第六節
アニエミエリはこの男を知っている。
「混戦の中、よくぞ参った」
「臣エルト・カール・デューは皇帝陛下の宮廷魔術師で御座います故」
エルト・カール・デュー、朝見の儀で見かけた宮廷魔術師だ。あのときも感じたが、やはりただ者ではない。戦火の中、地上三階のバルコニーから、近衛兵たちよりも先に皇帝の元へ馳せ参じたのだ。アニエミエリは未だに魔術というものがよくわからないが、彼が優秀な人物であるのは間違いない。
然して、優秀な者には注意せねばならない。この陰謀渦巻く異国の都では、誰がいつ敵になるかわからないのだから。
「陛下、帝冠の確保はぜひ、我ら師弟にお任せください」
跪き進言しながら、魔術師エルトは立ちすくむミューネの背中を叩いた。それにしても小さいな、この子。
「そうか、そこもとはエルトの弟子であったか。確か、ミューネといったか?」
「は、はいっ! ミューネ・ルナッド・リューゼです、陛下!」
皇帝に問われてしゃっちょこばるミューネ。
オリタはこういう子が好きなのかな? などと、余計なことを考えている間に話は進んでいた。これから戦争なのだ。集中しなければ。
「よかろう。そちらに任す」
「仰せの通りに」
しれっと引き受けたエルトだが、一方でミューネは釈然としない風である。
「へ? あの、師匠? 私、必要です、か?」
魔術師の師弟というものがどういった関係かは知らない。力の差もどれほどのものかアニエミエリにはわからない。だが、ミューネは心底疑問に思っているようだ。それほどまでに、エルトの力は絶大なのだろう。
だが、それに対し、エルトはぴしゃりと言った。
「黙ってろ」
「はい」
このとき、アニエミエリの直感が働いた。
この男、何かを隠している。大事な手札を意図的に伏せている。
根拠は薄いが確信と呼んでもいい。突然の夜襲にあって誰もが混乱する中、この男だけは後手を踏んでいるように見えない。
何か手を打っておくべきだろう。
「オリタ、これ預けとく」
今のアニエミエリには不確かなものに切れる手札はこれしかない。兵力がどれほど集まるかわからない以上、自分とエルルティスが皇帝から離れるわけにはいかないのだ。
「えっ?」
愛用の六連発拳銃を抜いてオリビノエイタに渡す。銃把を握るのも覚束ず、両手で銃身と弾倉を抱えている。ちょっと不安になるが彼を信じよう。
「どういう、意味?」
「私とエルティーは皇帝を守るから、アンタはあの子を守ってあげなさい」
いろいろと悔しくもあるが、今はこれしか手がない。
「え、だって……え? 僕が? 守る?」
目を白黒させて驚くオリビノエイタ。
わかっている。彼は昔から争い事が苦手だ。優しくて虫も殺せない。だから、好きになったのだ。だから、彼をも守れるように強くあろうと生きてきたのだ。
「しかし、良いのか?」
皇帝も訊く。彼女の言いたいこともわかっている。
「これは貴公らには関わりのない戦い。あなたが……貴公が命を賭ける必要などないのだぞ?」
これはしっかり言ってやらねばならないだろう。いくらオリビノエイタが非力であろうとも、いくらアニエミエリが軍服に身を包んでいようとも、いくら戦況が混乱し権謀術数が乱れ飛ぼうとも、真理はいつだって簡単だ。
「陛下、それにオリタ」
まったく、どいつもこいつも難しく考えすぎる。
「女の子ひとり守るのに理由が必要?」
一瞬の沈黙の後にエルルティスが笑い出した。
「うっわ、アミーかっくいー。きゃー」
「うるさい」
次いで、皇帝もくすくすと笑い出す。さすがに、他の誰も笑いはしなかった。
ミューネはきょとんとしていた。
エルトは無表情だが何かを企んでいる。
侍従官長は少しだけ微笑んだ。
オリビノエイタは意を決したようだ。
「よし! では、出陣じゃ」
皇帝の一言で全員の気が引き締まる。いよいよ、この小勢が打って出る。
「しかしな、裏手からただ逃げるというのも癪じゃな」
皇帝クラリーク一世、どうやら歴史に名を残す資格はありそうだ。故郷から遠く、世界の果てでなかなかの傑物に出会えたものだ。彼女がそういう覚悟なら、とことん付き合ってみるのも悪くない。
「そういうことならこうしましょう、陛下」
アニエミエリは拍車を鳴らして、大股でバルコニーへ向かった。
「残存兵力を召集すると共に、敵勢力の動きを手玉に取るのです」
それだけで聡明な皇帝には通じた。そもそも、こういうのは騎士の得意分野だと聞いている。
「異国の兵隊は騎士道を解さんなどと言った輩は縛り首にせねばならんな」
白銀の鎧を纏い、白亜のマントを翻させ、皇帝はバルコニーへと歩み出た。




