第二節
バルコニー越しに栗色の髪の兵隊が力強く命じた。
「オリタ! 私の鉄兜と騎兵銃持ってこっち来て!」
オリなんちゃらという異国の青年の愛称が〝オリタ〟なのだと、ここでやっとミューネは理解した。短い愛称なら覚えられそうだ。
「うん、アミー! じゃなかった! はい、中尉殿!」
何故か言い直したが、栗色の髪の偉い兵隊がアミーなのだろう。オリタは部屋に駆け戻り、荷物を開いていた。
眼下の閲兵場では鬼人族と衛兵たちが干戈を交え、攻防を繰り広げている。突然の敵襲、ひとりでいるのも心細いのでついて行こうとすると背後から声がかかった。
「ねーねー?」
隣のバルコニーのもうひとり、剣の腕の立つ長い銀髪の兵隊だ。
「はい?」
「その部屋には自分で行ったの? それとも、オリタ君に連れ込まれたの?」
「へ?」
鬼人族の角笛や鳴き声、炎の爆ぜる音、教会の鐘の音。それらのせいで聞き取れなかったわけではないが、この状況下で何を訊かれたのか、瞬時にはわかりかねた。
「バカやってないでエルティーもこっち来る!」
「ふえーい」
ミューネが答える前にエルティーはアミーに呼ばれてしまった。どうやら、アミーがもっとも偉く、次がエルティーで、オリタがもっとも偉くないらしい。
鉄砲と兜を抱えたオリタと隣室へ移った。武器も服装もこちらの物とだいぶ違うが、面覆いはないものの兜だけは少し似ている。
隣室には異国の兵隊ふたりと先程案内してくれた侍女がひとり。その侍女が大声を上げたので、ミューネもオリタも驚いた。
「侍従官長! 侍従官長は居るかァ!?」
使用人とは思えない力強さと威厳。そのうえ、侍従官長といえば宮中官職の中でもっとも皇帝の信任篤い――口さがない者は唯一という――高官である。他の官職が概ね世襲なのに対して、侍従官長は皇帝が実家の家令を指名するのが慣例だからなのだが、それはともかくとして、侍女にとって侍従官長は最上級の上司であるはずだ。
「爺なら常にお側に居ります故、戦場だからといって大きなお声をお出しにならなくともよろしゅう御座います、おひいさま」
気づくと廊下には幾人もの侍女を引き連れた白髪老齢の男性がいた。扉近くにいたミューネとオリタは思わず飛び退く。
「すぐに朕の武具と帝都の地図を持てい」
「畏まりました」
侍従官長ともあろうお人が侍女に頭を下げている。
「それと、そろそろその〝おひいさま〟はやめよ」
「この危機を乗り越え、無事に戴冠なされたら〝陛下〟とお呼びいたしましょう」
「覚えておれよ、爺」
どうも気心の知れた仲らしい。まるで、幼い頃から知っているような。たとえるなら、どこかの貴族の娘と家令のような。
ん?
「いま、陛下って言った、よね?」
オリタの自信なさげな言葉で疑問は一気に解決した。
「あ……こぉてぇへぇかぁ!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「たばかりは朕の方が得意なようじゃな」
あっちゃあ!
廊下で出会ったときと同じようにくすりと笑う皇帝。バレバレだったどころか、皇帝のお忍びに気づかなかったのだ。
「えっと、あの、その……ごめんなさい」
無礼や不敬を通り越してどうしようもないほど申し訳なくなり、素で謝るミューネ。
「良い。兵の集まらん今、魔術師は百人力よ」
なにやら皇帝に期待されてしまったが、百人力どころか一人分の働きが出来るかどうかも自信がない。とはいえ、反論や言い訳の出来る雰囲気でも身分でも状況でもない。帝都が襲撃され、戴冠前の皇帝が狙われているのだから。
敵が鬼人族である以上、エルデルドー砦で唱えた〝マアハピオロンの燈明〟が効果的なのは間違いない。獣神マアハピオロンへ古代龍言語でむりやり助力を乞う荒技など魔術学会広しといえども、ミューネにしかできないだろう。
だが、そのための準備に時間がかかる。エルデルドーでは魔術陣を描くのに三日を要した。それも、破邪銀の燈籠を持参したうえで、である。時間もなければ燈籠もない以上、自分がお役に立てるとは思えない。
手持ちぶさたで突っ立っているミューネをよそに、アミーは兜と鉄砲を受け取り、皇帝は本物の侍女に着替えさせられていた。騎士の頂点たる皇帝らしい銀色に輝く立派な甲冑だ。ちなみに、皇帝が着替える間、オリタはエルティーに目を覆われ続けている。
それにしても、ヴェリアリープ帝国史上、皇帝の本陣がこれほど女性だらけだったことがあっただろうか。いや、あり得なかったはずだ。
今まさに、時代は大きく動きださんとしている。




