第二節
彼の素直な言葉はアニエミエリの頬を赤く染めた。オリビノエイタはすでに駆け出し、それに気付いていない。アニエミエリにとっては幸いだ。
「もう、人の気も知らないで……」
そう呟くとともに、肩の辺りで切り揃えた栗色の髪を耳にかけた。そして、ゆっくりと溜息をつく。
「はぁ……」
落ち込むアニエミエリの耳朶に囁きかける声。
「オリタ君って勉強できるくせに鈍いよねー、昔から」
「エルティー!?」
まったく気配を感じていなかったアニエミエリは彼女の出現に驚き、大きく飛び退いた。この旅を共にするもうひとりの幼馴染みであり、アニエミエリの副官たるエルルティス・ルクスティー歩兵准尉――通称、エルティーである。
「え、ちょっと待って……アンタ、いつからそこに!?」
気配を殺して背後に忍び寄るのはエルルティスの特技のひとつだ。もちろん、友人たちにはえらく評判が悪い。
「もう、人の気も知らないで……ってとこからー」
モノマネはへたくそだが、そんなことは問題じゃない。
「ちょ!! 聞いてたの!?」
アニエミエリは一瞬で血の気が引き総毛立ったが、すぐに恥ずかしさが勝った。火照る頬を変な汗が伝う。聞かれてはならないことを、聞かれてはならない相手に聞かれた。
一方、エルルティスはへらへらと笑っている。
「やだなーもー。アミーのオリタ君への気持ちなんか、それはもー今を遡ること二十年くらい前からわかって――」
彼女はいつも通りなのだが、むしろそれがアニエミエリの神経を逆撫でした。これ以上、何もしゃべらせてはならない。
鍛え上げられた早業で抜き放った六連発の銃口をエルルティスの喉元に突きつけた。左手で胸倉を掴む。オリビノエイタよりも背の高いエルルティス相手では、うまいこと頭をひっぱたくことができないからだ。
「黙れ。いい?」
「えー、でもー」
「黙るの。わかる?」
アニエミエリの血走った瞳がエルルティスの顔面に迫った。
「よろしいか、ルクスティー准尉。これは命令である。今後一切、この件について話すこと、並びにからかうことを禁ずる! 特にオリビノエイタ・エパスタには絶対に言わないこと!! この意味がわかるかね? 口外しようものなら抗命罪で処罰するということだ、ルクスティー准尉!」
将校口調で一気に捲し立てた。東新大陸の戦場では冷徹だった若き英雄も今はめちゃくちゃである。それほどエルルティスに気を許しているのか、それほどまでに羞恥と怒りが極限に達したのか。
「もー、わかってるってー」
銃口を前にしてもエルルティスは平然としている。むしろ、感情を発露させるアニエミエリを見て嬉しそうだった。
「そう、わかればよろしい――」
「だって、自分で伝えないとダメだもんね、告白は」
最新鋭の六連発拳銃ががちゃりと音を立てた。撃鉄が起こされ、今にも暴発寸前だ。暴発しそうなのは拳銃なのか、それともアニエミエリ・フローナーストその人なのかは判別の難しいところである。
「死にたい?」
「イイエ?」
北方ユミーロ人の血脈を示す銀色の長髪を振り乱しながら、首をぶんぶんと横に振るエルルティス。
そもそも無帽で長髪など軍律に反する。臨時の准士官とはいえ、彼女は軍隊というものをなめている節がある。オリビノエイタ同様、幼馴染みとはいえ、今後は厳しく接する必要があるだろう。変なことを口走らせないためにも。
「よろしい」
撃鉄を戻し、おもむろに六連発を納めた。何かどっと疲れた気がする。ちらちらとこちらを伺う船員の視線が痛い。
「中尉殿ォ!! 渡し舟が到着しましたァ!!」
水夫にも負けない大音声は派遣教官団の最古参、ドレモンティス曹長のものだ。馬鹿なことをしている間にも、マリーワール港の渡し舟はガブレーサール号に横付けしていた。
「総員、下船の準備を急げ!」
「わかりましたァ!!」
気を静め、将校らしさを取り戻したアニエミエリが命じると、曹長はすぐに応じた。軍隊とはこうあらねばならない。こういった規律もヴェリアリープの新式陸軍に教え込もう。彼女はそう心に誓った。
教官のひとりであるマルメトアン軍医に続いて、オリビノエイタが船室から甲板に出て来た。両手も背中もアニエミエリの荷物でいっぱいだ。
「こっちの準備は済んだよ、アミー」
微笑みながらも鞄の重さで息があがっている。そんなオリビノエイタに優しい言葉をかけそうになるが、アニエミエリは踏みとどまった。
「オリタ、悪いけど人前では中尉殿って呼んで」
思わず冷たい言い方になった。
「うん……あ、はい、中尉殿」
彼の曇った顔を直視できず、アニエミエリはそそくさとその場を立ち去った。だが、目をそらしても会話は聞こえてしまう。
「エルティー……その、なんかあったの?」
「重責とかを前に緊張してるんじゃないかなー」
オリビノエイタの問いにエルルティスは涼しげに答えた。
「それにしても……ホント、アミーはかわいーよね?」
彼がそれになんと答えるか聞かないよう、アニエミエリは拍車を鳴らしながら大股で歩いた。彼女をこの旅に連れてくるのではなかったと後悔しながら。