必死の呼び声。
「皇帝陛下ァ!? 皇帝陛下は何処に御座しまするかァ!?」
がちゃがちゃと具足が地面を踏みしめる音。
「トリスロス侯? 近衛騎士団か!? 朕はここに在るぞ!!」
ぱっと表情を明るくした皇帝がそちらに歩み出て呼び声に応えた。
こちらへ駆けてくる数人の騎士や兵を見て、オリビノエイタもほっとした。アニエミエリやエルルティスがいるとはいえ、さすがに七人では心許なかったのだ。魔術師ふたりのうち、ミューネが荒事を苦手としているのはよくわかっている。そして何より、最新式の連発拳銃を預かっていながら、オリビノエイタは自分を戦力とは思っていない。銃把を握っても、どうにもしっくりこないのだ。
そのとき、遠くで鳥が飛んだ気がした。近くで突風が起こった気がした。少なくとも、オリビノエイタにはそう思えた。
「危ないッ!」
アニエミエリが叫んだとき、エルルティスはすでに皇帝の前に出て抜刀していた。オリビノエイタには風が吹いたようにしか思えなかったが、それはエルルティスの早業だった。
彼女の軍刀によって勢いを奪われた矢がぽとりと落ちる。目には見えなかったが、それは皇帝の命を狙っていたものだろう。
「えっ」
半歩も一歩も遅れて間抜けな声を出すオリビノエイタ。
その間にもアニエミエリは騎兵銃を構えていた。歩兵銃より短いが、小柄なアニエミエリが片手で持つと不格好なほど大きく見える。
轟音。
近いからだろう。マリエスタ陸軍の練兵場で撃たれたときよりも大きく、五臓六腑をことごとく震えさせるほどの銃声だ。
大きな広葉樹からぎゃっという悲鳴と共に落ちる小さな影。それはアニエミエリに胸を撃たれた鬼人族の伏兵であった。
木々や生垣の間からぞろぞろと現れる異形の種族。頭髪はなく、その代わりか頭には角が生えていて、背丈はいずれもミューネより低い。
ああ、これが鬼人族なんだ。
青年の持つ書物の知識と眼前の現実が合致した。




